第5話 小狐

時は戻り三日前。

住宅が続く東京郊外の松ガ原町内 まだ人も車も通らない早朝 。


朝霧に紛れアスファルトの車道を横切り去る六~七才の男の子が一人。


手に大事そうに、何か抱え息を弾ませ走って行く。やがて子供は「バイパス道路工事の為 一般人立ち入り禁止」と書かれた看板が立て掛けられた。

工事現場へと立ち入る。


ジャリ道のあちらこちらに掘り上げられた土砂が、小さな山を造っている脇を走る子供は、足が悪いのか少し右足を引きずっていた。


サイズの合わない薄汚れた大きな半袖Tシャツに半ズボンを身につけ、痩せ細った手足にバサついた髪毛・頭上には尖った耳が、お尻では艶の無い薄茶色のしっぽが、走るリズムに合わせ右へ左へと揺れていた。


走りづらい道を小走りに走り抜け、子供はススキや雑草が生い茂る草むらの先にある林の中へと進んだ。


奥には拝む者も無く見捨てられ朽ち果てた小さな稲荷社があった。

その傍らに立つ大きな楓の老木を目にした子供の顔にやっと安堵の笑みが浮かんだ


子供は獣の身軽さで、大楓の根元に近づき用心深く辺りを見回し人の気配が無いのを確認してから、根元に在る虚に体をすべり込ませる。


社と老木には人目に付く場所に針金で看板が掛けてあった。それには『道路拡張の為 撤去予定』の文字が書かれていた。


狭い虚の中には子供とよく似た小さな男の子が、一人膝を抱えるような格好で眠っていた。


「二太…起きて食べ物を探して来たよ」子供は二太の側に大事に抱えて来た僅かな食料を置いた。バッタやカエル・食べられる草は、近くで手に入ったが、空腹は満たされず時折民家のゴミ箱をあさる生活を送っていた。


「にいちゃ…はいどうじょ」二太は古く固いパンを取り分け兄に差し出した。


「オレさ…先に食べて来たからいらない。二太全部食べなよ」

二太は首を大きく左右に振り兄に僅かなカケラを手渡し笑顔で言う。

「いたたきます」


最近はこの辺りでも野良犬や野良猫が増えた為、ゴミ箱を戸外に置く家が減り食料を得る為には、町中まで出掛けなければならなかった。


今日も朝暗い内から食料探しに出掛けた一太は、ゴミの集配場所・家庭のゴミ箱を捜し回りやっと庭先に置いてあったゴミ箱から痛んだパンを拾えたのだった。


二太に食べて来たと言ったのは、最近体が弱ってきた二太に少しでも多く食べさせよう考えた嘘だった。


「キューン」食べ物の匂いを嗅ぎ付け、二太のシャツの胸元からテニスボール大の銀色の小狐が、顔だけ出しまだ見えぬ目を二太に向け鳴いた。


「お腹すいたね…あい」二太はパンを小さく千切り小狐に与えながら、自分も食べ始めた。貪り食べる弟と妖力が足りず人の姿に成れず狐のまま二太の、胸元に抱かれている妹を見つめた。


この先行き場所の無い事を考え途方に暮れる一太だった。


一太達三兄弟は、遥か昔より土地神としてこの地を見守り人々の信仰心と供え物で生き続けた眷族だった。きれいな水を好み森と植物の放つ自然気を取り込む事で 、天変地異すら起した一族だったが、年々増える人口に合わせ進む土地開発の為、力の源である山々・森などの自然を削り壊され、ほとんどの者はこの地を見捨てさらに山奥や他の土地へ移り住んだ。


残った者達も住まいを追われ、人が無意識に放つ邪気に蝕まれ、結局一人また一人と姿を消していった。


それでも一太の二親は、この無残に変わり行く土地を見捨てられず社近くに住み着き一太と二太を生み育てていたが、父親は一太が五回目・二太が二回目の冬を越えた夏。


人気の無くなった深夜に獣姿で食べ物を探しに出掛け、国道でトラックに跳ね飛ばされ死んだ。


母親も今年の春。妹を産み落とし後、残して逝く子供達を気遣いながら父親の後を追った。


一太達三人が、松ガ原町最後の狐族になってしまった。


幼い命を守るべき二親に先立たれた一太達が、人や獣に見つからず生き残れたのは、稲荷神社の側に立っている樹齢一五〇年余りの老楓に宿る精霊に守られて来たからだった。


風に乗って聞こえて来る亡き母を思い泣く幼子の声。子供達が隠れ住んで居たアパートの縁の下に幻影を送り自らの虚に招き入れ、生きる術を教えてくれたのは楓の精霊だった。


老木が若木より生き続けた稲荷神社の土地。安全と思われた住処に人の姿がよく現れるようになったのが、早春この場所が、新設バイパス道路計画地に指定され工事が、始まってからだった。

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