29日目
文化祭前日。この日は準備のために全日程が割り当てられており、授業は存在しない。
キミとの約束で、装飾係としての作業が終わるその瞬間までは普段通りに過ごそうと決めた。どうせなら、キミとの出会いから始まったこの装飾係という役割の最後までを笑顔で過ごしたいと思った。
珍しく、目覚まし時計が鳴る五分前に起きた。
昨日は、普段では考えられないほど寝つきがよく、たっぷりと七時間も眠れた。そのおかげか寝覚めもすっきりしている。
妙に冴えた頭でカーテンを開けると、朝の訪れを告げる温かな光がじんわりと差し込む。窓の外に広がる代り映えのないコンクリートだらけの景色を眺めながら、
――今日、私、失恋するんだ。
という事実を思い出す。
私が失恋したところで、世の中には何の影響もないし、きっと、明日も同じように朝日は昇ってくる。それだけのことが嬉しいようで寂しいようで――なんだか少し泣きそうになる。
髪をバッサリと切ろうかなんてことも考えた。
でも、前髪以外を自分で整えたこともないし、キミとの最後の想い出を大惨事のまま迎えてしまうのは、さすがに一生後悔しそうだったので、やめておいた。
一番後悔のない形でキミとの最後の一日を過ごしたかった。
髪型も、バレない程度のメイクも、カバンにつけるマスコットも、赤いヘアピンも。
全部、私の一番のお気に入りで揃えた。キミの好みに合わせたいと思って無理していたこともあったけれど、今日という日に限っては一番私らしい私で挑むのが正解だと思った。
自分の好きなものを好きだと堂々と言えるようになったのも、もしかしたらキミのおかげなのかもしれない。
朝ごはんの準備をしていると、お姉ちゃんに話しかけられた。
「あれ。今日から文化祭準備って言ってたから、しばらく起きてこないと思ったのに」
「授業がないからスムーズに起きられるんだよ」
「なるほど」
そう言って、しばらくお互いに無言でトーストを頬張る。
「ねえ、お姉ちゃん」
「何」
「片想いってしたことある?」
「突然どうしたの」
「聞いてみただけ」
「そか」
「うん」
「んー……あんたぐらいの年だと、告白すらできなかったやつはあった、かな。でも、ちゃんと告白したのは今の彼氏が最初」
「ふーん……そんなもんか」
「何よ、その含みのある言い方」
私は一足先にトーストの最後の一欠片を口の中に放り込む。
「なんでもない――その告白、最初で最後になるといいね」
「ちょっと、それどういう意味!?」
そして、私は一足先にリビングを後にする。
昨日と今日で、あらゆるものの見え方が変わっているような気がする。それは、いい方向にも、悪い方向にも。
部屋に戻ったら、ラインの通知が来ていた。
しいちゃんだった。
しいちゃんには、朝、起きた後に「これから、フられてくるね」とだけメッセージを送った――彼女には全てを伝える義務があると思ったから。
彼女からの返信はシンプルだった。
「おつかれさま」
「今度、遊びに行こ」
二件の短いメッセージの跡に、ウサギのキャラクターがバンザイをしているスタンプが添えられている。
私は胸が熱くなって、スマホをぎゅっと抱きしめる。
彼女と再び知り合ってここまで親しい仲になったのは、キミに恋したことがきっかけだった。……最初は簡単に教科書を貸してくれそうだとか酷いことを考えていた気もするけれど、それも今となっては笑い話――で済む、だろう。
間違いなく、彼女はかけがえのない友人となる。
この恋が終わっても、決してそこまでの日々がゼロになるわけじゃない。ちっぽけだけれどかけがえのない、確かな証明が存在するのは、とても嬉しいことだった。
忘れ物を確認して、ベッドとを整えて、歯を磨いて――そして、私はいつになく元気な声で出発を宣言する。
私の恋が終わる、最後の一日に向かって。
「いってきます」
*
文化祭前日ともなると、装飾係の仕事だけではなく、文化祭実行委員本来の役割であるクラスとの橋渡し役であったり、クラスの出し物の手伝いであったりと、一応暇人を認定されていたはずの私ですらも目が回る忙しさとなる。
クラスの出し物である大正喫茶は、クラスメイトたちが優秀で私に回ってくる仕事はほとんどない――と思いきや、暗幕の貸し出し申請がすっぽり抜け落ちていたということが発覚し、四方八方に土下座をして回りながら、なんとか余らせた暗幕を調達する羽目になっていた。
それでも予定の枚数の半分にも満たない枚数でエントランス部分や裏方スペースを作らなければならないということで、当初予定していたレイアウトを大幅な変更を余儀なくされ大パニックとなっていた。
私はというと、装飾係で余らせた模造紙やらビニールテープやらを横流しすることで微力ながら協力――できたのかは怪しいが、アイテムをドカドカと放り投げるだけ放り投げて、装飾係としてのお呼ばれに馳せ参じるのだった。
まあ、最低限の仕事はしたと思うし、むっちゃ感謝されてたし――来週から居場所を失うことはないと思う、たぶん。
私がそんな聞き覚えのないトラブルに振り回されていた間、キミは実に優雅にクラスの出し物である脱出ゲームの準備を進めていたようで、私がへとへとになりながら時間ギリギリにやってきた集合場所に、涼しい顔をして立っていた。
キミは、私を見つけるといつものように軽く片腕をひらひらと振って挨拶をする。
いつもと変わらないように過ごそうと提案したのは私だが、この状況でそれをされると無性に腹が立つ。
装飾係として今日なすべきことは、これまでにちまちまと作り上げてきた飾りつけを廊下などに張り付けていく作業、それと九割九分のパーツ出そろった入場ゲートや中庭のオブジェの組み立て作業だ。
下っ端の一年であるところの私たちは廊下の飾りつけ作業に回されるのが基本なのだが、私とキミはわざわざ日曜まで登校して作業を手伝った熱意に感動されたようで、装飾チームの目玉でもある中庭の巨大オブジェの設営を手伝うこととなった。
休日に登校してまでオブジェ造りに関わったのは、言うまでもなくキミとの接点を少しでも増やしたかった私の下心ゆえなんだけど、それを今指摘するのは野暮というものだろう。
オブジェは、文化祭のコンセプトである「空」を体現するため、ベニヤ板で作られた雲や飛行機、虹やロケットといったパーツを十何個か複雑に組み合わせることで構成されている。
そのパーツをこれまでの作業で私たちは作ってきた。主にキミはのこぎりでベニヤ板のカッティングを、私はペンキでの色塗りをやっていた。ほぼ流れ作業だったので、色を塗る対象を選ぶ暇などなかったのだが、唯一、私が青をベースに採色したロケットだけはキミのカッティングしたものであることを私は知っている。言うなれば、あのロケットは私とキミの共同作業の結果ともいえる産物なのだ――自分が切った板を誰が塗ったかなんてところまで普通は見ていないので、この事実を把握しているのは私だけだと思う。
オブジェの組み立ては想像以上に重労働だった。
まず全体の土台となるベース部分が非常に大きい。ベニヤ板は軽いとはいえ、巨大になってくると話は変わる。五人がかりで代わる代わる運んで、やっとこさ土台を定位置に配置したら、その上に個別のパーツを乗せる必要がある。
そして、個別のパーツもただ乗せるだけではなく当然釘による固定が必要なので、スムーズにはいかない。しかも、それぞれのパーツがパズルみたいに複雑に重なり合っているせいで、正規の順番で合体させていかねばならず、並行作業もできない。作業していた人全員が、設計者への殺意を明確に抱いたことだと思う。
私も作業の二割程度進んだ時点で、辟易としていた側ではあるのだが、唯一ロケットのパーツの取り付けだけは気分が上がった。二人で作った――と知っているのは私だけだろうが――ロケットを私が両手で支えて、キミが釘を打つ。このシンプルな共同作業に言葉はいらなかった。そこには無言の信頼関係が存在している。
なんだかんだ、一ヶ月も一緒に作業をしてきているのだ。二人が積み重ねた想い出はゼロではない。
そうして格闘すること三時間。
ようやく装飾チームの目玉である巨大オブジェは完成した。
完成品を見ると、雑多な雲の間を飛行機やらロケットやらが飛び交い、なるほどどうして、自由な雰囲気がよく表現されている。作っている間は散々文句を言っていたが、こうして形になったものを見ると、これを私が生み出したのだという誇らしさが湧いてくる。
中庭を行き交う生徒たちが立ち止まって、すげーと称賛の声を上げているのを見ると、ここまでの苦労が報われた想いがする。
へとへとになった身体で芝生に寝転がりながら、私とキミはこつんと拳を突き合わせるのだった。
装飾係としての、私とキミの物語は、文句なしの最高のハッピーエンドを迎えられたと思う。
*
そろそろ、日が傾いた頃合いだろうか。
全体の準備作業も落ち着き、リハーサルなども終わって生徒たちがパラパラと帰宅を始めた頃。
私は屋上の入り口の階段に腰掛けてキミを待っていた。
「ここにしたんだ」
「うん――いろいろ考えたけど、やっぱり私とキミの場所って言ったらここだから」
私は総菜パンを片手にぶら下げたキミを迎えるときと同じ感覚で、キミをこまねく。
そして、立ち上がって位置を調整する。狭い踊り場に二人、一メートルぐらい離れて向き合う感じ――なのだが、なんか思っていたのと違う。
「あー、ごめん。ここだとちょっと暗いかも……窓の光がこの時間だと思ったより弱いなあ……かといって下の踊り場まで降りちゃうと誰かに見つかっちゃいそうだし、かといって多目的室とか図書室とか他の場所は絶対もっと人いるし……あー……えーと、お、屋上まで来てもらっていい……?」
誰がどう見ても間抜けの烙印を押しそうな一人問答の末、私は屋上への扉を開けてキミに入るよう促す。
一人ではしゃいでアホみたい、と思いつつもやっぱり譲れない。
キミとの失恋だからこそ、細部に至るまで全部大切にしたいんだよ。
初めてきた時はまだ残暑の暑苦しさが残っていて、とても人がいられる空間ではなかった屋上だったが、今は、大分残暑も落ち着いてきたのと、日没近い時間帯なのも相まって、かなりマシになっている。むしろ、隣のマンション地帯からやってくる隙間風が、汗を吹き飛ばしてくれて心地よい。
ここならばまあ――及第点としよう。
改めて、キミと二人向き合う。
「――うああぁあ、改めてやるって宣言してからだと余計に緊張するなあ」
真っ赤になってつい顔を覆い隠したくなる。
昨日はさらっと言えたはずの事なのに、どうしてこんなに違うもんなのだろうか。
キミは優しいのか呆れているのか、私の準備が終わるまで文句ひとつ言わずに待っていてくれる。
「えー、それでは――」
もはやグダグダになってしまってムードも何もないけれど。
こほん、と軽く咳払いをする。
なんだか演説みたいで変な気分がする。
台本なんて用意してないけど――言いたいことはちゃんと決まってる。
「好きです」
その言葉は、驚くほどに重たくて、不思議なほどにするりと出た。
「初めての委員会であった時から、キミのことが好きだったと思う――多分、いわゆる一目惚れってやつ。たかが委員会の話を聞いてポストイットに真面目にメモしているキミを見ていたら、なんだか愛くるしくなっちゃって」
キミもまさかそんなものが動機だとは思わないだろう、とちょっと得意げな気持ちになる。
何に対して自慢しているかはわからないが、そういうことだ。
「それからも、知れば知るほど、好きなところは増えたよ。相変わらず単純作業をテキパキこなすところも、難しい本を読んでるところも、結構ベニヤ板切るのが上手なところも、ユーフォ―キャッチャーに一生懸命になっちゃうところも、何か一つを知るたびに、その全部を好きになっていって」
キミと過ごしたひとつひとつの日々が思い起こされる。
どれも間違いなく、楽しかった。
気持ちがわからなくて不安になってばかりだったけど――本当に、幸せだったと思う。
「そりゃあ、キミに大切な人がいるって知った時はとても悲しかったし、たくさん……それはもうたーくさん泣いたけど……」
キミにちょっぴりでも罪悪感を背負わせたくて、ここは強調させてもらう――これは単なる嫌がらせ。
「それでも、やっぱりキミのことが好きだし、私で笑顔になってほしいし、苦しいこととか楽しいこととか全部乗り越えて、ずっと隣にいたいって思いました。……高校一年、職業学生、将来未定、得意科目はギリギリ社会、構成家族は父、母、姉。得意料理は……多分、目玉焼き。こんな私ですが――付き合ってください!」
そこまで一気に言い切って、私は右手を差し出し、頭を下げる。
私なりに精一杯の、自分の思う全てをぶつけた告白だった。
全身からキミへの好きが溢れ出しているんじゃないか――そんな気がしてしまうほどに。キミなら、ちゃんと、目を逸らさないで聞いてくれると信じていたから。
永遠じゃないかとも思えるほどの沈黙。
何秒、何分――いや、何年待ったかわからない。
その間、キミの頭の中では一体、どんなやりとりが行われていたのだろうか。それを知る由はないけれど、キミの声がゆっくりとその沈黙を破る。
「ごめん……僕には、もう心に決めた人がいる」
その言葉一文字一文字が、薄いカミソリのように、耳から私の中に入っていって心の奥底へと差し込まれていく。
昨日の時点――あるいはもっとそれ以前から分かっていた言葉。聞きたくないと暴れていた言葉。
その言の葉がちゃんと音の葉になったことが――苦しい反面、どこか安堵している自分もいる。
「うん――知ってる」
出ないと思っていた涙が頬を伝う。
「昨日、あの人とうまくいきそうって話を聞いて、それでもう私いらないじゃんってなったんだけど、好きって気持ちは変わらなくって」
見て見ぬ振りもできた。
なかったことにすることもできた。
「キミに伝えられないまま終わるのは嫌だった。だって……たった一ヶ月の間だけれど――ずっとキミのことを見ていたし、キミと仲良くなる方法ばかり考えていたし、キミのことばかり夢に見たし――この気持ちを無かったことになんてしたくなかった」
気持ちが溢れて溢れて止まらなくなる。
あんなに頑張って伝えたはずなのに、まだ、まだ、キミに伝えたいことが出てくる。
私の全部を注ぎ込みたい――でも、それは私のわがままだ。
今度こそ、ちゃんと終わらせないといけない。
「だから、キミに惜しい女を逃したな――ってありったけの無念を植え付けてやることにしました」
無理矢理な作り笑顔。
残滓を残して断ち切る未練。
精緻にガラクタを積み重ねた矛盾。
これが失恋なのだ。
全身を渦巻いていた呪いがすうっと消えていく感覚。
私を支えていたはずの細い細い糸がぷつりと途切れる感覚。
私の中のピンク色の魔物が安らかに息を引き取っていく感覚。
覚悟はしていたはずなのに。いろんな感情が次々と沸き起こっては蒸発して、そのたびに涙がどんどんと溢れてくる。
この涙は果たして、喪失への悲しみなのだろうか? 不幸への呪いなのだろうか? それとも……解放への喜びなのだろうか? もはやわからない。
「聞いてくれてありがとう。嬉しかった」
そう言って、私はくるりと踵を返し、校舎の中へと戻っていく。
――屋上に呆然と立ち尽くすキミを後に残して。
階段を降りようとしたとき、どうしても一言付け加えたくて、大きな声で叫ぶ。
「いつか、私の純情を弄んだこと、後悔させてやる!」
そして私は駆けだす。
今度こそ――振り返ることなく。
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