28日目

 明日から文化祭の準備ということで、装飾係の作業もいよいよ大詰めとなってきた。

 中庭に置くオブジェ、そしてゲートをいよいよ組み立てて、序盤に作った細かい装飾たちも廊下に彩りを与えていく。

 なんだかんだ一ヶ月の間コツコツと作ってきた装飾なので、流石に愛着が湧いている。

 キミとの装飾係の日々もいよいよ大詰めだ。


 しかし、そんな畳み込みの作業に比べても、どうしても気になるのは、キミの様子が明確に異なっているということだった。

 心なしかキミの足取りが軽い。文化祭前で浮足立っているのとは違う。そもそもキミは文化祭で浮足立つタイプではない。


 もちろん、心当たりはある。どう考えても昨日のお見舞いだ。私が喧嘩を売った直後、キミはちゃんと話し合ったのだろうか。

 どうして恋敵に塩を送るような真似をしたのか、自分でもわかりかねる。でも、あの時はそれを伝えなければいけないような気がしたのだ。

 その話し合い結果がどうしても気になるが、作業に追われた私たちはなかなか話す機会を得られないのだった。


 つかの間の休憩時間、私とキミは自販機でジュースを買って一息をつく。

 いつものように甘ったるいサイダーを片手に、私はようやく本題を話すことができたのだった。


「なんだか元気そうだけど、何かいいことでもあった?」

「昨日、いつものようにお見舞いに行ったんだけれどさ」


 そう語るキミの口調は軽い。長年の憑き物が落ちたような顔をしている。


「――明後日、文化祭を一緒に回ろうと言われた」


 想像していた、嫌な予感が的中した。

 キミの足取りが軽いのを見たときから、そうなのではないかと危惧していた。

 キミは、おもちゃを買ってもらった子供のように晴れ晴れとした表情で語る。


「彼女から何かしたいっていうなんて、本当に何年ぶりかのことで――」


 つまりは、それが彼女の出した答えだった。

 彼女は病に侵され、前向きに生きることを諦めていた。キミに尽くされるまま、身の不幸を嘆きながら、ただいたずらに時を過ごしていた。そうして、キミの好意に甘えていた。

 でも、彼女は彼女のやり方で、彼女のできる範囲でキミと向き合っていくことにした。その第一歩が、自ら外に出て文化祭を回るというものだった。小さな一歩なのかもしれないけれど、そのもつ意味は非常に大きかった。


「どうしても車椅子は必須だから車椅子でいける範囲を調べておかないとね」


 キミは期待を籠めながら、文化祭のパンフレットをパラパラとめくる。キミは、二人だけの世界に行ってしまったように見えた。


 でも、それは言い換えれば――私は置いていかれたということだ。


 もちろん、こういう結果になる可能性は考えていた。むしろ、二人の仲が進展して、私が置いていかれる確率の方が高いと思っていた。


 それでもあの時はそう言うことしかできなかった。

 キミがキミ自身の幸せを放棄している現状がもどかしかったのだ。


 それで、自分のチャンスを手放したのだから救いがない。

 今の私は――どこまでも部外者だ。

 

「君が何か言ってくれたんだろう?」


 キミが私に尋ねる。

 直前まであの病室にいたのは私なのだから。そう推測するのは自然なことだ。


「……別に。大したことは言ってない」


 私はぶっきらぼうにそう答える。

 これは、ただの強がりだろうか。

 とにかく今は、無関心を装いたかった。


 キミの笑顔を見たかったというのはもちろんある。

 でも、笑顔にするのは私であってほしいとも思っている。そして、実際に今、私はキミの笑顔を見ることができている。

 矛盾だらけの私の行動は、もう自分でも制御できない。


「謙遜しなくてもわかるよ――ありがとう」


 そう言ってキミは私の手を取る。

 キミとの初めてのスキンシップに喜びたいところだが、素直には喜べない。だって、それはキミが今までにないほど興奮している証ということだから。


 そして私は理解した。

 私の恋は終わったのだと。


 もうキミの恋は新しいステージに向かって走り出した。どんな結末になるかはわからない。でも、投げられた賽に運命を託して、キミの恋は走り出している。

 その未来のどこにも、私はいない。


 だから、私は潔く身を引かなければいけない。

 新しい恋に走り出したキミの前では、私の存在はノイズになる。

 だから、私はまるで初めから何もなかったかのように、そのままキミとごく普通の友人関係を続けていけばよい。


 そう。私は初めからキミのことなんて好きじゃなかった――そういうことにすればいいだけなのだ。

 でも、私の不格好な自我がその結論を受け入れることを妨げる。

 無かったことになってしまうなら、キミに恋して走り続けたこの一ヶ月は――なんだったの?


「…………好き」


 そう思った時には、言葉が漏れ出していた。


 キミの目が大きく見開かれる。

 私も自分で何を言ったのか理解できずに、壊れたラジオのようにその台詞を繰り返す。


「好き。好き。好き。好き。好き――」


 言っちゃった。

 言っちゃった。言っちゃった。言っちゃった。


 私は不意に立ち上がって図工室を飛び出す。

 キミの引き止める声も無視して。

 今はもう、誰にも会いたくない気分だった。



 またサボりをしてしまった。

 しかも今回ブッチしたのは、授業ではなく、委員会の活動の方だ。しかも休憩時間に突然いなくなったのだからたちが悪い。

 先輩たちになんて説明するべきか、今から気が重い。


 誰にも見つからないよう、いろんなところを転々とした。

 どこの逃げ場所もしっくり来なくて、最終的に私はいつもキミと過ごしていた屋上手前の階段でちょこんと体育座りをしていた。

 心のどこかでは、キミに見つけてほしいという思いもあったのかもしれない。 


 しばらくすると、階段をコツンコツンと登る音がして、キミはやってくる。

 ちょっと遅いけど――ギリギリ合格点ということにしておいてあげようか。


「よく見つけたね」

「どこにいるかわからなくて、最後に思いついた候補がここだった」

「はあ……そういうこと、正直に言っちゃうんだもんなあ」


 キミは私の隣に腰掛ける。

 お互い、何を言っていいのかわからない気まずい沈黙が流れる。

 私は涙と鼻水で顔がべしゃべしゃで、何かを喋ろうとしてもうまく言葉が出てこない。そんな様子を見かねたのか、キミの方から恐る恐ると話題を切り出す。


「……いつから?」

「最初からって言ったら驚く?」


 忘れもしない、最初の文化祭実行委員会。

 そこで、熱心にポストイットを貼ってるキミを見て、私はキミに惚れたんだ。


「全く気付かなくてごめん……そういうの疎くて」

「別に、怒ってない。キミがそういう人だってこと、知ってるし。むしろ、最初から見え見えでしたなんて言われたら、こっちが恥ずかしさで死ぬ」


 キミの鈍感さにイラついた部分もあったけれど、結果としては救われた部分も多かったような気がする。

 私の不器用で行き当たりばったりの恋愛がここまで形になったのも、キミの察しが悪いおかげもあっただろう。


「同じ係になったのも、クイズ一緒に作ったのも、全部そういう?」

「うん。キミに近付くため……笑っちゃうでしょ。ただクイズを作る手伝いをするだけなのに、ありったけの勝負服選んでお洒落して行ってたんだよ」

「ごめん……それも気付かなくて」

「そっちは本当に期待してないから大丈夫」


 あのベージュのワンピ。またいつか着る機会はあるのだろうか。


「それで、キミともっと仲良くなって、入院してるあの人のことを知って……そして、気付いちゃったんだ。私には居場所なんかないってことに」


 本当は最初に話を聞いたときからわかっていた――私なんかじゃ勝負にならないって。

 それを認めたくなくて悪あがきもしたけど……意味がないなんてこと、自分でもわかっていた。

 それでも、私はもう少し夢を見ていたかったんだ。


「だから、本当はこのまま黙ってフェードアウトしようと思ったんだけどさ……キミが何も知らないままってのは嫌だなあ、って思ったら……つい言葉が出ちゃった」

「ごめん……何も知らなくて」

「もう……謝ってばっかだなあ!」


 私はおもむろに立ち上がる。


「本当に謝らなきゃいけないこと、一個だけあるでしょ?」 


 それの意味するところを察したのか、キミは申し訳無さそうに目を伏せる。

 その仕草がほとんど答えのようなものなので、それだけで泣きたくなってしまうけど、私にだって意地がある。


「それをさっさと聞いちゃいたいとこなんだけど……返事、明日まで待ってくれないかな? 実は私としてもあんな形で告白しちゃったのは正直、不本意といいますか――」


 バツが悪くなって視線を逸らす。

 かといって、完璧なプランがあったというわけでもないけれど。

 正解なんてあるのかもわからないけれど。


 でも、私は私の望む形で終わりを迎えたい。

 だから、今度はキミの目を見てはっきりと――自分の意志で伝える。


「明日、私はキミにもう一度告白します。その時に――ちゃんと返事を聞かせてください」

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