27日目

 放課後、私はまっすぐ隣町にある病院へと向かっていた。

 そして、面会の受付を済ませると待合室に案内される。思ったよりも緊張はなかった。制服姿では浮いてしまうのではないかと心配していたけれど、恐らく学校帰りに問診を受けに来ているであろう人たちがぱらぱらといる。

 五分ぐらい待って、私の名前が呼ばれる。私は以前も訪れた七階にある病室へと向かうのであった。


「あら、この間の――」

「ご無沙汰してます。二日ぶりですけど」


 私が面会を申しこんだその人は、二日前に会った時と比べてまた一段と痩せたように思えた。

 キミの話によると、大きな手術を控えているらしい。気丈に振る舞う彼女の姿は凛々しくもあり、弱々しくも見えた。


「あの子はいないようだけど、一人で来てくれたの?」


 彼女は嬉しそうに私を迎えてくれる。


 深く深呼吸をする。

 自分がこれからしようとしていることの意味。その重圧を両肩に感じながら、。


「突然こんなこと、すみません……彼のこと――どう思っていますか?」


 招かれざる訪問者の不躾な質問。

 穏やかで笑顔を絶やさなかった美しい表情が、一瞬ピクリと動く。


「どうしてそんなことを聞くの? ……彼は大切な幼馴染よ。お互いが小さい時からずっと一緒にいて、家族同然に過ごしてきて、今だって私のことを心配してくれて――」

「そういう意味じゃなくって!」


 思わず荒げた声が出てしまって、私は思わず口を抑えて呼吸を整える。

 そして、震える声を必死に抑えながら、相手の目を真っすぐ見つめる。


「――男女の話です」


 彼女はハッとしたように目を見開く。

 しばし、時が止まったかのような気まずい沈黙が場に重くのしかかる。

 彼女は、私の言葉を飲み込むかのようにゆっくりと目を伏せて逡巡すると――やがて何かを諦めたのか、軽く溜息をついてまだほんのりと夏の香りの残る窓の外を見やる。

 そのぞっとするほどの美しさと、無表情にこびり付いた死の香りに、ぞくりとした悪寒が走る。普段は笑顔を絶やさず気丈に振る舞っている彼女の、その心の奥底にあるものを垣間見たような気がした。

 でも――ここまで来たのだから、引くわけにはいかない。


「……それを聞いてどうするつもり?」

「もし、あなたが要らないというのなら――私にください」


 余すところなく伝わるよう、一言一言をしっかりと噛みしめながら発音する。

 さっきの反応で、この女性がキミのことをどう思っているのか、どんな存在なのか完全に理解してしまった。……その本音を知ってしまった。

 その事実に泣き出したくて、悲しさと悔しさで足が震えそうになる。だって、それは、一番考えたくない可能性――私が単なる邪魔者にすぎない可能性――だったから。

 でも、だからこそ――私は逃げずに向き合わないといけない。たとえ、この言葉ひとつひとつが、彼女を傷つけることがわかっていたとしても。


 彼女は、ゆっくりとこちらを振り替える。

 相変わらず、その表情には全くと言っていいほど生気を感じない。彼女は抑揚のない口調で、まるで独り言のように呟く。


「……それもいいのかもしれないわね。いつまでも、あの子をいつ死ぬかもわからない私に縛り付けていたら、可哀想だもの」


 これが、この人の本心なのだ。

 目の前にいるこの人は間違いなくキミを愛している。キミが幸せになることを願っているし――できることなら、それを自分の手で叶えたいと思っている。

 でも、それは叶わない。どんどん弱っていく彼女では確実にキミに負担をかけてしまうから。遠くない時期に別れが訪れるかもしれないから。

 その罪悪感と彼女はずっと戦っていた。


「だから、あなたがいてくれたら、きっとあの子も――」


 ――でも。

 恋の病に侵されてしまった私がほしいのはそんなものではない。物足りない。

 今の私は、どこまでも強欲でわがままな――化け物なのだ。


「それじゃ駄目なんです。私は、あなたの代わりじゃなくて――ちゃんと彼に愛されたいんです」


 なんて勝手な言い草だろうか。

 突然外野からやってきて、長い月日の積み重ねもない小娘が、明日が来るかもわからぬ困難と闘っている人に対して、その大切な人を寄越せと言っている。

 それも、想いの一部を背負って肩代わりするのでは、何から何まで全部寄越せと言い放っている。


 さすがに彼女の眉が釣り上がた。


「なら……どうしろっていうのよ。毎日のようにできることが一つずつ減っていくような身体で、誰かに頼らないと、私は生きていけないのに」


 声を荒げる彼女に、私は負けじと返す。


「ちゃんと彼に向き合ってください。彼は貴女のために身を削って頑張っているんです。甘えるか、甘えないか――はっきりさせてください。……彼を、解放してあげてください!」


 二人の恋の病は密接に絡み合っている。お互いがお互いのために共依存している――だからこそ、キミからそれを引き剥がさないと、私のものにはならない。

 その恋が成就するか終わるかしないと、私の恋の病は治らない。


「あなたが甘えている限り、彼はずっと捕らわれたままなんです」

「それの何が悪いっていうの!? 私は、そうでもしないと確実に彼の中にいられないというのに」


 私は最低だ。

 こうなるはずじゃなかったのに。


「彼は……そんな貴女ですら受け止めてくれます……それが彼という人間ですから」


 だから、私は好きになった。必ず見つけてくれる人だから。

 私は――愛されたいと願った。


「……出ていって」


 私は黙って部屋を退出する。

 彼女は物思いにふけるように、窓の外を眺めていた。


 病院からの帰り道、私はキミとすれ違った。少し時間差でキミもお見舞いに来ていたらしい。


「あれ、どうしてここに?」

「しっかり後悔のないようにやってよね……待ってるから」


 私はそう言って手を振ってこの場を後にする。

 賽は投げられた。


 あとは私の恋が叶うか……叶わないかのどちらかだ。

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