25日目

 今日は久々の登校日――といっても金曜に一日休んだだけで他は正規の休みなので、普段と大して変わらないのだけれど。

 それでも、ずる休みをした後というのは、なんだか一ヶ月ぐらい休んだような気持ちになる。周囲に変な噂されてないかとか友達の輪から外されてないかとか、余計なことばかり登校前に考えてしまう。

 ――もちろん、たかが一日病欠しただけの扱いになっているので、そんなことはすぐに杞憂に終わった。


「無事でよかったぁーっ」


 登校するや否や、隣の教室からしいちゃんがやってきて抱きついてくる。

 何があったのかとざわつく外野を無視して彼女を引きはがして、後でちゃんと話そうと伝えると、わかったとけろりと表情を変えてそのまま出ていった。

 嵐のような子だ。

 修羅場か修羅場かと、彼女が去ってもなお周囲は好奇の目でこちらを見てきたが、ギロリと睨み返してやると特にそれ以上の進展もないためか、黙ってそれぞれの日常へと帰っていく。

 突然連絡を絶って心配をかけたのは私なので、文句を言う筋合いはないのだが――それにしても強烈なことするなあと、彼女に上履きを貸したときのことを思い出すのだった。


 そして時は昼休み。

 さすがにキミのいる教室で堂々と話すわけにもいかないので、中庭の奥の方にある園芸部が管理している花壇の側の人気のないベンチでお弁当を広げながら、私は彼女にここまでの経緯を話すのだった。

 キミに好きな人がいると知った時のこと。そして、直接その人に会いに行った時のこと。

 しいちゃんは真剣そのものといった面持ちで、一切表情を変えることなく私の話を聞いてくれる。お互い、お弁当を膝に乗せながら全く手を付けていない異常な空間になってしまっている。

 私の話を聞き終えたしいちゃんはじっくりと内容を咀嚼してから、一息、深呼吸をする。


「いやー……さすがに直接カチコミにいくのはびっくりだよ、ヤンキーかよ」

「別に殴り込んだわけじゃないけど……」

「似たようなもんだよ! ただの同学年の女の子がわざわざお見舞いの場までやってくるなんてありえないもん! そんなの特別な存在ですって宣戦布告してるようなもんだよ!」

「え、いやあ……特別だなんて、そんな……えへへ」


 しいちゃんは特別というワードに反応して照れる私に呆れて、溜息をつく。


「とはいえ、それでホイホイ連れていく彼もすごいというか……喜ぶ相手の人もすごいというか……なんか、思った以上に厄介な恋愛に巻き込まれてない?」

「私としては普通の男の子に惹かれただけのつもりなんだけど、思った以上に激重なバックグラウンド掘り当てちゃってびっくりしてる」

「ほんとだよ! にしても、人は見かけによらないというか……まさか彼がねえ」


 そう言ってしいちゃんは頭を抱える。

 彼女も突然こんなスケールの大きな話が振ってくると思って今日に臨んだわけでもないだろうに、さすがに申し訳ない気持ちになる。


 けど、冷静に考えたらこれ、私は全然悪くない。私だって被害者のようなものなのだ。

 心の中でキミの背中を何度も蹴っ飛ばす。私の脳内で黙って蹴られるキミの姿は弱くて情けなくてみっともなくて――ちょっとスカッとして、また一つ、愛おしくなる。


「……とにかく。状況を整理すると、彼には小さい頃からよくしてくれている幼馴染のお姉さんがいて、彼はその人のことが好き。これは間違いない?」


 改めてはっきりと宣言されると胸がチクりと痛むけど、そんなことを言っても仕方がないので、黙って頷く。


「でも、そのお姉さんが彼のことを好きな保証はない……場合によっては弟としか思っていない可能性もあるんだよね」

「それはそうだと思う。昨日会った時もまだ恋人って感じの距離感じゃなかったし」


 あの人のキミへの態度がどちらかというと親戚の男の子に対する態度であったと言えば、そんな気もする。

 友達を連れてきて喜ぶところとか、まさに私の従姉妹の小学生に対するそれとほとんど同じだ。

 そう考えると、彼女はキミを恋愛対象としては見ていない――ということにはなるのだが。


「ならあなたにできる選択肢は二つ。彼の恋が失敗するのを淡々と待つか、それか――さっさと奪い取っちゃうかじゃないかな」


 突然、乱暴な言葉が出てくる。


「奪うって人聞き悪いなあ」

「そこは実際奪うんだから、体面気にしてもしょうがないよ。悪役なんだって割り切らないと」


 悪役と言われると心に来るが、受け入れるしかない。

 自分自身でも――どう見てもお邪魔虫であることは理解している。


「でも……私なんかが二人の関係を壊していいのかなって不安もあるんだよね」


 だって、二人はお似合いだと思うから。

 私なんかより、よほど彼女の方がふさわしいのは――きっと誰が見ても明らかだから。


「それで自分の気持ちを否定するのはもったいないよ!」


 突然の強い語気にたじろぐ。


「そうかな……?」

「私は味方だからっていうのはあると思うけど、別に好きになる権利は誰にだってあるし」


 彼女は言葉を続ける。


「それに――言っちゃ悪いけど、誰かの横やりで壊れるなら、それはもともとその程度の関係ってことじゃない? それって、どこかで元からズレがあったってことだから――どうせ長くはもたないよ」


 しいちゃんの反応は随分とドライだ――でも正論なんだと思う。

 試しに付き合ってみて、合わなかったら別れて解消する。婚前交渉が認められている日本という国において、それは当たり前のことだ。私がこれまでなんとく受けてきた恋愛相談だって、口を開けば「とりあえず付き合ってみれば」「無理しないで別れたら」……そういった回答が喜ばれる。

 それが私たちにとっての、あるべき恋愛の姿なのだ。だから、理屈はわかるし、それが望ましい姿でもあると思う。


 でも――それだけじゃないと信じたい自分がいる。


「恋愛って、付き合った後にも積み重ねていくものだし――ここで悩んでないで、お試しでいいから付き合ってくださいって、告白してみるのもアリなんじゃない?」

「こ、告白ぅ!?」


 想定外のワードに心臓が口から飛び出そうな勢いで叫ぶ。


「まさか、考えたことなかったの? ……一度も?」

「えーと……妄想では何度も」

「現実では?」

「…………」

「あーもう、可愛いけど! そういうところ、すっごい好きだけど!」


 しいちゃんは困ったように頭をかきむしる。


「確かに今は例のお姉さんに後れを取ってるのは事実だと思うけど――なら、猶の事、告白して意識させて、付き合ってみてからが勝負って考え方もあるんじゃないかな」

「勝負、かあ」

「そうそう、誰がハートを射止めるかって勝負だよこれは」


 勝負という言葉はわからないこともなかった。

 確かに、私はキミに好かれるため、いろいろな努力をしてきた。それがキミに届いているのかはわからないけれど――この一ヶ月、私は私なりにキミとの関係を築いてきたと思う。

 その努力をひたすらに延長させていくと考えればいい。

 そうやって、キミとの時間を過ごすたび、キミが望む言葉を紡ぐたび、ゲームみたいにピコンピコンキミの好感度が上がっていって、いつかあの人を追いついて――追い越して。

 そうしたら、キミは私を心から愛して抱きしめて――くれるのだろうか?


 それが私の望む幸せなのだろうか?

 あの人の好感度を乗り越え、打ち倒すのが目的なんだろうか?

 恋愛って――そういうレースみたいなものなんだろうか?


 そもそも恋愛って――なんだろう?


「ちなみに、駄目だったら?」

「諦めて、次の恋を探す。……なお私はまだ見つけてない」


 私がしいちゃんと知り合ったきっかけは、辿り辿れば、彼女が教育実習の先生に告白しようとしたこと。

 その告白は――失敗したとだけ聞いている。


「そういえば、しいちゃんは昔、教育実習の先生にフラれたけど、その……平気なの?」

「うーん、あの時はつらかったし何日も泣いたけど、今では単なる憧れだったなーって思う」


 しいちゃんはまるでおばあちゃんが思い出を語るように、カラリと笑う。


「私は実習で見たあの人の大人っぽい仕草に惹かれただけで、全然彼の内面のことなんて知らなかったし、あの頃は何をするにしても子供っぽく見えちゃう自分が嫌で――その逃避先にちょうど良かったんだと思う」


 そう語る彼女の顔は晴れ晴れとしている。おそらく、フラれたという結果に、叶わない恋をしたという事実に、何の後悔もないのだ。

 私は、いずれこの恋を彼女のように笑える日が来るのだろうか――?


「それに、もし本当に付き合えたとして、中学生に手を出すような人となんかじゃ、絶対に幸せにはなれなかったと思うしさ……結局、恋ってそうやって成功して失敗して――変わっていくものなんだと思う」


 理屈としてはわかる。

 仮にキミと付き合えたとして、それが永遠に続く保証なんてない。むしろ、これから広がる長い人生のことを考えると別れてしまう可能性の方がよほど高いと思う。――そもそもが遠い、遠い片想いなのだ。真っすぐこの想いのまま、生涯を貫けるなんてことはまずありえないとはわかっている。

 色んな現実とぶつかって、時には勝負して、いっぱい、いっぱい傷ついて、そうして私という人間の身も心も変わっていく――それが大人になるって言うことなのかもしれない。

 そして、私の初恋は想い出という箱の中のすみっこに大切にしまわれて――いつか全く見向きもされなくなるのだろう。


 それは、とても悲しいことだと思った。

 だって、私を包み込むこの恋の病――そのどんよりと冥い明りを放つ炎は、魂を焼き焦がすこの胸の痛みは――今の私そのものなのだから。

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