24日目
どんな顔をしてキミに出会えばいいのかわからなかった。
今までと同じ笑顔でいられるのか、そもそもそんなことが許されるのか。
鏡を見ていろいろイメージトレーニングはしてきたけれど、どれもしっくりこなくて、結局答えが見えないままタイムリミットになってしまって今に至る。
精一杯可愛く見せる努力はしてきた。
あまり寝てなくて昼夜も逆転して食事も喉を通らなくて。荒れに荒れた生活を送った勲章として増えてしまったニキビを、ハウツー動画を見ながら必死に誤魔化す。暗くなっていた顔が少しでも明るくなるよう、なんとか慣れないメイクで誤魔化しを入れていく。
同じく数日間放置していた髪の手入れも、入念にヘアアイロンで伸ばして、無理やりにでもあるべき形を思い出させる。普段は元気で明るいイメージの与える赤いヘアピンを愛用していたが、今日は敢えて友達からの誕プレでもらった白い花のモチーフがワンポイントに添えられたブラックのヘアピンをつけてみる。
――キミの好みが清楚なお嬢様だっていうのは知ってるから、癪だけど利用させてもらう。
少しでも見違えてキミの心が揺らげばいいなんて、そんな邪なことを考えながら、私は学校へと向かう。
当たり前だけれど、キミは三日前と変わっていなかった。
ひょろっとした高身長に、ストレートの黒髪、そしてちょっと浅黒い肌。何度だって見てきたキミの姿がそこにある。
キミはいつものように一瞬だけ右手を上げて簡単な挨拶をして、黙々と自分の作業に戻っていった。特にこちらからは話す内容もないといった調子で、おそらくこちらから話しかけないと会話にすら発展しないだろう。
思わずため息が出る。
わかってはいたけれど相変わらず、私の独り相撲だ。
きっと、あの日私がどんな思いでキミの話を聞いたかなんて、想像すらしていないだろう。その澄ました顔で一人のいたいけな女の子を泣かせたなんて予想すらしていないだろう。……いや、謝られても困るんだけどさ。
とはいえ、惚れた弱みとはよくいったもので、いつも通りのキミがいることに安心してにやけた笑顔が抑えられない私も、私だ。
キミと同じ空気を共有しているという事実に胸が高鳴る。
キミが淡々とオブジェを作っていくその姿を、ずっと眺めていたくなる。
あの人の知らないところでキミと同じ時間を過ごしているという事実に、後ろ暗い喜びがあふれる。
たとえキミが他の人を思っていても――私のことなんて見ていなくても。
結局、それでも、やっぱり、私はキミが好きなんだよ。
文化祭直前ということもあり、わざわざ装飾係なんて裏方作業のために集まってくる酔狂な人間は数少なかった。でも、それでもわざわざやってくる精鋭たちの手際はよく、思ったよりも作業は順調に進み、昼を回って午後の一時過ぎには目標の作業はあらかた完了したのだった。
先輩方のおごりで買ってもらった缶ジュースを飲みながら、私たちはほぼ完成したオブジェの散乱する体育館裏の作業場付近のベンチで一息をつく。
高さ三メートルにもなるオブジェの作成は力仕事部分こそ男子任せだったとはいえさすがに重労働だったのと、少し涼しくなってきたとはいえ依然としてしつこい残暑のせいで、既に制服は汗でびっしょりだ。
特に、二日間引きこもってほとんど動いていなかった身としては、久々のシャバの空気ということもあり、思った以上に堪えた。
水滴の滴る缶サイダーの強すぎるぐらいの炭酸が、潤いを欲する身体の隅々まで染み渡り疲れを癒す。
「日曜に学校にいるって変な気分」
私がぼやくと、隣にいたキミも笑って同意する。
「そうだね。でも、ここまで皆が揃っていると、休日って感じがしないなあ」
文化祭はもう今週の土曜に迫っている。私たち装飾係だけでなく、いろんな人たちが登校していて、とても休日の風景には見えなかった。
そこかしこを模造紙やら暗幕やらを持った生徒が駆けまわっていて、すぐ側の体育館の中で演劇部の子たちが演技の方針について激論を交わしているし、ホールの方からは軽音部がリハーサルをしているであろうベースの重低音が聞こえてくる。あとついでに、大会が近いらしいバレー部の練習の掛け声も聞こえる。
ちなみに、うちのクラスはというと、例の大正オタクの子が獅子奮迅の活躍を見せて、ほとんどの準備をたった一人で完了させてしまっていた。おかげで、今クラスで彼女に逆らえる人はいない。
「これが青春ってやつなのかな」
そうたそがれるキミの姿がなんだか滑稽で私は噴き出す。
「なにそれ、キミに似合わない」
「酷いこというなあ」
よかった。
思ったよりも普通に話せている。
出会う前は、会ったら泣いて逃げ出して大騒ぎになるんじゃないかとか、出会い頭にキミにナイフを突き立てるんじゃないかとか、いろいろと悪い想像ばかりしていた。
事実、最初の内は笑顔も引きつっていたんだと思う。でも、オブジェ作成という適度な運動がそうさせたのかもしれない。今の私はリラックスしてキミとこれまでのように、会話ができている。
私はキミと二人きりで話すこの空気感が何よりも好きなのだ。
キミの横顔をじっと見る。
キミは、先輩によって適当に割り当てられた、いかにもクセの強い甘ったるそうなドリンクを恐る恐る飲んで、顔をしかめている。
もう手遅れだと思った。私はキミという存在を全身全霊――爪の先から毛の一本一本に至るまで愛してしまっている。
拭いたはずの汗がまた流れ出してわずかに湿っているその頬をツンツンとつつきたくなる。
そしたら、キミは一体どんな表情をするのだろうか。
くすぐったくて、笑うかもしれない。困った顔で呆れたようにこちらを見つめるかもしれない。不機嫌そうに眉をひそめるかもしれない。
キミに色んな意地悪をして、ありったけ困らせて、もっともっと知らない表情を引きずり出したいと思う。
どんな情けない顔であっても、きっと、その表情はいま私だけに向けられるものに違いないから。
たとえ、キミに好きな人がいたとしても――。
このまま好きでいるのも悪いことではないのかもしれない。
今、私の隣にいるキミという存在は私だけのものなのだから。
「ねえ、この後は暇?」
不意に尋ねる。
今だったら、前みたいなそっけないデートでも受け入れられる気がする。
キミの側にいられるというだけのちっぽけな幸せすらも、今の私なら噛みしめられる――それほどまでに私の恋の病は重症なのだ。
――しかし、やっぱり世界は優しくはない。
「ごめん、実はこの後行くところがあって――ほら、前に言った、幼馴染の子のお見舞い」
結局か――結局だ。
現実はわずかな夢を見ることすらも許してはくれない。
あの人の存在は容赦なく、私からキミとの時間を奪っていく。ちょっとの嘘に酔う猶予すらも与えてもらえない。どうしようもない差というものを痛感させられる。
何があってもキミは私よりも大切な人がいるという揺るぎない真実が、ナイフのように私の胸に突き立てられる。
ねえ。
もし私が最初に出会っていたら。
もし私が恋人だったら。
その人のお見舞いよりも私のことを選んでくれたのかな?
明日をも知れぬ病気と闘っている人に、そんなことを考えている私は――最低だとわかってる。
それでも、私の恋の病は止まらない。
病原菌に侵された脳細胞が、私の思考をさらに走らせる。
「ねえ、それ――私も一緒にいっちゃダメかな?」
*
キミの幼馴染が入院しているという病院は隣町にある。
普段の通学で使っているのとは反対方向の電車に乗って、私たちは病院へと向かう。
休日にもかかわらず、思ったよりも人は少なく電車の座席はガラガラで、パラパラと人がまばらに座っている車内で、私たちは隣り合って揺られている。
カタンコトンという心地よい走行音とリズミカルで重みの感じる揺れに身を委ねながら、私はキミの横顔を眺める。
緊張しているのだろうか。キミは病院に向かう道中一言も発しなかった。
その真面目な顔に憂いをこめてキミは何を思っているのだろうか。
もしかして、キミも不安なのかもしれない。
それはもちろん彼女の病気についての心配もあるだろう。でも、想いが届かないことへの不安も一部あるんじゃないかと、キミのその憮然とした表情からは邪推してしまう。
そもそも、キミは彼女がいるとは言っていない。一方的に大切な人と言っているだけだった。
つまりは、二人が両想いである保証はない――それどころか、今だって片想いの最中かもしれないのだ。
なら、私にしとけばいいのに。
キミのすぐ隣に、こんなにキミを愛してくれる人がいるのに。
想いが届かなくてぽっかりと穴が空いたキミの心を、私の病的な愛情で埋めつくして、私抜きじゃいられない身体に改造してやるのに。
――鈍感罪で、今ここでキスしたろうか。。
そんなことを考えているうちに、電車は目的の駅に辿り着いて――つかの間の私たちの二人きりは終わった。
*
その人がいる病院は、駅から歩いて五分程度の所にある巨大な総合病院だった。
都市の中心部にあるにもかかわらず、その中は緑も多く穏やかで静寂に満ちた空間で、その一方で周囲から隔絶されたぴしっと張り詰めた空気を感じる。まさに命と向き合う場所と言っていい厳かな空間だった。
彼女の抱えている病は、ずっと入院生活を強いられるという類のものではない。
ただし、ずっと通院のみでよいかと言うとそうでもなく、時には継続的な救命措置が必要となり、その手術のために入院することがある――今の彼女はちょうどその手術を終えたばかりということだった。
私は七階にある病棟の隅っこの方にある病室で、その人と対面した。
ものすごく綺麗な人だった。黒髪は艶やかにまっすぐと伸び、凛としてくっきりとした目鼻立ちはまるで女優のようだと思った。その大きく切れ長の瞳からは、思慮深さと優しさの両方が感じられる。
その一方で、彼女の抱えている病気というのは思った以上に深刻に見えた。身体は痩せ細り、背筋は弱々しく折れ曲がり、鼻には仰々しいチューブが取り付けられ、その先にはキャスターで持ち運べる呼吸器がとりつけられている。
それだけを見たら、明日をも知れぬ命だと感じられるかもしれない。
それでも、彼女の表情は凛々しかった。少しも未来に対して絶望していると言った様子を感じさせなかった。
「その人がお友達?」
その人は鈴のように軽く――そして細い声で訪ねる。
私は簡単に自己紹介をすると、駅前の百貨店で急遽買ったチョコレート菓子を渡す。
「この子にお友達ができるなんてね」
そう言って彼女は嬉しそうに笑う。
その表情からは、可愛い弟分に友達ができたことに対する心からの安堵が感じられる――キミ、一体どれだけ友達いなかったのさ。
「そういう言い方はやめてよ、誤解される」
「誤解も何も、私がいくら言っても紹介できるお友達なんていなかったじゃない」
「安心してください。誤解じゃないです」
そうして、私たちは三人で談笑した。
二人の昔の想い出話が中心だった。
公園でいつも一人で遊んでいたキミの話。キミが彼女の家に初めて行った時の話。好きな食べ物を巡って大喧嘩した話。一緒に行ったキャンプで迷子になったけど生還した話。
ひとつ聞くたびに、キミの知らない素顔が明らかになっていく。私の知らないキミの表情が引き出されていく。
私の知らないキミの姿が、どんどん光に照らされていく。
僅か十分の面会時間は、一瞬のような感じられた。
「わざわざ来てくれてありがとう。あんなに楽しそうにしていたのは久しぶりに見たよ」
キミは心からの笑顔で言う。そんな笑顔ができるなんて初めて知った。キミはキミで、友達を連れていって安心させたかったのだろう。
――だから、こんな急な無茶なお願いも聞いてくれたんだ。
「どういたしまして――私も会えてよかったよ」
これも本音。
彼女は本当に素敵な人だったし、会えてよかったと思う。キミの知らない表情をたくさん見ることができたし、照れているキミの姿は可愛かった。
「じゃあ……帰るか」
「ごめん――せっかくここまで来たし、ちょっと買い物して帰りたいから……先に帰ってて」
そう言って、私は一人でさっさと駅に向かう。
自分から来たいと言っておいて馬鹿な話だけれど、やっぱり目の当たりにするとキツい。
そこには私の知らないキミがたくさんいた。キミという人間の歩んできた人生を、その道程と息づかいを感じられた。
キミのより人間らしい部分を知って、私はより一層好きになった。
でもどれだけ好きになっても。
そのキミを作る過程に私はいないんだ。
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