20日目

「ねえねえ、キャンプファイヤーの伝説知ってる?」


 クラスメイトに突然そんな話を振られた。

 話によると、文化祭の一日目の夜に行われるキャンプファイヤーを一緒に見たカップルは将来結婚するという言い伝えが先輩たちからまことしやかに語られているそうだ。

 どこにでもあるような陳腐な伝説と言ってしまえばそれまでだが、私の学校にもそんなありきたりな噂はちゃんと存在していたようだ。


 その話を聞いて妄想をしなかったというと嘘になる。

 二人で手をつなぎながらキャンプファイヤーを見るなんて、夢のような光景だ。そして、炎がパチパチと音を立てて勢いよく燃え上がるのと同時に、ぐっと握る手に力を籠められでもしたら――。

 まるで炎の側にいるかのように頬が熱くなる――私の妄想回路は絶好調だ。


 とはいえ、さすがにあと一週間でそこまで行くのは難しいだろうか。

 狙うならば来年になるか――と自分に言い聞かせつつも、私はあらゆるルートからそれを実現する方法について、空想せざるを得なかった。

 どれも、悲しいことに現実的な方法とは思えなかった。


 そして放課後――。

 今日も今日とて装飾係の作業がある。

 私たちはいよいよ目玉である入場ゲートの作成に取り掛かり始めた。

 文化祭のゲートと言えば、訪れた人がまず確実に目にする、文化祭全体を象徴するともいえるオブジェクトだ。ある意味では、文化祭全体の印象を決定づけると言っても過言ではない、装飾係としては最もプライドをかけて準備するアイテムとなる。

 当然、その設計には学校の中でも最も美的センスに優れた者が引き受ける――今年の場合は美術部の三年生で、どこかのコンクールにも入賞したことがあるという男子生徒だった。

 私たちは彼の描いた設計図に従って、ベニヤ板を切って作られたパーツにペンキで色を塗っていくことになる。そして、最後にそのパーツを組み合わせてひとつのゲートとして仕上げていくのだ。

 当然、組み立てそのものは前日に行うため、私たちはその前段階であるバラバラのパーツの作成をその日に間に合わせるように作らなければならない。

 去年までの情報によると、ひとつひとつの工程が結構な大仕事で、一週間フルでかかることも覚悟する重労働らしい。


 私たちはペンキ班とベニヤ切り出し班に分かれて作業をする。

 今の時代ナンセンスと言われるだろうが、特に班分けもなく自由に振り分けたところ、なんとなくペンキ班が女子、ベニヤ切り出し班が男子といった形に分かれた。仲のいい人たちで集まろうとすると自然とこういう形になってしまう。

 本当はキミと一緒にベニヤ班に紛れ込むことも考えたが、こうしてできた人の流れに逆らう程、私の信念は強くない。


 美術室から借りてきた油絵用のエプロンと自前のバンダナを身につけて、私は男子たちがカットした一メートルほどの大きさのパネルを水色のペンキで一色に塗っていく。

 空色に染まったパネルに対して、次は先輩の描いたイメージ図に合わせた雲のイラストを描いていく。

 こうして作られたパネルを今度は釘で固定していくことでゲートのパーツとなっていくのだ。釘打ちは下手にやると全体が倒壊する恐れがあるため、去年もゲート作成に関わったという先輩たちの役割だ。

 お世辞にも絵は得意な方とは言えないが、シンプルな雲の絵を描くだけならばそこまで悲惨なことにはならなそうだ。ペンキを一層一層板に重ねていく作業は慣れてくると案外楽しい。

 しかし、ペンキのしみ込んだ刷毛というのは思ったよりも重たくて、少し線を引くだけでも力がいる。


 かれこれ10枚ほどはパネルを作っただろうか。以外にも重労働で、気付けば汗びっしょりになっていた。

 そんな折、水色のペンキが空になってしまった。

 装飾係の本部で作業している装飾担当こと大仏に追加のペンキの在り処を聞きに行ったところ、体育倉庫にあるというので、一緒に取りに行くことになった。

 しかし、体育倉庫の奥の誇りを被ったアルミ缶たちをいくらひっくり返しても、追加の空色のペンキは見つからなかった。

 まだゲートの作成は道半ば――しかも、それだけではない。空をモチーフにしたこの文化祭装飾において水色のペンキは生命線だ。このあと、中庭のモニュメントやステージにも使用することを考えると、ペンキの補充はどうしても必要だった。

 ペンキは駅前のホームセンターで売っているが、通販には対応していないため、誰かが買い出しに行かなければならない。

 しかし、先輩たちは目の前の作業で手一杯といった様子だ。


「よかったら私、行ってきますよ。どうせペンキないとやることないですし」


 私は思わずそう提案していた。純粋に、それが最も適切な解決方法に思えたからだ。


「え、でも一年の子一人だけに任せるのは悪いな……」

「なら、もう一人あそこの男子を連れていきます。荷物持ちとして」


 そう言って私はベニヤ班の作業スペースの端っこの方で黙々と板にノコギリを当てていたキミを指名する。

 言うまでもなく、これは純粋な下心。

 キャンプファイヤーの話がまだ脳裏にこびりついているからだろうか、どんな些細なきっかけでも今は掴みたいと思った。


「そんなに言うなら、お願いしようかな」


 私は内心で何度も何度もガッツポーズをする。大仏様、今日だけはあなたのことを本当の仏だと思ったよ。

 ――予期せずして転がり込んだ、あの日のデートの延長戦だ。


 そうして、私は今、キミと商店街を歩いている。

 目的のペンキ缶はあっさりと見つかった。通学路としていつも通っているから、ホームセンターの場所はすぐに分かった。この時期は繁盛しているようで、学生も頻繁に訪れているらしい。キミが二十歳ぐらいのアルバイトのお姉さんに水色のペンキについて尋ねたら、二つ返事で奥の戸棚から引っ張り出してきてくれた。


「あっさり買えちゃった」


 思わず本音が漏れる。

 キミと二人で、ペンキの戸棚にあるどれも同じに見える缶とにらめっこしながら、目的のものを選ぶことを想像していた。

 ――妄想過多になってしまうのは許してほしい。私だって幸せになりたいんだ。


「そりゃ買えるよ、そういう店なんだから」


 キミは情緒もなく正論を述べる。

 その冷たさはいずれ女の子を泣かすことになると思う――このまま行くと泣くのは私になるけど。


「せっかく作業をサボって外を出歩いてるんだもん。もっとドキドキワクワクするようなイベントが起こったっていいのに」

「サボりって言われると急に悪いことをしている気になるな」

「したいじゃん、悪いこと」


 思ったよりも自然に話せている。

 やはり、この間の休日、ほぼ丸一日を一緒に過ごしたのは、想像以上に二人の距離を縮めているような気がした。

 今思うと、前のデートでは、私はキミに気に入られる女の子になろうとして、紋切り型の発言をするつまらない子になっていたと思う。今は作業の疲れもあるのか、私らしい私でキミと話せている気がする。

 それじゃあキミも規定通りのリアクションしか取らないわけだ――だって、キミは一般人に擬態しているのだから。


 ふと、先日も訪れたゲームセンターが目に入った。

 キミがSNSにも上げた、あの変なマスコットが鎮座されたクレーンゲームだ。


「ねえ、一回だけやろ」

「え、でも――」

「あの日の延長戦、やりたいの」


 そう言って私はコインを投入する。

 私が丸ごと入れそうな大きな筐体が、お気楽な音楽を流してボタンを光らせ、クレーンを操作するよう促す。私は前や横から何度も位置関係を確認して、今入れた三百円玉が無駄にならないよう、慎重に作戦を立てる。

 前回の失敗から、単純にぬいぐるみの上についている輪っかにアームを通すのでは通用しないということはわかっていた。ぬいぐるみ本体をアームで押すことによってうまいこと下の穴に落とさなくてはならない。

 想定通りの場所にアームが動かなかったり、狙った場所にアームが言っても思っていた結果にならなかったり。コインの許す限り奮闘したが、結果は叶わなかった。


「僕も一回だけやらせて」


 その様子を後ろから見ていたキミは、地面にペンキの缶を置いて財布から百円玉を取り出し始める。

 キミはやっぱり変なところで意地っ張りだと思う。


 キミと私は固唾をのんでクレーンの一挙手一投足を見守る。筐体から流れる呑気な音楽だけが、私たちの間の空白を埋める。

 狙いを定めたアームはぬいぐるみの後頭部付近に落ちていく。そして、アームがその貧弱な両腕をゆっくりと開くと、掴むという本来の挙動とは正反対に、ぬいぐるみの頭を押しのけていく。

 やがて、ぬいぐるみのバランスが崩れ、それはコロコロと転がりながら奈落へと落ちていった。

 ガコンという武骨な落下音と共に、ぬいぐるみが取り出し口にその身を投げだす。


「よし!」

「やったあ!」


 駄目元だと思っていた中で起きたこの奇跡に、私たちは子供のようにはしゃぐ。

 普段の澄ましたキミはどこへやら。モブに擬態することも忘れて喜ぶキミの姿を見たら、きっとクラスメイトは驚くことだろう。


 でも、私は知ってる。その子供っぽい笑顔がキミの素顔であること。

 ――やっと、また会えた。


「これ……いる?」

「え、もらっていいの」

「僕は家に置き場ないから」


 そう言って、キミは拾ったそれを私に差し出す。

 元はと言えば私が欲しいと言って始めたゲームだった。

 これははじめてのキミからのプレゼント――間近で見ると思った以上に不細工で愛らしい。もらったぬいぐるみを強く抱きしめると、確かな弾力が感じられた。


「でも、どうしよう。さすがにペンキと一緒にこれを持って帰るのは……」


 そう言うとキミは我に返って地面に置き去りにしていたペンキを見つめる。

 言うまでもなく、私たちは装飾係のお使いの最中なのだ。


「私、トイレ行ってることにして教室のカバンにしまってくるよ」

「ずるいことを考えるなあ」

「言ったじゃん、悪いことがしたいって」


 自分からこんなことを提案するのは初めてだった。

 私という人間が恋をして変わっていく。

 私はどんどん我儘に、自由になっていく。


 今ならわかる。

 私の中の私らしい部分をキミにぶつけていかなければ、キミは答えてくれない。

 きっとキミに限らず恋愛というのはそうやって傷つく覚悟で自我をひけらかさなければならないのだろう。

 ――たとえ、その自我がキミによってもたらされた、まだ幼いものであったとしても。


「にしても、こんなに話しやすい人だったなんて」


 軽い足取りで学校への帰路に立っていた私は、キミの言葉に思わず振り返る。


「最初の委員会で出会った時は予想もしなかったな――無言でこっちを睨んでくるから、もっと怖い人だと思ってた」

「もう……何それ、失礼すぎない?」


 そのように、私の口から形ばかりの抗議が出たが、内心は飛び跳ねたい気持ちでいっぱいだった。今すぐぬいぐるみもペンキも放り出して、係の仕事なんか忘れて、キミに飛びついて抱きしめたかった。


 キミは最初から私を覚えてくれていた。

 そして、キミは私をもう一度見つけてくれた。

 こんな幸せがあっていいのだろうか。


 ねえ――私は勘違いしていいの?

 来週、キャンプファイヤーを一緒に見ることを――夢見ていいの?

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