19日目

 今日は合同授業があった。

 なんとか教育プログラムだかの一環で、大学の先生を呼んで授業をしてもらうらしい。

 正直興味がなかったので、どういう経緯で多目的室の教壇に見たこともないオジサンが立っているのか、あまり覚えていない。普段よりも広く少しいい椅子が並べられているホールの奥で、オジサンはスクリーンに「日本の山岳地帯における生態系の研究について」と書かれたスライドを映し出している。

 単語一つ一つの意味は分かるが全体で並ぶとなんとも釈然とせず、とりあえず試験には関係なさそうな話をしそうだということはわかる。

 学校も評判も上げるためにいろいろと必死らしい。


 そんなことよりも、重要なのはキミと同じ教室で授業を受けられるということだった。

 私は実行委員や昼休みのキミを知っているけれど、おそらく学校で一番長い時間である授業中の姿――日常のキミを知らない。そのことにもどかしさを覚えていた。

 なので、今日という日は格好のチャンスだった。

 今朝、ホームルームで担任に合同授業の話を告げられた時から、考えていたのはいかにしてキミの隣に座るかということだけだった。

 なんといっても、大教室での合同授業と言うことは、席順は決まっていない可能性が高い。


 案の定、合同授業は自由席だった。

 普段からやる気のない運動部の面々が、我先にと後ろの方の座席に座っていく。

 前方の席は予想通りというかなんというか、ほとんど埋まっていない。私が言うのもなんだが、わざわざこんなところまで来てくれた先生も浮かばれまい。

 そんな中、比較的前方の席である前から三列目の左側にキミの姿を見つけた。

 キミは一人で数学の授業の復習をしていた。どうやら、教室ではいつも本を読んでいるという程ではないが、それでも誰かと一緒にいるというわけでもないらしい。

 最前列というわけでもなく、それとなく前の方にいるキミがキミらしいと思う。


「やあ、ここいいかな」

「ああ、長山か――いいよ」


 私が声をかけると、あっさりと席を右に一つずれて、私のためのスペースを作ってくれる。

 毎度思うが、友達としてキミに接するという行為は、驚くほどあっけない。

 

 いつもより座高が高くて少し硬い椅子に座って、バラバラと筆記用具を広げる。

 キミはというと、さっきまで広げていた勉強道具一式を器用にそのままスライドさせて、引き続き勉強に戻っている。


 世間話のひとつぐらいしてくれてもいいのにと勝手にもどかしさを覚える。

 せめて、この間はありがとうぐらいの一言だってあってもいいんじゃないかって思う。そういう器用な社交ができる人じゃないというのはわかっているけれど。

 一方的に追いかけている恋をしているのは私の方だってわかっているのに、わがままは止まらない。

 私が求めるのと同じぐらい、キミに求めてほしいと思ってしまう――これってそんなに贅沢なことなのだろうか。


 そうこうしているうちに、授業が始まる。

 大学の先生は生物学の教授とのことらしく、自分の経歴だったり学生時代のことだったりを簡単に紹介した後、専門である森の生物の話を始める。

 高校生相手の話が慣れていないのか、時々難しい言葉が飛び交って混乱するが、パラパラと変わるカラフルなスライドを見ながら、ぼんやりと聴いている分には思ったよりも面白い。

 だがそうは言っても眠いものは眠い。ちらりとキミの方を見ると、相変わらず背筋をぴしっと伸ばしたまま真剣な表情で講義を聞いている。

 やっぱりキミは真面目だ――それとも、いつも難しそうな本を読んでいるしこういった専門的な話を聞くのが好きなのだろうか。

 私はキミのことをほとんど知らない。キミは私のことを見てくれない。

 キミは私が隣で見惚れていることになんて、気付きもしないのだろう。


 改めて、一日をキミと過ごしてひとつ、わかったことがある。

 キミは人との距離が遠い。

 でも、完全に孤立しているわけではないというわけではない。私の振る話題にはちゃんと答えていたし、笑うところではしっかり笑ってくれる。

 キミは人のことを拒まない。

 でもキミから他人の方には踏み込んでは来ない。

 おそらく学校の誰に対しても同じような態度を取っているのだろう。

 しいちゃんが言っていた、人間関係は悪くないけど、いつも一人だという言葉を思い出す。

 知ってか知らずか、彼女の指摘は本質を突いているような気がした。


 いうなれば、キミは透明であろうとしている。

 こう聞くとただ空気のような存在と思うかもしれない。

 でも、そういうわけではない。キミの中は常に思考で溢れている。いつも色々な本を読み、様々な思考を巡らせているキミは自我の塊だ。

 キミはいうなれば水のような存在なのだ。透明で形がなくて、でも確かに重さと質感はある――そんな存在。


 眼前のスクリーンが森の生き物たちのエコサイクルの図を映し出している。

 森の生き物たちは、単に捕食し捕食されるというだけの食物連鎖だけで成り立っているわけではない。

 彼らの踏んだ大地が土壌を生み新たな恵みとなる。その食べカスや排泄物にいたるまで、全てが他の生物たちが生きるために必要な環境を生み出している。


 私たちも似たようなものだと思った。

 人間関係という森において私たちにはそれぞれ役割がある。それはしばしばキャラと呼ばれ、私たちはそれを演じて生きている。

 それは影が薄いと言われる人も例外ではない。彼らは本人が望むと望まずに関わらず、影が薄いというキャラクターを期待され、その通りに振る舞っているのだ。

 私なんかはその典型だと思う。周囲に道化を期待されれば道化になるし、その他大勢であれと期待されたら影に徹する。毒にも薬にもならない、ただ、そこに期待されるリアクションを提示するだけの存在。

 私という個体は人間関係のエコシステムに溶け込むことだけに特化して生き延びてきた。


 一方で私とは逆に、中にはそういった役割を拒絶する者もいる。俗に言う浮いているとされる存在だ。

 そのような人は本人の希望通りというべきか、やがて群れから孤立していく。レッテルから独立した自分という存在を周囲に見せつけて威嚇してくる。

 私はそういう人たちからすれば敵とみなす相手なのだろう――彼らは自らの個に誇りを持っているのだから。

 たしかに、私も私を空虚だとは思う。何かの役割を手に入れようという勇気は私にはない。彼らの存在は、そんな事実を私に突きつけてくるような気がして、気分が悪くなる。

 でも、彼らは彼らで大きな森の生き物に怯えているようにも見えた。

 結局、住んでいる世界が違うだけの臆病者同士に見えて仕方ない。


 でも、キミはそのどちらとも異なっていた。

 キミはいかなる時でも、キミであることを失わない。周りの目線に縛られるということはない。

 でも、それで孤立しているわけではない。キミは巧妙にキミという存在を隠して見つからないように潜伏している。

 キミは役割を暴力的に要求してくるエコシステムに服従するでもなく拒絶するでもなく、対峙している。


 なんのためにそんなことをしているのかはわからない。実現するのは決して簡単なことではない。

 それは明確な目的があって初めて成立することだ。

 その何かのためにキミはキミという存在を築き上げ、守ろうとしている。


 その何かを知りたい。

 この間のデートのキミは、周囲に溶け込むためのキミのままの姿だった。擬態のベールを引き剥がして、その奥にいるキミを引きずり出したい。

 どうすれば、キミは本来の姿を私の前にさらけ出してくれるのだろう?

 どうすれば、私を仲間として受け入れてくれるのだろう?

 どうすれば――キミのエコシステムと絡み合うことができるのだろう?


 私はキミを捕まえたい。

 だって、私はあの時の得意げな笑顔の中に――キミを見つけたのだから。

 尻尾を見せたキミが悪いんだ。

 キミを捕まえて、引きずり出して――ぐちゃぐちゃにしてしまいたい。


 これだけは揺るぎない私だけの自我だ。

 キミへの恋が、透明だった私にドロドロの自我を教えてくれた。

 ――その責任、とってよね。

 きっと、私はキミのように綺麗に擬態なんてできないと思うから。

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