17日目

 今日のお昼ご飯は焼きそば。

 焼きそばの主役は誰かと聞かれると、麺だと答える人もいれば、肉だと答える人もいる。もしかしたら、かつお節や紅しょうがと答える人もいるかもしれない。

 だが、私は影の主役はもやしだと思っている。

 麺だけでは食感がふにゃふにゃして物足りなくなるところを絶妙にもやしが補ってくれるのだ。

 私はここが焼うどんと明暗を分けたポイントだと思っている。


 家族四人でお昼を食べていたが、姉の心はここにあらずといった様子だった。

 食卓テーブルの端っこにスマホを置いて、常に視線がそちらに集中している。そして、ブブッとメッセージの受信を告げるマナーモードの振動を感知すると、まるで早押しクイズでもやっているのかというスピードでスマホを取り、熱心に文面を確認する。

 どうやら、ここ数日の様子を見るに、彼氏と喧嘩中らしい。


 本人に言ったら確実に三日間は口をきいてもらえないだろうけど、姉が心底羨ましい。

 喧嘩ができるというのは、本音をぶつけ合えるということだ。お互いの嫌なところが目に付くほど、親しい関係だということだ。

 実際、私も喧嘩ができる友達は限られている。普通は嫌なところがあっても我慢するか、それとなく距離を置くか、そういった波風立たない処世術を行う。

 私はキミと喧嘩どころか、本音で会話すらもできていない。

 どんなに好意的に解釈しても、数ある無難な友人関係のひとつなのだ。


「いつまでそんな小さい箱にしがみついてんの」


 しびれを切らした母がついに小言を漏らす。


「ごめん、今日だけだから許して! ちょっと今すごく大切な話し合いを――」

「それなら直接会って決着つけちゃなさい。まったく、お母さんの若い頃はそんなモノに頼らずもっと――」


 話が長くなりそうだったので、私は父と目配せして軽く頷き合うと、そそくさと空になった皿を水につけて自室へ戻った。


 部屋のベッドに寝転がる。

 ベッドの側には、昨日着ていったベージュのワンピースが雑然と脱ぎ散らかされている。


 昨日、帰った後はどうしたんだっけ。

 返ったら夕ごはんだけ食べて、部屋に戻って服を脱ぎ捨てて、下着姿のままベッドでぼうっとして、気付いたら眠っちゃってて――。

 あんまり覚えてないや。

 出発前は、完璧な一日でありたいなんて意気込んでいたのに、情けない。


 私は、机の上に雑然と投げ出されていたスマホを手に取る。

 とりあえず新着メッセージを確認する。結果、グループラインのしょうもない馴れ合いが三件と、新着スタンプのお知らせが二件。

 わかっていたことだけど、キミからのメッセージはない。

 たった一言、「昨日はありがとう」ぐらい送ってくれたっていいのに。キミがそんな器用な社交ができる人じゃないことは知ってるけど、さ。

 それを期待して――もしくは何もないことを期待して――自分からは何も送らなかった。そんな私が一番、醜い。


 私が今からでも「昨日はありがとう」と送れば、きっとキミは返事をしてくれるだろう。

 きっと、それだけで私は舞い上がって喜んでしまう。トーク画面を何時間でも眺められてしまう。

 そんな自分が嫌だ。


 キミのトーク画面にメッセージの下書きを書き込んでは、消す。

「昨日はありがとう、楽しかったよ」

「クイズ、完成したら教えてね」

「本屋巡り、楽しかった」

「クレーンゲームのぬいぐるみ、結果は残念だったけど挑戦できて嬉しかった」

「クレープ、美味しかったね」

「また行こうね」

 どれを送っても、キミの簡単でそっけない返事が頭に浮かぶ。

 キミの言葉をもっと引きずり出したいのに、キミの心を動かしたいのに。

 私の中のキミは、とっても冷たい。


 馬鹿らしくなってスマホを横に放り出す。

 ――世界は残酷だ。

 この小さな箱ひとつで、簡単にキミとつながることができてしまう。

 その気になればいつだって、キミと会う約束を取り付けることができてしまう。

 画面ひとつタップするだけで、すぐにキミの声を聴くことができてしまう。

 すぐ近くにいるからこそ――その距離は遠い。


 お母さんはさっき、こんな機会でラクをしてなんてことを言っていたと思うけど――でも、私にそうは思えない。

 すぐに誰とでも話せるからこそ、誰とでもゼロ距離だからこそ、繋がるという行為はものすごく重い。

 肉体を無視して、直接心に触れることができるからこそ、関わるのが怖い。

 だって、それは嫌われるまでの距離もゼロだということに等しいから。

 私のいう人間の汚い部分もすぐに見えちゃうから。

 繋がるのが一瞬な分――壊れるのも一瞬だから。


 こんなもの、なければいいのに。

 そうしたらキミと会えない時間にこんなに悩まなくて済むのに。

 いつでも話しかけられるという選択肢が私を苦しめる。

 話しかけることができない私がどんどんみじめになっていく。


 やっぱり、お姉ちゃんはずるい。


 そんな時、ピコンとスマホの通知音が鳴った。

 SNSの更新通知だった。

 およそ一ヶ月に一度のペースで投稿される、やる気のないキミのアカウントが更新されていた。


 そこに投稿されていたのはゲームセンターにあるクレーンゲームの写真だった。

 中には紫色のイルカなのかクジラなのかよくわからない不細工なマスコットのぬいぐるみが雑然と並べられている。

 私が欲しいと言って、二人で三百円分ずつ挑戦したものだった。

 添えられた一言は――「次こそは」。


 たったこれだけで私の心は高鳴ってしまう。

 単純だって笑うかもしれない。

 なんでその写真を投稿したのかはわからない。

 単にネタがなかっただけかもしれない。


 それでも。

 投稿してもいいと思えるほど悪くない一日だったということだよね?

 また、一緒に出掛けてもいいってことだよね?

 キミの日常の一部として、認めてもらえたってことだよね?


 そうして自分を奮い立たせる私は――いやしい生き物だと思う。

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