14日目
今日の晩ごはんは冷凍の餃子。
冷凍餃子は文明の利器だと思う。本当に説明の通りに調理をするだけで餃子ができる。
……はずだった。
たまたまリビングで寝転がっていたら、冷凍餃子の調理を命じられたのだが、調理方法の説明を読んでいるだけで立ち眩みがして倒れそうになってしまったのである。
具合でも悪いんじゃないかということになって、お姉ちゃんが肩代わりしてくれて事なきを得た。
そして、私は冷凍食品をまともに作れない女という十字架を背負うことになった。
もちろん、これには訳がある。
今日の私は文字を見るとくらくらするようになってしまった。
それを説明するには今日の授業中にさかのぼる必要がある。
私はキミが好きだ。
今では自信を持って言うことができる。
昨日しいちゃんが私に与えてくれた言霊は、一晩明けても私の脳内を支配していた。
好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。
好きって――結局、何だろうか。
どうして私の中に渦巻くいろいろな想いを、好きというたった二文字の言葉に集約されなければならないのか。
私は思い立って、キミの名をルーズリーフに書き始めた。
私の普段の丸っこくて線の細い字では、キミの名前にふさわしくない気がしたので、いつもより力を入れて、グッグッと一角一角噛みしめるように名前を書いた。
普段何気なく書く文字だが、意識して字を書いていると、段々と自分の書いているものが本当に正しいそれなのかどうか、わからなくなってくる。
シャーペンの芯から削りだされた黒い粉が不規則な幾何学模様をなす。じっと見ていると、止まっているはずの線たちがうねうねと動き出して、まるでミミズの集合体のような、そんな感触を覚える。
全てが曖昧に溶けていく中、ルーズリーフが織り成す薄い水色の直線だけが真実のように思えた。無機質にただ鎮座する直線は、私たちを照らす道しるべのようでもあり、私たちを閉じ込める牢獄のようでもある。
私は何を書いているのか、何のためにそれをしているか、それすらも見失う。私の中でキミという概念が失われていくようだった。とてつもなく大事な何かを忘れたような、そんな気がした。
白紙と黒線、青線が生み出す迷宮の中、私は見失った自分を取り戻すため、何度も何度もキミの名前と思しき記号の群れを書いていく。
書けば書くほど迷子になるようで、手を動かしていくにつれて、少しずつキミの名前は形を取り戻していく。
一画一画、形が明瞭になっていき、キミの名前が、その構成要素が細部まで私の脳細胞に刻まれていく。
納得できるだけ名前を書いたときには、1ページが全部キミの名前で埋まっていた。
ちょっとした呪いのノートみたいになってしまった。
私はキミで埋め尽くされた一枚の紙を大切にしまう。
好き。
女子と書いて好。
好きとは女子であることそのものとでもいうのか。
つまり今、好きな人がいる私は自分史上最高に女子なのか。
でも、それは好きな人がいない女子は女子ではないと言っているようにも聞こえる。
もし、恋など女子の夢うつつであるという思想から来ているのだとしたら、それは実に昔の人間らしい差別的な発想だ。
私は現代流のよりスマートな女子でありたいと思う。
細くスマートになった女子、すなわち好である。
その説明に納得できずに、電子辞書で好という字を調べてみる。
どうも好という字は、女であるところの母が子を抱く姿から作られた文字らしい。
女が子を抱く。すなわち好。
つまり、好という字はもともとは家族に抱く親愛的な感情のことを指すわけだ。
でも、こういう親愛の情と、愛しの彼に抱く劣情が同じではないことは私でもわかる。
つまり、好という字は好の代理として好を説明する言葉で――。
考えれば考えるほどに好を見失う。
脳内に好を転がしていても、掴もうとするほどにどこかに逃げていく。
ならば、先ほどと同じだ。逃げ出さないように実体を与えればいい。
私はルーズリーフをまた一枚取り出して、自分の中に眠る好を生み出していく。
好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好
好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好
好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好好
いつになく几帳面にルーズリーフにひたすら好を並べていく。
今度は見失わないよう、リズミカルにひとつ。ひとつ。
ひとつ書いていくごとに、私は好の真理に近付いていく感覚を得る。
タンタン、タン。
女と子は似たようなリズムで紡がれる。似たもの同士の二人が寄り添って一つの漢字をなしている。
ひとつひとつが私の好。
私の中の好が雫となって紙面に落ちていき、列をなして染み込んでいく。
規則が織りなす静寂の好。
しかし、私の好は大人しく黙っていられるほど聞き分けは良くなかった。
段々と見ていると、縮こまっていたはずの好が情熱を抱いて蠢いているように見える。
私の中の好が熱を帯びて暴れだす。たくさんの好が意識を爆発させて飛び出そうとしている。女と子が分離して独立した個として動き出す。
秩序を示す青線が揺らいで、真っ白に広がる灼熱を、ただの線の塊となった女子供がのたうち回る。
そうしたいはずなのに紙をびっしりと埋めつくす女子たちは、隣の女子とぶつかって思うように動けない。
これでは女子がかわいそうだ。
密集した女子が悲鳴をあげている。
消しゴムでガシガシと女子たちをかき消していく。
紙面の穏やかな白とは異なる、全く別の白の暴力によって引きはがされ、強引にかき集められた女子たちは、みじめな黒い塊となって机にその死体を晒す。
クタクタによれた紙にこれ以上ものは書けない。
私は好の熱に焼かれて疲弊してしまったルーズリーフを丁寧に折りたたんでしまいこむ。
そして、もう一枚を取り出す。
ルーズリーフというのも実に残酷なものだ。
代わりが後から後から湧いてくる。
女子と女子たちの間には隙間が必要だ。
私の中にある女子は、こんな弾丸のように打ち込むものではない、もっと優しくキミを包むものであるべきだろう。
でも、ただ隙間があってもキミは多分するりと合間を抜けて抜け出してしまうだろう。そんな簡単に捕まってくれないから、こちらはやきもきしているのだから。
それでは意味がない。私は好と好の狭間キミを閉じ込めたいのだ。
キミが逃げ出さないよう、程よく引っかかって、なおかつ呼吸ができるような、そんな好と好の間を埋めてくれる伸縮性の高そうな文字はないか――。
しばし、逡巡してすぐに答えにたどり着いた。
簡単じゃないか。最初から答えはすぐ側にあった。
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き
好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き
これだ。
先ほどのキミの名前を書いたルーズリーフを取り出す。
染谷隆一。
ようやく捕まえたキミの名前。
その名で埋め尽くされた紙を、私の好きが詰まった紙と、表が合わさるように重ねる。
まるでキミの唇を奪っているような背徳感に、私の心は打ち震える。
二つ、四つ、八つ――紙を折り畳む。紙はみるみる縮んでいく。しかし、その一方で好きに潰される息苦しさに耐えかねたのか、前後の厚みは増して、私の愛の檻は肥え太っていく。
その大きさがちょうどポケットに入るほどの大きさになった。
私は制服の胸ポケットにそれを大切にしまい抱きしめる。
これが私の好意の形。
キミを息できなくなるぐらい閉じ込めたい牢獄の好。
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