9日目
今日のお昼はカップ麺。
家に父と私しかいないので、こういう日はカップ麺と相場が決まっている。
それはずぼらな私たちが、自らの怠慢を確認する儀式でもある。
鼻にツンとくる化学製品の香りが私たちに堕落の味をつきつける。
自分の寿命を縮めているという実感が、カップ麺の最高のスパイスだと、そう信じてやまない。
私はいま、スマホと向かい合っている。
これから、私はキミに初のメッセージを送ろうとしている。
本当は、昨日のうちに送りたかった。
「装飾係、よろしくね」
その一言を送れたら十分だった。
それでもファーストコンタクトとしては上々だろう。
とりあえず敵意はないと表明しておけば、 すぐには悪い感情は持てない。だから挨拶だけはちゃんとしておけというのは、母の教えだ。
これを聞くたびに、一体どんな修羅の人生を生きてきたのだと笑っていたものだが、今ではよくわかる。
保険はあるに越したことはない。
とはいえ、そろそろ挨拶を送るにはタイムリミットなのではないか。
連絡先を交換したその日のうちに挨拶をするならばわかる。でも翌日の昼間、それも休日にそんなメッセージをいきなり送られても困るだろう。
でも、どんなメッセージがふさわしいか考えて、下書きを書いては消しているうちに、ズルズルと今まで引っ張ってしまった。
先延ばしにしていいのは宿題だけ――これは母の教えではなく、たった今考えた私の教え。
さすがにそろそろ言い訳を添えたほうがいいだろうか。
メッセージ欄に下書きを追記しては消す。
「緊張したら送れなくって」
「帰ったら寝落ちちゃって」
「ごめん、本当は昨日のうちに送ろうと思ったんだけど、おばあちゃんと会う用事が」
いろんな言い訳を考えたが、どれもしっくり来ない。
……というか、明らかに言い訳がましすぎる。
気を使っているようで自分のことしか見えてないような予防線は逆効果だ。
私だってされたらイライラすると思う。
最後の下書きを消そうとしたとき、向かいの父の部屋から雷のような巨大なくしゃみが聞こえた。
突然の爆音に驚いた私は、勢い余って送信ボタンを押してしまう。
真っ青になって、まっさらだったはずのトーク画面を見ると、そこには「ごめん」という吹き出しだけがぽつんと浮かんでいた。
最悪だ。
昔はそんなコトなかった気がするのだが、最近、父のくしゃみがやたら大きい。口を塞ぐという当たり前のプロセスを怠った怠惰の結果なのだろうと思う。
もう公害だよ、公害。
事故によって放たれた謎の謝罪の言葉が浮かんでいるトーク画面を眺める。
謝るようなことは愚か、こんにちはすら言葉をかわしたことがないのに――それこそ、なんて言い訳すべきなんだろうか。
最もシンプルなのは、送信ミスをしたと言うことだ。変なメッセージを送った時の鉄板といってもいい。
私も「底辺」というメッセージを受け取って誤爆と言われたことがあるが、本当かよと思いつつも水に流したことがある。
誤爆というバリアは、これ以上追求させないぞという、有無を言わせない圧力がある。
一方で、単に誤爆だといってしまうと、会話が途切れるという弊害がある。
そうなると、このまま次にキミとチャットするときまで「ごめん。誤爆。ごめん」という三点セットだけが並んだトーク履歴だけが残る。
そんな気まずいだけの空間にわざわざメッセージを送る人間がいるだろうか?
私はこれから一生そんな寂しい画面を眺めて夜を過ごさなければならないのか。
対応を決めあぐねていると、ピコンという受信音がなった。
もしやと思ってトーク画面を見ると「なにが?」という四文字がそこにあった。
もう、消えてしまいたい。
頭が真っ白になる。
よりによって一番現実感のない言い訳の書きかけを送信してしまった。
でも、こうしてキミからメッセージが来てしまった以上、賽は投げられてしまった。
ジタバタしても仕方ないと、腹をくくって今できる精一杯の反省をそのまま文章に込める。
「挨拶遅れた」
どれだけ遅れてるんだよと苦笑するも、意外に違和感はないのではないか。
また5分ぐらいするとピコンと音が鳴る。
「律儀なんだね」
キミから返事が返ってきた。
画面の向こうにいるのは生身の人間なのだという実感が湧き上がる。
とたんに、ただの金属とプラスチックの塊でしかないはずのスマホが、血の通った生き物のように見えてきて、私は一層強く握りしめる。
「お母さんの教えなの」
「敵意はないって早めに表明しておけって」
私は画面をじっと睨みつける。
キミがくれるどんな反応も見逃したくなかったから。
一分ぐらい経ってから、私のくだらないコメントの左に、フッと既読の文字が浮かび上がる。
そこから十秒ぐらいしてからキミからのメッセージが届く。
「どんな修羅を生きてきたんだ」
自分と同じようなリアクションに思わず嬉しくなる。私という人間を肯定してもらえたような、そんな気がする。
今、キミと言葉をかわしている。キミが私のために言葉を考えて紡いでくれている。
その事実が休日でまだ寝ぼけた身体を温めていく。
もっとキミと話したい。キミのことをもっと知りたい。
そう思ったとき、
「とにかく、来週からよろしく」
というメッセージが来て、あっけなく会話は終了した。
私はしばらく身体を動かせなかった。
これは余韻なのか喪失なのか。それすらもよくわからない。
ただひとつ言えるのは、このまま待っていても、もうこのトーク画面はピコンという音を鳴らさないということだった。
冷静に考えれば何もおかしいことはない。
挨拶をしようといったのは私だし、このやりとりの要件は挨拶だけだ。
なので、むしろ二、三追加のメッセージを送ってくれただけでも破格といってもいい。
理屈ではそうかもしれない。
でも、そういうことじゃない。
責めるのがお門違いなのはわかってる。
でも、私という存在が、あくまでキミにとって他人にすぎないという事実を、私は思うように受け止めきれない。
私は少しでもキミの反応を知りたくて画面に貼り付いていたのに。
キミの既読はゆっくりとしたものだった。
その間、キミは何をしていたのだろう?
メッセージを見るまでの間、少しでも私のことを考えてくれたのだろうか?
それとも、鬱陶しいやつと思われていないだろうか?
身勝手な欲望と悪い想像が私の血管を蝕んで、ドス黒い血を全身に運んでいく。
前は背中を見ているだけで良かったのに。
理想のキミを頭に思い描いているだけで、とても幸せだったのに。
近付けば近付くほど、まだ遠いことを思い知る。
そして、仮に近づけたとして――キミは私と同じ情熱で私のことを見てくれるのだろうか?
これが生身の人間を愛するということなのかもしれない。ままならない部分を埋めたくて、不安が加速していく。
私の中のいやらしい欲望が、キミという人間を縛って支配しようとする。
私が魔女になっていく。
そんな自分を否定したくて、むちゃくちゃに枕を引っかく。
ちぎれて綿が血しぶきのように飛び散ることを期待したのに、私の非力でそれは実現しない。こんなとこでも現実はままならない。
ただ悲しげにくたりとしおれた枕が目の前に横たわっていた。
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