8日目
今日の晩ごはんは、しらす丼。
セールで釜揚げしらすが安かった、と得意気に語る母の笑顔は眩しかった。
実を言うと、今日はお赤飯が食べたかったのだが、さすがにそんなものをねだるわけにはいかない。
セールだって、十分めでたい。
それでよいではないか。
さて、今日は大事件が起きた。
ついに、私はキミと連絡先を交換したのだ!
自分の持っているスマホが、いつもより重たく感じる。
キミという存在をゼロとイチのデータにしてしまい込んでいるこの情報端末は、いつもより神々しい光を放っているような気すらしてくる。
もう、このままご本尊に入れて飾ってしまおうか。
ことの経緯は思ったよりも単純だ。
今日は装飾係の初回の顔合わせがあった。
そこで、一年生は私たちを含めて四人いたのだが、メンバー同士連絡を取り合うためにラインを交換する流れになった。ただそれだけのことだ。
まったく、私はキミと連絡先を交換するために、あらゆるストーリーを思い描いていたというのに――。
あえて一人買い出しとか別行動とかして、緊急連絡先としてキミに連絡先を教えるとか。
キミの服に思いっきり絵の具をぶちまけて、弁償するために連絡先を交換するとか。
病弱な姉の面倒を見ないといけないから休みがちかもしれないので連絡先を交換したいとか――これはさすがに真っ赤な嘘だから、最終手段。
あっさりとそれが実現されて肩透かしをくらう。
これだけのストーリーを描いた私の純情を返せ、と勝手に八つ当たりをする。
鎌倉大仏、略して鎌倉と呼ばれている大柄な先輩が校内装飾のリーダーだった。
その先輩のあだ名自体は有名だったので存在は知っていた。皆が口をそろえて「思ったより似ている」という言っているので、どんなものかと事前に観光協会のホームページを開いて大仏の写真を検索して調べておいた。
おかげでどんな顔なのか、万全のシミュレートを行ったつもりだった。
それでも、本当に思ったより似ていた。
なんだか、悔しかった。
鎌倉大仏と呼ばれるその男は、名にふさわしく温厚そうな人だった。彼は装飾係の仕事内容をひとつひとつ説明していく。
今回の文化祭のテーマは「青空」。希望とか可能性とか、そういうありがたいイメージをそれっぽくくるんでる言葉ということで採用されたらしい。
しゃらくさいテーマと思うかもしれないが、我が校もウン十年の歴史があるため、夢とか未来みたいなわかりやすいテーマはもう消費されてしまっているのだ。
その結果、わかったようなわからないような気になる抽象的な言葉がスローガンとなるのが、伝統となっている。
装飾係としては、そのありがたわからんテーマを具現化するため、構内の各所に青を基調とした風船飾りを配置する他、中庭の中央に空をイメージして飛行機や雲やを配置したオブジェを配置することになる。
それと、もちろん入り口にはベニヤ板で作られた青空をモチーフとしたデザインのゲートを作成する。
改めて作らなければならないものを数えていくと、結構な分量だ。
基本的なデザインは美術部の先輩が仕上げている。私たちは彼らの脳内を形にするための手足だ。人格などいらない。
……といった感じで、作業内容について書かれたしおりを渡され、今日はそのまま解散となった。本当に顔合わせだけで終わってしまった。
しおりによると、私ら一年坊は風船装飾の係になっていた。本番が近付いてきたらオブジェやゲートの作成にも駆り出されるらしい。
その後、やることもないので近くに座っていた一年生同士でお互いに自己紹介をした。
その場にいたのは、私とキミの他にもう二人。一人は坊主頭で眠そうな顔をした男の子。もう一人はギャルっぽい感じの派手目の女の子――忌々しいことに、なかなか可愛い。
二人は同じクラスから来たようで、特別親しいというほどではないが既に二人セットで行動しそうなオーラを出している。
たしかに、得体の知れない他クラスの人間よりはよほどやりやすいだろう。
……すなわち、私とキミがいい感じにペアになりそうということだよ。やったね。
その次は、キミの自己紹介。
私は初めてキミからちゃんとした自己紹介を聞いた。キミの名前をちゃんと聞くのは初めてのことになるかもしれない。
名前とクラスだけの簡素な自己紹介だけど。
キミの声は低くて落ち着いた。私の贔屓目を込み込みにして言えば、ずっと聞いていられるタイプの声質だった。
また、好きなところが増えてしまったよ。
だが、キミの声を聞いて私は舞い上がると同時に――自分が喋る順番が怖くなる。
いわば、私とキミのちゃんとしたファーストコンタクトだ。
今日の私の見た目はちゃんと決まっているか、声の調子に問題はないか、改めて確認したいのに状況がそれを許さない。
さすがに、一言二言話すだけの自己紹介の前にトイレに行くのは、変な子がすぎる。
心臓がバクリバクリと全身を震わせるようにのたうつ。
人間の印象の九割は自己紹介に詰まっていると言っても過言ではない。
もちろん、自己紹介だけで全てが伝わらないという理想論はわかっている。でも、周囲の人間はその日から、必ず自己紹介の内容を頭の片隅に浮かべながら接してくる。語られた通りのキャラクターで、イメージ通りのリアクションが返ってくることを期待する。
そこを裏切る労力は並大抵ではない――周囲の期待に逆らわないよう安穏と生きてきた私には、尚更。
どんな自分を見せるべきか。
何通りもシミュレーションをする。
はっきりと大きな声で勢いよくやるか――駄目だ、私がやるとアホっぽくなる。
落ち着いたトーンでクールな感じでいこうか――いや、私の地味よりな見た目では単に暗いやつと思われる。
いっそはにゃっとした感じで可愛い子ぶって――は恐らく大惨事になる。
やっぱり普通の子、普通の感じが一番愛着も湧く――普通って、なんだ?
答えは出ないまま、三人の視線が私に集まる。
もう考えてる余裕はない。
「私は、一年Bぎゅみの――!」
こうして私とキミの物語は、緊張しいのドジっ子として始まることになった。
ギャルっぽい子の提案で、連絡のために四人のグループを作ろうという流れになった。
使いもしないグループに日々通知欄を汚染されている私としては、これ以上通知を消すためだけにタップする無意味なグループが増えるのは勘弁願いたいところだが、今回ばかりは事情が違う。
私たち未成年は、グループを作成するにあたって友達登録が必須だ。つまり、誰かがグループ作成を引き受けて友達からメンバーを追加していかなければならない。
言い換えれば、この方法なら合法的にキミと友達になることができる。
別にグループで連絡先わかるのだから、そこから個別に連絡すればいいじゃんと思うかもしれない。
でも、そんな簡単な話ではない。
グループごしに手に入れた連絡先から連絡するのと、個別の友達から連絡するのとでは天と地ほどのハードルの違いがある。
少なくとも私は、いきなり前触れなく友達追加されて「え、怖」と思ったことは一度や二度ではない。この「え、怖」のワンクッションがあるのとないのとでは、相手との印象は正反対になる。
ということで私は、グループの作成を名乗り出た。
ここで率先して仕事を引き受けることで、自己紹介の汚名も少しでも希釈してやる。
一挙両得というやつだ。
家に帰って自室に戻った私は、グループを作成する過程で手に入れた画面に登録されているキミのアイコンをじっと見つめる。
不器用なことに、いつぞやみたSNSのアイコンと一緒だ。どうやら場所によって画像を使い分けるというほど器用なタイプではないらしい。
この小さな箱にキミという存在を閉じ込めたような気がして嬉しくなる。
ちょうどキミと知り合ってちょうど一週間。
あの時は、たまたま委員会で隣の席に座っただけの関係。それを思うと隔世の感を感じる。
いや、正確には同じ委員会の人間が同じ係になっただけで正当なステップアップでしかないのだけれど。
それでも、キミとお近づきになりたいと手をこまねいているだけだった私としては、夢のような出来事と言っていい。
伸ばしても届かないところにいたキミの残影は、今や私の小さな両手の中に収まっている。
帰りに駅前の雑貨店で買ったポストイットに手を伸ばす。学校の帰り道で衝動的に買い込んだ。
普段はシャーペンとボールペンと消しゴム、あとは修正テープぐらいしか筆箱に入れていないので、付箋という未知の文具を買う行為にえも言われぬ緊張があった。
私というロボットを構成するパーツがひとつひとつ作り替えられていってるような、そんな気持ち悪さを覚える。
ポストイットの包装を開けてみる。
穢れをしらないぴっちりと閉じた包装のビニールが、ペリペリと心地よい音を立てて剥がれ、中に幽閉されていたカラフルな紙の束が新鮮な空気に晒される。
ためしに一番上の薄い赤色の紙を一枚剥がしてみる。薄いけれどもしっかりとした作りの紙は、恥じらうように慎み深い音を立てて、一枚、虚空へと放り出される。
行き場を失った付箋紙をノートにぺたりと貼る。
そこに「声が好き」とシャーペンで書き込んでみた。これは今日発見した、一番新しいキミの好きなところだ。
ぺたり。ぺたり。
メモを貼る手は止まらない。
「背の高さがいい感じで好き」
「ゴツゴツした手が好き」
「真面目そうな唇が好き」
「本を読んでる背中が好き」
「一重なところが好き」
無機質な罫線が横たわっているだけだったノートのページが、カラフルな四角と私のぶきっちょな文字で埋め尽くされていく。
見開きをびっしりと敷き詰めたのに確認すると、ノートを閉じてみる。普段は済ました形をしている四角いノートが一回り分厚くなって歪んでいる。
肥え太ったノートを抱きしめた。
キミと出会って一週間。
このノートの重さは、キミがくれた感情そのものだ。
そんな時、貼り付ける力が足りなかったのだろうか。粘着が弱かった一枚のポストイットがはらりと落ちた。
一枚だって落としたくないキミへの想いなのに――私は慌ててその一枚を拾う。
そこには「メモ魔のキミが好き」と書かれていた。
なんで。
よりによって。
稲妻のようなショックが私を揺さぶる。
この付箋は私の恋の原点なのに。
見失うなんてありえないのに。
零れ落ちたその一枚を乱暴にノートに挟み込む。これ以上落ちないように強く強く抱きしめる。
ここにしたためた気持ちは全部、全部、忘れてはいけないもののはずだ。
その全てがキミへの愛の証明なのだから。
――それとも、これらは単なる無機質な言葉の列として記憶しているだけで、実はもう感情としては忘れてしまっているのだろうか?
自分の気持みがわからなくなる。
私を形作る境界の不安定さに、自分が溶け出してしまいそうな感覚に襲われる。
縋るように、ノートをきつく抱きしめた。僅かでも手を緩めたら小さな紙がポロポロと溢れ落ちてしまいそうだ。
ねえ、この気持ちが溢れ返る前に。
抱えきれなくなる前に。
私が私である間に。
したためた想いを受け取ってよ。
私を――抱きしめてよ。
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