2日目

 今日は休日。

 お昼ご飯はざるうどんだった。

 私はざるうどんにはチューブの生姜が欠かせないと信じているのだが、今日に限って切らしていた。

 いつもより刺激の薄いうどんは、つるりと喉を素通りして儚く消えていった。


 朝起きて、胸に手を当てる。

 それでも――私は恋をしていた。

 実行委員会の席で出会った、マイペースな男の子にときめいてしまった話。

 一晩明けたら、笑い話になるかもと寝る前は心配だったが、私の鼓動がその不安を一蹴してくれる。


 私はちゃんと、キミのことが好きなようだ。


 昼食を済ませて部屋に戻った私は、ゆるいコバンザメのキャラクターが描かれたケースに覆われたスマホを取り出す。

 電気をつけるかつけないか判断に困る、微妙に薄明るい部屋の中で、四角い画面がぼんやりした光を放っている。

 今日の私には重要な使命があった。


 私はキミのことを何も知らない。

 仮にも半年間、同じ学び舎で切磋琢磨した仲だ。

 もちろん、顔と名前が一致する程度には知っている。

 ただ、逆にいえば、顔と名前が一致することしか、私はキミについて自慢できない。


 現代は情報戦だ。

 情報の洪水から必要なネタをいち早くゲットし、先手を打った者が勝つのだと、偉大なる父は語る。

 そうして、父は有言実行と言わんばかりに紙・インターネット・口コミ……あらゆる情報源からリサーチすることを怠らない。

 そうして、日々情報社会という戦場で戦い続ける父が、競馬の予想を的中させたところを私は見たことがない。

 私はこのデータを正確に判断して、馬券の購入を禁止している母のことをとても尊敬している。


 名誉帰宅部の私は、他クラスに友達が少ない。

 勘違いしないでほしいが、他クラスの友達が少ないだけで友達は少なくない方だ。

 怪訝な目で見る方もいるだろうが、どうか今だけは信じてほしい。


 信じろっていったでしょ。

 なら信じるんだよ。


 とりあえず写真を共有する例のSNSを開く。

 ダンス部で学校中に顔が広いクラスメイトのアカウントを発信源として、隣のクラスの子のアカウントを見つける。

 海かなんかに行ったと思われる鬱陶しいぐらい真っ青な空と陽キャがコラボした暑苦しいアイコンが目に飛び込む。

 こいつは私ですら知っている。我が校を代表するであろう屈指のコミュ強だ。陽キャ同盟の仲間と撮ったであろう騒がしい笑顔は、私の記憶を探しても、日常生活の様々な背景に鬱陶しく存在している。


 そんなやつのことはどうでもいい。

 私は黙々と彼のフォロー欄を調べていく。

 悪いけど、いま必要なのはあなたの軽薄な顔ではなくて、その人脈だけなのだ。


 そして、目当てのアカウントを見つけた。

 本名を少しもじったアカウント名に、ネットで拾ったであろうけだるく寝そべる猫のイラストアイコン。

 いかにも友達に誘われて仕方なく作りましたみたいな、質素なアカウントだ。

 思ったよりも簡単に見つかった喜びのままに、フォローボタンに指を伸ばしたい気持ちを必死に抑える。


 ごめんね、まだ、私はキミと他人になる勇気すらないみたい。


 あまり熱心に写真を撮る方ではないらしく、アップされているフォトは少ない。

 自身が移ってる写真にも、自身が出会った料理にも興味がない、この手のSNSとは致命的に相性が悪いタイプだ。

 積極的に交流をするわけでもなく、とはいえ全くアカウントを使うわけではない。

 なるほど、これはポストイットを貼る男のアカウントかもしれない。


 そのアカウントは、気まぐれに撮ったと思われる写真を、およそ40日に一度くらいの頻度でアップしていた。

 全く使ってないことはないという免罪符のように意味もメッセージ性もない写真が並ぶ。

 最新の写真は20日ぐらい前。

 公園においてある象がプリントされたバネのおもちゃ。

 添えられた一言が「かわいい」


 --ああ、このセンスは間違いなくキミだね。

 私は、ネットの海で再びキミに出会った。

 それに気づいた自分にも、思わずニヤケが止まらなくなる。


 やあ、また会ったね。一方的だけれど、さ。

 なんて気さくな挨拶をしてみせる。

 思わず髪型が変になってないか気になって、前髪をいじる。


 彼のフォロー欄を見てみる。

 ふーん、この歌手好きなんだ。

 即刻、動画サイトで聞いてみた。

 もじゃもじゃの髪と髭が特徴的なイギリス? のバンドだ。正確にはアイルランドらしい。知るか馬鹿。

 アコースティックギターを片手に、ポロシャツを着た髭の男が、ドラム缶の上で歌っている。

 タイトルにフォーユーなんちゃらって書いてあるから多分、愛の曲だと思う。

 ただでさえ英語の成績が怪しい私は、何を言っているのかわからないが、サビに入る直前のリメンバーだけはやたらよく聞き取れた。


 ふーん、いい趣味してるじゃん。

 いい曲だねえ。よくわかんないけど。

 コンサートとか、いくのかな。

 そもそも、この人たち来日したことあるのかな?

 来日したらだけど、一緒に行ってみる?

 私は虚しく脳内のキミとデートの約束をする。


 他の写真を調べてみる。

 過去の写真の隅っこに、きのこのお菓子が移り込んでいるのを見つけた。

 これは無言のきのこ派アピールというやつだろうか。

 仮に、過激な敵陣営に詰め寄られたとしても、偶然でしたと言い逃れられるよう な、そんな絶妙な忍ばせ具合だった。

 おとなしそうな外見に見えて、実は意外と策士なのかもしれない。


 正直、古来より行われてきて数えきれないほどの血の雨を降らせたこの論争について私は冷めた目で見ている。

 結局、発売元が同じなのだ。この論争に乗っかるやつらは資本主義の悪意に踊らされるピエロだ。

 そう信じてやまない。

 ……口にしても冷えるだけだから言わないけどさ。


 とはいうものの、不要な事故が起きる前にこの情報を手に入れたのは僥倖だ。

 彼が過激派である可能性は捨てきれない。

 今度出会うときには、差し入れとしてありったけのきのこのお菓子を持っていってあげようかしら。

 そして、「わかってるじゃん!」って意気投合した二人は幸せなキスを……って、ならないかなあ。


 いや、なっても、困るな。


 そんな、こんな。

 彼の写真をパラパラとめくる。

 小さな発見をしては一喜一憂する。

 物言わぬ画面を相手に、キミとの架空の会話を弾ませる。

 いつかこういう話を、ソファで隣に座ってできる日は来るのだろうか。

 何歩も飛躍した空想で至高の風船は膨らみ続ける。

 私の頭がどんどんピンク色に染まっていくのを感じる。


 でも、もっと知りたいという欲は出てくるのに、結局いくら調べても、心の渇きが満たされることはなかった。

 平べったい液晶に指紋をつけること一時間。これ以上新しいネタが出てこないと悟った私は、ついにスマホを放り投げた。

 スマホは私の思惑を超えて大きくバウンドして、ドゴッと痛そうな音を立ててフローリングという名の奈落へと落ちていく。

 いきなり家庭内暴力の憂き目にあった哀れな電子機器を拾う気にもなれず、私は行くあてのない腕で枕を抱きしめた。


 ネットの情報はどこまで行っても公開情報だ。

 この情報をいくら知ったところで、私がキミの特別になることはない。

 この部屋にいる限り、私はキミと顔見知り以上の関係になれないのだ。


 やっぱり、会いたい。

 会って、色んな事を知りたい。

 そんな衝動が私をくるんでいく。


 結局、ネットで調べたどんな情報よりも、キミがプリントにポストイットを貼ってる人間なのだという情報の方が、何倍も価値がある――そんな気がした。

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