夢の中の茶会──2

 そんな不思議な夢を見た夜。また、私は柔らかい芝生の上だった。息を胸いっぱいに吸うと、また微かに紅茶の匂いがした。夢の続きだ。私は立ち上がって振り返り、目の前に広がる茶会へと足を踏み入れる。

「おや、お客様だ! やあやあ珍しいなあ、ようこそ、僕のティーパーティーへ」

 一言一句、昼の夢と変わらなかった。

「ほらほら、今日はふたつしか席を用意しなかったんだ……ふたりっきりの、秘密のティーパーティーといこうじゃないか」

 今日、のはずなのに。彼は同じ言葉を繰り返す。彼は昼間と同じように片方の椅子を引いてくれる。

「ありがとうございます」

「ああ、そうそう。僕はしがない帽子屋だ。ここで時折ティーパーティーを催している、変な帽子屋さ」

 二度目の名乗り。やはり笠沼さんではないのだ、と私はふっと寂しさを覚える。

「……はい、知ってますよ」

「おや……これは本当に珍しい、以前どこかで会ったのか」

「ここで、会いました」

「そうかい……二度も来てくれたんだね、嬉しいよ」

 にっこりと笑って、優雅に深々とお辞儀をする帽子屋さん。顔を戻して、彼はまた高らかと告げた。

「さあさあ、座った座った! 本日のティーパーティーは珍しい人間のお客様と共に、だ」

 またここまでかと思ったが、帽子屋さんはくるりと後ろを向いて燕尾服の裾をひらりとさせ、私の向かいの席に座ろうとしていた。続きだ。私も目の前の席に座る。

「お好みの茶葉はあるかい? なんでも揃っているよ」

「あ……じゃあ、アールグレイで」

「ふふ、お望み通りに」

 その笑い方に心臓が高鳴った。ああ、笠沼さんの声だ。

 慣れた手つきで紅茶を淹れる帽子屋さん。笠沼さんは、いつもおっちょこちょいだったなと思った。私は紅茶が好きでよく飲んでいたのだが、朝私がバタバタしている時に笠沼さんが淹れてくれようとして失敗する、ということがよくあった。やはり、笠沼さんではない。

「はい、アールグレイ。アールグレイに合うのは……この辺りかな、好きに食べてくれて構わない」

 そう言って彼が指さしたところに、チョコレート、スコーン、クッキーなど菓子が並んだ。私がわあ、と驚くと、帽子屋さんは少々得意気な顔をした。笠沼さんも、私が驚いたり喜んだりすると、よく得意気に笑っていたのを覚えている。笠沼さんのようで、笠沼さんでない。期待して、また裏切られて。何度も繰り返していた。

「早く飲まないと、冷めてしまうよ?」

「ああ……」

 私ははいでもなくいいえでもなく、曖昧に返事をした。返事をしたけれど、紅茶に口を付ける気にはなれなかった。飲んでしまえば、紅茶だけでない──夢までしまいそうで。だが帽子の下にはしゅんとした表情。飲まずに冷ましてしまうのも申し訳なくなってくる。

「じゃあ、いただきます」

 白いカップに手を伸ばし、触れた時。カップは消えて、目の前にはいつもの天井があった。


 それからも眠りにつく度に、私は帽子屋さんの名乗りを聞き、少しずつ長い時間を過ごしていった。紅茶を飲んで、菓子を食べようとして終わった時。菓子を食べたが、二つ目は食べられなかった時。複数個食べられたが、会話がそれ以上続けられなかった時──。そこまでで、止まっている。次は、どこまで夢が続くのだろう。


 * * *


「おや、お客様だ! やあやあ珍しいなあ、ようこそ、僕のティーパーティーへ」

 何度目かの挨拶。

「僕はしがない帽子屋。ここで時折ティーパーティーを催している、変な帽子屋さ」

 何度目かの名乗り。

「……知ってますよ、あなたのこと」

「おや……これは本当に珍しい、以前どこかで会ったのか」

 何度目かの返答。

「ここで、何度も」

「そうかい、君同じ時を繰り返しているんだね。僕もずっと、この昼下がりにいるんだ」

 初めて聞いたことだった。

「まあ、そんなことはどうだっていいさ! ほらほら、今日はふたつしか席を用意しなかったんだ……ふたりっきりの、秘密のティーパーティーといこうじゃないか」

 そう言って帽子屋さんが引いてくれた椅子に座る。アールグレイを頼み、出された菓子を食べる。会話は、続けられるだろうか。

「……あの、帽子屋さん」

「なんだい」

「あなたの顔、私の好きだった人に似ているんです」

 何を、余計なことを。

「おや……そうなんだね」

「でも、彼は、死んでしまって」

 若干、語尾が震える。気づかれていないと良い。

にあなたに会った時、ついその人じゃないのかなって尋ねてしまったんです。違う、と言われてしまったんですけど」

「そうだったんだね、その時の記憶は僕にはないけれど……」

 優しい目で、私を見る帽子屋さん。その瞳はやはり私の知る笠沼さんの瞳のそれなのだが、私に向かう気持ちが違うのかもしれないと思った。笠沼さんの瞳には、いつでも──こう言っては自惚れているようだが──私への好きという気持ちがこもっていた。目の前の彼の瞳には、それは感じられなかった。

 何度目かの、寂しさ。

 目を伏せると、帽子屋さんの声が飛んできた。

「……声、仕草。その辺りは似ているかい?」

「声は、はい。仕草はどうだろう……似ているところもあれば、そうじゃないところも、みたいな」

「その好きだった人とは、恋仲だったのかい」

「……はい」

「僕じゃあその人には届かないかもしれないが、その人が生きていた時を……ここは夢だ、その時を思い出してみないかい」

「えっ」

「こちらへおいで」

 帽子屋さんは立ち上がって、両の腕を軽く開いてそう言う。優しい声。よく、私がしょぼくれていた時に笠沼さんがこうやってしてくれたな、と思い出した。私はふらふらと机の周りを辿って帽子屋さんの方へ近づく。目の前に立つ。身長も、私が覚えている笠沼さんのそれと全く同じ。私は笠沼さんの面影に縋る。温かい。帽子屋さんは私を抱き締めて、後頭部をさらさらと撫でてくれる。これも、笠沼さんがよくしてくれていた。少しくすぐったいけれど、安心するのだ。帽子屋さんの腕の中は、柔らかい陽だまりの匂いがした。

「ねえ、お客様」

 呼ばれて、私は帽子屋さんを見上げる。大好きな人の顔が目の前にあって、ちょっと狼狽える。

「はい……?」

「名前はなんて言うんだい」

「えっ、と」

 高校の時、初めて笠沼さんが話しかけてくれた時を思い出した。隣の席だった。笠沼さんは『名前はなんて言うの』と尋ねてくれた。その時も、彼はこんな風に優しい顔をしていた。目をちょっと細めて、私は名乗る。

國香くにかです」

「國香さん、素敵な名だね」

 ──ああ、やはり彼は笠沼さんなのだと、少し信じてしまった。

 気恥ずかしくて、私はまた顔を帽子屋さんの胸に埋めた。

 しばらくしてふと、陽だまりの匂いが消え、潮の香りが私の鼻腔を包んだ。

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