すべては白昼夢。

水神鈴衣菜

夢の中の茶会──1

 長い長い、夢を見ていたような。けれどどんな夢を見ていたかは覚えておらず、はっきりと「夢を見ていた」ともいえないような。意識がふわふわと戻ってこないような、そんな昼下がりだった。

 ふと意識が体へ戻ってきた時、私は柔い芝生に座り込んでいた。柔らかく陽が差し、緑をより鮮やかにしている。ざっと後ろから風が吹いた時、その風の中に紅茶の良い匂いが混じっていることに気づいた。気になって後ろを振り返ると、不思議な光景が目に入った。長机にきっぱりと白いテーブルクロス。ピンク、黄色、緑、茶色……色とりどりの茶請けの菓子。白磁のカップとソーサー、ティーポット。テーブルの前にはふたつの椅子。そして大きな帽子を被って、燕尾服を着、楽しそうにテーブルの周りを歩き回る人。他に人はいないようだ。ここがどこだか私には全く分からなかったので、その人に話しかけようと決意し私は立ち上がった。

「……あの」

「おや、お客様だ! やあやあ珍しいなあ、ようこそ、僕のティーパーティーへ」

「えっと、その……ティーパーティーに来たわけじゃないんです、私」

「おやそうかい、ではどうしてここに?」

「いつの間にかここに来ていて」

「じゃあ、僕が誰か来てくれないかなあと思った時に君が呼ばれたんだね。待っていたよ、お客様」

 大きな帽子の彼はにっこり笑って、帽子のつばに手をかけ会釈した。

「ほらほら、今日はふたつしか席を用意しなかったんだ……ふたりっきりの、秘密のティーパーティーといこうじゃないか」

 そう言いながら、彼は椅子の片方を引いてどうぞ、と座るよう促してくれる。

「あ、ありがとうございます」

 その時私は、帽子の下をやっと把握した。見覚えのある顔だった。

「──笠沼さん?」

「ふむ……聞いた事のない名だね。少なくとも僕は、そのカサヌマという人間じゃない」

「でも、その顔」

 忘れもしない。私の大好きだった笠沼さん。三年ほど前に彼はこの世を去った。でもどうして、それならば彼はなぜここにいるのだろう。

「僕はしがない帽子屋だ。ここで時折ティーパーティーを催している、変な帽子屋さ」

「帽子屋……」

 ティーパーティーに、帽子屋。ああ、ここは『不思議の国のアリス』の世界なのか、と私は合点がいった。ならば私は、ここに招かれたアリス。

「さあさあ、座った座った! 本日のティーパーティーは珍しい人間のお客様と共に、だ」

 昔の恋人の顔をした帽子屋は、にっこりと、聞き覚えのある──忘れられない声でそう高らかに告げた。


 そこでハッと、目が覚めた。頭が痛くて仕方がない。寝すぎてしまっただろうか。私は頭をぽりぽり掻きながら起き上がる。軽く昼寝をしようと思って、十五時頃に床に就いたはずだった。窓の外はもう暮れなずんでいる。晩ご飯、作ってないな。

「……笠沼さん」

 ひとりの部屋に、ぽつりと独り言が落ちた。どうして三年も経った今、またあの人が夢に出てきたのだろうか。もう三回忌も終えて、そろそろ引きずるのもやめにしようと思い始めた頃だったのに。


 笠沼さんは、私の大好きな人だった。高校の頃に出会って、その優しさや頼れるところに惹かれた。

 頑張って好意を伝えたのはたしか丁度卒業式の朝だった。普通は帰り際に伝えるのが筋なのだろうけれど、そんなことをしていたら他の子に取られてしまうかもしれないと思って。タイミングがおかしくてごめんね、と前置いて、好きだということを伝えた。色々と理由を並べ立てようとしたのだが、それは彼の『僕も好きだ』という言葉で制された。あの時はたしか、卒業式でも泣くんだろうと思っていたが、ほっとしたのと嬉しいのとで『ほんとに?』と何度も聞きながら、笠沼さんの腕の中でわんわんと泣いていた記憶がある。教室に戻って、もう泣いたの、早いよーと友達にからかわれたのは言うまでもない。

 それから大学は離れてしまったけれど、毎週末会うか電話をして色々な話をした。この日はこういうことがあった、とか。会えなくてちょっと寂しかった、とか。こんなものを買った、とか。こんな人がいた、とか。

 笠沼さんは私よりもずっと背が高いのだが、彼は私をよくぎゅっと抱き締めて、こうすると落ち着くと言って離さなかった。私は彼の腕の中すっぽりと収まってしまうのだった。会う度にするものだから少々気恥ずかしかったが、私も笠沼さんに抱き締められるのは安心して、すごく好きだった。大好きだよ、と何度も抱き締めながら囁いてくれた。

 そんな彼は、早くに病に倒れた。それが三年前の春、大学を卒業してすぐ。詳しい病名までは覚えていない。直前、私が彼に告白をしたのと同じ日に、彼は私にプロポーズをしてくれた。これからも一緒にいようと、そう誓ったのに。どんどんと彼は衰弱していった。もう回復の見込みはないと、医者からは無惨にも告げられた。その医者の言う通り、彼はそのまま戻ってくることはなかった。

 そうして私は、最愛の人を亡くした。いわゆる未亡人。大学を卒業してすぐ、そんな若いうちにそうなるなんて思っていなかった。私も最早、生きているか死んでいるか分からないような状態だった。仕事は最低限しているが、よく体調を崩して有給を使って休んでいた。かく言う今日も、熱が出てしまって休んでいた。理由は様々だ──吐き気だったり、腹痛だったり、熱が出たり。生きるのに最低限のことしかしていなかった。もうそろそろ、立ち直らなければと思っていたのに。私は細く長く、はぁーとため息をついた。

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