第166話 ヴェルダース……。


呼ばれて部屋に向かうと既に何かが割れたり壊れる音が廊下の先からでも聞こえてきた。



「ご当主様……」


「ここはいい。人避けをしなさい」


「……はい」



入れずにオロオロしている侍従達を下がらせて息を整えて扉の前に立つが……嫌になる。


部屋の家具の壊れる音と共に少し何かが燃える音もする。



「クソクソクソ!!!何なんだ!ルカリムの家に!リヴァイアスまでっ!!!」


「殿下、お気を静めください」



王族の部屋に入室の許可も取らないなど首を落とされてもおかしくないが火事の音がする以上緊急だ。


入室すると火を使ったライアーム殿下が髪を乱し、息を切らせて物に当たっていた。



「これが……これが、落ち着いて、いられるかぁっ!!」



勢いよく茶器が投げつけられ、当たりはしなかったものの後ろで割れた音がした。



「<水よ。火を消せ>」



とにかく燃えた部屋の一部を鎮火する。


すぐに部屋を移っていただきたかったが掴みかかられた。



「殿下……そう、殿下だぞ!!?この俺がまだ『殿下』で!末のガキが『陛下』だ!」


「……それは、なら大公の位を」


「認められるか!!?上の子だったならまだしも!あんな出来損ないの卑怯者に頭を下げて大公位を与えられる?……負けを認めろということかっ!!」


「……ならオベイロス王を名乗ればよろしいのではないでしょうか?」


「王都も大精霊もなしに王を名乗る?そんなことをすれば俺はオベイロス中の笑いものだ!!!」



―――――……精霊に弄ばれた王族の末路がこれか。



この男もかつては力強く、才気と覇気に溢れた人物だった。きっと王の器にふさわしいと皆が思っていた。


ルカリムの、水の家の人間は政争で多くの人間が傷ついた。だから王となるであろうこの男を支援することにした。王族であの時はこの男しかいないというのもあったが……。


水属性は戦闘において水の領域以外ではカスだ。雨が降っていようと火に焼き殺されるものがどれほどいたことか……皆もこの部屋程度の火事なら対処はできただろうに。



「ヴェル!貴様は俺を立てているのだから!さっさと俺を王にしろよ!!」


「そんな無茶を言われましても……」



シャルトル陛下の兄君たちは本当に精霊に愛されているように見えた。それぞれの家は王となる人を見定め……派閥の争いは激化し、最後に兄君たちは皆死んだ。


後はこの男が王になるだけと思っていたのに生死不明だったシャルトルが生きていて精霊と契りを結んだ。


水の家をまとめ上げてライアーム殿下に忠誠を誓う代わりに水属性の人間の保護を誓約させた……だというのにライアームは王とはなれなかった。


シャルトルもレージリアも高待遇を約束するからこちらにつけと説得してきたが今更、派閥も移せないし――――出来ない。


政争で無体に殺される水属性の人間はどの家にもいた。だから攫ってでもルカリム家に合流させた……シャルトルにつけば彼らの身柄をシャルトルの支持者から要求されるだろうし派閥替えは承諾できない。


精霊がシャルトルを選んだ以上、もはや大勢は決した。本来ならライアームも儂も他の貴族も気に食わなかろうが頭を下げ、自分たちの代は冷遇されて終わりのはずだった。



……しかし、ライアームは諦めなかった。



そもそも人望がまったくなかったシャルトルと違って天才とは言えなくとも優良な人物に見えるライアーム。支持者も「王位を隠れて掠めとった卑怯なシャルトル」を王と認めなかった。


ライアームもシャルトルに頭を下げれば公爵となれる。以前は公爵であったがその時は弟が王位にふさわしいと自分から頭を下げていた……だが、王位を争う状況になった際に公爵位を返上したライアームは今は『殿下』である。


そうして始まったこの膠着、表面上穏やかなものだが裏では争い続けている。



……時間はライアームに味方しているようにも見えた。



元々支持も人気のまったくなかった出涸らし扱いのシャルトルよりも公爵として働いて実績もあるライアームの方があらゆる面で魅力があった。水属性の人間は名家が集結してこちらに居る。


内戦になれば戦力はこちらが有利だが攻め込めば王都の城壁が道を阻む。いざとなれば他国からの支援だって得られるが……それらは無傷で自分の国を手に入れたいライアームには踏ん切りがつかない。


だから何年も睨み合いが続いていた。向こうは逃げ隠れして生き延びた腐った貴族ばかり、向こうの最大戦力である『無敵宰相』は歩くことも出来ない程老いてきた。……やつさえ死ねば戦力差は大きく変わる。待てばいいという立場のはずなのだが――――じわじわと嫌な空気が常にあった。


そもそも精霊教の『全ての世の動きは精霊の導きである』という教えに真っ向から反しているし、レージリアの死を待つ間に離反者は増え、王都ではシャルトルによる精霊契約の儀式が行われて戦力が増えていた。


こちらが有利になる情報や逆に誰が裏切ったという情報が毎日届けられる。そんな生活の中で「このままで良いのか?」と解決もしない疑念は常にどこかにあって――――現状を改善も打開できない現実があり続ける。


シャルトルかライアーム、そのどちらかの号令があれば臣下である自分たちは命を懸けないといけない。家内では常に気を張っておかねばならず……息が詰まる。



「大体なんだ!?貴様の姪は?!!」



……やはりか、怒りの原因はこれだろう。


先程自分のところにも来た一報は、ライアーム殿下が怒り狂うに値するほどの一報であった。



「なぜ殺さなかった!答えろヴェルダース!!」


「…………」



最近、フリムが一気に台頭してきた。


年齢を考えればどう考えてもレージリア宰相かシャルトルの考えた奇策である。


血筋だけを考えればルカリム、レーム、タナナの血が流れている。王都周辺には政争で傷ついて療養している名家の人間も多くいるし、どちらにもつかない木っ端とも言える水の家の人間を集められる。ルカリム本家としてもフリムの存在には様子を見ている者もいるだろう。


しかし、普通に考えれば幼児が当主など務まるものではない。仕事はともかく、貴族当主としての力と面子が足りない。弱く愚かな人間が上に立ったところですぐに瓦解するだけ……馬鹿な策だと思っていたがフリムは全てを覆した。


本当に弟の娘かどうかすら怪しいが――――学園で最高位の『賢者』となり、数々の成功をし、学園長選挙にも投票があったと聞く。


王党派ではなく穏健派のような派閥だが勢力は無視できないほどに拡大した。うちから離反してフリムについた者も居る。


その上、水の家でも好戦的かつ凶悪なリヴァイアス家の後継として大精霊リヴァイアスに認められたと報が届いた。しかも伯爵から陞爵して侯爵だ。



「どこまでも、どこまでも人の邪魔をしてくれるっ……!!」



血を吐くように吐き捨てたライアーム。彼からすればフリムの存在は忌々しくて仕方ないだろう。


フリムが台頭し、ライアーム派の力は削られている。


ほんの少し前まではリヴァイアスに向かったフリムに対して、海洋軍事国家クーリディアスが軍と上位竜を引き連れて戦いになった。


フリムがどうあがこうとも、いや、誰であっても勝てる相手ではないはずだった。


悲しいがフリムは死に、東が食い破られれば王都から軍を出さないといけないし、そうすればその機を見逃さずに王位を狙える。これも精霊の導きかと高笑いしていたライアームからすれば…………結果がこの様だ。


しかも、軍隊が総掛かりで殺せない絶対無敵の『無敵宰相』を復活させただけでもこれまで待った数年の時を台無しにされた。おそらくリヴァイアスの屋敷にフリムが出入りするようになってからだから秘薬でもあったのだろう。



しかし、フリムを殺さなかった理由、か。



オベイロスの王にはついてはいないが水属性の長として国の仕事は行っている。


1年半ほど前か、大家として国の仕事をするのにどうしても王都に行かねばならなかった……その時に連れて行ったのがフリム。


愚弟オルダースとレーム家のフラーナは王族の側近としてシャルトルのもとに派遣されていた。他にもいた兄君たちと比べれば凡才で、後ろ盾もいないシャルトルに……閑職だ。


しかし、幸か不幸かシャルトルは王となった。そんなシャルトル派の筆頭とも言える2人の子は表に出せるものではなく、秘密裏に匿うしかなかった。


水属性の人間は多くの家に派遣するし、敵対していた身内が戻ってくるなどよくあることだ。しかし、こちらはライアーム派閥の筆頭家臣となった。出自が表に出ればその日のうちに無惨なまでに殺されるだろう。



殺すことは出来なかった。



水属性の長としては邪魔な存在とはわかっていても弟の娘で、儂の姪で、家族であった。……しかし時間が経てば秘密というものは滲み出てしまうものだ。


家においておけなくなったフリムを連れて王都に行った。シャルトルも流石に自分の側近のオルダースたちの娘なら引き取ってくれるはずだった。



そしてあの日、王城に辿り着く前に、襲撃にあった。



儂が死ねば水属性の人間はシャルトル派につきやすくなる。


爆炎魔法で馬車は吹っ飛び、儂も空を舞った。


視界の端でフリムは玩具のように馬車から吹き飛んで行った。その安否もわからぬままに襲撃者と戦った。


弱いと評される水魔法とは言え儂は大家の長だ。襲撃犯を撃退出来た……が、フリムはもういなかった。吹き飛んだであろう先には水路があった。



「大丈夫ですか!!?すぐにこの場から撤退します!!!」


「……うむ」



水を操作したが近くにフリムらしき反応はなかった。


探す時間などあろうはずもなかった。



「なにかありましたか?」


「いや、何でも無い――――行くぞ」


「はっ!必ずや当主様だけでも逃がせてみせます!!杖にかけて!!!」



何もなかった。フリムの存在は秘密だし、彼らにとってはいないも同然。これも精霊のお導きかと自分に言い聞かせて助けずにその場を後にした。


なんとか命からがら逃げることは出来たしその後王都には近づかないようにした。



フリムは赤子の頃にオルダースたちと儂のもとに来た。それを何故殺さなかったのかと言われると……それは今更である。


今はあの頃と違ってフリムが別の家の当主であるし殺さねばならないというのも理解はしている。



「クソクソクソ!くそがっ!!下がれっ」


「……はい」



何も答えない自分に、ライアームは下がるように命じた。


これが敗北者、いや、選ばれなかったものの末路か。



「まだだ!まだっ……」

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