第85話 学園長とギレーネ。
オベイロス国は良い国だ。
肉や果物にはほとんど困らないし、精霊と共に過ごせて……何より戦争が少ない。
周りの国では戦争は当たり前だし、10年も経てば地図が違っているほどだ。
この国で精霊様の機嫌を損ねると災害が起きることもあるから外から来た自分にはとんでもないようにも見えるが……まぁ高位精霊の地は限られているし、ちゃんと祀れば精霊災害は減らせる。人と契約する精霊が増えればそれだけ争いも増えるかもしれないが。人同士の争いよりはまだ納得できるな……。
――――いつだって平穏が崩れ去るのはあっという間で、それは容赦なく、誰にも止められないものだった。
僕の領地はそうやって劇的に、いや、どこでもあるように普通に滅んだ。
何も持てずにオベイロス国に流れ着いたが秘伝の薬の製法が評価され、ここにいても良いことになった。
学園では他国にはない教育の仕方や理念が気に入っている。可能な限りではあるが外の争いを排除するし、他国の魔法や道具、法律や林業、漁業、薬草栽培、あらゆる知識を収集し積極的に取り入れて発展しようとしている。その知識の中にはこの国には使えない無駄なものも多いがその研究に貴族たちがこぞって金を出すのはとても素晴らしい。
爵位継承の争いで力無き者の逃げ込み先にも使われるが、その分、予算が増える。金がなければやはり組織の運営は成り立たない。
しかも歴代の王は敵になるかもしれなくてもこの学園で卒業する見込みの有りそうなものはまとめて精霊契約の儀に呼び出してくれる。代を重ねて契約し続けている貴族よりもやはり平民には力がないが……それでも平民や奴隷にとっても力をつけることが出来る場である。
「人の世は魔法使いのみならず」とよく謳われる言葉があるが、まさにそのとおりだ。
魔法を使える貴族だけでは世は回らないし、魔法使いが親であっても子が魔法使いになれるとは限らない。精霊との契約もできるとも限らない。身分差はあるものの平民も、時には奴隷だって学園に通える。
将来の働きや忠誠を捧げたり、自分のように有意義な知識を差し出さないといけないが「他国の元貴族」なんて、この国の貴族にとって平民や奴隷……それよりも悪い「敵」であるはずなのに受け入れてくれた。
他の国では考えられないが、この国はそうやって身分にこだわらずに叡智を集積しようとするからこそ発展してきたのかもしれない。まぁ身分差に寛容とはいえ流石に元々敵国人だった自分にはかなり当たりが強かったものだが。
地道に成果を上げ、研究を続け、成果を出し続けている。やはり嫌がらせはあるが追い出されないだけ良しとしなければならない。
ある日、おかしな光景を見た。一人の男に対して皆が道を空けて礼を取っている。
「なぜ彼にはみんな頭を下げているのですか?」
ここに通う王族相手にだってこんな対応はしない。初めて王族を見て驚く地方の貴族たちが慌てて頭を下げるのはよく見る光景だったが普段はそんなこともない。
いばってる賢者も、魔導師も、騎士も、法務官も……皆彼に道を開けて頭を下げている。
「そりゃ当たり前だろ?……そっか、お前は他国の出だったな?エンカテイナー伯爵はこの学園を創立した家だ。ずっとこの学園を良くしようと働き続けている。心から彼に敬意を払っているんだ」
人によっては「敵国人」と見られる自分にとっては一生関わることのない人間だな。
そんな学園で有名な伯爵にある時気に入られた。ある日研究中の部屋に彼がやってきて突然頭を下げられた。なんでも彼の子供の病に僕の薬が効いたらしい。
それから娘さんたちを紹介されて……お陰で出世できた。
エンカテイナー伯爵の家は同じ伯爵家だったはずの僕の実家なんて比べられないほど立派だった。学園の創立者の一族でこの国でも学術派の重鎮として活動している。そろそろ陞爵の噂も出ているほどだ。
同僚たちの視線が苦しくもあったが出世は出世だ。他の研究員のように発想力もなく、魔導師としてはギリギリ程度、賢者として功績を挙げられたわけではないから心苦しくもあったが……。
ただ、まとまりのない研究員共を仲裁したり、人の取りまとめが少し得意とはよく言われる。
それから伯爵には何かと目をかけてくれた。予算は増えたし、これまでの人生で食べたこともなかったものを食べさせてもらえた。研究で忙しかったが同じ研究をしている先輩や賢者には「機嫌を損なうな」とニコニコと研究室を追い出された。
伯爵の紹介で入学してきた女の子の面倒を見るようになった。病気だった女の子だ。
「また喧嘩かい?」
「………あの子達の頭が悪くて付き合っていられないだけよ」
またクラスメイトと取っ組み合いの喧嘩をしたらしい。
年頃の女の子の悩みなんて全然わからないが……それでも伯爵から頼まれたのだから少し話を聞くぐらいは良いはずだ。
「まぁそんなこともあるさ」
「でしょ?」
「頭が良ければそれだけ妬まれるし……少し気持ちはわかるな」
「………ほんと?」
「あぁ」
自分は妬む側だが気持ちはわかる。
あまりに自分よりも優れた存在が相手だと、眩しくて、そうなりたいのにそうなれない自分が嫌で、自分への嫌な気持ちと同時に何も悪くない相手にまで嫌な気持ちがドロドロと胸の底に貯まるように感じる。
大人になればそれを噴出させても良いことなんてなにもないとわかるが、子供の時分であればどうしようもなく素直に出てしまうこともあるものだ。
気の強い彼女は友達も少なかったが僕と話しているうちに泣き顔ばかりではなく、花が咲くような笑顔を見せてくれるようになった。
他国からこの身一つで居着いた僕に、エンカテイナー伯爵は父親のように振る舞ってくれている……彼女の世話もいつしか苦ではなくなっていた。
そもそも彼女達が絡まれている理由も理不尽だ。
彼女の気が強い部分があるのは確かだがそれよりも教師が悪い。伯爵がこの学園で強い力を持つとは言え、彼女達の教育は出来ていなくても親に気を使って彼女の成績は非常に良い。成績が悪いはずなのに首席という立場になった彼女たちだが……「首席の立場」には「将来の箔が付く」のだから自制の効かない子供の社会では彼女は嫌われて当然とも言えよう。
年下の彼女の世話なんて研究の邪魔だと初めは思っていたのに。
一度女の子から絡まれている彼女を助けてから距離は縮まったように思う。
「ここの問題はこうすれば良いんですのね!」
「やはりラディアンさんは素晴らしい人です!!」
「これ、受け取ってくださいます?」
「美味しい?やった……」
いつしかこの子が、ギレーネのことが気になるようになった。
伯爵から結婚の話が出た。身分があまりにも違うと何度断っても伯爵は譲らず、最後はギレーネに一服盛られて結婚が決まってしまった。
伯爵は喜んでいたが伯爵家では問題だと色々あったが………とにかくギレーネと結婚し、ギレーネは親愛の証として名前に僕の元の家名、バリュデを入れてギレーネ・バリュデ・エンカテイナーとなり、僕はラディアーノ・エンカテイナーとなった。
滅んだとは言え敵国伯爵の「バリュデ」の名前は流石に良くないと思ったが彼女は譲らなかった。
幸せだった。ギレーネは美しく、所作が素晴らしいと夜会でも人気になって男も群がって……不安になるほどだった。
不安になる僕に笑いかける彼女は蠱惑的だったな。
ギレーネは学園には礼儀や作法を学ぶ機会がないから人材を失うのだと学園内でそれらを学ぶ講義を増やした。
改めて学んでみるとこんな作法もあるのかとそれまで漫然と習っていた礼儀がどれだけ出来ていないか理解した。
そのうち、力は足りないのに何の因果か学園の長として任じられてしまった。
流石にそれはまずいと思った。
もっと素晴らしい人材は多くいて、明らかにその席には別の人間が座るべきだった。自分の能力不足は自分が一番良くわかっていた。
しかし、この学園の維持のため、秩序のためと考えれば悪くない選択肢ではあるということもわかっていて……渋々ながら引き受けることとなった。
まぁやっかみも凄まじかったがそれでもお義父さんは喜んでくれているし、喜ぶギレーネは素敵だった。
十年も経って、なんとか賢者たちもいうことを聞くようになっては来たものの、やはり婿入りした自分は伯爵……いや、侯爵になったお義父さんのように道が譲られることは自分にはない。
それでも全てうまく行っている。子宝にも恵まれ、世界は日々よりよく進歩していった。
―――――しかし、幸せとは全てがうまく行っているように見えても一瞬で崩れ去る。そんな当たり前のことをすっかり忘れてしまっていた。
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