⑩名状しがたいもの

「これはなんだ? こんなは……」


 そこまで自分で口にして、泰彦はハッとした。まさに、名状しがたいものと呼ぶべき、旧支配者がある。

 目の前で蠢く空気の塊。その形状すら表す言葉のない存在。それはまさに……。


 ハスターだ。風の精霊と分類されることもあるが、その正体は一切が不明瞭であり、人間にとって善の存在でもあるように思え、最悪の敵意で返されることもある。旧支配者と呼ばれる存在の中でも、最も謎の多い存在であった。

 クトゥルーと敵対していたという報告もあり、なるほど、ハスターを召喚したというのは、クトゥルー復活を阻むものとしてこれほどの適任もない。


「いやいやいや、そんなやつ、相手にできるわけがない。おーい、みんな逃げるぞ」


 早々に戦意を喪失した泰彦が叫んだ。

 しかし、信介がかぶりを振る。


「加藤を置いていけない。俺は残る。お前たちは逃げていいぞ」


 信介はそう言いながら、倒れ込んでいる加藤に向けて駆けていった。

 そう言われてしまうと、泰彦もすぐに逃げることはできない。困った顔を実隆に向けた。


「そんな、俺は本当に捨て駒なのか。こんな時間の辺境で、旧支配者に蹂躙されるために……」


 青ざめた顔でブツブツ言っているのはイスの大いなる種族の意識だろう。

 こうなると、もはや、まともに思考を巡らせられるのは泰彦だけだ。そう泰彦は思ったのだろう。

 なにごとかを思い悩んだそぶりを見せると、信介と加藤に向けて叫んだ。


「こうなったら、こっちはクトゥルーを呼ぶしかない! 加藤、お前の力でクトゥルー呼ぶんだ。上手いこと、名状しがたいものと相殺させてくれ」


 その言葉は加藤に届いた。信介はすでに加藤に駆け寄り、肩を貸して、どうにか立たせている。

 泰彦の言葉に、加藤は怪訝な表情を浮かべていた。


「クトゥルー? 呼ぶとか言われてもなあ」


 まったく、ピンと来ていない。

 さらに、信介もまた難癖をぼやく。


「相殺って、テトリスやぷよぷよじゃないんだから。そんな都合よくいくか?」


 そこに、自らの意識を取り戻した実隆が口を挟む。


「いや、まったく不可能なことではない。加藤、決して安全なことじゃないが、やってみるか? もっとも、現時点で安全なんてどこにもないけどな」


 その目には確信めいたものが宿っていた。

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