⑥風に乗りて歩むもの

 奇妙な感覚があった。

 気がつくと、実隆は奇怪な生命の体内で意識を持っていた。その生物は毛が少なく、肌を剥き出しにしている。それを補うかのように青色の化学物質で作った布で全身を覆っていた。二本のあしで立ち、余ったもう二本の足は手持ち無沙汰げに宙ぶらりんにぶら下がる。直立した姿はいかにも不安定で、常に二本の脚がバランスを取っていないといけなかった。


「ああ、これは自分の肉体に戻っただけだ」


 喉が震え、音が鳴る。円錐生物だった名残か、実隆は思わず呟いた。

 周囲を見渡す。木々が並び、開けた山道があった。自分でも知らないうちに山に登っていたようだ。

 そして、目の前には、ぽっちゃりした体型の坊主の男がいる。見知った人物であった。泰彦である。


「お前が俺を連れ戻してくれたのか?」


 実隆は半信半疑のまま、疑問を口に出す。確かに、数千万年後の世界で泰彦の声を聞き、次の瞬間にはこの時間にいたのだ。間違いなく、泰彦が何かをやったのだとは思うが、それでも信じがたい気分でいた。

 それに対し、泰彦はニカッとした笑顔を見せて答える。


「ああ、そうだ。上手くいって良かったよ。あ、何をやったか説明した方がいいかな。まあ、大したことじゃないんだ。

 俺は霧のウェンディゴ、あるいはイタクァに攫われてさ、肉体を改造された。要するにイタクァの眷属されてしまった。このことは前に話したよな」


 実隆の疑問を感じたのか、泰彦は聞かれてもいないのに解説を始めた。

 しかし、これはちょうどいい。実隆は相槌を打って、そのまま聞く姿勢に入る。


「イタクァは風に乗りて歩むものと呼ばれる。これは実際に風に乗っているわけじゃない。人間には風と認識される空気の流れを生み、そこを歩いているんだ。そして、しばしば人を攫う。

 なぜ人を攫うかはわからない。イタクァは旧支配者と呼ばれる神の一柱だ。何かしらの意図があるのかもしれないが人間には理解できないことなのだろう」


 そこまで言うと、泰彦は一息を突く。そして、そのまま続きを語った。


「イタクァの生み出した風は次元をも超える。攫われた人々は平行世界に連れ去られることもあるし、時間を遡ったり、未来に進んだり、奇妙な体験をすることになるんだ。

 俺だってそうだ。地球周回軌道に何年も乗せられたかと思ったら、そのまま攫われた直後の地球に戻された。

 だったらさ、その眷属となった俺にも似たことはできるんじゃないかと思ったんだ」


 そう言うと、泰彦の周りの空気がざわめく。風を生み出す力は泰彦にもあるようだ。


「そうは言っても、俺にできるのは大したことじゃない。実際に、この風に乗るなんてこともできないしな。

 ただ、風を時間を超えて吹かせるとかさ、意識を攫ったりとか、そのくらいはできたんだ」


 事もなさげに泰彦は説明を締めくくった。


「いやいや、すごいことしてるよ。時間を超える? 意識を元の時間に戻したんじゃないか。メチャクチャすごいことでしょ」


 実隆は驚愕しつつも、絶賛する。その様子に、泰彦は驚いたような表情をし、次いで「エヘヘ」と得意げな笑みを漏らした。


「時間を超えるのはこの風の特徴なんだ。イタクァの眷属なら誰でもできるし、意識なんて質量もないから簡単に戻せるんだよ。でも、役に立てたなら良かった」


 まんざらでもなさそうに泰彦は返事をする。

 そんな中、実隆は一つの疑問を口に出した。


「でも、平行世界にも飛ばすってことは俺はこの世界の俺なのかな。泰彦も前の時に別の平行世界から来たのかも」


 すると、泰彦の顔色がゾッと青ざめる。


「おいおい、怖いこと言うなよ」


 怪異の真っただ中にあり、怪異そのものへと変貌した泰彦だが、自分が違う世界に迷い込んだと考えることは怖いようだった。

 そして、実隆が再び発言する。実隆自身にとっても意外なことに。


「そうか、旧支配者イタクァの眷属もいたのか。危険なのは魔人だけじゃなかったんだな。

 でも、そんなことを我々偉大なる種族が知らないはずがない。もっとも、俺自身は憶えていないんだけどな」


 それは実隆自身の意識が喋ったのではなかった。

 そして、気づく。自分の身体に戻った時に覚えた奇妙な感覚。その違和感は意識がもう一つあることにだったのだ。

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