第二章 怪僧泰彦

①快男児

 春先だ。登山をするのに最も気分のいい季節だろう。

 しかし、西園寺さいおんじ泰彦やすひこにとっては暑すぎるくらいだ。


 泰彦はすでに人間ではなかった。人外といってもいいし、改造人間だと自ら揶揄することもある。宇宙人になったと自嘲気味に笑ったことだってあった。

 その身体は宇宙に適合していた。正確にいえば、成層圏の向こう側、地球の引力と釣り合い、落ちもせず離れもしない、そんな場所に適合しているのである。

 寒さに強く、呼吸はそれほど必要なく、食事もしない。それは地上で暮らすにはあまりにも不便で、味気ない身体だった。好物だったカレーを食べることすらできない。それは悲しいことでもある。


 そんな不適合な地上世界で、泰彦は天童てんどう信介しんすけたちとともに歩いていた。

 高尾駅から八王子城山に向かっている。八咫上やたかみ実隆さねたかが遅刻したせいで、タイミングの合うバスがなかった。そのため、少し歩くが徒歩で城山に向かうことになったのだ。


「今日は暑いなあ。もう疲れちゃったよ」


 そんなことをぼやく。すると、キッと信介の目が泰彦を睨んだ。


「こんなんで音を上げるんじゃねぇ。まだ始まってもいないんだぞ」


 怒声が響いた。それを受けて、泰彦は首をすくめると、言葉を返す。


「いやいや、俺はあんたらとは違うんだよ。地上で歩くのは向かないんだ。これが北アルプスだったら、また違うんだよ」


「ぬかしやがる。アルプスを歩く技術もない癖によ」


 そんな言い訳に信介からすかさずツッコミが入った。

 しかし、そんな言い回しも泰彦は嫌だとは思わない。むしろ、居心地のいいものを感じていた。信介の言葉からは、彼の感情に嫌悪や侮蔑はなく、むしろ心配や優しが見え隠れするからだ。


 信介という男はどうも邪や魔を引き寄せる。話を聞くところ、以前にも事件に巻き込まれているし、泰彦がともに怪異と遭遇したこともあった。

 そして、今回出会った加藤という魔人。彼もまた信介に惹かれているのを感じていた。


 泰彦自身、信介が嫌いではない。気分のいい奴だと思う。

 けれど、それが人のことわりから外れたからこそなのか、元来持っている人間性ゆえのものなのか、今の泰彦にはすでに判断できなくなっていた。


「でも、僕は泰彦がいてくれて良かったと思ってますよ」


 そう言ったのは加藤だった。意外にも、人のいい部分があるのだろうか。


「だって、お陰でこの中で技術が一番低いのが自分じゃなくて済んでるんですからね。本当、助かります」


 ムカッ。

 前言撤回、本当に人の悪い男だ。しかし、この加藤こそが今回の山行の鍵を握っているのである。

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