②泰彦

泰彦やすひこか。そんなに待ってないぞ。だが、これからたっぷり待つことになるけどな」


 信介と名乗った大男は、泰彦と呼ばれるその奇妙な坊主に平然と言葉を返している。

 当然のことのように、泰彦も返事をした。


「ああ、聞いてるよ。実隆さねたかはまた遅刻だってな。困ったもんだ」


 泰彦は坊主だと聞いてはいたが、実際に頭を剃り上げている。柔和な表情をした小太りの男だが、目がキラキラとした輝きを宿しており、徳の高いものを感じざるを得ない。

 ただ、服装は坊主の恰好ではなく、黄色の登山ウェアに身を包んでいた。彼もまた今回の登山に参加するということだろう。


 登山というのは早朝から始めるものだ。山の天気は移ろいやすいというが、午後を過ぎたころから不安定になりやすい。

 また、山の夜は早い。電灯の存在しない闇は目先のものすら見ることはかなわない。登山者はヘッドランプなど、闇夜への備えはしているものだが、それでも危険が増すことは変わらないだろう。


 しかし、加藤が問題だと感じていることはそんなことではなかった。


「あのー、ちょっと聞いていいですか。その、初対面でこんなこと言うのも何ですけど、その人、人間なんですか?」


 それ言うと、信介はギョッとした表情で目を見開いた。しかし、泰彦は平然とした態度を崩さない。


「おい、それはどういう意味なんだ?」


 信介の口調が荒々しいものになっていた。

 その裏側から読み取れるのは、悲哀、後悔、懺悔。それに、それらとは少し違う感情が見て取れるように思う。

 どういうことだろう。と加藤は考えた。泰彦の正体とこの信介に何らかの関りがあるとでもいうのだろうか。だとすれば、信介は泰彦が何者なのか知っているはずだ。


「どうもこうもないんじゃないですか。この人、泰彦さん? どこからどう見ても人間じゃないでしょ。

 肌が人間のものとは違うし、呼吸も違う。聞こえる臓器の音もおかしいです。気づいてるんじゃないですか」


 加藤の目には、あるいは耳には、泰彦が人間とは思えなかった。もっと言えば、五感全て、いや、第六感めいた何かも告げてくる。泰彦は何か別種の生命であると。

 そんな加藤の物言いを受けて、泰彦は静かに笑った。自嘲的な笑みである。それに対し、大声を上げたのは信介だ。


「やめてくれ、やめてくれ! それ以上言うんじゃない」


 信介は加藤の声を遮るように叫ぶ。

「おい、駅の中だぞ」

 そう言って宥めたのは当の泰彦だ。そして、笑みを湛えたまま、淡々と言葉を重ねる。


「確かに俺は人間じゃないかもな。やっぱり気づく奴はいるもんだ。でも、それがわかる君も果たして人間なのかな、魔人加藤」


 その言葉は加藤にとって心外なものだった。

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