第2話 白くて赤い世界

 中学3年の7月。1学期の終業式が終わったその日。

 俺はずっと想いを寄せていた彩音に告白をする……つもりだった。


 駅近くの交差点。待ち合わせ場所の噴水までほど近い場所。

 照りつける午後の日差しを避けるように俺は駅ビルの日陰に移動し、スマホを眺めていた。



 ふと顔を上げると人混みが増したような気がした。(彩音はまだかな?)と辺りを見渡す。

 

 すると突然、人混みに紛れて上下黒のスウェットに黒い帽子を目深に被ったマスク姿の男がこっちに向かって小走りでやってくる。盛夏にその姿は違和感の塊。そこだけがあまりにも非日常。


 男の邪悪にうごめく眼を見た時、身体が金縛りにあったように動かなくなる。なぜこっちに向かって……



「ふごォァッ!!」


 声にならない唸りを上げて男は懐からナイフを手にした。コイツは異常者? 通り魔? それとも……

 

 その瞬間、景色がグレーアウトしたように色を失った。あ、これヤバいやつ……そうか、俺はこのままこの知らない男に刺されて……それで……



「ダメぇぇぇッ!」


 悲痛な叫びをあげて人影が横から飛び込んできた。この後ろ姿。ゆるふわポニーテールの女の子……そんな、それだけはダメだ……


 女の子は膝から崩れて前に倒れ込む。後ろから彼女の肩をしっかりと掴み、その細い肩越しに前を覗くと――



「あ、彩音ぇぇッ!!」


 俺の身代わりになった彩音の腹部にはナイフが突き立てられていて、波打つように鮮やかな血があふれていた。モノクロの景色の中でその赤はあまりにも残酷で美しい対比コントラストだった。



「しっかりしろ! 誰か救急車を! 畜生、どうしてこんな……」


 刺された箇所にかかる彩音の手を上から押さえるように当てる。生温かい感触が肌を通して伝わってくる。



「や、やったぜ……わ、わたしが……テツ……くんを……た、助けた……んだ。よくやった……ぞ……わたし」


「バカ! もうしゃべんな! もうすぐ救急車が来るから! 絶対に助けるから! 俺が死なせやしないから!」


「ず……っ…………き……だよ」


「え?」


「……」


「おい! どうした!? 彩音ッ! 彩音ぇぇッ!!!」


 腕の中で彩音は突然糸が切れた人形みたいにガクンと力を失って俺に体を預けた。ポニーテールを結んでいた白いリボンがほどけて地面に落ちる。俺は彩音を正面に向けると強く抱きしめて気が狂わんばかりに叫ぶ。


 声を上げていないと正気を保っていられないと思ったんだ。

 いや、たぶんあの時の俺は狂っていた。


 だって、本気で思ってしまったのだから。


(彩音のいない世界になんていたくない。なら俺も――)って。





 その場で叫び続けていると景色が急にグニャリと歪んだ。そして【バヒュン】と音が聞こえて目の前から全てが消滅。


 平衡へいこう感覚を失った俺は、気がつけば勢いそのままに転んで前に突っ伏すように倒れ込んていた。


 見上げたそこはシームレスな境目のない真っ白な世界。見渡す限りの全てが白で自分の影すら存在しない。世界から消えたのは俺のようだった。



「あぁ……こりゃマジで天国に来ちまったな」


 素直な感想を漏らす。


 どこまでも続く真っ白な世界をキョロキョロと見渡していると、突然目の前に瑠璃るり色のローブを羽織った、どこか怪しげな雰囲気を醸し出す、スラリとした背の高い美女が宙に浮いて現れた。


 えっと、ここはやっぱり天国? ってことはたぶん女神とか天使? でも、とんがり帽子と魔女っぽい杖を持ってるのがどうにも気になるんだけど。



「あのぉ、あなたはどちらさんで?」


 尋ねると、女はニッと笑う。



『我か? 我はラプラス。魔女さね』


 魔女だった。でも、じゃあここは一体?



「ラプラスさん? あの、ここってどこなんスか? やっぱり天国とか?」


『天国ときたか。いーや全然見当違い。ここは【異世界の入口】だ』


「は、はい? 異世界の入口? ってことは俺は死んだのか?」


 俺が言うと、ラプラスは突然『フハハハ!』と魔王みたいな笑い方をした後で続けた。



『いや、死んではいない。お前の魂だけがこの場に転送されて具現化しておる。それが今の状態だ』


「ちょっと言ってる意味が分かんないんだけど……」


 たぶん俺は困惑の表情を浮かべていたのだと思う。ラプラスはじっと真顔のまま口にする。



御影哲兵みかげてっぺい。花咲中3年1組。15歳。剣道部。段位は二段』


「はぁ~? なんでそんなこと知ってんスか?」


『我はお前の異世界案内人だ。それくらいは知っていないと務まらないだろう? まぁ、身分はバイトだがな』


「俺の担当バイトかよ! てか、なんだ異世界案内人って? じゃあこの世界はガチのマジで……」


『うむ、普通にいわゆる異世界だな』


「……」


 なんてこった。確かにこんな真っ白な世界はどう見たって普通じゃないし、何かの細工が施されているようにも見えない。でも……



「あのさ……、ここがアンタの言う【異世界】だとして、俺は一体何のためにここに連れて来られたんだ? 目的が分からないんじゃ一体どうすればいいのか」


『お前はさっきまで、想い人に自供するつもりだったな』


「何だよ自供って! 告白だろ!」


『ぬ? 意味は同じだろう?』


 なんかずれているんだよなこの人。まぁいい。いちいち拾っていたらキリがなさそうだ。


 

「……まぁ、確かにそのつもりだったけど、それが何か関係あるの?」


『大ありだ。このままでは未来永劫みらいえいごう、告白などできぬからの』


「へ?」


『お前の想い人は通り魔に刺されて先刻せんこく亡くなった。その目で見ていただろう?』


「……じゃあ、あれは現実だったってのか?」


『うむ、ではな』


「そんな……もう全然意味がわかんねぇよ」


 俺は膝から崩れ落ちた。もう身体に力が入らない。視界が急にぼやけてきて、握りしめた拳にポタポタと涙が落ちていく。



『泣くな小僧。お前のような身もふたもない者を救済するために我々は存在するのだからな』


「うっうっ……どういうことだよ?」


『うむ。残念なことに、世の中には神も想定していない死を遂げてしまう者が大勢いてな。だから本来死ぬべきではなかった者たちは元の世界へ戻してやっているのだ。事故や事件が起こる【少し前】の世界にな』


「なん……だと? それじゃあ……?」


 俺は涙を手で拭いラプラスを見上げた。



『あぁ、少し前に戻れさえすればきっと救うことができるだろう』


「マジすか!? じゃあ今すぐ戻してくれよ! ちょっとでも前に戻れるなら俺が絶対に救い出すから」


 拳を握り締めながら興奮気味に言うと、ラプラスは両手を天に向けてやれやれという表情を浮かべた。



『ハァ……話は最後まで聞け。誰も無条件で戻してやるなんて言っておらんぞ』


「え? 条件あんの?」


『あるわ。お前、異世界を何だと思っておる?』


「そういうテンプレはいいから。なぁ頼むよ」


 俺はガッチリと胸の前で両手を組み、片膝を立ててラプラスに懇願した。



『ルールだ。それは無理』


 無情な宣告。ラプラスの顔は全然笑っていない。



「どうしてもダメ?」


『ダーメ』


「……じゃあ、条件さえクリアすれば戻してくれるんだな?」


『あぁ約束しよう。で、やるのか?』


「まず先に条件を教えてくれよ」


『よし決まりだ! では、パートナー選択の間へと移動する』


「ちょ……条件教え――」


 言葉をさえぎるように【バヒュン】と音が聞こえて、俺は別の部屋へと転送させられた。

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