落下
彩飛は落ちていた。
これは剣道の試合で負けて落ち込んでいるだとか試験で落第したという意味ではなく、文字通り物理的な落下をしているということだ。
「──これはッ!どうしたものかな!」
身体に感じる風の流れから、これが間違いなく現実であると理解する彼女は、つまるところ人生で一番の命の危機に直面しているのだ。
正確な高さなど分かるはずもないが、このままでは恐らく一、二分で地面に見るも無残な肉塊が出来上がってしまうこと必至である。
「しかしこれが異世界かァ。まさか本当に存在するとはね。山もあるし街もあるじゃないか。いきなり空に投げ出されたのは最悪だけど、異世界を一望出来たという点では悪くない最後かもなァ……いや、四人と挨拶もなしにお別れってわけにはいかないか。とはいえできることもないし……困ったもんだ」
頭を悩ませるも落下の勢いは留まることはなく、彩飛のスピードは遂に終端速度へと達していた。
「仕方無い……こうなったら最後は皆が空に投げ出されていないことを願って終わるか」
「──浮け!」
目をギュッと瞑り覚悟を決めた彩飛だったが、彼女の身体は地面まであと数十メートルといったところで強い浮力を持ち空中に留まったのである。
「これは……助かったのか?」
彼女が自身に起きた奇妙な現象にポカンとしていると、背後から声をかけられる。
「アナタいったい何を考えてるのよ!魔力が無くなるまで飛び続けるなんて、子供でもしないわよ!アタシが偶然通りかかったから良かったものの!」
彩飛が振り返ると、そこには紛れもなく魔法使いと呼ぶにふさわしい少女が
黒のとんがり帽子に黒のローブを身に着けた彼女の姿は誰の目から見ても魔法使いである。
「ちょっと!黙ってないでお礼くらい言ったらどうなのよ!」
「え……あ、ああ。すまない。少し驚いてしまってね。いくら異世界とはいえまさか魔法使いに命を救われるとは……。おかげさまで助かったよ。ありがとうございます。できればこのまま地面まで降ろしてくれるともっと助かるんだけど頼んでも──」
「ふん!当然でしょ?魔力の無い人間を空から落とす趣味なんてアタシ持ってないもの。」
そっぽを向いていた少女だったが、両手で頬を叩き落ち着きを取り戻そうとしながらも礼を述べる彩飛の様子をチラチラと確認すると、彩飛の話を遮ってゆっくりと降下を始めた。
「ところでアナタ、見ない顔だけどどこの街から来たのよ」
少女は、彩飛の両足が地面にしっかりと着いたのを確認すると、ずっと気になっていたのか食い気味に質問をする。
「……そうだなァ。言っても信じてもらえないと思うけど、実は別の世界から来たんだ」
「……それって大陸の外から来たってこと?」
「うぅん。この世界の地理については知らないけど多分それは違うかなァ。私の他にも四人……ってそうだ!他に!私の他に空から落ちてきた人はいなかったかい!」
おそらくこの酔狂な真実を話しても無駄だと感じながらも質問に答える彩飛であったが、四人のことを思い出した矢先、逆に質問をする側になってしまう。
「な、なによ急に。そんなポンポン人が降ってくるわけないでしょ……。それに、誰だって普通は魔力が無くなる前に飛ぶのをやめるわよ」
「いやァ……私は別に自分であんなところまで飛んだわけではないんどけど……そもそも飛べないし」
「……アナタさっきから何言ってるの?もしかして頭でも打った?」
「……どうしたものかなァ」
もはや何から説明すればよいのかさっぱりわからなくなった彩飛は天を仰ぎ、見えるわけもないが事態の元凶である神を睨みつけた。
そんな僅かな沈黙のあと、少女は流れるように彩飛の手助けをしようと決意し、話を始めた。しかしてその裏にはとりわけて大きな理由などはなく、ただひたすらに少女が生来の善人であるというだけだったのだ。
「……アナタ行くあてはあるの?ないならとりあえずアタシの住む街まで案内してあげるわ。相当訳ありみたいだしね」
「それは助かる!夏樹達を探すためにも情報が必要だ……。今の私はこの世界では生まれたての赤子同然だからなァ」
「それなら付いてきなさい。歩くと時間がかかるからさっさと出発するわよ!」
彼女は掛け声とともに大きな歩幅で歩き始め、彩飛もそれにぴったりと張り付いて進みだした。
「……ところでアナタ年齢は?」
「え?一応もうすぐ十五の予定だったけど……」
「そう……。別に口調とか気にしないけど、アタシは今年で二十歳だからそれを忘れないように……」
その時、彩飛はいくつもの仮説を立てていた。
もしやこの世界では年齢の数え方が元の世界とは違うのか、はたまた目の前を歩く少女……いや女性の見た目が若すぎるのか、あるいは若返りの魔法があるのかもしれない。
「アナタ今、失礼なこと考えてない?」
「えェ!いやァそんなことない……です」
自分よりも頭一つ分ほど小さな少女を泳ぐ目で見ながら、彩飛はぎくしゃくとするのであった。
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