16話
そして、オレと高城先輩はというと――。
「問題がひとつ片付いたからすぐに切り替えたほうがいいのかもしれないんだけど、それだと私、また楽な方に楽な方にって流れる気がするの。だからごめんなさい。今すぐには、タケルくんの気持ちに応えることができない」
それでもよければ、まずは先輩後輩の垣根を超え過ぎない程度に仲良くしてほしいな――翌朝、高城先輩はわざわざ1Cの教室までやってきて、オレを教室外に呼び出しそう言った。
残念な気持ちは当然ある。だってオレの気持ちは微塵も変わらないまま、高城先輩にべた惚れ継続中なのだから。高城先輩自身もそれは充分にわかっている。好きだ好きだと惜しげもなく伝えて間もないし、だからこそのその返事だったろうから。
だが「あのイエスマンの高城先輩がここまで自分の気持ちを提示できるだなんて」と、そちらのほうで嬉しくなってしまって、オレは思わず満面の笑みで「大丈夫っス!」だなんて了承してしまった。
「大事なことですから焦らねぇでいいです。高城先輩がもし今後オレのこと好きになってくれたら、そんときに改めて返事くれればそれだけで満足ですよ」
「うん、ありがとう。ごめんなさい」
「謝るのナシっス。悪いことじゃねーんですから」
「ふふ、はい」
控えめにクスクスと笑む高城先輩は美人だ。綺麗で清楚。所作も上品でシンプルだ。真っ白が似合うひとなんだなぁとつくづく思う。
「あとね、わ、私のこと……」
「はい?」
「私のこと、二人きりじゃないときも、名字で呼ばなくていいよ」
きゅんと目を瞑り、胸元で手を握り、高城先輩は耳まで真っ赤にして思い切りよくそう言った。オレのほうが目を丸くして「そう、なんスか?」だなんて首を傾いだくらい。
「うん、いいの。もう、私がしたいと思うことから始めるって決めたの」
恐らくそれは、菅平に縛りつけられていたことだったのだろう。おおかた「俺以外の男に名前呼びさせるな」とかなんとか言われていたのだ。ヤツがいなくなった今、もうそれを制限されるいわれもない。
「自分の気持ち、まだうっすらしかわからないけど、うっすらでもわかったことから始めてみようかなって」
「ですね。先輩スゲェですよ、自分でぐいぐい進んでるじゃねぇですか」
「そう、かな? ふふ、そうだといいな」
ということで、これでオレは遠慮なくいつでもどこでも『鈴先輩』と呼ぶことができるようになった。フフン、なんだかこれだけで周りからひとつ抜きん出ている気がする。優越感に似た高揚感で校内中をスキップできてしまいそうだ。
加えて。
その日の夜からメッセージアプリでのやり取りを再開させたことで、それまでの間柄に戻ることもできた。互いに体調を気にかけ、何でもない会話から互いを知る。高城先輩がフラッシュバックを起こしていないかの確認を行っていることは、高城先輩本人には内緒だ。
放課後だって、実はあれからほぼ毎日一緒に帰っている。告白の返事を貰っていなくとも、これはほぼ付き合っているのと変わらないのではないだろうか? 殴られたかいがあったと言うと語弊があるが、正直なところそんな心地だ。
「鈴先輩ーっ!」
「あ、タケルくん」
あの騒動から三週間。季節は衣替えを済ませた頃になった。
部活終わりの生徒玄関へ駆けていくと、壁を背に立っていた高城先輩へ大きく手を振った。走ってやってきたオレを見るなりニコと笑む彼女を見つければ、容赦なく顔面がヘニャヘニャになるのはお決まりだ。
「お疲れさまです!」
「はい、お疲れさまです」
「待ちました?」
「少しだけ。でもその間に単語覚え直してたから平気」
「勤勉スねぇー、隙間時間も勉学に励む! うんっ、そんな鈴先輩も好きデス!」
「好……や、安売りは禁止です!」
もうそろそろ踏み出す頃だろうかと実はウズウズしていたので、生徒玄関の扉を開けて高城先輩を先に出したあとでオレは意を決して声をかける。
「先輩。週末、忙しいスか?」
「今週末? 土曜のお昼すぎなら大丈夫だけど、でもバド部って午後連じゃなかった?」
「いや、今週末は午前っス。さっき体育館の振り分け表見てきたんで」
「そっか。えと、何かあった?」
「よ、よかったら、昼からどっか行きません? 放課後デートっ」
「え?」
「昼も一緒にどっかで食べて、そっからどっか出かける感じっス! あんま遅くなったらアレなんで、夕方には解散にするっスけど」
意気揚々と提案してみたものの、高城先輩はきゅんと肩を縮めて一向にこっちを向かない。「鈴先輩?」と顔を覗くと、高城先輩はピタリと立ち止まってしまった。
「デ、デデ、デー、ト、デートッデ」
予想外の反応。顔面を真っ赤にして、まるで頭の中がグルングルンしているみたいだ。
「……もしかして、テンパってます?」
「そそんそんなことっ、ないです!」
「ええ? マジスかァ?」
「せ、先輩をばかにしないでくださいっ。び、ちょっとびっくり、しただけだから。別にデデデートに対してびっくりしたわけじゃないんだから。先輩歳上なんですからねっ、デデデートなんかデート、デートなんか、慣れたもんなんだからっ」
ウソだな。ついニタリとしてしまうオレ。
「そーなんスか、じゃあ手ほどきお願いしまっす!」
「せ、先輩に、任せなさいっ」
口をへの字に必死な様子の高城先輩。いじめすぎても悪いから、このあたりでからかうのは勘弁してあげよう。噴き出しそうになるのをひっそり殺し、「はーい」と返事をしてから歩みを進める。
「っえ」
一歩踏み出したところで、不意に左手を掴まれた。振り返り見れば相変わらず真っ赤な顔で俯く高城先輩。
「よゆ、余裕そうだよね、いつも。タケルくんって」
掴んでいるのは彼女の細長い五指。ヒヤリとした温度としっとりとした感触。強すぎず弱すぎないホールド感。
「なんか、毎度私ばっかり負かされてるみたいで悔しいので、た、タケルくんがびっくりしたり、慌てるところ、先輩にも見せてみなさいっ」
言いながらソロリソロリと持ち上がる彼女の目線、鼻先、顎。現状が飲み込めないまま硬直しているオレと視線がかち合ったとき、数秒おいてから高城先輩が表情をくしゃんと不安そうに崩した。
「や、ヤだった、か。ごめんなさ――」
「んなわけ!」
離されそうになったのと彼女を不安がらせてしまったことに気が付き、オレは慌てた。逃すまいと、掴まれている左手で握り返し、空いている右手で上から蓋をした。触れていることを認識した途端、オレの胸の奥はギュウと渦を巻いて全身が歓喜に沸き立つように昂りだす。
「すんません、状況飲み込むまでに時間かかっただけっス」
「ヤじゃないってこと? 私が手、勝手に繋いだりしても」
「愚問すぎっスよ! むしろこんだけ距離縮めてもらえてびっくりしすぎて思考停止してたんスから」
「じゃ、私の作戦勝ち?」
「です。なんなら毎日鈴先輩の勝ちです」
「そうなの? だってタケルくんいつもニコニコしてて、私みたいに慌てたりしなくて、何考えてるのかわからないし……」
「単純なことしか考えてねーっスって! 鈴先輩好き、鈴先輩かわいい、鈴先輩美人、あとは……」
「わっ、わかった、わかったからっ。うう、タケルくんすごいね……余裕でそういうこと言えちゃうの」
「何言ってンスか、オレが余裕なわけねーっしょ」
再度かち合う視線。高城先輩のことは見つめていたいけれど、今のオレのだらしなくて情けない顔は見られたくない。それでも彼女だけを見つめ続ける。
「先輩のこと好きすぎて、ちゃんと思い遣れてる自信ねーくらいなんスよ。だからいっつも、後になってから顔真っ赤にして反省の毎日なんス。先輩はとっくにわかってっかもですけど、オレ、思い立ったら即行動だし、駆け引きとかできるような技量もずる賢さもねーし……ほら、鈴先輩に直接会いたくて慈み野来たくらいだし」
「……うん」
「変わらないでとか、そのままの先輩がとか思ってないけど、その日その日の最新の鈴先輩が一番好きです」
「うう……」
「鈴先輩を目の前にしたら好きしか言えねーくらい、オレ、あなたのことでずっと頭パンパンなんスわ」
だから逆にストレートにそれだけを言うことしかできないという。それを余裕ととらえられてしまうなんて思いもしなかったが、こういう勘違いも面白みがあるかもしれない。
「いつも好きって言ってくれて、ありがとう」
「これくらいしか伝える方法ねーですから」
「こんなに私を想ってくれて、申し訳ない気持ちとありがたい気持ちでぐちゃぐちゃです……」
「じゃあ申し訳ない気持ちは無くしてく方向で頑張ってください」
「はい、精進します」
深呼吸をひとつ。蓋をした右手を離し、繋いだままの彼女の右手をそっと引く。
俯きがちに笑みをつくった高城先輩を盗み見て、今すぐに抱き締めたくなる衝動を胸に抱える。
「帰りましょ、先輩」
「うん」
高く青い空、風になびく緑の芝生。そんな中に咲く高城鈴蘭のきらびやかかつ優しい笑顔に、オレ――瀬尾丈は胸を打ち抜かれた。
無茶をしたり、道を間違えたり、困難に打ちのめされたとしても、抗い、屈しない実直な姿勢は、ときにひとと自身を勇気づける。
「土曜日、楽しみね」
「マ、マジすか! やった! オレもオレもっ。どこ行くか考えといてくださいね、先輩に合わせますから!」
「ふふっ。じゃあタケルくんも、心の準備しておいてください」
「え、何の?」
「えー? 言わないよ」
「うわ、匂わせっスか。はー、テクニックですねぇ、気になるじゃん」
「気にさせてるんだよーだ」
「じゃあ当てますわ。んー……あ、アレっしょ、弁当作ってくれるとか!」
「ブー、違いまーす。ふふ、思いつかなかった。タケルくん手作り弁当待ってるんだ、かわいいね」
「む。高校生男子にかわいいはダメっス」
「はーい、ごめんなさい」
「弁当が違うなら、じゃあ……え、マジ何? 手紙とか?」
「ふふっ、それもハズレ! ちょっと近いかもだけどハズレ」
「手紙が近いってことは、もしかして告白の返事?!」
「おーしーまーいっ、もう言いません! あとは土曜日のお楽しみにしてくださいっ」
「わー、絶対そうっしょ! ねー鈴先輩、もう言っちゃったのと同じじゃん、教えて教えてっ」
「もう、卑怯だよ! そう言われたら、私またすぐ教えたくなっちゃうじゃないっ」
そんな彼女と手を取り並び歩く。
今と、そしてこれからへ。
おわり
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