【1-16】 空咳と暗湿

【第1章 登場人物】

https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533/episodes/16817330660761303801

【世界地図】 航跡の舞台 ブレギア国編

https://kakuyomu.jp/users/FuminoriAkiyama/news/16817330667919950277

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 旧ヴァナヘイム領侵攻のため、アリアク城塞は多くのブレギア将兵で満ちている。ウテカ=ホーンスキン率いる中軍の到着によって、その賑わいは最高潮に達した。


 ウテカ以下御親類衆は、当然のごとく貴賓室に向かう。城塞司令官・ダグダ=ドネガルが彼らを迎え入れる。


「しばし、世話になる」


「田舎城ゆえ、至らぬ点が多々あろうかと思われますが、滞在中はごゆるりとお過ごしください」


 ウテカは、カビ臭いこの中年将軍が苦手であった。首都に居るあいだは、その湿気しけた面を拝まなくて良かったが、ここに逗留中は何かと顔を合わせねばならない。御親族衆筆頭はそれが憂鬱だった。


 だが、アリアク城塞はこの遠征の拠点となる。せいぜい気の利いた言葉をひねり出してやるとしよう。

「将軍には、いつも兵馬の世話まで迷惑をかけるな」


「兵たちの宿には、屋根や水場のある場所を極力提供するようにいたします」


「そいつは、かたじけない」

 言葉とは裏腹に、ウテカは中年司令官には目もくれず、懐中時計を開く。

「もう、こんな時間か。すまぬが、これから身内で軍議でな」


「かしこまりました。御逗留中いたらぬ点がございましたら、いつでも、お、お申し出く、くだ……」

 言葉の途中からはじまったドネガルの咳は次第に強まり、ウテカは最後まで聞き取れなかった。


「風邪か」


「……も、申し訳ございません。先日から少し喉を痛めておりまして」


「無理をするな。もう退がってよい」


「お見苦しい姿をさらしてしまい、恐縮です……」

 お言葉に甘えさせていただきます――ドネガルは貴賓室を辞した。部屋を退く際のくたびれた背中は、太陽のようであった先代国主の同族とは思えない。



 ヴァナヘイム国や帝国との紛争は、この西の境界で連綿れんめんと続いてきた。それは、アリアク城塞をめぐる攻防にとどまらず、複雑な情勢渦巻く国境付近の統治にまで及んだ。


 兵馬から内政までの駆け引きにおいて、ドネガルの手腕・功績には舌を巻く思いであった。しかし、ウテカにとって、このように陰気な男との会話など、一刻も早く切り上げるに限る。


「兵卒など、風雨にさらしておいても死にやせん」


 ジャルグチ一族の長の言葉に、配下の親類衆も次々と応じる。


「まったくです」

「城外に露営させておけば十分でしょう」

「相変わらず余計なことに労力をかける男だ」

 ブランやスコローン等、一族の者たちは、閉じられた扉に向けて次々と吐き捨てた。


「そんなことよりも……」

 ウテカの視界に粗末なベッドが映る。


 貴賓室とは名ばかりであるかのような質素なしつらえでは、今宵間違いなく情婦の不興を買うだろう。


 彼は舌打ちすると、補佐官を呼びつけ、室内の貧相な調度品を片付けるよう命じた。



 先王在世のブレギア軍では、宰相・ラヴァーダが軍議進行をつかさどり、軍事行動の采配を執ってきた。


 年齢と性別に不相応な美しさを持つ男――ラヴァーダが立てた作戦どおりに推移していく戦況は、将兵たちへ常に畏敬いけいの念と高揚感をもたらしてきた。


 いつの頃か、その明るくからっとした雰囲気は、戦の始まる前から、各陣営を吹き抜けるようになっていった。



 城塞司令官・ドネガルは、上層階をつなぐ渡り廊下へ抜けて、咳を鎮めるべく呼吸を整えていた。


 眼下にはアリアク城塞の中央広場が広がっている。広場を埋め尽くすように、ブレギア兵の移動式簡易住居が作られていた。


 しかし、この国きっての名宰相は、遥か1,200キロ東方に出兵しており、この城塞にはいない。各陣営に滞留する空気は、いつになく暗く湿ったものだった。


 無数のかがり火の合間からは、今回の出兵に対する自嘲の声や旧ヴァナヘイム国への怨嗟えんさの声がにじみ出ている。


「要は、瀕死の家主の邸宅に押し入り、金品をかっぱらってしまおうっていうのさ」

「やれやれ、栄光の騎翔隊が強盗か」

「うち娘を連れ去ったヴァナヘイムの奴等こそ盗人だろう」

「俺は5年前、兄貴を殺されたんだ」

「俺も10年前、家を焼かれ……弟が死んだ」



 ドネガルは、城壁の上から溜息をつく。だが、つづいた咳とともに白息は夜空へと消えていった。




 翌日も、ウテカ=ホーンスキンによって諸将が招集され、アリアク城塞広間では軍議が開かれた。


 そこでは、帝国軍の情勢確認から始まり、アリアク城塞を出立する日時、前線での陣容などが話し合われた。


 しかし、実戦経験の少ない前国主ジュニア・レオンやその補佐官たちに、発言の機会は与えられなかった。





【作者からのお願い】

この先も「航跡」は続いていきます。


城塞司令官の悲哀を感じ取っていただけた方、🔖や⭐️評価をお願いいたします

👉👉👉https://kakuyomu.jp/works/16817330657005975533


ドネガルたちが乗った船の推進力となりますので、何卒、よろしくお願い申し上げます🚢



【予 告】

次回、「初勝利」お楽しみに。


銃騎兵の圧倒的な推進力と正確な射撃とを前に、旧ヴァナヘイム国側は次第に崩れ、遂にはなすすべもなく馬蹄によって蹴散らされた。


ウテカ=ホーンスキンをはじめとする御親類衆は沸いた。どのような事情であれ、対帝国戦における勝利は勝利である。しかも小賢しいラヴァーダ宰相不在ながらの圧勝であった。

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