華厳原と幽霊
1
文化祭二日目。
昨日の出来事について色々と考えたけれど、結果的に、ぼくに残ったものと言えば後悔であった。
やってしまった、という後悔と土壇場とはいえキスをしてしまった高揚感を天秤に掛けたところ、ギリギリで後悔が勝ってしまったので少し反省したところはある。
というのも、実はキスをするということと、幽霊を寄り付かなくすることが関係あるかといえば……実はよく分かっていないのだ。
ぼくの経験知的には、その人の精神状態によって目を付けられやすくなるかどうかが変わるだろうという説が濃厚で、また、科学的には、幽霊が見えるのも一種の幻覚や幻聴の一つだと考えられているので、どっちのアプローチから考えたとしても気持ちが大事だということである。
つまり、だ。
ぼくにキスされたら当然嬉しいだろうし興奮しちゃうだろうから、精神状態が良くなるに決まってるだろ! だから、幽霊への免疫力が高まるだろ! ……ってことである。
興奮状態は下手な恐怖心すら軽く上回るもの。
極端な例を言うと、『幽霊などを信じて恐れていて、かつ、全裸で外を徘徊するのに興奮を覚える人』がいたとして、その人に深夜の心霊スポットを全裸にさせて歩かせても、「幽霊への恐怖心」よりも「人に見つかったら終わりの背徳感的快感」の方が強いので、何ともなしに歩いて行けちゃうというものである。
それと、実はぼく除霊はできない。
けれど、対象の人間が
これが、言い訳と建前をごった煮にして作った現実逃避である、ということは目を瞑るとして。
これでもう、過去のことについての反省と言い訳は終わりでいい。
こうやってすっぱりきっぱりと、過去へ別れを告げて、今見るべき現実へと切り替えることこそが、禍根を残して未練を抱える霊に成り下がらない為の第一歩である。
さて。
宣言通り綺麗に切り替えられないのが人間である、ということを噛みしめながら過ごした文化祭二日目だったのだが、昨日のような特殊で稀な出来事は特になく、まるで拍子抜けした感覚のまますんなりと終わりを迎えたのだった。
ステージ出番が終わり、出店や屋台が売り切れを叩き、後は閉会式まで暇になったちょっとした時間に、各々ゆっくりと過ごしながら今日と昨日の文化祭を振り返ったことだろう。
そして、ややあって閉会式が始まり、文化祭に終わりを告げた後、ぼくたちは解散となり各々の場所で、明日には平常の姿の学校になるように戻さなければならないのだ。
――キーンコーンカーンコーン。
十七時のチャイムが鳴った。
ぼくはといえば、クラスでの片付けと演劇部での片付けを終えて、神木くんや木部くん達の片付けの様子を覗いたり、学校内を歩いて段々と装飾が無くなっていき、また無機質な姿へと変わりゆく様子を見ながら時間を潰していた。
そんな折のことであった。
ぼくがたまたま図書室の前を通り過ぎようとした時、ふと足を止めて立ち止まった。
それがなぜかというのも、そういえば昨日の朝、先生が「図書室や使っていない特別教室は鍵をかけて使えないようになっている」というようなことを言っていたのを思い出したからである。
つまり、使用禁止の教室であるにも関わらず、誰かがこの教室の中にいるということ。
他に考えられるとするなら、先生が何か作業をしているか、そのことを知らないで入っちゃった生徒がいるかだけど、生徒の場合、わざわざ職員室まで行って鍵を受け取らなければならないから可能性は低い。
となると先生が何かの作業をしているのか。
ただ、それにしてはあまりにも人の気配がなさすぎないか。
正直、昨日の生徒会室前で神木くんが「人がいる気配を感じない」と言っていたけれど、ぼくの霊感的に微かな人の気配は感じていた。
だから、神木くんに霊感や気配を察知する力が薄めだということが分かった。
また一つ神木くんの新たな一面が知れたということ自体は嬉しいが、そのせいで昨日みたいになった可能性も考えると一概に喜んでもいられない。
なんて、そんなことを考えながら、結局真相というのは、この目で見てみないと分からないものだ、というありきたりな結論に落ち着いて、ぼくは図書室の扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。
がらがらがら……。
鍵は閉まっていなかった。
中に入って、ちょうど目に飛び込んできた文章が『百聞は一見に如かず』だったことに、謎の伏線回収感を覚えて嬉しくなる。
頭一個分だけ扉を開けて、そこからゆっくりと頭を入れて、左右に首を振り全体を見渡す。
ぱっと見は誰もいなそう。
……もしかしたら誰かが入ってそのまま電気を消し忘れたのかもしれない。
せっかくだし消してあげようかと思って、完全に油断して教室へと入った。
「あれ?」
ぼくの目に飛び込んできたのは、ぱっと見一人も人がいないがらがらの図書室で、三角座りをしながら読書にふけっている眼鏡で三つ編みの女子生徒だった。
しかもそれは、椅子の上ではなく、教室の角っこであった。
「華厳原君……待ってたよ」
三神さんは、視線を本から切ってこっちに向けた。
その顔色は相も変わらず白だった。
不気味なほどに真っ白で、血が通っていない気がするぐらい。
「待ってたの?」
「うん。待ってた」
「……」
理由は何なのか、どうしてここに来ると思ったのか、色々と疑問が残るけどここはあえて聞かないことにする。なんか怖いから。
「……そういえば、華厳原君ってわたしと会うと、毎回ジッと顔を見てくるけどなんでなの?」
「いやー……、それはー……」
三神さんの肌が綺麗で美しいからとは言えない。
「多分……癖かな?」
「そう……ならいいけど」
この発言はあながち間違えでもなかった。
何故なら、このファーストインプレッションを間違えるということは、人か幽霊かの二択を間違えることと同意だからである。
これは霊感の度合いによってもかなり左右するのだが、ぼくの場合は油断しているとたまに間違えるぐらいには霊感が強い。
だからこそ、間違えてはいけない。
先にも言ったが、ぼくには除霊ができない。
だから、護霊術で多少の時間稼ぎはできるかもしれないが、結局、幽霊に粘着されるとかなり面倒だから、まず間違っても幽霊に話しかけないのが大事なんだけど……。
「ねぇ三神さん?」
「なに? 華厳原君」
「三神さんは幽霊とかって信じる?」
三神さんは読書の手を止めて考える。
「うーん……見える人がいるっていうのは聞くけれど、でもわたしはあんまり信じてないかも」
「そうなんだー、なんかイメージ通りって感じ」
「イメージ通り……」
彼女は一瞬、不満そうな表情になったが、すぐにどうでもよくなったのか、また本の世界へと戻って行ってしまった。
そんな彼女。
実は、只者ではない。
しかし、このぼくの審美眼を持ってしても、それに気づくのに暫くの時間を要してしまったぐらいには秘匿されている。
彼女は幽霊なのだ。
まず前提として、人間と幽霊が共に行動すること自体あまり良くないこととされている。
それは、幽霊の足を引っ張ることでもあるし、また人間の足を引っ張ることにもなるからである。
幽霊にしてみれば、いつまでも成仏できずに悶々とした葛藤を抱え続けて残ることになるし、人間にしてみても体調不良になったり、最悪の場合は、そっち側に無理矢理連れていかれちゃう場合だってある。
要は良いことが一つもないのだ。
だから、本来は関わるべきではないのだが、ぼくは三神恋と関わっている。
これはぼくのミスであり、今抱えている悩みの一つだ。
というのも、彼女は少し特殊なタイプで、何故か霊力を感じさせにくい体質らしい。
初見で彼女を幽霊と見抜けなかったぼくは、無事にファーストステップを踏み間違えたのだ。
これを無事とは言わないか。
しかし不幸中の幸い、彼女は自分が死んで幽霊になっているという自覚がないらしかった。
この学校の女子生徒として死んだという事実は間違いないが、それは彼女の意識外からの何かだったのだろう。
だから、彼女にいたずらな悪意や強固な怨念など持っておらず、まるでまだ生きているかのような振る舞いでこの学校を徘徊しているのだ。
だけど、最初に彼女と関わってしまってから、徐々に彼女と遭遇することが頻繁に増えてきている。
今の現状、それがどういう意図なのか測りかねているし、もしかしたら無自覚にぼくに憑りついているんじゃないかと思うこともあるが、先述した通り、それにしては執着心や悪意を感じなさすぎる。
幽霊にしては自由すぎるのだ。
「……椅子に座って読まないの?」
「この体勢でここに座るのが一番落ち着くからいいの」
「そうなんだ……」
ぼくは三神さんから一番近い椅子に腰かけた。
三神さんは一瞬またこっちを見て、またすぐに本へと視線を移す。
「華厳原君は結局、例の男の子とお化け屋敷に行けたの?」
「突然だね」
「別にいいでしょ? 気になったから素直に聞いてるだけ」
「まぁいいけど。行ったよ」
「それで……どうだったの? イチャイチャしちゃった感じ?」
「うーん、イチャイチャって感じじゃなかったけど……でもお互いにくっついてはいたかも」
護霊が半分、私利私欲が半分だ。
「へー! やるね……」
「三神さんは昨日今日と何して過ごしたの?」
「わたし? わたしはねー……特に何もしなかったかな。いつも通り本を読んでたら一日が過ぎてたよ」
「そっか」
「でも、息抜きに廊下とかをうろうろしたら、周りの生徒の表情がみんなキラキラしてて、いいなーってなったよ。後ちょっと悲しくなったかも」
「悲しい?」
「うん。なんか疎外感というか、目の前にあるはずなのに、とっても遠くにあるような気がしてくるっていうか」
「なんか、分かるかも」
「噓」
「……どうしてそう思うの」
「だって……」
「わたしから見たら、華厳原君も周りと同じぐらいキラキラした顔してるもん」
「……」
その言葉に対しての回答は今すぐには見つからなかった。もしかしたら、その回答は今手元にはない気がする。
少し――彼女が幽霊だということを忘れていた。
「……わたしもお化け屋敷で驚かしたかったなー」
「え」
「だって、驚かしたら色んな可愛い女の子のびくびくしてるところ見れるんでしょ? もしかしたら、あのいつもは無表情でミステリアスなあの子の怯えてる意外な姿とかさ……うわ、自分で言ってて興奮してきたかも」
真顔で全く顔を動かさずに、さも普通のことみたいにそんなことを言い放った。
幽霊と興奮は対極のところにあるのでは? と言いたくなる。
つくづくこの子は幽霊っぽくない。
「残念だけど、暗すぎて驚いてるとかよく分かんないと思うよ」
「あ、そっか。……なんだ。あー損した気分」
それと、本物の幽霊がいるお化け屋敷なんて、みんな死んでも行きたくないと思うけどね。
ふと、窓の外を見ると、さっきまで真っ赤に燃えていた空が、段々と力を失っていくかのように薄くなって、白に近づいていく優しいグラデーションに染まっていた。
ぼくはしばらくの間、口を閉じてその風景をぼんやりと眺めていた。
見ていると、不思議と今の気持ちをそのまま映し出したような気がして、とっても安心する。
寂しい気持ちとエモーショナルな気持ちが、溢れて混じって飲み込んで。それを繰り返す。
それで……。
「それで……いつ伝えるつもりなの?」
「?」
何かを聞き逃したのだろうか。急に飛び込んできたものだから、どういう意図かを汲み切れない。
「その男の子のこと好きなんでしょ?」
「えーっと……何の話だっけ」
「華厳原君が告白するのか、しないのかの話」
「え、その話はいつ始まったの」
「今」
「え、そうなの?」
「そうだよ」
そうなのか?
「……告白?」
「好きなんでしょ?」
「好きっていうかそのー……人として好きかどうかで言ったらまぁ、好き――ってことになるのかな? 多分だけど」
自分でも顔が熱くなる感覚が分かって、余計に恥ずかしくなる。
「前から思ってたけど、華厳原君って……意外と奥手?」
「いや、奥手っていうかそのー……」
「その?」
「変じゃあ……ないかな?」
「何がよ」
「いや、ぼくは男なわけで、そして、神木くんも男の子な訳じゃん」
「うん」
「なんか……さ。分からない? このニュアンス」
「そうかな?」
「そうだよ。これは変な話。だからおしまい」
三神さんが悪いわけじゃないんだけど、自分で喋ってて今すぐ帰りたくなった。
「……そろそろいい時間だから、帰ろうかな」
「華厳原君」
三神さんは神妙な口調でそう言うと、読んでいたぱたりと本を閉じた。
「なに」
「流石にわたしと言えどイライラする」
「え?」
今なんて言った? イライラする?
「じれったい、とか通り越してムカつくわ」
「急にどうしたの」
「急? ――今思ったら、この感情は降り積もった蓄積かもしれない。気づかせてくれてありがとう。でもこれだけは言わせて」
一息置いて――。
「周りとか自分に言い訳して逃げてるだけでしょ」
「な……」
「普通にかっこ悪い」
なんでぼくは今
「わたしのことも少し軽く見ている」
「――そんなことない!」
自分で言って、自分で
「じゃあ今、なんでそんなに声を荒げてるの?」
「そ、そりゃあ……身に覚えもない言いがかりをつけられたからに決まってる」
今、こう言わないと自分の何かを保てない気がした。
「……わたしは別に華厳原君を怒らせたい訳じゃない」
「それは……分かってるよ。ただ……今のぼくにはまだ勇気が出ないだけ」
「そんなに関係が壊れるのが怖いの?」
「……うん。怖いね」
「そっか」
そう言うと三神さんは立ち上がった。
「わたしは私自身を問う事がある。どこから来たのか、なにをする為にここにいるのか、自分とは何なのか」
「君は……」
「君は本当に幽霊なのか」と、そう聞きたかった。だけど聞けなかった。
「問われたわたしが出す答えはいずれも、『後悔をするな、それだけを考えろ』だけだった。なんでそんな答えが出てくるのかは自分でも分からない。でも、何故だか大切にしなきゃいけない気がするのは確かなの」
「何を言いたいの」
「――今日、このまま何もしなければ、あなたは絶対に後悔する」
「絶対なんてないよ」
僕の口から出たのは空虚なセリフだった。
「あなたにもいろんな事情があるのはなんとなく分かる。でもそれに甘えたり言い訳をせずに、本心の言葉を大切にして」
そう言うと三神さんは、図書室の電気のスイッチがあるところまで歩いて行き、電気を消した。
するともうそこに三神さんの姿はなかった。
収束していく文化祭の熱と、明日なったら、まるで今日のことがなかったかのように戻ってくるのであろう日常のことを考えると、ぼくの心は複雑に絡まっているけど不思議とそれは苦しくはない……はずだった。
少なくともさっきまでだったらそのはずだった。
でも一つだけやり残しがあったことを思い出した。
後悔がまだ先に立っていないのならば、まだ間に合うということだ。
ぼくはスマホのメモを開いて、『打ち上げ帰りの降下駅で呼び止める』と書き込んでその場を後にするのだった。
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