第3話 一緒にトイレに入る?
それから3日間は、ニコルと顔を合わせる事は無かった。2人の仕事の入り時間が違ったり、どちらかが休みだったりしたからだ。
ジュースを貰った日から4日目、やっとニコルと同じフロアを受け持った。
朝、地下にある事務所から同じタイミングで2人でエレベーターに乗り、8階の客室フロアへ
向かう。
エレベーターという密室で、俺はバリバリに意識していたから、緊張して話しかけられない。
ニコルは男なんだから、何をこんなに意識しているのか自分でも分からない。
「松田くん久しぶりだね。」
ニコルが階数表示を見ながら呟くように言って、こちらを見て薄く微笑んだ。
「そ、そうだね。」
自分の顔が真っ赤になるのが分かった。
これ以上、顔に熱が回らないようにフーッと息を吐いて、体をリラックスさせる。
相変わらずニコルはマスクをしていなくて、俺はいつも通りマスクをしていた。
急に、ニコルの細くて長い綺麗な人差し指が伸びて来て、俺の片耳に引っかかっているマスクのヒモをパッと外した。
何?!!
「ニコル?!!」
ニコルは俺の頬に右手を添えると、
「可愛い。」
と独り言のように呟くと、ちょうど8階で止まったエレベーターからサッサと降りて行った。
俺は慌ててマスクのヒモを直すと、エレベーターの床に置いていた、アメニティグッズの詰まった大きなカバンと、掃除道具の入ったバケツ、自分のトートバッグを掴んでエレベーターを降りた。
ニコルのさっきの、覗き込むように近づいて来た顔が、一瞬で俺の心臓を乱している。ドキドキがおさまらない。
その時、ちょうど帰るお客がやって来たので、エレベーターの扉を押さえて、
「ありがとうございました。行ってらっしゃいませ。」
と、声を掛ける。
「ありがとう。」
と返された。
エレベーターホールから客室へ続く廊下へ出ると、ニコルは倉庫から階段の踊り場の方へ向かってリネン類を仕分けるワゴンを出して運んでいるところだった。
何なんだよ!
可愛いって何なんだよ!
パニックになりながらも、俺は仕事もきちんとしなくてはいけない、と焦って、倉庫からリネン類の積み込まれたワゴンを出して来て、廊下へ設置した。
そして、積み重なった7つのワゴンを押して進むニコルより先に客室の廊下と、階段の踊り場との境目にある扉の前に回り込み、重い扉を開けて、扉のストッパーを下そうと苦戦していた。
すると、
「このストッパー壊れてるから、こうすればいいんだよ。」
とニコルが、廊下に俺が先ほど出したリネン類の乗ったワゴンから、客室の浴槽などを拭き上げる時に使うタオルを1枚抜き出して、扉と床の隙間にギュッと押し込んだ。扉はピタリと固定される。
「そうかぁ、ありがとう。今度から俺もそうするよ。」
さすがニコルだなぁと感心する。
ニコルは自分の受け持ちの客室が書かれた表を確認すると、俺が持っている俺の受け持ちの客室が書かれた表も覗いて来た。
「早い時間にチェックインする客は、今日はこのフロアはいないね。」
「そうだね。」
早い時間にチェックインする客が使う客室は、1番に清掃に取り掛かって間に合うように急がなければならない。今日はアーリーチェックインが無かったので、とりあえずはひと安心だ。
ニコルが自分の受け持ちの客室の鍵を開けると、不意に俺の右手首を握り、
「一緒にトイレに入る?」
と強い眼差しを向けて来た。
え?トイレ?
「俺は行かないけど、、」
意味が分からなくてそう答えた。
ニコルはふっと笑って、
「そう。」
と言うと、そのまま客室へ入って行ってしまった。
ちょっ、、ちよっと待って、、今のってお誘いだった???
いや、お誘いって、な、何の??
今仕事中だし、、??
何なんだよー!!!
俺はパニックになって、なぜかその日はフルスピードで仕事がはかどってしまった。
就業時間を30分程過ぎたところで、受け持ちの15部屋を終わらせる事が出来た。
いつもなら1時間以上残業になるので、新記録。
やれば出来るじゃん。
ホテルを出た俺は、ニコルが働いているかも知れない手羽先屋の前を少し緊張しながら通り過ぎ、家へと帰った。
今年の夏が始まろうとしている。
今年の夏は、何かが起こる予感めいたものがして、もうすでに俺の脈拍が早くなっている、、気がする。
つづく
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