第2話 渡されたジュース
手羽先屋でニコルと会った翌日の休日は、結局家でゴロゴロしている間に終わってしまった。
まぁ、休みなんてそんなもんだ。
気怠い体を引きずって、今日もホテルへ出勤する。
都会にあるお洒落なビジネスホテル。
ネットでバイト情報を見つけて、メールで面接の予約をしたので、初めて足を運んだ時はホテルの外観を見てビビってしまった。
ところが、迎えに出てきてくれたのは清掃員の制服を着た小太りのおじさんだったので、拍子抜けしたものの、少し安心した。
清掃員の制服は、白いシャツにベージュのチノパン、腰から下だけの紺色のエプロンという物だった。エプロンは膝上くらいの短めの丈で、ぐるりとポケットが付いている。
地下の事務所で制服に着替えて、自分用に渡された沢山の仕切りのついた、アメニティグッズの入ったカバンを持ち、掃除用具の入ったバケツと、自分の荷物の入った小さなトートバッグも持って、受け持ちの階まで上がる。
自分の受け持ちの階に着いたら、倉庫からリネン類の積まれたワゴンを出してきて廊下へ設置する。
そしてまた倉庫からリネン類を仕分けるワゴンとそのワゴンにセットする袋を出してきて、階段の踊り場へ並べる。
左から、スリッパ、足拭きマット、タオル類、掛け布団カバー、枕カバー、ガウン、シーツの順に仕分けるので、七つのワゴンを並べて、それぞれに大きな布袋を掛けておく。
それが終わったら、泊まり客が出て行った部屋の鍵を開けて、清掃に取り掛かる。
俺はまだ仕事が遅いので、受け持つ部屋数が少なくて15部屋。
ベテランは20部屋以上を受け持つ。
少しでも時間を短縮しようと、手順をいろいろ考えながら清掃に取り掛かる。
すると、ニコルが廊下に姿を現した。
ちょうど俺が清掃に取り掛かっている部屋の、廊下を挟んだ向かい側の部屋へ入って行く。
今日はニコルと俺がこのフロアの担当のようだ。大抵2人で一つのフロアを担当する。それぞれ終わると別の階へ移動するのだ。
客室の入口の扉は開け放したままで清掃作業をする事になっているので、つい手を止めて作業をするニコルの姿を見つめてしまう。するとニコルも俺の視線に気づいて、こちらをジーッと見つめて来た。
「松田くん、おはよう。」
「あ、ニコル、おはよう。」
ニコルがツカツカと客室から出てくるので、俺も自分の受け持ちの客室から廊下へ出た。
一昨日の手羽先屋の事を言おうかどうか迷っていると、
「飲む?」
と言って、ジュースを差し出して来た。
ペットボトル入りの炭酸飲料。
「え?、、あ、ありがとう。」
なんでジュースをくれるんだろう??
びっくりしたまま受け取る。
ニコルはじーっと見つめてくる。
「飲まないの?」
「あ、ありがとう。頂こうかな。」
俺がマスクを外して、ペットボトルの蓋を開けてゴクゴクと飲む様子を、ニコルが興味深かそうに見つめてくる。
「何?」
ニコルの熱い視線に、さすがに違和感を感じて聞くと、
「いや、松田くんの顔、一昨日初めて見て、けっこう好きな顔だったから、また見たくなって。」
そのまま、自分の受け持ちの客室へサッサと入って行ってしまった。
え?マスクを外した俺の顔が見たかったの?
けっこう好きな顔だった?!
何だ、それ?!!
そう言えば、ニコルはいつも仕事を誰よりも早く終わらせて、事務所で菓子パンをかじっていたので、俺はニコルのマスクを外した綺麗な顔を何度か見た事があった。
この清掃の仕事は昼休憩と言うものが無くて、清掃中の客室内で持参した軽食を1人で食べるか、仕事が終わった後でニコルのように事務所で食べることも出来る。
俺は途中で食べないとエネルギー切れになって仕事がはかどらないから、いつも小さなトートバッグに、飲み物とおにぎりやパンなど入れておいて、自分の好きなタイミングで客室内で食べていた。
だから、確かにニコルどころか、他の清掃員の前でも、マスクを外す事は無かったと思う。
一昨日、ニコルのダブルワークの手羽先屋で偶然会った時に、俺がマスクを外して食べたり飲んだりする顔を見られていたって事だ。
とりあえず時間も無いので、何だか騙されたような、不思議な気持ちのまま俺は清掃へ戻った。
その日から、ニコルの猛烈な接近攻撃が始まるなんて、夢にも思っていなかった。
つづく
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