俺はお前にキスされたい

ソイラテチーズケーキ

第1話 明日は休みだ!

明日も仕事だと思っていた。

ところが手帳を確認すると休みになっていた。


明日は休みだ!


う、嬉しい!


俺はフリーター。

26歳、独身。実家暮らし。


いろいろあって、夢破れて実家へ戻って来た。


今のバイトは初めてまだ1ヶ月だけれども、何とか続けていけそうな気がしている。


ビジネスホテルの客室の清掃。


掃除道具一式を持って客室を回り、1人で黙々とフルスピードで掃除していく。


誰にも気を使わず、自分のやりやすい順番と方法で客室を整えていくだけなので、自分の性に合っているのかも知れない。


とは言っても、ベテランはひと部屋を20分ほどで仕上げてしまう。


俺はひと部屋、早くて30分。


部屋に放置されたゴミが多かったり、ユニットバスに設置してあるシャンプー類の減りが激しかったりすると補充しなければならなかったり、うっかり洗う時にグラスを落として割ってしまったりした時などなど、面倒な事が重なると、1時間くらいかかってしまう。


今日も、ホテルのグレーの絨毯の敷かれた廊下で、客室から回収して来たゴミを分別していると、フィリピン人のニコルに、


「松田くん、何部屋終わった?」


と、声を掛けられた。


ニコルはシーツに何部屋か分のリネン類をくるんで肩に引っ掛けて、廊下をズルズルと引きずって歩いてくる。


階段の踊り場まで運んで、シーツ、布団カバー、枕カバー、ガウン、スリッパ、タオル類とそれぞれ仕分けして、設置してある袋へ分けて入れるのだ。


因みに俺は、ひと部屋分ずつだけまとめて運ぶ。数部屋分もの重量を持って廊下を引きずっていく勇気も体力も、、無い。


「まだ2部屋しか終わってないよ。ニコルは?」


「5部屋。ゆっくりやってるからだよ。」


嫌味が刺さる。


「さすがだねー。俺も頑張るわ。」


「頑張ってねー。」


ニコルはスタイルのいい長身の体で、廊下をズルズルと重い荷物を引き摺ったまま歩いて行った。


悔しい。何とかスピードを上げたい。


客室から回収したゴミの入った袋に、黒の油性ペンで部屋番号を書く。宿泊したお客から間違えて捨ててしまった、と問い合わせがあったときに探しやすくする為だ。


部屋番号を書いたら口を縛って、さらに大きなゴミ袋へ入れる。そのゴミ袋には、今日の日付と清掃者の名前、そしてホテルの階数を書いておく。その階にある部屋から出たゴミは全てその袋へ入れていくのだ。


再び客室内へ戻る時には、新しくゴミ箱へ掛けるビニール袋と、補充するドリップコーヒーの小袋、砂糖、パウダー状のコーヒークリーム、煎茶のティーバッグ、プラスチックのマドラーを手にする。前の宿泊客が未使用の物はそのまま使用するので、無くなっていた物だけを補充する。


客室へ戻り、ゴミ箱へ新しいゴミ袋をかけ、コーヒーなどの補充を済ませたら、そのまま箱ティッシュのとび出ている1枚を三角に折り、充電ケーブルをトレーに入れ直し、小さな置き時計の位置などを元へ戻す。


電気ポットの中の水を捨てて、汚れたグラスやマグカップを洗面台へ運ぶ。


空気清浄機のタンクに溜まった水も捨てる。


そしてシーツ、枕カバー、掛け布団カバーを剥がして使用済みのタオル類と一緒にひとまとめにしておく。


それからトイレと風呂場の掃除。


そして、運んでおいた汚れた食器を洗う。


後でユニットバスの全ての水分をタオルで拭きあげるので、少しでも乾燥するようにドアを開けて、閉まらないようにゴミ箱で押さえておく。


そして、先ほどのニコルのように、リネン類を持って、階段の踊り場まで運んで仕分けをする。


その後、廊下に置かれたワゴンから新しいリネン類を一揃い抜き出して部屋へ戻り、ベットに綺麗にシーツを掛け、掛け布団にカバーを掛け、枕にカバーを掛ける。


それぞれの作業に細やかな決まりがあり、一つ一つをクリアしていく。


それが終わったら、拭きあげ用のタオルでユニットバス内の水分を全て拭いていく。


そして、歯ブラシ、髭剃り、くし、シェービングローション、シェービングクリーム、綿棒などのアメニティをセットする。


最後に消毒スプレーと布巾で客室内のテーブルや冷蔵庫の中、棚などを拭いて、床に掃除機を掛けたら、ひと部屋の作業が終わる。


これを全て20分くらいでこなしているニコルは魔法使いなのか、どこかで手を抜いているのか、、。


ニコルは手を抜いているのだろう、というのが他の客室清掃員みんなの意見だ。


日本人の客室清掃員は、やはり仕事が丁寧で、その為かだいたい定時までに受け持ちの客室を全て清掃する事が出来ずに残業している。


俺は研修期間は、ベットメイクだけを教わって、他の清掃員の受け持ちの部屋を回り、ひたすらベットメイクだけをさせて貰って、定時に事務所へ戻る事が出来た。


すると大抵ニコルだけ事務所に戻っていて、菓子パンを齧っていた。


食べ終わるとサッサと着替えて、耳にワイヤレスイヤホンをねじ込んで、


「お先にー。」


と言って帰って行くのだった。


彫りの深い、綺麗な顔立ち。黒い髪。

細身のパンツを履いた長い足。

つい見惚れてしまうイケメンだ。


しかしニコルは、仕事が遅い清掃員とは口も聞かないキツい性格。


俺とも今は少し会話してくれるが、仕事が遅い判定を下されたら、きっと口を聞いてくれなくなるに違いない。


今日も1時間程、残業した。

いつもの事だ。


ホテルの外へ出る。


夕暮れの都会。

もうすぐ夏だ。


ふと手帳を確認すると、明日も仕事だと思っていたけれど、休みになっていた。


う、、嬉しい!


体はくたくたに疲れているけれど、何となくそのまま帰る気になれず、大通りを駅まで歩く途中の手羽先屋へ入った。


とりあえずビールでも飲んで、今日の自分を労おう!


テーブルについてメニューを見ていると、店員がやって来た。


「あ、えっと生ビールお願いします。」


顔を上げると、何だか見たことのある顔。


「え?!ニコル??」


「松田くん!」


頭に青いバンダナを巻いて、黒いTシャツに黒のエプロンをしたニコルがいた。


今日も定時に仕事を終えて、さっさと帰って行ったと思っていたのに、、ダブルワーク??


いつもと雰囲気の違うニコルについ見惚れてしまう俺に、ニコルは呆れたような顔をして、


「生ね。あとはオリジナル手羽先5本にでもする?」


「あ、う、うん!それにする。」


「はーい!ご注文ありがとうございまーす!!」


クルっと俺に背を向けて、明るい声を上げるニコル。


な、なんかキャラが違う。


厨房へ戻るニコルの後ろ姿を見ながら唖然としてしまった。


つい気になってしまって、働いているニコルをちらちら見てしまう。


俺が見ていることに気づいたニコルが迷惑そうな顔を向けてくる。


居心地の悪くなった俺は、そそくさと他の店員が立つレジで会計を済ませると、手羽先屋を出てきた。


何だかドキドキしている。


これはただ、知り合いに偶然会ったというだけの、ありふれた出来事なのか、何か運命的な出来事なのか、その時の俺は判断がつかなかった。



つづく

















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