あおいと昴

三毛猫マヤ

第1話

「それは違うと思います!」


 お昼の休み時間、昼食を食べ終えた私にいつもの丁寧語ていねいごで話す声がこえてきた。

 視線を向けると幼なじみの月城昴つきしろすばるが言い争いをしているところだった。

 またか。ため息をして彼女の元へ向かう。

 昴のお目付け役――それが小学生からずっと続いている私の役割だった。


 昴と口論をしていた伊東さんが私の存在に気付き、わずかに表情をゆるめる。

 対する昴は私の登場にムッとしている。

 まったく、誰のせいよ。


「それで、どうしたの?」

「今季の覇権はけんアニメ、ゆる×ゆりが至高しこうのカプなのに、伊東さんはサヤ×ユキこそ最強って言うんだよ。そんなのおかしいよ絶対!」

 派遣アニメ? ゆるゆり? 至高かぷ? サヤ雪?

 説明文にリテイクの要求……は、やっぱいいや。多分理解するまでに昼休みのチャイムが鳴っちゃうし。

 それに内容からさっするに、私にとっては「きのこの山とたけのこの里どちらが美味しい?」ぐらいのどうでもいい内容だった。

 二人の話に適当な相づちを打って、落ち着いた頃になだめすかして切り抜けよう。


「あおいちゃん、何でサヤ×ユキが最強のカプなのか説明するからとりあえずこの用紙を見てくれるかな?」

「それならあおいとの仲に一日の長がある私が先です」

「あはは……」

 はあ、もう勝手にしてくれい。

 こうして私の昼休みは空しく浪費ろうひされるのだった。



          **          


「昴が?」


 放課後、私は美術部の部室で友達三人と片付けをしていた。

「うん、この前クラスメイトの加藤さんが二人で買い物してるのを見たってさ」

 昴が隣のクラスでイケメンと噂の佐藤君と付き合っているらしい。

 あの歩くトラブルメーカーな昴がねぇ。

「あのさ……あおちゃんは、月城さんから何も聞いてないの?」

「うん」

 それを聞いたエリカが意地悪そうな笑みを見せる。

「へぇ、意外かも。だって月城さんの友達ってあおいだけでしょ? それなのにあおいに報告しないんだ」

「ちょ、エリカちゃん?!」

 文佳ふみかが慌てて私の顔色を伺う。

「いーよいーよ、ほぼ事実だろーし」

「そ、そうなの?」

「昨年本人から聞いた話だと、私以外の友達は家で飼ってる猫と犬と金魚って聞いた」

「え、マジ? ……なんかごめん」

 エリカが気まずそうに謝ってくる。話し方はキツめだけど、基本いい子なんだ。

 そうだよね、最後の金魚エサをあげている背中とか想像するとめちゃくちゃ哀愁あいしゅうただよってそうだよね。

 実感したことないから哀愁の意味はあまりわからないけど。

 ま、実際はこんな感じだけどね。

「みんなー、ゴハンの時間ですよー! ほら、デメちゃんそんな隅にいないで! 早く来ないと他の子に食べられちゃいますよ!」

 金魚にエサをあげるだけであそこまで楽しそうにできるのはすごいなぁと感心したものだった。


 そっかぁ。確かに昴、可愛いもんな。

 白い肌に屈託くったくのない笑顔。性格に多少のなんありだけど、表裏のない性格は、クラスで男女問わず好かれていると思う。

 そう考えると彼女が誰かと付き合うのはそれほど意外でもないのかな。

 良かったね、昴。佐藤君、優しい人だといいね。やっとあなたのお目付け役から解放されるのか。うれしいけど、少し、ほんの少しだけど、寂しい……かな。

 でも、昴が幸せなら私は……。

「あ、あおちゃん?」

「あおい、あんた……」

 二人がおどろいて見詰めてくる。

 エリカから渡された手鏡を見る。


「え?」


 頬をはらはらと涙が伝っていた。

 私、なんで泣いてるの……?

 自覚すると更に涙があふれ出してくる。

「ごめん、先に帰ってて」

 そう告げて部室を後にした。



          **         


 トイレに入り施錠せじょうしたドアに寄りかかる。

 眼を閉じると幼稚園の頃の私がたたずんでいた。

 自問自答する時に現れるもう一人の私。

――なんで昴は私に彼のことを話さなかったんだと思う?

 二人の関係が落ち着いてから話そうと思ってたんじゃないかな。

――相談せずに決めたことは?

 彼女はいつも自分の気持ちにまっすぐだから、自分で考えて決めたんだと思う。

――あなたは彼女からその話を伝えられたとき、素直に祝福することができる?

 もちろん。

――そうだね、いつも自分の気持ちを隠して。周りの気持ちを最優先で考えられる、それが如月きさらぎあおいだものね。

 それはとうといすばらしいものだけれど、自分の幸せを放棄ほうきした考え方だよ、あおい。



 そんなこと、わかってる。

 でも仕方ないじゃないか。私はそういう生き方したして来なかったんだから……。



「……あおい?」

 ドア一枚をへだてた向こうから聞き覚えのある声が聞こえる。

「昴?」

「あおいに会おうと美術部へ向かってたら、ちょうど出ていったのを見かけたから」

 見られてたんだ。だ、大丈夫かな?

 泣き顔見られてたら恥ずかしいな。

「どうかしたの? 大丈夫?」

「う、うん。全然平気……」

 ちくり。音のない針が私の胸を突く。

――そうやって、また自分の気持ちをないがしろにするのね。

 ……うるさい……。


 

 幼稚園の頃、絵を描いているとき、ふと寂しい気持ちに包まれることがあった。



「あおいちゃん、いっしょにあそぶっ!」

 そんなとき、彼女はいつも手を差しのべてくれた。その少し強引な物言いは幼稚園の頃から変わらない。


 少し鬱陶うっとうしくて、でも柔らかな声音はひだまりにいるみたいに心地いい。

 そっか、あの頃から私はもう――












  ――彼女のことが好きだったんだ――      

 










 あの頃は、気付かなかったけれど、恐らくは親友としての好きではなく、異性を想う気持ちの意味で……。

 

 口元に、自嘲じちょうの笑みが浮かぶ。

 今更いまさらこんな気持ちに気付くなんて……。

 ――だから言ったでしょう? その生き方は幸せになれないってさ。

 そういう生き方をしていると、自分の中にある大切なサインに気付かないで見過ごしてしまうのよ。


 うん、わかった。でも、もう手遅れかも。

 再び目尻にまり始めた涙をそっとぬぐう。

 幼い私が一瞬いっしゅんさびしそうな顔をした後、なにも言わずに消えた。



          ** 


 部室に置いてきたかばんを取りに行くと伝えると、「久しぶりにあおいの絵がみたい!」というので、二人で美術室へ向かっていた。

「いやぁ楽しみだね♪」

「はいはい、ソーデスネー」

 楽しいのは昴だけであって、私は恥ずかしいだけだから。

 本当は嫌だったけれど、さびしそうな顔をするせいで断れなかったのだ。

 こういうとき、彼女の素直な性格はちょっとズルいと思う。


 美術室へ向かう途中、ふいに昴が言った。

「さっきから元気ないね」

「そんなこと……」

 否定しようとして、透き通る瞳に見詰められ、体がかすかに震えた。

「あおい、私達十年来の付き合いだよ。わからない訳ないよ」

 ひとりぼっちの私に手を差し伸べてくれるのは、いつも彼女だった。

 でも、まだ心の準備が出来ていない。

 どんな顔をして彼女に祝福の言葉を伝えればいいのかわからないよ……。

 黙り込む私になにかを察したのか、昴が謝ってくる。

「ごめん! 無神経だったかな? 私、こんな性格だからさ……言いたくないなら言わなくていいよ」

「……別に、昴が謝ることじゃないよ。ただ私、どんな顔してお祝いの言葉をかければいいかわからなくて」

「お祝い?」

「昴、佐藤君と付き合ってるんでしょ?」

「え?」

「だ、だって二人が買い物をしてるの見かけた人がいるって」

「あ、あー、なるほどあのときかぁ……そ、その、あおいも気になる?」

「えっと、そりゃあまあ……ね」

「そっかぁ、気になるかぁ。佐藤君に口止めされてたんだけど、ま、しょうがないね」

 今まで話したくてうずうずしていたのか、嬉々ききとして昴は真相を話し始めた。



          **


 地元の書店で本を手に取ろうとしたら、ちょうどお互いの手が触れたのだという。

 使い古された出会い方だけど、素敵なボーイミーツガールの始まりじゃないの。

 そう思った矢先、昴の放った次のセリフに私は衝撃しょうげきを受けた。


「実は佐藤君、百合ストでさ。今季の覇権アニメも観てるみたいで、原作ラノベが読みたくなって買いに来たんだってさ。つまりは同志って訳よ!」

「……ゆ、ゆりすと? どーし?」

「私の把握はあくしてる作品もほぼ読破どくはしてたし、オススメまで教えてもらったの! いやぁ伊東さん以外にもこんな身近に同志がいるなんてね!」

 腕を組んでうんうんと、うれしそうにする百合娘が一人。しかし、あの佐藤君がねぇ……。彼に好意を寄せている女子たちの幻想をまるごと破壊しかねない事実だった。

 もはやこの一件に関して言えば、【事実は小説より奇なり】なんて生易しいものではなかった。【事実は小説を凌駕りょうがする】くらいなレベル。


「いやー、すっきりしたーっ!!」

 昴が清々すがすがしい笑顔で佐藤君の尊厳そんげんを傷付けていた。

 まあ誰にも言わないけどさ。

 彼のファンにからまれても嫌だし。

 ちなみに彼女が佐藤君のことを黙っていたのは「追及された時に黙ってる自信がなかったから」らしい。

 自らぶっちゃけてた気がするけど。まあ、正直過ぎる昴にバレた時点で佐藤君は万事休すなのであった。



          **


 ひまわり畑の中、一人の少女がいる。

 水色の長髪、一部に藍のインナーカラーを添えた少女が、まっしろなワンピース姿をしている。紅く燃えるような彩を宿した瞳でまっすぐに、こちらを見詰め返していた。

 タイトルは『太陽』

水色の髪は青空、ワンピースは雲、中心に立つ少女は太陽で、ひまわりはその光をイメージしている。


「――きれいな絵だね」

「あ、ありがと」

「モデルとかいるの? あ、もしかして、私? なんてね♪」

「え? 正解……」

「あはは、だよねぇ~! 私がこんな……って、へ? ほ、ほんとに?」

 改めて答えようとして、結構恥ずかしいことを言っていることに今更いまさらながら気付く。

 うぅ、せめて言い直した後に気付きたかった。

「え、と……わ、私の中にある昴のイメージ……」

「あ、あはは、なんかちょっと照れるね」

 お互いに頬を染めたまま、黙り込む。

 

「――昴、幼稚園の頃、私が手紙を渡したこと、覚えてる?」

「え? い、いや……」

 昴が視線を逸らして苦笑する。内心で安堵ないしんあんどしつつ、眼を伏せて続ける。

「あの時から、私の昴に対する気持ちは、変わってないよ」

 このまま気付かれなければいい――そうすれば、思い出は傷付かず、綺麗なままでいられるのだから……。

 そう思い、昴を見詰める。



 白いカーテンの隙間すきまかられている光を受けた昴の頬が朱色に染まっていた。



「昴?」

「うぇ? あ、な、なんでもないよ!」

 ぶんぶんと両手を振って否定する。その手に一枚の紙が挟まっていた。

「それは?」

「あ……」

 手を後ろ手に隠す昴。

 サッ、サッ。

 一歩距離を詰めると昴も一歩距離を取る。

 サッ、ササッ!

 サササッ、サササササササッ――ガン!!

 まさか本当に頭をぶつけると思わなかった。

「ごめん、大丈夫?」

「だ、だいじょぶだいじょぶ!」

 床に落ちた手紙を取る。

 紙には、昔流行っていたシナモンロールのシールが張ってあった。



 すばるちゃんはわたしのこころをいつもぽかぽかにしてくれる、たいようです。いつまでもわたしといっしょにいてね。だいすき♪    

             

               あおいより



 多少の誤字脱字はあったものの、おおむね、そんな内容の手紙だった。


 あの頃、昴は私にとって、太陽のような存在だった。彼女といると、たくさんのことを知ることができた。


 一人でお絵描きをしていた時には見られない景色を観た。二人で手をつないでみんなと歌を歌った。

 関わろうとしなかったお友達と話をして、笑い合って、ケンカをして、泣かされたりもした。

 彼女やお友達と食べるお弁当は、先生と食べる時よりも不思議と美味しく感じた。

 少しずつ、昴以外にもおしゃべりをする友達ができた。

 そうして心の中にあった画用紙に彩りが宿っていった。

 

「あおいからの手紙が、すごくうれしくて、あおいの太陽になろうって思ってた。今も生徒手帳に挟んで時々読んでるんだ」


 ……彼女は私との約束をずっと守ってくれていたんだ。


 昴は昔から明るく活発な女の子だったけれど、その性格を十年もぶれずに貫き続けるのは、相当の覚悟が必要だったと思う。

 その理由がまさか、私の書いた手紙によるものだったなんて……。



  ――そっと彼女に抱きついていた――   



「あ、あおい? ど、どうしたの?」 

「昴、私のためにずっと頑張ってくれてありがとう。無理させて、ごめんね」

 昴はぽかんとして、でもすぐに私の髪を撫でながら言った。

「ううん、気にしないで。私は私のしたいことをしていただけだから。それに、辛いなんて感じたこと、全然なかったよ」

 柔らかく微笑むその瞳は揺るぎなく私を見詰めていた。

「そっか、昴はすごいね……」

 そんなのは、絶対ウソだ。



 ただ……彼女がそう言うのなら、その優しいウソにだまされるのが、せめてもの私にできることだった。



 胸に顔を埋めて、彼女の温もりを感じる。

「――あおいとの約束、守れたかな?」

「うん」

「良かった♪」

 えへへ、と屈託のない笑顔が思い浮かび、幼稚園の頃の昴と重なる――その笑顔を見たとき、じわりと熱いものが胸から込み上げてきた……。


 私は引っ込み思案で、思ったことがあっても素直に言えず、今までずっと、胸の内にしまい込んでいた。


 でも、このサインは見逃しちゃダメだ。

 そう思った。


 ほら、勇気を出して――そう、あの子の声が聞こえた気がした。


 そっと見上げた彼女の澄んだ瞳には、残光の優しい名残りがきらめいている。

 

 

 そのひとひらの残光に想いを寄せて、私は始まりのコトノハをつむいだ。



「……私、昴のことが好き」

「……うん」

「その、私の好きっていうのは、親友としてのものではなくて、昴を一人の女の子として好きっていうことで……えっと、つまり……」

「――つまり、あおいは親友としての私じゃなくて、彼女としての私とお付き合いをしたいってこと……かな?」

「えっと……そ、そういうこと、です」

「改めてこれからもよろしくね。あおい♪」

「あ、はい……って、ええっ?!」

「わっ! 急に大声出さないでよ」

「あ、ご、ごめん……えっと、その、ほ、本当に、わ、私なんかでいいのかなって……」

「あ、当たり前でしょ! 私はあおいがいい。あおいだから……彼女にしたいの。あおい以外となんて、ありえない……よ」

「あ、う、うん。わかった、わかったから」

 聞いてるこちらのほうが恥ずかしくなってきそうな告白だった。

「だ、だってさ、わ、私、十年待ってたんだからね! 十年だよ? ……って、ば、バカ、な、なにを言わせるのよっ?!」

 昴が混乱しながら耳まで真っ赤にする。

 いや、今のは完全に自ら自滅してた気がするけど……。

 でも、そっか。十年前から昴も私を……。



 目を閉じると、幼い頃のもう一人の私が静かに涙を流していた。



 その涙を見たとき、幼い頃からの私が、ようやくむくわれるような気がして――生まれて初めて、私はうれし涙を流したのだった。



「あ、あおい? ど、どうしたの?」 

 目を開くと、彼女がおろおろとしている。 

 いつもの堂々とした彼女からは想像のできない姿に小さく微笑むと、その頬に手を添えてないしょ話をするように、そっと口付けした。



 彼女の頬はすべすべと柔らかい温もりを宿していて、いつか見た優しいおひさまの匂いがした……。











          **


「ねぇ、あおいちゃん」

「なぁに? すばるちゃん」

「おてがみありがとう♪」

「うん♪ どーいたしまうま」

「しまうま? ちがうよ、どーいたしましまだよ!」

「え? そーだっけ? なんかちがくない?」

「ま、いーじゃん。それより、わたしのきもち、つたえるから、めーとじて」

「うん」

「ほっぺにちゅー♪」

「す、すばるちゃん、は、はずかしい」

「えへへ、やだったらごめんね?」

「それ、おわってからいうのへんだよ」

「え? そうかな?」

「……たぶん。でも、やじゃない……かも」

「ならいーじゃん!」

 そういうとすばるちゃんがおくつをつっかけて、わーっと、おにわをはしりだした。

 すばるちゃんはこうふんすると、ときどきおにわをかけまわることがあった。

「ま、まてー!!」

 わたしもすばるちゃんをおいかけていっしょにおにわをはしりだす。

 たぶんわたしもすばるちゃんとおんなじきもち、だったから。

 わたしたちのおにごっこはせんせいにつかまるまでつづいたのだった。











         *終*

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