第8話 光

 何事も通り過ぎるものである。

 阿智 凛々子は自分にとって何かあるたびにこの言葉を言い聞かせていた。素晴らしい言葉とは思っていないがそれを呟くと自分の精神が均一になるように思えていた。


 先の見えない未来に対しての心構えを教えてくれるからだ。自分にとって初めてである三年生で、一年生と同室になる。

 そこに不安を覚えていないわけではない。見本となる三年生として振舞えるかどうか? 一年生と良好な関係を築けるかどうか。どれほど自信を積み上げても死角は常に存在している。


 それでも進まなければいけないのだろう。そうしなければ始まらないから。

凛々子の行動原理はその言葉が柱にあるといって間違いない。


 幸運にも彼女の同室である朝井咲乃はかなり付き合いやすい人であった。お金に執着しているというのをどうとらえればいいのかは判断つかないが、それ以外は親しみやすく彼女を支え導いてあげたいと思える人だと思っていた。


 そう思っているからこそアイリス値が減らないという特異体質があっても平均以上の多数のチームで捜索活動を行っているのは心配であった。


 そうこうしているうちに新たに一つのチームに参加したと聞いて、しかもそのチームに切理子がいるというのを知った時、凛々子には複雑な感情が入り乱れていた。


 切理子が捜索を再開したということ。

 それがどういうものであるかを自分で表現できないまま、不運にも三人が一堂に会してしまったのである。

 いつもは悠然としている咲乃もこの時は少しばかり驚いたような表情を見せた。


「阿智先輩は、五月原先輩と知り合いなのですね。びっくりです。五月原先輩。ご存知みたいですが紹介させてください。こちらが私の同室の阿智先輩です。それにしても人のつながりは本当に予想できないですね」

「とはいえ、そんなに仲良しというほどでもないし、嫌いというわけでもない。同じ生徒としてということぐらいの普通の関係。そうでしょ? 切理子?」

「うん」


 その返答とともに、咲乃の隣に座る。空気が一段と重たくのしかかるような錯覚を切理子は抱いていた。お互いに言葉はない。切理子は凛々子がその場に座ったのは咲乃のためだろうと思っていた。


 この場で口争いを始めては、咲乃を動揺させるだけだろう。切理子もそれは理解しているつもりだった。しかし凛々子を前に何を話そうか何も思い浮かばなかった。

咲乃と話している彼女を見ていると、自分の頭の中が闇に覆われて言葉らしい言葉が浮かんでこないのである。


 何も話さずに食事を終えて帰ればいい。そういう考えが鎌首をもたげたが、本能的にそれを避けていた。


 咲乃は切理子と凛々子の表情を見比べながら、二人には共通の表情が広がっているのは気づいていた。しかし二人に対する言及は避け、他愛ない会話で場を持たしていた。


 そのようなときに不意に彼女の生徒手帳が震えだす。


「あ、ごめんなさい。バイト先の店長から通話みたいです。ちょっと席を外しますね」


 そのまま咲乃は食堂の外へと歩いていってしまった。後に残される切理子と凛々子はお互いに押し黙りながらも食事を進めることとなった。重たい空気がさらにのしかかっていた。


 由紀から逃げてこちらに来たのに、より息苦しい状況に陥っている。最近の切理子は自分の選択がよく裏目にでてしまう。現実逃避の代わりにぼんやりと考えていたら、凛々子がこちらを見ていた。


 お互いの視線が交差するときに、凛々子から話が始まった。


「ねぇ」

「何?」


 なんてことない軽い返答だが、昔の記憶がゆっくりを思い起こされていく。ふと凛々子も自分から話しかけたことに困惑していたようだが、すぐに表情を戻した。


「また捜索する気になったのはどうして?」

「別に。そういう約束だから」

「それだけなの?」

「それだけ」


 すっと切理子は言った。彼女の意志がではないという主張が透けて見えて凛々子は言いようのない苛立ちが芽生えていた。


「朝井さんが心配なら私よりも彼女を説得したほうがいい。その時には私がどう呼ばれているかを話してもいいから」


 すると予想に反して凛々子は柳眉を逆立てて強めの口調で反論した。


「朝井さんがそれを知らないわけがないでしょ? 彼女は興味を持つときは直感かもしれないけれどそのあとの行動は慎重に進めるタイプよ。あなたがどう呼ばれているかも織り込み済みであなたのところに向かったと思うわ」

「そうなの?」

「そうよ」


 凛々子の返答もあまり興味のない様子だった。


「誤解しないでもらいたいけれど、あのことは仕方がないと思うわ。むしろ全滅しなかっただけでも最悪の結果は免れたといってもいい。勿論あの人がいなくなったのは悲しいけれど私はそう折り合いをつけている」

「……」


 切理子は何とも言えない表情で凛々子を見つめる。どうにか解釈をしようとしていい具合の言葉を見つけても絶妙にはまらない。中途半端がゆえに解釈ができない表情だった。


 だが考えている人物は二人で共通しているのだろう。


「前向きね」

「何事も通り過ぎるものである……なのよ」

「そうなんだ」

「あなたもそういうつもりだから捜索を始めたわけじゃなくて?」

「さっきも言ったけれど、約束したということだけだから」

「その『自分はただ言われていることに従っているだけですよ』みたいな態度やめてよ」

「……」


 凛々子の目つきが非難とも憐れみとも思える様々な色が混ざり合ったものに映っていく。切理子は彼女がそこまで自分に非難を向けている理由は理解しているつもりだった。


 だがそれは凛々子が切理子に一定以上の評価を向けているということも示している。彼女からの評価について、切理子は受け取るつもりは毛頭なかった。


「そういえば腕章つけているね」


 話題をそらすつもりで切理子は目についた凛々子の腕章に話を切り替える。赤と黒の基調を伴った腕章は紋章が印字されている。その紋章の意味を知らない人は学園内には存在しないだろう。


 凛々子は溜息をこぼすも切理子に見せびらかすように腕を向けると、わざとらしい自信にあふれた顔を見せる。


「知らなかったの?私も今年度から生徒会に参加しているの。主に捜索しているチームの救援や支援を行っているわ。捜索の前線にはいかないけれど、チームが安心して捜索できるように尽力するつもりよ」

「珍しい。前はそういう組織に興味ないと言っていなかった?」

「考えを変えたの。あなたと違って私はこれからの犠牲者を出さないようにいろいろと考えているのよ」


 彼女の双眸が自分の決断をどれほど真剣に思っているのかが語っている。それは切理子との大きな違いを現していた。


「そう……」

「それなのにあなたはそうして……」

「凛々子は私を買いかぶりすぎている。あなたのように自分で考えることはできない。私はそういう人じゃないから」

「光さんに捜索を誘われたときもそういう気持ちだったの?」

「そうよ」


 気が付くと切理子の夕食は全て空になっていて、それが合図でもあった。話を打ち切るために立ち上がると、凛々子は切理子を何とも言えない表情で見上げている。

 彼女は何か言おうと口を開きかけたが、言葉が見つからないのかため息を共に口を閉じていた。


「凛々子の言いたいことは理解しているつもり。あなたの言う通り言われたからやっているだけ。けれど捜索に手を抜かないという意味ではない」

「そうね。そうして欲しいわ」


 切理子はそれだけを言い放つとその場を後にした。凛々子が最後にどういう顔をしていたのかは確認できなかった。

 光……その名はまだ聞きたくない。切理子にはもう届かない存在だった。そしてそれを失ったときのことを思い出してしまうからだ……。



 自身にアイリスが授けられて生まれた以上、それを持つ子供たちが進む道は一つになる。それをどのように受け止めればいいのかはこの学園の生徒は知っている。ただ切理子に関していうと違う認識を持っていた。


 彼女も拒否をしていたわけではない。与えられた環境の中でそれを行っていればある程度の自由は約束される。そこに分かりやすさはあると思っていたから、積極的ではないにしろ定期的に捜索のチームに参加していた。


 彼女にとって不運であったのはアイリスを持っているということを除いても、切理子には捜索にとって十分すぎるほどの才覚を持っていたことだ。周囲の観察力や、洞察力、そして判断力やそれを端的に説明する能力。


 すべてが備わっているゆえに、彼女の能力を知るものは彼女を欲していた。

その境遇に対しても切理子は煩わしく思っていた。

どうして捜索に興味のない自分にそういう才能が芽生えていたのかも、気まぐれのような神のいたずらのような気がして不快だった。


 そういう時に切理子の前に現れたのは光だった。


 年度が終わり新しい学年へと進級した切理子は寮の部屋替えによって新しい部屋へと向かう。その場所に切理子の同室の者はまだ到着しておらず、彼女は荷物を隅に追いやるといつものように出窓に腰掛け外を眺めていた。


 しばらくして、同室の者は現れた。扉の向こうから現れた彼女の気配に切理子は窓の外から彼女へと目線を移す。


 なだらかな足取りで部屋の中に進んでいくと、遅れて彼女の髪が流れていく。


 大きく開かれた瞳からは、彼女の感情があふれていた。それら一つ一つが切理子の中にないものであるのに、なぜか不快な印象は抱かなない。

 太陽のようなまばゆいながらも暖かい存在に、切理子は思わず目を奪われていた。


「あ、あなたって五月原 切理子さんじゃない?」

「知っているの?」


 面識のない相手が自分の名前を知っている理由は大体共通している。自分の捜索の能力について高く評価しているということだ。その推察を証明するように、相手はにこりと笑った。


「五月原さんの評判は聞いているの」

「そう。あなたは今年の同室の子でいいの?」

「うん。光 真奈っていうの。これからよろしくね」


 そういうと真奈は自分の荷物を手早く片していく。切理子とは対照的にファンシーなぬいぐるみなどで机やベッドを満たしていく。それを当然とでもいうように行っていくのだが、不思議と真奈ならそういうことをするという納得感を切理子は覚えていた。


 それらを見て真奈は満足げに一息つくと荷物を手に取り切理子を見る。


「五月原さんさ、私これから捜索に向かうところなの」

「そうなの。なら頑張って」

「あなたも一緒に行かない?」


 そう尋ねることの奇特さを理解していないような飄然とした表情を見せて真奈はそう尋ねる。切理子はやはり納得感のようなものを抱いていた。


「答える前に一つ聞いていい?」

「何かしら?」

「どうして私を誘おうとしたわけ?」

「うーん」


 真奈は目を閉じ、腕を組みしばらく考え込む。その姿勢のまま二人の間に時間だけが過ぎていった。彼女の考えるそぶりは言葉を選んでいるものではなく、本当に今考えているようなそぶりだった。


 苦手なタイプである。直感で動き、こちらとの価値観がずれている。切理子がそう評した瞬間に、真奈は目を開くとまばゆいほどの笑顔とともに答えを言い放った。


「なんとなく」

「……」

「どう?」

「遠慮しておくわ」

「そうなんだ。それじゃあ行ってくるね」


 切理子の問いを悲しむこともなければ、怪訝に思うこともなくありのまま受け止めると真奈は部屋から出ていった。残された切理子は空っぽの自分のベッドを見てから、ぬいぐるみで埋め尽くされている真奈のベッドを見る。


 残されたと感じてしまった自分に気づかないふりをして出窓から外を見ることをつづけるのだった。




 同じ時間と同じ場所を共有しているのだから当然なのだが、真奈のことを少しずつ分かっていく。真奈について一言でいうなら彼女は直感で動くのだろう。


 根拠のかけらもない自分の直感を軸に進んでいる。突き進んでいるといってもいい。そしてその進軍に周囲の人間は巻き込まれてきたのだろう。

 切理子はその巻き込まれた側の人間だということを自覚していた。


 真奈は捜索活動においてはかなりの積極的なほうであり、空いた時間があれば進んで捜索を行っていた。後で調べたところ彼女はチームの中でも方針を決めることができる立場にあるようである。


 あのような落ち着きのない人間が決定権を持つとは、チームのメンバーも災難だろうと意味のない同情を虚空に投げかけていた。しかし切理子の予想とは裏腹にチーム内での彼女の評判はおおむね良好というよりは、非常に頼られているようだ。


 考えても見なかった彼女の能力だったが切理子はそこで彼女を調べることをやめることにした。そもそも彼女の誘いには乗るつもりなどないことに気づいたからだ。


 でも真奈は今日も切理子を捜索に誘う。寮の部屋から出るときに毎日の挨拶のように切理子に誘いを投げかける。切理子の返答はいつも同じで断るのだが、それで真奈は変わらずに納得して一人部屋から出ていくのだった。


 真奈は単純だが馬鹿ではない。切理子の返答が変わらないことは理解しているはずだが、それでもなぜ誘い続けるのだろう。


 ある日に切理子は学園の中を歩いていた。一日も終わり自分の寮の部屋に戻ろうとしていたのだが、訓練棟の近くを通った時にいつもとは違う雰囲気に気づいた。

 多数の生徒が集まり形成される熱狂的な空気の中心にあるものが気になり、気まぐれに誘われてその中へと足を踏み入れることにした。


 無数の生徒が集まり壁のようなものを形成しているが、切理子のアイリスをもってすればそれらは意味があるものではない。双眸を輝かせながらその中心が見える位置まで進んでいく。


 中心には真奈がいた。誰かと模擬戦を行っているらしい。相手は名前は知らないがあの顔はどこかで見たことはある。確か別チームのエースだったはずだ。


 二人の体と剣が交差するたびにあたりからは感嘆とも驚愕とも思える様な声が上記のように沸き上がっている。

 切理子は自分のアイリスを保ったまま戦いの成り行きを観察していた。


 互角に渡り合っているように見えて、真奈にはまだ余裕がある。相手側のエースも非常に優秀な動きを見せていてエースを名乗るには十分な実力があることを証明していた。

 だが真奈には及んでいない。真奈の表情にはそれが現れていた。

 模擬戦の最中とは思えない珍しい顔つきを見せている。真剣に食らいついている相手とは対照的に真奈は笑っていた。嘲笑などではないこの場にいるのが楽しくて仕方がないという笑い方だった。


 二人の違いは明確でそれでいてその差はうまくことはないだろう。

見ていたのはほんの寸刻だったがそれだけで十分な理解を得られた。


 同時に不快になった。あれほどの能力があるなら自分など必要ないはずだ。それなのになぜ誘い続けるのか理解できなかった。捜索にもいかないで部屋にこもっている自分が間違っているとでも言いたげなことに見えてきた。


 それと真奈のあの表情。自分には理解できない。理屈などではなく彼女の感情がぶわっと吹き出すとそれを抑えることはできなかった。


 まだ訓練は続いているが、彼女はその場から立ち去ると何事もなかったかのように自分の寮へと戻っていった。


 日が沈もうとしているときに、真奈が帰ってきた。


「ただいま!」


 切理子の姿を確認したら、真奈は言うことは一つだけだった。模擬戦をしていたといわなければ分からないほどいつもと同じ足取りだった。切理子は出窓に座ったまま彼女の姿を眺めていて、そして抑えていた感情に従うがままに言葉を発していた


「疲れていないの?」

「疲れる?何が?」

「模擬戦していたのでしょ?」

「見てたの?」


 期待を帯びた真奈の瞳に、切理子は首を縦に振る。真奈はふふんと鼻を鳴らした。


「あれぐらいの運動はいつもやっているから大したことじゃないよ」

「あれぐらいね。少ししか見ていなかったけれど、あなたはなかなかやる方ね」

「よく言われます」

「なのにどうして私を捜索に誘うの?」


 空気がすぅっと冷たく落ちていく。こういうことを言うつもりは切理子にはなかったのだが、芽生えた不快感を消化するすべを他に知らなかった。


「私がいなくても、あなたなら十分捜索は可能でしょう?なら私はいらないじゃない。正直もう辟易しているの。今後一切誘わないでくれない?」

「五月原さん……」


 切理子は彼女の表情を一瞥すると窓の外に視線を逃す。見たことない表情だったが自分の選択は間違いないと言い聞かせた。

 

 それで終わると思っていたが、真奈は切理子に向かい合って出窓に座り始めた。切理子を見るわけではなく同じように窓の外に視線を投げかけ始める。

 

「何しているの?」

「五月原さんが何見ているのかなって思って」

「別に何かみているわけでもない」

「そうなんだ……」


 そうつぶやくも、真奈は切理子が見ている方向を見続けていた。端正のとれた顔つきの真奈が落ち着いた顔をしていると、自然をその横顔に視線を向けてしまう。


「最初に聞いてくれたよね?どうして五月原さんを誘うのかって?あの時はなんとなくって思ったのだけど、それを上手く説明できると思う。だけどそれを言うには私がどうして捜索をしているのかということから説明してもいい?」

「どうぞ」

「ありがとうね」


 その言葉をごまかすように真奈は笑顔を作ったが、すぐに遠くを見る様な目と共に語り始めた。


「私も別に捜索のことが楽しいとかやりたいと思ったことはなくてね。生まれたときからずっと訓練と実践の繰り返しでそうすることが当たり前の環境だったから楽しいというよりそれで当然という感覚以外なくなっているのよね。

 体を動かすのは楽しいし、他の人と模擬戦をするのは面白いのだけど捜索をしているときに同じものを感じているかと思うとちょっと違う。

 でもそれは別に珍しいことでもなくてここの生徒たちはほとんどそう思っているはずよ」

「そうね」

「どうして自分はこれをしているのだろうって思い始めたのもちょっと前のことで、捜索について少し消極的だった時もある。その時の周りの人は話を聞いてくれたけれど私の疑問について納得のいく答えを教えてくれる人はあまりいなかった」

「それであなたはどうしたの?」

「ある時にこう思うことにしたの」


 笑いながら話していた真奈は、その表情をやめてきっちりと切理子の視線を見つめる。


「誰かがやらなければいけないことだから」

「誰かが?」


 なんというかありふれたような答えにも聞こえた。でもそれを言う人を見たのは初めてだったのかもしれない。


「それってただの義務感ということ?」

「うん、そう。別に私がやらなくてもいいことかもしれない。でも私は理由が欲しかっただけなんだと思う。アイリスを持っている人は異界に向かうものだというのを押し付けられるのではなくて……自分が決めた理由を持ちたかったというの」

「へぇ……いいのじゃない?」

「いいと思ってくれるの?」

「私にはあなたの考えを否定するつもりはないから。まぁでもそう思っている人がいてもいいのじゃない?」

「そう。ありがとう」


 無邪気に笑うと真奈はまたぽつぽつと語り始めた。言葉を選んでいた様子から徐々に流暢に話し始めていた。彼女も緊張していたのを知ると、切理子には自分とは違う人ではなく同じ年頃の女性であるように見えてきた。


「それでどうしてあなたを誘うかなのだけどね、最初にこの部屋に訪れて五月原さんを見たときにとても良く似ていたの」

「何に似ていたの?」

「悩んでいた時の私の表情によく似ていたから。だからあなたを連れ出したかったのだと思う」

「捜索に?」

「うん。あなたもここにいたいのではなくて、理由を求めているのじゃないの?」


 切理子はきれいごとだと思った。ただ真奈の言うことに反論はできなかった。眩しいほどの真奈の気持ちが目の前にあって、不思議とそれに引き寄せられていた。同年代の中でこういう話をするのは初めてであった。


 真奈は自分とは違う。最初は不快だと思っていた。だがきっと自分の中ではずっと分かっていたのだろう。認めたくないことをそれで隠していたのだ。


「そうね……納得はした」

「聞いてくれてありがとうね」

「なら付き合ってあげる」

「何に?」


 首をかしげる真奈を尻目に、切理子は立ち上がると出窓から離れていく。


「捜索のことよ」


 ぽかんと口を開けていた真奈はその姿でしばし佇んだのちに、光がはじけるような笑顔で部屋を輝かせた。


「いいの?さっきはその気がないって言っていたけれど本当にいいの?」

「あなたの話を聞いて気が変わったの。私が見つけていない理由を、せっかくだから探しに行くことにする。あなたはそれに協力してくれないの?」

「いいよ。付き合ってあげる。早速明日に行こうよ」

「行くなら万全の準備をしてから」

「じゃあそれができたら教えるから」


 その時の真奈の笑顔は今でも切理子の記憶の中に焼き付いている。



 数日後に切理子は真奈を含む複数人のメンバーと共に捜索を行っていた。異界の空気はいつ来ても異質である。暖かいわけでもなく冷たいわけでもない。『門』から通ってきた自分たちを認識していないような手ごたえのない感覚が体にまとわりついて、逆に緊張してしまう。


 そのような空気は常に感じるものではあるが、真奈たちと行う捜索についてはこれも異質な感覚だった。


 しばらく異界での活動を行った切理子たちはみんなの消耗も考えて休息をとることにした。


「それじゃあいったんここで休息にします。安全は確保できているけれど警戒は怠らないようにしてね」


 捜索に参加するときにはこういう場面になることはあふれたことである。

 真奈の指示によりみんな集まって休息を始める。武装の手入れをするものや、仲良く談笑するものや、座り込んで力を蓄えるもの。切理子は少し離れた場所で座っていた。


 ここに来るまでに何度か異界の生物と遭遇し交戦を余儀なくされた。その結果消耗はあるものの、負傷などはなくチームとしては余力を残している状態である。決して幸運などではなく、その状態を作り出している存在がいるのは切理子の目から明らかだった。


 真奈である。事前に集めていた評判は誇張ではなくありのままの真実であるのを切理子はその体で確かめていた。


「五月原さんよね?」


 声をかけられたので顔を上げると誰かが自分を見下ろしていた。その顔には少し見覚えがある。確か以前に真奈と模擬戦をしていた生徒だ。だがそこまでしか知らなかった。


 だから自分に話しかけられる理由も目的も読み取れず、じっと彼女を見上げていると嘆息と共に彼女は話し始めた。


「阿智凛々子っていうの。今知ったでしょ?」

「うん」

「ふぅ……五月原さんがそういう人だというのは知っているけどさ」


 凛々子は両手に持っていたカップの片方を切理子に差し出す。目つきは冷ややかなものであるが、受け取ったカップに紅茶が注がれていて口に含むとその熱が体にジワリと広がっていった。


「ありがと」

「五月原さんが来ているって知ってちょっとびっくりした」

「私ってそんなに知られているの?」

「覚えていないの?一緒に捜索したこともあるけれど?」

「そうなんだ」


 切理子の反応に普通なら気分を悪くするかもしれないが、凛々子は仕方がないとでもいうように小さく笑い声をつづけた。


「いいよ別に。一緒とはいってもそんなに近くにはいなかったから。でもその時の五月原さんは私は覚えている。退屈そうな顔していながらも、判断と分析が的確だった」

「別に。思ったことを言っているだけ」

「五月原さんって不思議だよね。捜索には全然興味ないように振舞っているのに、いざ捜索をすると誰よりも適切に動いているもの」

「興味がないのはほんとよ。でも死にたくないから手は抜かない」

「ふぅん」


 凛々子は含みを持った表情を見せると、切理子の隣で紅茶を飲み続けた。切理子も同じように続ける。視界の向こうには誰かと話している真奈が目に映った。その視線を凛々子も察したのだろう。


「五月原さんと光さんとはちょっとタイプが違うね」

「そうね」

「でも二人とも私から見たら優秀だと思う」

「あなたから褒められるいわれはないよ。あなただってかなりのものがあると思う。光さんと模擬戦をしていたのを見ていたからお世辞じゃないよ」

「見てたんだ。結局負けちゃったけどね。でもそういうところの強さを話していることではないの」

「そうなんだ……まぁ分かるよ。光さんと捜索を一緒にしたのは今回が初めてだけど、あの人は他にはない強みを持っている。あの人がいるだけで安定するのは間違いにない」

「さりげなくあなたを外したわね」

「……」


 時間の流れ。異界の空の動き。形容できない風の流れ。その中で凛々子という他人を意識する。それは切理子にとって少しくすぐったい感覚であった。捜索をしているときに他人を意識するのは自分の中の何かが変わったといってもいいのだろう。


 やがて休憩が終わり各々が準備を始める。凛々子は残った紅茶を一気に飲み干すと、白い息を吐きながら切理子に去り際に尋ねる。


「五月原さんは光さんと捜索をするの?」

「そうね……別に私は捜索には興味はない。これまでと同じスタンスで目を付けられない程度に捜索に参加するつもり。だけどしばらくは光さんと行動するかもね」

「そう。なら私もその時はよろしくね」


 そして捜索はまた続くことになる。その日が始まりだというように、切理子と真奈は同じ捜索を共有することになった。




 いくつかの経験と過程を経て、切理子は真奈といくつか衝突をすることもあった。彼女の優秀さは認めているが判断の傾向としては切理子の反対を向いているというのも事実である。


 あるとき切理子は我慢できなくなって苦言を告げることにした。


「光さん、いつも戦闘を開始するときに自分だけ先行するのはやめた方がいいと思う」


 捜索を終えて二人で入浴にしているときに、切理子は向こうで湯船につかり大きく息を吐いている真奈にそう告げた。


 二人だけの話をするなら寮の部屋でするのが最適であるのだが、銭湯には二人を除いて誰もいなかった。そして今日の捜索時に新しくついた真奈の怪我を見たときに切理子は衝動的にそう話を切り出していた。


 真奈は頬を緩ませるとくつろいだ体制のまま顔だけ切理子の方へ向ける。


「でもさ、私のアイリスとしては私がひきつけた方が効率がいいのは確かじゃない?」

「否定はしないよ」

「そうでしょ?」

「だけど危険ではあるのも事実」

「危険?私が?」

「今までは問題なかったのかもしれないけれどあなたに危険が及ぶ可能性は避けられない」

「そうだね」

「なら立ち回りを考え直したら?」

「でもこれでいいの。というよりこれしか戦い方を知らないから」


 切理子はそれ以上何も言わなかった。真奈を見放したわけではなく、彼女の言うことも十分理解できるからだ。何より切理子が真奈を気遣っているように思えてそれを打ち消したかったからだ。

 その沈黙をどう受け止めたのか、真奈は朗らかな表情から真剣なものへと切り替えた。


「ごめんね。だけど五月原さんからそう心配してくれるれるとは思わなかった」

「別段心配をしているわけではないけど……」

「本当なの?」


 いたずらにほほ笑む真奈の視線から逃げる。真奈はその場から動かない。物理的な距離があっても、真奈が近く見える。ただの捜索の相手としてではなく、自分の中で彼女の存在が見過ごすことができないくらいになっている。


 切理子はこの時に理解してしまった。


「さっきのは忘れて。私らしくもなかったことを言った」


 頭の中にふと浮かんだ言葉を消し去るように切理子は湯船に身を沈めていった。あるはずのない自分の理由。遠ざけようとすればするほどにその輪郭が浮き彫りになっていく。


 その時に理解してしまったのだ。自分の中で真奈は遠ざけるには難しい。それほど輝いて引き付けている者だということを。


 真奈のチームが全滅して切理子だけ生き残ったのは、それからしばらくしての話である。



































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