第7話 予言

 

 五月原 切理子は自分の缶ジュースを一口飲み、そして守谷 古降の顔をもう一度見た。

切理子の視線を気にしてびくついていた彼女ではなく、凛とした視線を向けていた。

 その目が語っている。嘘ではないと。


 切理子もそれを疑うつもりはなかった。だが聞いた内容はあまりにも突拍子すぎて、そして想像していなかったことだ。古降から告げられたものはまるで予言である。


 いや、予言なのだろう。この学園でならそれは非現実的な意味ではない。


「あなた……それ……予言だといっているの?それってまさか……あの人の?」

「はい……言いたいことは分かります。私は……」

「待って。ちょっと整理させて」


 切理子の胸のざわめきは無視できるほど小さい。しかしないわけではないのだ。初対面の彼女が語ったこと。予言を受けたという意味をこの学園の中で知らない人はいないはずだ。


 その意味を一つ一つ確認しながら、切理子は渦巻く胸中の中から疑問を取り出していく。


「まずどうしてあなたがあの人の予言を伝言できるの?」

「それは……信じられないかもしれませんがあの人と交友関係があって……」

「交友関係?」

「これは誰も知らないことなので……寝耳に水かもしれませんが私はあの人と友達だと思っています。それで秘密裏にですが会って話をすることもあって、先ほどの予言はその時に教えてもらいました」


 その言葉はたどたどしい口調の彼女にしてはゆるぎない芯が走っていた。


「信じるわ」

「ありがとうございます」

「それで私に関する予言が降りてきたから、私にそれを伝えようかどうか考えていたわけね。考えあぐねていた理由も分かってきた」

「はい……」


 切理子は空き缶を握りしめて空を仰ぎ見る。学園の生徒であるならだれもが知っているあの人の予言のアイリスだが、それに直接関係を持つことになるとは予想だにしなかった。

 古降が教えてくれた予言の内容を頭の中で反芻する。抽象的な表現などはなく、ありふれた言葉が連なっていたそれはそれゆえ絶対的な未来を示唆しているようで切理子に重たくのしかかっていた。


 だが……。切理子は視線を空から古降に戻すといつもの彼女のように尋ねる。


「守谷さん。予言の内容はそれで全部?」

「はい」

「そう……」

「五月原先輩もこれがどういう意味かは理解できますよね。予言といっても、あの人の予言はほぼ確実。予言というよりは決まっていた未来を読み聞かせてくれたというようなものです」

「知っているわ。だけどあの人の予言を回避する方法もあるのも確かでしょう?」


 切理子の返答に、古降は無言で肯定する。言葉にせずとも理解した切理子はまた語り続けた。


「あの人の予言は前提となる行動がある。それゆえに対策も可能よ。その行動をしなければいいだけのこと。だからあなたは私を捜索に向かわないようにと忠告に来てくれたのでしょう?」

「そうですが……その結果がどういう未来になるかはまた未知数です。

 それに私の忠告にそれほど説得力はありません。私がそう告げ、先輩がそれを守るつもりがあるとしても、必ず守ることができるとは限りません。

 いいえ、あの人の予言が導き出した以上そうなるほうが高い」

「つまりどうであれ私はその予言が紡いだ未来を辿ることになるということね」

「予言の結末を変えるのはそう簡単なことではありません」


 静寂が重たくのしかかる。泣きそうな顔になりつつある古降を前に、切理子の返答は一つに絞られる。


「そうね……私の意思とは反して捜索に行かざるを得ないことにある場合もある。そういう約束もしているからね。そうなると予言が実現する可能性に至るのは否めないわ。

 でもね、その予言は当たらないと思う」


 空き缶をゴミ箱に投げ入れると不安げに目を潤ませている古降に対して、切理子は淡々とした口調で言い放つ。


「私には大切なものなんてないから。なくなったから」


 予言が絶対であったとしても、この事実もまた切理子には絶対なのである。



 


 珍しいことは重なるものだと、戸依 由紀は現実の展開に半分喜び半分うろたえていた。隣をともに歩く切理子の横顔を盗み見て、ともに銭湯へと向かっている事実を自覚すると、ほんの数刻前のやり取りを思い返していた。


 切理子の行動は気持ち悪いほどに固定化されており、例えば由紀が寮に戻るときにはすでに彼女は寮の中で待機しているのである。


 それが今日は自分が先に戻ってきて、その後切理子がしばらくして姿を現した。そういうこともあるかと思っていたのだが、切理子は現れたその時に一瞬ほど由紀の顔を凝視していた。


「どうかしました?」


 由紀の声に我に返った切理子は無味な目つきに戻る。そのままいつもの彼女の場所に戻ると後は時間だけが過ぎていった。


 昨日から見る切理子である。由紀にはそう見えたが、それは切理子がそう見せようとしているようだった。直観に近いものではあるが、やはりそれは見逃すことができなかった。


 徐々に部屋の暗さが広がりを見せ夜が始まろうとしている。由紀はほとんど思い付きで切理子に近づいて話しかけた。


「先輩はそろそろお風呂に行きますよね」

「そうね」

「なら今日は一緒にお風呂入りに行きませんか?」


 ひょいっと切理子の顔を覗き込みながら言ってみる。切理子は相変わらず乾いたものであり、呆れられながら断られるかと思っていたが返答は違った。


「どうして?」

「えっと、気分転換みたいな?」


 二人ともその姿勢のまま我慢比べのように止まっていた。そして先に動いたのは切理子だった。ふぅっと短く息を吐くと、ついっと窓に視線を向ける。


「そうね。気分転換も大切よね」


 そういうと流れる様な動きで切理子は準備を始めて、由紀は瞠目したまま彼女の背中を見つめるのだった。



 ちょっと前のやり取りを思い返してみても、切理子がどういう心境で由紀と銭湯に向かうようになったのかは想像できなかった。


「先輩はいつもこの時間にお風呂にでかけますよね」

「そうね。いつも銭湯が開いてからすぐに入っているわ」

「早いですね。この時間が好みなのですか?」

「誰もいないからね。今日は少しだけ遅いけど、銭湯に行くのは私たちだけのはずよ」

「一人でお風呂に入るのが好きなのですか?」

「別に。ただ一人の方が気楽なだけ」

「そうなのですか?」


 些細な疑問が由紀の脳裏に泡のように沸き立ったのだが、

それを言う前に道の続く先に銭湯が見えてくる。静かな活気が建物の向こうから沸き上がってきているのを感じていた。


「毎日通う施設ではありますけれど、時間が違うと感じることも変わってきますね」

「予想どおり今はまだ人がいないみたい。行くわよ」


 そのまま銭湯施設の中に入って脱衣所で服を脱ぐ。由紀も当然服を脱ぐのだが、脱いだ自分の服を見ているとなんだか我に返ってしまった。


(そういえば……五月原先輩の前で服を脱ぐのって初めてなんだよな……)


 自分で思った言葉に、由紀は取りとめもなく気恥しくなってしまった。

 一旦そう思ってしまうとその考えが脳裏に張り付いて振り払えなくなった。なぜ今になってそう思ってしまったのだろう。


 いつも使っている施設で、そこでいつも裸になっているのに。不特定多数に見せているのに。それが切理子に移り変わっただけのはずだ。

 でもそう言い聞かせるほどにそれは違うような気がした。


 それだけではない。切理子も服を脱ぐのだ。それはつまり彼女の服の下を見るということで……。


「戸依さん。どうしたの?」


 背後から切理子の声が届いてくる。


「はい?」

「ぼーっとしていたような気がしたけれど?」

「いえ。なんでもありません」


 由紀は振り返る。そこに切理子はいた。

何食わぬ顔でたたずんでいるのを、由紀は彼女の上から下まで眺めていた。


「先輩は……」

「何?」

「あーあの、スリムだなって」

「いきなり何を言っているの? 私先に入っているからね」


 その言葉を置いていくと、切理子は浴場へと向かっていく。ぼんやりと夢見心地だった由紀は慌てて後を追う。


 誰もいない浴場を二人だけで使う。それぞれで体を洗い、そのあとは湯船に体を沈めていた。数十人は入れる広さの湯船の隅で由紀と切理子はお湯に身を浸していた。

 近いとも遠いとも言えない絶妙な距離を保ちながら、由紀は思っていた疑問をぶつけることにした。


「ちょっと聞いてもいいですか?」


 由紀の声はいつも以上に響く。切理子は目を閉じたまま湯船の縁に寄りかかっていたが聞こえていたのだろう。


「何?」

「五月原先輩は一人が好きだって言っていましたけれど……今日はどうして私の誘いに了承したのですか?」

「そうね……」


 閉じていた瞳を開くと切理子は見上げた姿勢のまま語りだす。


「場所はどこでもいいと思っていた。戸依さんに話すことがあるのだけど寮でもよかったし、そしたらちょうどいい時にあなたから誘われたからのってみた」

「話したいこと?それは?」

「生徒会長のこと」


 由紀は切理子の言葉を脳内で反芻する。


「戸依さんは生徒会長のこと聞いたことある?」

「いいえ。一般的な意味なら知っていますけれど、そうではない意味がこの学園にはあるのですよね?」

「理解してくれてありがと。まず高等部内には生徒たちで構成される組織がいくつか存在する。チームもそうだけどその中の一つとして生徒会が存在している。

 この学園の生徒会は平たくいうと捜索に関するエリート集団で構成されていて、チーム内のいざこざの解決や捜索結果の分析や問題解決を主に担当している。

 要するにチームで困ったことがあったら助けになってくれる組織ということ。

今のメンバーも人格、能力、実績に問題ない人ばかりだから多くの支持を集めているわ」

「へぇ。それならそのうち関わり合いがあるかもしれませんね。そうなるとそのトップにいる生徒会長と呼ばれる方は非常に優秀な方なのですか?」

「そこはややこしくなるわ。まず生徒会長はほとんど顔を出さない。生徒会に関するすべての活動は生徒会長を介さずに行われている」


 切理子の話に由紀は次第に聞き入っていた。浴場はいまだ二人だけである。得心がいかない顔をしている由紀見て、切理子は鼻で笑うと続きを話した。


「生徒会長は非常に特殊なアイリスを持っていて、そのせいでほとんど外にでることはないの。いつも生徒会が拠点をしている建物の屋上で安静にしているわ」

「そうなのですか。事情は分からないですが私みたいな人からすればちょっとかわいそうですね。その人についての話はそれだけですか?」

「いいえ。その人のアイリスについてなのだけど……彼女のアイリスは予言のアイリスというの」

「予言」


 その二文字に対して重い響きが広がっていくとその後は虚空にたたずむような息苦しさが残っていた。


「そう、予言。どういう方法でかは分からないけれど、彼女は予言を口にする」

「ですが予言は予言でしかないですよね?」

「占いみたいなものではないわ。今現在で彼女が口にした予言はかなりの確率で実現している。それほど信頼があるわけ」


 切理子から見た由紀の顔は複雑で、難しいものだった。理解はできるが肯定はできないというように判断を迷っている顔だ。


「なるほど……その意味は私にも理解できました。同時に彼女がどれほど大切にされているのかも……」

「そうね。彼女についてはここまでにしましょう。それでそこからなのだけど話していい?」

「どうぞ」

「生徒会長が予言を行ったらしい。私が捜索を始めると、私の大切なものを失うことになる。そう予言したらしいの」


 不意を突かれたように口をぽかんと開けている由紀を前に切理子は立ち上がると、彼女を尻目に浴場から出る。


「話はそれだけだから」


 脱衣場に戻りバスタオルを手にしたところで、凍っていた時間が溶けだすように

浴場の向こうから駆け寄る音が近づいてくる。そしてものすごい勢いで扉を開けると濡れた体のまま由紀が突進してきた。


「いやいやいやいやいやいや、ちょっと待ってくださいよ。それを聞いただけで終わるわけにはいかないでしょう?」

「何か他に話すことがあるの?」

「先輩はその予言を信用しているのですか?」

「どちらの場合も考えている。的中するかもしれないし、外れるかもしれない。どちらの場合でも構わないと思っている」

「かまわないって、チームに参加している以上このままだと先輩は捜索に向かうかもしれないのですよ。それは不都合すぎませんか?」

「忘れたの? あなたと模擬戦してチームに参加することになっているのよ。強制的にね」

「その時と今では状況が変わっているじゃないですか?」

「それもそうね。なら私をチームから外す? 私を捜索から遠ざけたら予言は回避できるかもよ。それで問題解決でいいじゃない?」

「それは……いやです。問題がある部分を切り外すみたいなのは……いやですよ」


 胸の前でこぶしに力をこめながら、由紀は言い放った。


「仮に先輩をチームから外したとしても、別の方法で捜索に向かうかもしれないじゃないですか? ならチームとしてこのまま対策するのが最適だと私は思います。先輩だけの問題かもしれませんが、私はチームとしてそれを受け入れて共に乗り越えたいと思っています」


 由紀にとっては本能的に話したことなのかもしれないが、その回答は切理子の中にすとんと落ちていった。不穏分子を切り離すのではなく、それを受け入れながら問題に立ち向かう。

 由紀がチームとして必要だと考えていることを、切理子は垣間見てそして理解できた。


「あなたがそういうとは思わなかった」

「意外ですか?」

「そうね。でも悪い気はしない」


 着替えながら切理子は由紀の言葉を反芻する。今になって由紀にこれを話そうと思った理由が理解できた。自分では到達できなかったことを見つけたかったのだろう。由紀の回答は想像以上に切理子の心を動かした。


「あなたがそういうのなら、私はそれに従うことにする。予言を回避できるかは知らないけれど、その時が来るまでは対策を考え続けましょう」

「えへへ。ありがとうございます」


 固く静かだった空気が由紀の笑顔とともに柔らかさと温かさを帯びてくる。


「とはいえその予言でしたっけ?簡潔すぎて実際にどういうことが起きるのかは想像できませんね。大切なものというのが何かの手がかりなのですが……」

「あぁは言ったけれど予言が外れる可能性も零ではないのよ。私には大切なものがあるなんて思っていないし……」


 半ば定型句となりつつあるその言葉であったが、由紀は首を横に振る。


「その可能性もありますが、予言が的中するものだとするなら、五月原先輩に大切なものがあるというのは確定しているはずです。これからできる可能性だってあるはずでしょ?」

「なるほど。それじゃあ大切なものを失うとして、それで私が悲しむとは予言は言っていないわ。そうなるかもしれない。案外大切なものってその程度のものかもしれないわ」

「そうなのですか? 大切なものって私かもしれないですよ?」


 胸に手を当てて迫真の表情で迎える由紀を前に、切理子は鼻で笑った。


「それはないわ」

「嘘でもそうかもねって言ってくださいよ」


 切理子と由紀は銭湯からでると、外は夜が始まっていた。黒に藍色が流れる空にはぽつぽつと星が漂っている。星があるという無味乾燥な印象でも自分が上を見上げるくらいの余裕があるのを教えてくれる。


 予言のようにこの先のことはどうなるかは未知数に違いないが、少なくとも今はこれを由紀に話した選択を後悔することはないだろうと思っていた。


「ねぇ戸依さん。予言のことは朝井さんに話してもいいわ。それであなたがチームとしての問題と受け止めるのならそれでいい。でもチームとしての方針は変えないほうがいい。少なくとも残りのメンバーは見つけなさい」

「それが先輩の望みなら分かりました。ところでどうして私に予言のことを話したのですか?」

「あなた……私が何もしゃべらないと思っているわけ?」

「まぁそうかなって」


 舌を出して無垢な表情の由紀に切理子は何も言えなかった。実際過去の自分であったら話すことは選ばなかっただろう。でも今はチームとしてその組織の中にいる。その置かれている状況の違いであり、それはつまり由紀が理由でもある。


 そうだからこそ目の前のちょっと憎たらしい後輩にははっきりとは言いづらいのだろう。由紀も頭上の星を目を細めながら見つめていた。


「そろそろ夜が始まる頃ですね。晩御飯はどうしますか?」

「食べに行くけれど?」

「どこで食べに行きます?」

「あなたもしかして晩御飯までもついてくるつもり?」

「この流れはそうなることなのではなくて?」


 首を傾ける彼女を、切理子は冷ややかな視線で照らす。


「そこまで一緒になるつもりもないから。話すことも話したし後は別行動ね」

「えー?一緒にご飯食べませんか?だめですか?」

「だめ」


 その言葉を最後に、切理子は由紀の前から姿を消した。由紀は切理子のアイリスを思い出して、もう彼女が離れてしまったことを知るとその場で地団駄を踏み始めた。。


「もう。先輩らしいというと先輩らしいのですけれど」


 ため息を共にその言葉をこぼすと、由紀はもう一度夜空を見上げる。増え始めた星の景色を見て、切理子の予言の話を思い出し、そして話してくれたという事実を思い起こした。


 それに満足を覚えると、その場を後にして食堂へと向かうのだった。



 切理子がアイリスを発動したときには、由紀はもう遠くへ離れたと思っていたが実はまだ近くでたたずんでいた。由紀が向かう方向を確認すると正反対の位置にある食堂へと向かう。


 食堂の入り口でアイリスを解除すると、突然現れた切理子に周囲の人間は驚愕を浮かべながらも、すぐに数刻前の風景へと戻っていった。


 切理子の寮からは遠い食堂なので利用したことはほとんどないが、利用を禁じられているわけではない。いつもの顔を浮かべながら中に入り食事を選ぶ。

 メニューも細かい違いはあるが、料理の質については遜色ないものだった。


 適当なものを選んで、ちょうどいい空席を選ぶ。ただの食堂とはいえ自分の異物感はそこかしこから漂ってくるので、すぐに全部食べてここを後にしようと思っていた。


「あれ?五月原先輩じゃないですか?」


 その声とともに近づいてくるのは記憶にある顔だった。彼女は珍しいものを見たかのように興奮を覚えながら近づいてくる。

そして当然かのように切理子の前に座ると、朝井 咲乃はいただきますと声を漏らした。


 認めたくはないが行動が裏目に出ているようだ。これなら由紀の言うことに従った方がましだったかもしれない。自分から話すことはないので、距離は近いながらももくもくと二人で食べていたが、やはりとでもいうべきか咲乃は黙っているつもりはなかったようだ。


「五月原先輩はここをいつも利用していましたっけ?」

「いいえ」

「それなら今日はどうしてここを選んだのですか?きまぐれだったりします?」

「そういうことにしておいて」

「はい」


 咲乃は彼女らしい笑い方を見せたのちに、食事を始めた。近い位置にいるのに二人で別の時間が流れていく。切理子にとっては望んでいたことだがそれを用意されていると思うとなんだか気に入らない思いの方が強くなっていた。


 しばらく考えた後に切理子は咲乃に話しかける。


「ちょっと聞いてもいい?」

「はい。何でしょう」

「朝井さんは……同室の人のことどう思っているの?」


 そう尋ねると彼女はやや目を見開いただけで、笑うのでもなく普通に答えてくれた。


「それほど付き合いがあるわけではないですね。でも頼りになる人だと思っています。向こうも私のことを助けてくれています。それが同室の年上としての義務感からくるものなのか、本心から望んでいるものなのかは分かりませんが。

 ですがどちらにしろ私には十分な支えになっていますね。

 といっても向こうが多忙なのは私も知っているので、あまり負担にならないように心がけています」

「いい関係ね。お互いがお互いを尊重しているように見えるわ」

「戸依さんとはそうではないのですか?」

「嫌いあっているということではないわ。私も邪険にするつもりはないし。だけどちょっと向こうがこっちの間合いに気軽に入りすぎだと思っている」

「あー五月原先輩はそういう距離感を重視しそうですね」

「理解しているようね」

「戸依さんは違うと遠回しに言っていますか?」


 切理子は首を縦に振る。なんとなく楽しそうな咲乃にこのような話をするのは気がひけるが、咲乃は胸に留めていてくれるように見えた。


「まぁあの子もちょっとは顔色をうかがうことができるのだけど、少し隙を見せると尻尾を振り始めるのよね。お風呂に入った後に一緒に食事にまで来ようとする」

「あ、もうお風呂に入った後なのですね。道理でさっぱりしているなぁと思いました。でもお風呂には一緒に入るのですね」

「うん」

「うーん。そのままでいいのではないですか?私目線からだと結構いい関係のように見えてますよ」

「適当いってない? 時々あの子が何考えているのかが分からなくなる」

「いえ。本当にそう思っていますよ」


 咲乃はその後食堂の向こうから誰かを見つけたらしく立ち上がり手を振り始めた。

また誰か人が増えるのかを切理子は辟易することになる。


 咲乃が呼んだ人は二人のもとに足早に近づいてくる。


「朝井さん。ここにいたの?」


 怜悧で落ち着いた声音だった。それが切理子の嫌な記憶を引き出してくる。

 見上げると夕食を両手に持っている女生徒が咲乃に近づいていた。咲乃はそれが誰かを理解すると、微笑みが沸き上がったかのように喜色を浮かべる。

 切理子は一目見て彼女が朝井にとって誰なのかを理解した。


 そしてここの食堂を選んだことを心底後悔した。


 女生徒は咲乃を見て、そして切理子を見た。その瞬間に彼女の表情が一変する。その視線は明らかに触れるだけで切れてしまいそうな鋭いものを帯びている。


「朝井さん。切理子と知り合いなの?」

「はい。阿智先輩も知っているのですか?」

「まぁね……付き合いは長いよね?切理子」


 切理子は彼女の問いかけには何も答えなかった。


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