第6話 警告
由紀と切理子が過ごした時間は数週間にも満たないほどの時間ではあり、由紀が切理子を知るにはまだ短すぎる時間であるのは間違いない。
だが知ることもある。例えば時間があると寮の部屋の出窓に座り、ぼんやりと外を眺めてばかりなことや、浴場に向かう時間は必ず夜遅くなこと、消灯の時間を守ること、そして目覚めの時間も守ること。
規則正しい一定の生活を何かにすがっているように守っている。
そして由紀が目覚めるときはたいてい切理子はベッドで目を閉じていて、だから彼女は切理子の寝顔を観察することができた。
眠っているのは間違いないのだが、切理子の寝顔はそこだけ固定されているかのように変化がない。一日見れば満足するようなものだが、それを見るのが由紀の一日の始まりの象徴であった。
この日も彼女は何事もなく目覚めて、向かいの切理子の姿をのぞこうと起き上がった。だがいるはずの切理子はそこにはいなかった。きれいに片づけられたベッドが残されているだけである。
きっと早く起きたから外を散歩しているのだろう。そうであるのだが毎日から外れた景色を前にすると悪い方に考えてしまう。
寝間着の姿のまま部屋の外に向かうと、そのまま寮の外へと向かおうとする。その瞬間に由紀を呼ぶ声が背後から聞こえてきた。
「戸依さん。どしたの?」
振り向くと切理子が立っている。由紀がそこにいるのが理解できずに怪訝な顔つきだった。由紀は何かを話す前に彼女に近寄ると存在を確かめるように両手を握りしめた。
「先輩。どこにいたのですか?」
「どこにって、のどが渇いていたから給湯室で水を探していたけれど?」
「それだけですか?」
「それだけ」
由紀はじぃっと切理子を見つめていた。頑張って彼女の胸中をのぞこうとしているような強い視線を作る理由が分からず、切理子はそれを受け止めていた。由紀はその後いつもの切理子が知る彼女に戻る。
「いえ、すみません。朝起きたらいなかったから……」
「私だっていつもより早く起きることもあるわ。そんな切羽詰まった顔をしてどうしたの?」
「あ……私そんな顔しています?」
由紀は自分の頬に手を当てる。指先から伝わってくる感触がどういうものかわからず、ただ切理子の顔を見る。いぶかしげな顔をしている切理子は由紀の顔を見返して胸にたまった息を吐いた。
「そんなに心配することだったわけ?」
「いえ……でも毎朝起きるときに眠っているはずの先輩がいなかったから。なんでもなかったのなら大丈夫です」
「あなたいつもそういうことしているの?」
由紀が目覚めると切理子が寝ていることを確かめている。その事実に気づいて若干の寒気は覚えた。観察しているだけなら自分には無害だろうと思いなおし、彼女は部屋に戻る。
まだ水平線から太陽が顔を出し始めているような明け方の時間だった。冷たい空気に満ちた廊下を歩いているのも二人だけで、部屋に戻ってもそれは変わらない。
「このまままた起きる時間まで寝ようかと思っていたけれど、戸依さんが変なことをいうから眠気がなくなっちゃったわ」
「変なこと?」
「なんでも」
時間が二人の間で刻まれる。切理子は彼女の場所に座る。平常を求めていたのかもしれないが、期待したものは得られていない。自分の呼吸を数えるだけで時間が過ぎていく。言葉を探している自分がいる。
目覚めた瞬間の生ぬるい感覚がまだ身に染みている。そしてそれ以前に何を見ていたのかも。
誰かに話しておかないとまた同じことを繰り返してしまいそうだ。根拠のない憶測だが、そういった感覚を捨てきれなく半ば切理子は衝動的に話し出した。
「夢を……見てね」
「夢?」
「一年前の頃の自分だった。夢に出てきたのは私のよく知るあいつ」
「お墓の人ですか?」
切理子は何も言わなかった。だがそうなのだろうと由紀は直観的に察した。そしてそれを切理子から口に出したということは、その人のことを聞いてほしいのだろうと結論付けた。
「その人はどういう人だったのですか?」
「私とはかみ合わない人。いつも笑っていたし、明るくて、いろんな人が周りにいた。私が持っていないようなものを全部持ち合わせているような人」
「そんな人とどう知り合ったのです? 五月原先輩の性格ならそういう人とは距離を開ける様な気がしますけれど?」
「あなたそれ、自分でいう?まぁいいわ。そいつはなんでか知らないけれど私をことあるごとに捜索に誘うの。私はいつも無視していたのだけれど、それでもめげずに誘い続けるものだから根負けして同行することにした」
文字をなぞるように言うことを確かめているような口調であったのが、次第に言葉が滑らかに紡がれていく。
「そいつの実力はそこで十分に理解したわけ。指揮、判断、個人の能力、知識、推察力と全てにおいて並外れていた」
「先輩が言うのですからよほどのものだったのでしょうね」
「あなたのそういう私への信頼は理解できないけれど、客観的に見ても相当の実力者であったわ。だからみんなから信頼されて周りに人がいたのでしょうね」
切理子はそこはかとなくむなしくなってきた。話し始めたのは自分からなのだが話して思い出すほどに、そこにはいないあいつの姿を目の前に描いてしまう。届かないものを求めている自分を見てしまい、かなわないものを夢見ている自分をのぞいてしまった。
「どうして……そんなあいつのことを今になって夢に見ちゃうのかしらね」
ぼんやりとつぶやいた言葉を、眼前にいる由紀がしっかりと受け止めていた。目を閉じ受け止めて、そして目を開く。くっきりとした由紀の双眸には切理子がはっきりと映っていて、切理子がそれに気づいたのと同時に由紀はさらりと語った。
「夢というものについて知ることはあまりないですけれど、その人は五月原先輩にとって大切な人だったのだと思いますよ」
大切な人。きっとそうなのだろう。そうでないのならいまだに彼女のことを忘れてはいない。でもそれを自覚するほどにむなしさが大きくなってばかりだった。
「そうね。その時はそういう自覚はなかった。でも今になってみれば確かにそうかもしれないかもね。だけどもういいの」
切理子は立ち上がり息を吐くように告げる。
「そいつはもういないし」
いつの間にか部屋に朝が到来しており、それに従って切理子の過去の話は終わり、この日の始まりが告げられた。
戸依 由紀は昼になると今まで行ったことない場所へと進んでいった。いつも使う食堂を通り過ぎてその先へ向かう。
「戸依さん」
振り返ると高島 来夏が手を振りながら近づいてきた。
「高島さん。どうしたのですか?」
「戸依さんが一人で歩いていくのを見てたから、一緒にお昼食べたいなって思って」
「もちろんいいですよ。でも先に別の人とお話があってそこへ行ってもいいですか?」
「別の人? かまわないよ」
「ならついてきてください。高島さんが来ることにはその人も悪く言わないと思います」
そのまま歩き始めると、来夏は隣の席で見る彼女とは違い顔に影を落としていた。些細な違いだがその表情の機微を由紀は見落とすことはなかった。そして来夏も由紀が察知したことを、直観的に感じ取ったのだろう。
「あの、ごめん、戸依さん。一つ謝っておきたいことがあって」
「謝る?何をですか?」
「戸依さんのチームに入ってくれそうな人なのだけれど、私の知り合いからは見つからなかったの。期待させるようなこと言ってごめんね」
「そんな……私のために行動してくれただけでも十分ですよ」
「そうは言うけれど……私は戸依さんにいい話を持っていきたかったよ」
「結果はそうなってしまったかもしれないですが私は私のために行動してくれたことに感謝したいと思います」
「戸依さん……ありがとうね」
二人が歩いていく先には開けた広場がある。学園は一番大きな通りに沿うようにいくつかの場所に休憩用の広場が点在している。その中の一つで今はその広場の前に一つの車が止まっていた。
ワゴンタイプの車はバックドアを開くとそこに様々な形をしたパンが敷き詰められている。昼の時間に現れる車内販売の車で、周囲には何人かの生徒が集まっていた。由紀は遠くからその集団を作る生徒の顔を眺める。
目的の生徒が見当たらないことに気づき、彼女は首を傾げた。
「誰か探しているの?」
来夏の問いに由紀は首を縦に振る。
「ここにいるって聞いているのだけど見当たらないね。私が場所を間違えちゃったのかな?」
一抹の不安が芽生えていると、車内販売の売り子が近づいてくる。一瞬身構えた二人だが、由紀はその人物の正体に気づくとすぐに自然体になった。
「戸依さん。こんにちは」
「朝井さん。見当たらないと思っていたらそんな恰好だったんだね」
朝井 咲乃の服装は制服ではあるがその上にエプロンと頭は三角巾を巻いている。売る側の立場にいたというのが盲点になり、咲乃を見つけることができなかったのだろう。
由紀が何かを言う前に咲乃は両の掌を合わせてウィンクをする。
「ごめんなさい。話はちょっと後でいい? 今アルバイトの最中なの」
「その服装はそういうことなのね。でもそこまでして働いているのってやっぱりお金のことですか?」
「そのとおりですよ。そういえばお隣にいるのは高島さんじゃないですか」
口をぽかんと開けていた来夏は名を呼ばれると同時に気を取り直す。
「戸依さんの知り合いって朝井さんだったんですね。これは人の世界は小さいものですね」
「知り合いですか?」
「そうね。いろいろと」
咲乃が簡潔に答えると、後ろから誰かが彼女を読んでいる。同じエプロンと三角巾を身に着けている女性はおそらくパン屋の店主なのだろう。
「咲乃ちゃん。ここは任せていい?」
「はい大丈夫です」
「じゃあこのケースに入っているものをよろしくね。あたしは別の場所へ向かうから」
女性はその言葉とともに咲乃へいくつものケースを渡し、そして車に乗り込むと別の場所へと向かっていった。咲乃が渡されたケースは、傍目には一人では持ちきれないような数だった。どうするのだろうと由紀は疑問に思っている前で、咲乃は背中を見せたまま語りだす。
「戸依さん。今日ここにあなたを呼んだのは私のアイリスについての説明をしたかったからです」
咲乃が振り返り、不敵な口調とともにそう告げる。すでに彼女の双眸には印が浮かんでいた。
「見せてくれるのですか?」
「百聞は一見に如かずということで」
咲乃は両手でパンが入ったケースを持ち上げる。またケースは残っていた。けれども、咲乃はまたケースを持ち上げた。すでに彼女の両手はケースで塞がれている。
残りのケースを持ち上げたのは咲乃の両手ではなく、咲乃の周りに浮かんでいる腕だった。複数の右手と左手が自在に動きケースを持ち上げている。
「私のアイリスは自分の腕と同じものを増やすことができます。それらは私の意志通りに動いて腕力なども同等のものを持っています。手数が単純に増えるものとみてもらっていいですね。いつもはこういうときに利用しているのですよ」
数にして4,5組程度の両腕だろう。全部のケースを持ち上げたところで、パンを買いに集まっている生徒に向かって声を上げた。
「それじゃあ!今から鈴屋のパンをお売りします!順番に来てくださいね!」
そうして咲乃はパンを売り始めたので、由紀と来夏は流れに乗って彼女からパンを買うことにした。
近くのベンチに二人で座りパンを食べ始める。お互いに会話をせずに黙々と食べていたが、由紀はパンから口を離す。
「高島さんは朝井さんのことを知っていたのですね」
サンドイッチを口にくわえていた来夏はそのまま由紀の顔を見る。しばらく目線を固定させた後に何度か頷く。
「彼女……結構有名だから。捜索方面だけじゃなくて、研究のほうも。私も戸依さんと朝井さんが知り合いだったのはびっくり。戸依さんと朝井さんが知り合いということは、捜索関係のこと?」
「そのとおりです。朝井さんは私のチームに参加してくれているの」
「やっぱりそうなんだ」
「朝井さんも研究活動をしているのですか?」
来夏は迷ったようにはにかんだのちに首を横に振る。
「彼女はね、アイリスを持っている人の間でも特殊な、珍しい体質を持っていて……えっと……」
「全部話していいですよ」
二人が見上げると空のケースを両手に持ちながら咲乃が歩いてくる。由紀の隣に座ると、最後に残っていたアンパンを口に押し込んだ。
「高島さんは戸依さんとお知り合いだったのですね。お互いに共通の知人がいるというのは幸運を感じてしまいます」
「私もそう思う。それで全部っていうのは?」
「そうですね。戸依さんは疑問に思っていませんか?」
咲乃は得意げな表情を浮かべると自分の右手を眺めながら語り続ける。
「私が所属しているチームは十数になります。当然捜索に向かう機会も多くなります。その間これを使うことは自然の流れです」
自分の右目を指さしながら咲乃は語った。その時に由紀は咲乃が話そうと思っていることを察知した。
「そんな多くの捜索に参加しているとして、朝井さんのアイリス値は下がらないの?」
「その疑問が欲しかったのですよ。答えは下がりません。理屈は分からないのですが私のアイリス値はほとんど変化せずに平均値よりもやや上回り続けているのです。どれくらいアイリスを使っても、変化がないのだから面白いですよね」
「それは……特異体質といわざるを得ないですね」
それにより多彩な場面でアイリスを利用しているということなのだろう。数刻前のアルバイトの風景を思い出しながら、由紀は最後のパンを口に押し込めていた。
「私はその体質についてはありがたく思っています。それがあるから捜索に多く参加できて、それ以外の場面でも有効に活用することができる。最終的にたくさんお金を稼ぐことができるのです。
ですから研究機関の方に協力してもらい、その謎を解明しようともしています」
「それもお金のためですか……」
そうつぶやいたのは来夏だった。どこか複雑な顔を見せている。
「朝井さんが協力してくれるのはありがたいですが……
個人的なことを言うとお金のために活動しているというのは私の信条とは違う方を向いています。アイリスをそのような目的で使うというのはいかがなものかと思いますよ。アイリスはそういう俗物的なものではなくて……」
そこまで言った後に、来夏は咎めるように口を閉じる。
「すみません。そのような話をするために集まったわけではないですよね。ところで戸依さんは朝井さんと何を話すつもりだったのですか?」
「話のことはもうほとんど終わったかな?朝井さんのアイリスを聞いておきたかったのと、四人目についてはどういう人を選んだ方がいいのかということ」
「私のアイリスを知りたいというのは、そこが背景にあるということですね」
すでに知っているというように深くうなずく咲乃を前に由紀は笑顔のまま尋ねる。
「朝井さんは四人目についてはどういう人がいいと思いますか?」
「そうだね……戦闘のアイリスで考えるなら、回復系か敵をコントロールすることができる人かで考えたらいいような気がしますけど……どちらかというとアイリスより性格面を重視したほうがいいかもしれません。チームとしてまとまりを得るにはそのほうが重要だと私は思います」
「性格……それは考えていなかったです。どういう人がいいのですかね?五月原先輩みたいな冷静な人ですか?」
「いいえ、私たち三人とは被らない人のほうがいいでしょうね」
「そうですか……想像もつきませんね」
自分の足をぱたぱたと動かしながら由紀は唸る。その横顔を朝井は見ながら頬をいじりながら語った。
「とはいえども、そういう人が来てくれたらの話であってそう都合よく現れるとも限りません。まずは地道に勧誘活動を続けてみるのが最適かと思いますよ」
「そうですか……。でもすぐに見つかると私は思います。なんとなくそういう気がします。ありがとうございます。朝井さんと相談できてよかったです」
文字通り満開の笑みを見せる由紀。昼休みの終わりを告げる予鈴が静かに鳴り響いていた。
五月原 切理子は放課後にずっと校内を歩き回っていた。訓練施設や外の運動場。他の生徒たちが歓談に明け暮れている食堂。空き教室。向かう場所に関連性は見当たらない。それは当然のことで、本人が何も考えずに歩いているからだ。
目的もなく歩き回った後に校舎をつなぐ渡り廊下の周辺にある自動販売機の前に立った。
売られているものをぼんやりと読み上げながら、一つの確信を抱く。
(見られている……)
気のせいではない。先日由紀たち三人と資料室ではなしていたとき。その時は疑念に近いものだった。しかし今さっき校内を歩いていた中でそれは確信に変わっていた。
今も物陰からこちらを見る視線が切理子にまで届いている。それをたどればその視線の持ち主まで向かうことは簡単なことである。言い換えるとこちらにその視線を気づかされるほど相手の気配の消し方がお粗末であり、そのような相手がどうして切理子を見ているのかという疑問が新たに生まれてくる。
しばし黙考したのちに、切理子は一番単純な方法を選ぶことにした。その決断ののちに彼女は瞳に印を浮かばせたのちに誰からも、何からも捕らえられなくなった。
切理子が感じていた視線は間違いではない。彼女の姿を見つめていた彼女は確かに存在していた。今も自動販売機の前に立つ切理子の背中を物陰からうかがっていた。
視線は切理子に固定されていたが、彼女の頭は様々な思考がうずまきあっていた。どうするべきか、どうしないべきか。決断を迫られているのに、そこを選べず切理子との距離を縮める方法が思いつかないでいた。
結果として切理子との距離を維持することを選んだのだが、それは間違いだったのだろう。見つめていた彼女の姿が瞬きした瞬間に消えてなくなった後に、彼女は自分が見ていたことが切理子に知られていたのを理解した。
考えれば放課後の切理子の構想は不自然なものに違いない。どこに向かうでもなく構内を歩き回っていたのは自分をあぶりだすためだったのだろう。
それに気づいた瞬間に、彼女の目の前に切理子が現れた。
「ひゃっ……ひゃあぁぁああぁ!」
突如として目の前に現れた切理子の迫力に、何とも言えない奇妙な悲鳴を上げた彼女は、バランスを崩して後ろに倒れそうになる。
だがその体を切理子が支える。流れとして切理子は自分の腕に彼女を抱える形になった。そのようなつもりはなかったのだが、そうしてしまうほど彼女は華奢で小柄な体躯をしていた。
小動物のように震え、荒い呼吸を繰り返す彼女は野暮ったい眼鏡の向こう側でうるんだ瞳をこちらに向けてくる。
「落ち着きなさい」
その声掛けが正しかったのかは分からないが、切理子が思いつく言葉はそれだけだった。
抱えるように彼女を連れていき自動販売機の近くのベンチに座らせると、切理子はその隣に座った。膝に手をつきうつむいている彼女を前に、切理子は対応に迷っていた。
自分を監視している者の目的を知るためには本人に聞くのが簡潔に違いない。
そのように思ったのだが、見ていた相手というのが想像していないようなタイプだった。
とはいえ話さないと始まらないのだろう。切理子は自動販売機で買った缶ジュースを開けると、そしてもう一つ買っていた缶ジュースを半ば押し付けるように彼女の胸にあてた。
「あの……」
「いいから。受け取って」
彼女は何も言わずにそれを受け取ると両手で抱えてちびちびと飲み始めた。小動物のような愛くるしい仕草だ。きつく結わえられた二つの三つ編みや大きめの眼鏡などの見た目からも彼女がどのようなふるまいをするのかがうかがえる。
そのような彼女が自分を付け回す理由は想像できなかった。
「私は五月原 切理子」
話の切り出し方を迷ったすえに、とりあえず名乗り出ることをしてみた。切理子の突然の名乗りに、やや狼狽している彼女であったが切理子へ向き直るとお辞儀をした。
「えっと、はじめまして。私は守谷 古降といいます。あのどうして自己紹介を?」
「私のことを知らないかどうか分からなかったから。でもその調子だと知っていたのね」
「はい。一方的に知っていました」
「そうなると私と知っていて、私を見ていたということになるけれど?」
古降は缶ジュースに目線を移す。沈黙は肯定に違いないが、自分が想像するような事情ではないというのを切理子は直観的に感じ取っていた。
「守谷さん。別にみられていたことが不快だったわけではないし、あなたの行為に憤慨しているわけでもないわ。だけど気づいてしまったからにはあなたが私を見ていた理由は知っておきたいの」
「五月原先輩のおっしゃることは分かります。そうすべきだということも。でも何をどう話したらいいのか私の中でもまとめきれていなくて……」
「そう。ならあなたから話そうとしなくてもいいわ。私の質問に簡単でいいから答えてくれる?私を見ていたのは何が目的だったの?」
古降は自分の膝を見て、切理子を見て、また自分の膝を見て、そして答えた。
「伝えたいことがあるからです」
「伝えたいこと?」
「だからその……五月原先輩を見張っていたとか、付きまとっていたわけではなくて、それを伝えていいのかどうか迷っていて、伝えようと思っていたのですけれどいざ先輩の前に行くとそれでいいのかわからず、でもやっぱり伝えなきゃいけないと思っていて……それで判断がつかなくて」
「そう……何を伝えたいの?」
古降はまた考え込む。
「私にとって都合の悪いこと」
「そうです……」
「話して」
「でも……」
「話してほしいの」
「いえ……その……」
切理子は何も言わなかった。これ以上言うこともなかったのだろう。ただそれだけのお願いであるのを古降は察した後に、もう他に選択はない
「はい……ここまで来て話さないというのは適切な行動ではないですね。分かりました……話します」
伏し目がちで人の目線を避けているようだった彼女の表情は固い意志を宿らせると強いものへと変化した。切理子もどのような言葉であっても受け止める覚悟ができていた。
切理子も古降も静かだった。風が駆け抜けることによる自然の方がよほど騒がしいくらい。しかしそれも落ち着きを取り戻していき、静寂が訪れる。
それを待っていたかのように古降はゆっくりと口を開いた。
「五月原先輩。あなたは捜索に向かうべきではない。このまま捜索に向かうことになるなら、あなたは大切なものを失うことになる」
これまでのたどたどしい口調とは変わって、はっきりとした断定の口調による紡がれた言葉は、切理子の体を突風のように通り過ぎていった。
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