第2話 アイリス

 五月原 切理子は考えていた。捜索に向かわず寮の自室でじっとしているときに、することといったら他になかった。


 時折ふと思い立つときがある。なぜ自分が捜索に出向いていたのだろうか?

そのような力があるから?

 

 そうなのだろう。そのように生まれたからそうするべきがあるというだけの話で、自分の宿命としてはそうであるに違いない。祝福と呼ばれるような力を得た結果だった。


 そして今はそれをやめている。

 もって生まれた才覚を利用せずに日々を無為に消費している。切理子が今行っていることが間違っているというのは彼女自身理解していた。


 しかし自分から再開を決めるということはおそらくないだろう。いくら考えても結論は変わらなかった。そう決意していたときに現れたのが戸依 由紀であった。


 年相応の見た目にふさわしい寝巻に着替えた由紀は生徒手帳を触りながら、表情をころころ変えている。その様子を切理子は出窓に座りながら眺めていた。

 あの時の由紀の宣言はまだ記憶にある。


 由紀がその宣言を行って、切理子は彼女の理解できない部分に触れた。


「戸依さん」

「はい」

「あなた本当にチームを作れると思っているの?」

「はい。そうしようと思っています」


 自分を信じて疑わない笑顔を前に切理子は淡々と会話を続ける。


「確かに、規則上では新しいチームを作ることは禁止されていない。けれどそれは実現できるという意味ではないわ」

「五月原先輩は何を心配しているのですか?」

「チームを新しく結成するには条件がある。これは条件は一つだけ。学園内で捜索に参加するに足りうる技能を持つ生徒が四人いればいい」

「ちょうど私も学生手帳でそのところを見ていました。そうなるとあと二人は見つける必要があるということですね」


 由紀が自然に切理子をカウントに含めているのを切理子は指摘したかったが、今は元の話題を進めることにした。


「いい、この学校はかなり古い。名門校といっても差し支えないほどの歴史と伝統が積み重なっているの。その歴史の中心にあるのがあの『門』であり捜索の記録であり、捜索隊の歴史でもある。

 捜索隊は今はチームと呼ばれているけれど、既存のチームは歴史を持っておりそれに裏打ちされた経験とノウハウを備えている。

 つまりそういうチームが存在している中で、新規のチームを作ったとしてもその差は歴然。それに参加するのを決める生徒を見つけるのは容易ではないわ。生徒たちはそういう新規のチームに入ろうとは思っていないから。メリットがないもの」

「そうなのですね。だから私がチームを作るって宣言したとき、周りの人も困惑していたのですね」

「捜索をやめろとは言っていないわ。でもチームを作るのはやめなさい。既存のチームのどれかに入りなさい。あなたなら問題なくどこのチームも受け入れてくれると思うから。いずれにせよ私を巻き込むのはやめてほしいわ」


 壁に掛けられている時計を一瞥すると、切理子は体を引きずるように立ち上がる。


「そろそろ消灯の時刻ね。それじゃあおやすみなさい」

「はい。おやすみなさい。今日はありがとうございます。いろいろと案内してもらって」


 由紀の言葉には返答をせずに、部屋の明かりを消した。

 闇が二人の間を覆う。独りだけの部屋で眠りにつくときも一人だった。けれど今は由紀が隣にいる。その気配を避けるように切理子は背中を向けた。


 自分が話したこと、チームを作ることの困難さは間違いないはずだ。だが由紀は自分の言うことを理解したうえで切理子の忠告には従わないだろうという確信もあった。


 それを証明するように、背後から自分を呼ぶ声がする。


「先輩、先輩。起きていますか? だけど私はチームを作ろうと思います。その中には五月原先輩も入ってほしいです」


 切理子は答えなかった。暗闇の部屋の中でただ沈黙だけが続いていく。




 戸依 由紀の登校初日はつつがなく過ぎていった。彼女のクラスでの反応も多岐にわたり、無関心な生徒もいれば軽く挨拶をしてくれる生徒もいる。それらは予想できる反応だった。

 

 一つ驚いたことは担任が春日であったことだ。


「今朝は挨拶だけすませましたが、まずは一年間よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」


 昼休みのさなかに教室に現れた春日は、由紀を呼ぶと担任としての挨拶を済ませた。生徒としての接し方としてはかなり丁寧な対応で彼女の律義さを感じていた。


「それで戸依さん。おそらくですが捜索に参加するつもりではあると思いますが、そのためにはまずは健康診断を受けてもらいます」

「健康診断というと、それは一般的なもの以外も検査するということですか?」

「その通りです。といっても特別なことは行わないので気楽に構えていてください。明日の午前中に行いますから、指定した時間に保健室に来てください。授業は出席する必要はありません。

 注意点としては検査までには食事は控えてもらいます。詳しいことは手帳に連絡が来るのでそれをご覧になってください」


 春日が説明を終えると由紀の生徒手帳が震えメールの受信が来ていることを告げた。


「確認します」

「まだ一日目なので慣れないと思いますが、肩ひじ張らずに気楽に過ごしてみてください。といっても戸依さんはその心配はなさそうですね。それではまた」


 春日の背中を見送りながら自分の席に戻る。生徒手帳に届いたメールを見ていると、由紀は誰かの視線を感じ顔を上げる。彼女の隣の席からその視線が届いているようだった。


 目が合うとその視線の主ははにかんだ笑みを見せて視線を泳がせる。はにかんだ笑顔でも頬にえくぼができて、親しみやすそうな女生徒だった。しばらくあたふたとしていたが、やがて由紀へと視線を定めた。


「春日先生と何話していたの?」

「明日の健康診断のことです。えっと……」

「あぁごめんね。高島 来夏です。じろじろ見ちゃってごめんなさい」


 頬杖を突きながら来夏は好奇心を塗った瞳で由紀を見ている。


「いいえ。でも私に何か御用ですか?」

「そうだね。転校生が来るっていうのはちょっと前から噂になっていたからさ、この学園で転校生って結構珍しいんだよ」

「そうみたいですね」

「それでどういう人かなって楽しみにしていたの。そしたら出会ってびっくりした。だって昨日の岩獣を倒した人なんだよね?」


 話すにつれて来夏の語尾に熱がこもっていく。


「驚きました。私のやったことが結構広まっているのですね」

「まぁ久留儀先輩のあの催しは定期イベントみたいなものだから、直に見たい人は集まるのよ。目立つのは嫌い?」

「いえ、どちらかというと今はいろんな人の目に見てもらいたいという思いの方があります」

「それってチームを作るという話のこと?」


 笑顔とともに由紀は首を縦に振った。その瞬間に来夏との間に明確な距離が開いたのが感じられた。


「悪いこと言わないけれど、今から新しくチームを作るのは捜索に不利らしいわ」

「そうみたいですね。同室の先輩から聞きました」

「それでもやるんだ」

「決めたんです」


 昼休みの喧騒に包まれる中、二人の間にだけ静寂が歩く。来夏は由紀の根拠のない決意を理解できないと思いながらも、即答できるまっすぐさは由紀に似合っていると思っていた。


「そうなんだ。なら私は応援するよ。直接は協力できないけれど何か手伝えそうなことがあるなら相談して」

「ありがと。それだけでもうれしい。でも話しかけてくれたのは違うことが気になるからですか?」

「え?」

「どうやって私が岩獣を砕いたかが、つまり私のアイリスがどういうものなのかが気になると思ったので」


 先ほどと変わらない笑顔のまま、由紀は来夏にそう告げた。予鈴が鳴り響き午後の授業が始まろうとしているときのことだった。





 切理子は学棟の中の端に位置する建物の中に足を踏み入れる。授業で使われているものとは違い、棟内の雰囲気は雑多で落ち着きがない。どの生徒のだれが持ってきたのかもわからないガラクタが廊下の隅に並べられていたり、扉の向こうから誰かの声が際限なしに漏れ出ている。


 捜索を行うチームが自由に利用している施設ではあるのだが切理子はむずがゆさを肌で感じていた。目的の部屋まで向かうと中に入る。そこには久留儀 勇が座っていた。


 それとは別に部屋の隅でうずくまって泣いている女生徒がいる。勇は若干困ったように眉を合わせていたが、切理子の出現にばつが悪そうに顔に手を当てた。


「五月原じゃないか。めずらしいというかここに来るとは思っていなかったぞ」

「ちょっとあなたに用事があって。あなたならこの時間にここにいるでしょ?」


 彼女は泣いている女生徒に自然と目を向ける。その顔は昨日の岩獣を使った催しにも立ち会っていた女生徒だった。確か杉鳴と呼ばれていた人だ。


「久留儀……」

「そういう顔をするのは分かっているよ」

「うぅ……ぐすっ……久留儀先輩は悪くありません。私が悪いのです。私のアイリスが使い物にならなかったから……」


 聞いている言葉の断片から彼女が泣いている理由が昨日のことで間違いないようだ。見ると勇の傍には書きかけの反省文が無造作に置かれていた。


「反省文だけですんだんだ」

「まぁ実害はなかったからな。だが当面は活動を自粛したほうがいいと思っている」

「それが賢明ね。それでこの彼女はどうしてこうなの?」


 先ほどから頬を涙で濡らしている彼女を指さす。


「反省文には経緯説明が必要だから、その時のことを聞きたくて杉鳴 陽毬さんを呼んだんだ。そしたらちょっと悪い方向に考えてしまっているみたいでこうなっている。こういうときってどうしたらいい?」

「知らないわ」

「そうか。杉鳴さん。君のことを責めるつもりでここに呼んだわけじゃない。昨日のことで君に責任を押し付けるつもりはみじんもないから安心してほしい」

「で……ですが……私のアイリスがもうちょっと強力だったら……あのようなことにはならなかったかもしれなくて……それで久留儀先輩を悪い立場にさせているのは間違いないし……とても申し訳なくて……私なんていないほうがいいのかな……」

「そんなことはないよ。それに君がそうやって俺を心配してくれているのはとてもうれしく思っている。同じように君が悲しんでいると俺は心配になる。杉鳴さんにはいつものように真摯にチームに貢献してほしい」

「久留儀先輩……ごめんなさい。こういう私を見せるのは……よくないですよね……」


 それでようやく杉鳴 陽毬は落ち着いたのか、目はまだ赤いままだが漏らしていた嗚咽を止めた。


「彼女のアイリスがケーブルだけではなくて、岩獣を抑えていたの?」

「そうだ。物理的なものの他に、杉鳴さんのアイリスを併用することで、岩獣をほぼ無力化していた」


 勇の口調から陽毬に対する信頼が読み取れた。それを彼女も感じ取ったのか小さい声音で少しずつ説明を始めた。


「私のアイリスは……対象を動けなくすることができるのです。効果を発揮することができる対象は一つだけですが、かなり力が強い相手でも拘束させることは可能でした」

「実際岩獣ぐらいなら彼女のアイリスだけでも十分なんだ。物理的なケーブルは保険さ」

「そう。でもじゃあどうしてあの時の岩獣は拘束を振り切れたの?」


 切理子は当然の流れでその疑問を口にする。この場にいる誰もが思っていることだ。答えが見つからないため沈黙が始まるが最初にそれを止めたのは陽毬だった。


「それは……分かりません。でも私のアイリスを打ち破れるぐらいの力を突然に発揮したとしか考えられません」

「急に相手の力が上がったというの?」

「はい……そういう感触がありました。完璧に抑えていたものが急に膨れ上がったみたいなように……」

「杉鳴さんがいうなら俺も疑問には思わない。ただ岩獣にそんな力があるなんて聞いたことないんだよな……」


 再び沈黙へと戻っていくが、勇は何か決めたようで目を閉じて考え込んでいた姿から目を開く。


「よし、とりあえずその辺りは適当に誤魔化して反省文書いておく。杉鳴さんありがとう」

「いえ、私はこれくらいしか言えなくて申し訳ないです。それでは失礼します」


 立ち上がり陽毬は切理子の脇を通り過ぎようとする。その時に、陽毬は彼女と目が合った。何かを言いたそうに口をかすかに開けた。


 だがそこからは言葉が出てくることはなく、そのまますごすごと部屋の中から消えていった。彼女が何を言おうとしていたのかは、切理子は薄々勘づいていた。


 死神と言いたかったに違いない。


 その証拠に陽毬の顔には自分に対する怯えが浮き上がっていた。


「ところで五月原、用事って何のことだ?」

「昨日の動画は残っている? それをもらいたいの」


 勇はそれには何も言わず、口角を持ち上げる。近くにあるパソコンを起動して手慣れた手つきで操作を行う。切理子が後ろからモニターをのぞき込むときには目的の動画が表示されていた。


「これでいいか?」

「いいわ」

「だが無条件であげるわけにはいかない。やはり条件を提示させてもらうがそれでいいか?」

「何を望んでいるの?」

「どうして捜索に参加しなくなったのかそれを教えてくれよ」


 勇の言葉を皮切りに放課後の胡乱な空気とは正反対の張り詰めたものが、二人の間を走る。いくつかの視線を交わしながら、切理子は嘆息を漏らした。


「その質問には意味がないわ。私が正直に答える保証はないでしょ? 私が答えたものを、久留儀は受け入れるの?」

「そういわれるとそうなるな」

「だから条件を作るならもっと形になるものを選びなさい。おおかたその提案もたった今思いついたものなのでしょう?」

「やっぱり五月原では相手が悪かったな」

「というより交渉であなたに勝てない人はいないでしょう。そういう腹の探り合いを行うほどあなたは狡猾ではないわ」

「それって褒められているのか?」


 勇は気持ちよさそうに口をあけて笑うと、パソコンでメールソフトを起動し再度手慣れた手つきでメールを送る。切理子の生徒手帳にメールの受信を知らせる通知が表示された。


「いいの?」

「まぁ貸しにしておく。気が向いたら返してくれ」

「ありがと」

「だがそれでこれを見てどうするつもりだよ」

「あなたには関係ない」

「五月原は最近それだな」


 勇の瞳の色が変わっている。その変化は切理子にしかわからないようなわずかな変化だった。だが切理子には分かってしまう変化だった。


 切理子がそういう態度を選んでしまうことへの憐れみだった。その目を向けられる理由を切理子はよく知っている。だから彼女は舌打ちをして、語り始めた。


「私はね、もう捜索を行うつもりはない。それにつながる勧誘を受けるつもりもないし、それに関連する行動もするつもりはない」

「それは俺にではなくて、戸依さんに言うべきなのじゃないか?」

「そのとおりよ。でもあのようなタイプの人間に言葉で説明しても納得しないのは、私の経験が語っている。それなら別の方法を選ぶの」

「別の方法?」

「自分より強い相手がいるというのを教えてあげるだけ」

「そういうことか。だがこの動画だけで戸依さんの強さの理由が分かるか?」

「当然全部は分からないでしょうね。でも見てみるのは必要じゃない? 久留儀も知りたいでしょう? 反省文を全部捏造するのも疲れるじゃない?」

「気にはなるかな。アイリスではなくて……あの子がどうやってあの岩獣を真っ二つにぶち割ることができたのかというのは」


 勇はその言葉の後に、パソコン上で目的の動画を開いた。自然と切理子は勇の後ろに立ち同じ動画を見る。動画は由紀が岩獣に相対しているときの動画であった。


 瞳に印が浮かび上がり、剣を構えて、その姿勢のまましばらく姿勢を維持させる。その後大きく跳躍し流れるように剣を振り下ろす。


 日課とでもいうような動き。彼女にとっては造作もないことだったのだろう。


 あの時切理子は後ろから見ていただけだったが、別の視線から見ても受ける印象は変わらなかった。


「五月原はどう思う?」

「そうね。印も出ていたしアイリスは使っているわよね。まずあれぐらいの岩獣を破壊するにはその力を使う以外に実現することはできないと思う」

「アイリスを使うのではなくて、素の身体能力だけで破壊したという可能性はないか?印が出ているとはいえ彼女のアイリスが岩獣の破壊に使われたとは限らなくないだろう?」

「可能性はゼロではないわね。アイリスを利用できる年齢の人間は身体能力が常人の数倍に卓越しているというのは周知の事実だから。だけどその強みがあってもあの岩獣を前にしてはないも同然のこと。考えるだけ無駄よ」

「ならアイリスを使っていたというわけなのだが……そのアイリスを推察できる要素が動画からは見当たらないな……」


 切理子は後ろから勇が持つマウスを奪うと動画の再生時間を戻す。由紀が岩獣を破壊する寸前のところが表示され彼女の横顔が映される。


 昨日であった時の彼女の姿がそのまま映し出されている。不敵な笑みを浮かべながら敵に対峙しているのが映っている。切理子はさらに再生時間を戻す。


 そこに映ってある由紀の顔を確認して、切理子は自分の推測か一つ形になるのを感じ取った。


 勇は切理子の表情の変化を見て語りだした。


「アイリスという人間が生まれつき持っている特殊能力を発動したときは、共通して外見的特徴が現れる。アイリスを使用した者の両目に印が現れることだ。その形は使用者ごとに独自の形をとるが、印が現れることに対しては共通している。

 切理子はそれを確認していたのか?」

「そうね」

「何か気づいたことがあるのか?あぁ、いやいい。それは楽しみにしておくよ」


 切理子にだけ分かるような挑発的な口元を勇は横目に見つつ、それには気づかなかったふりをする。


 勇は切理子をよく知る人間の一人だった。

 同時に出会ったときから同じような態度を見せる人間でもある。昔からの人当たりの良さを変えないというのは彼なりの優しさではあるのだが、切理子にとっては不愉快なことでもあった。


 勇がそういう態度を続けるのには優しさの他に打算もある。その態度を見せていたら、切理子の捜索に対する考えも以前のようにもどるかもしれないということだ。


 それは切理子も知っているし、それを持つことは否定はしない。だが、だからこそ不愉快だった。


「勝つつもりでいるのか?」

「当然よ。これについては容赦しないわ。だってあの子生意気だもの」


 そういい放つと、切理子は勇がいる部屋をあとにするのだった。




 久留儀 勇は切理子が出ていった後も、由紀の動画を見続けていた。切理子が計画していることは大方想像していたが、彼女が由紀のアイリスについてどういう推測を行っているのかは見当がつかなかった。


 その一端でもつかむために再度由紀の動画を見続けていたのだが、やはり自分には理解できなかった。それは切理子との意識差と実力差を感じさせ、同時に切理子へのやるせなさを抱くことになった。


「こんにちは」


 誰かが部屋へと入ってくる。自分の後輩で捜索のチームメンバーの男性生徒だった。


「久留儀先輩、こんにちは」

「こんにちは。今日ここに来るなんて珍しいな。いつも訓練してる方が多いのに」

「そのつもりだったのですけれど、相手の都合がつかなくて一人になったのでやめることにしました。学校からの課題も残っているし、それでもやろうかなと思って」


 生徒は手に持っていたカバンを下ろそうとしたときに、勇がパソコンで見ていたものに気づく。


「あ、それ……昨日の動画ですか? 俺まだ見てないんですよ。なんでもすごいことをした生徒が居るって聞いててなんだろうなって」

「なら見るか?」

「本当ですか? ありがとうございます」


 何度再生したかわからない動画を後輩とみる。隣で後輩は終始感嘆の声を上げていた。


「すごい力ですね。岩獣があんな簡単につぶれるとは……。でもアイリスはどういうものなのでしょうか?」

「俺も考えている」

「そうなんですか。何か分かったら教えてください。一回手合わせしてみたいな」


 後輩の長所でもあり短所でもあるのが割り切りが速いというところだ。そう思いながら彼を観察していると、不意に思い出したように後輩が顔を上げる。


「そうだ。ここに来るときに五月原先輩とすれ違いました」

「知っていたのか?」

「間近で見たのは初めてですけれど、顔は覚えています。一年生の俺でも知っている人はいますからね。それくらい有名ですよ」

「そうか。まぁそうだよな」

「でもこの建物から出てくるのを見たのですけれど何か用事があったのですかね?」

「俺のところに来てちょっとね」

「久留儀先輩と? なら捜索関連ですか? 俺たちのチーム手伝ってくれるのですか?」


 若干の期待を込めて後輩は上ずった語尾で尋ねるのを、勇は首を横に振る。


「関連はあるかというとそうだが、期待している通りにはならないだろうな」

「なんだ。五月原先輩が復帰するならご一緒してみたいのになぁ。久留儀先輩は何度か一緒に参加したことあるのですよね?」

「片手で数えられるぐらいだけどな」

「結構優秀な人だったとうわさで聞いたのでどれくらいか確かめてみたかったです」

「まぁあいつは優秀だったよ。あいつがいるといないとで捜索も殲滅も、効率が大きく変わるくらいだからな」

「でもどうして捜索やめちゃったのですか?そんなに優秀なら俺も見てみたかったな」


 残念な様子を隠さず後輩は話す。彼にとって世間話ではあるのだが、切理子を噂で知っている人の意見だというのが勇の印象である。


 ふいにだが後輩を見ていると懐かしく思えてきた。勇自身も同じような気持ちを抱きながら捜索を進めていた時もあった。


 もう今になってはそれを取り戻すのは難しいことである。


「君は捜索は楽しい?」

「楽しいかは考えていないですけれど、やりがいはあります。自分にはその力があるので、やるべきことがあるというのはそれだけで安心しませんか?」

「そうだな」


 勇の問いかけの真意を理解できないというように首を傾ける後輩の前で、勇は由紀の動画を見続けるのだった。



 戸依 由紀はすでに消灯時刻が迫っているのを、自室の時計で何度も確認していた。学校の規則として消灯前には寮の自室に戻ることになっている。その規則を教えてくれた切理子がまだ戻ってきていない。


 最後に見たのは寝間着姿でいつもと同じ姿勢で窓に座り外を見上げていた様子だった。何か思い立ったかのように立ち上がると、何も言わずに部屋の外へと歩いて行った。


 すぐに戻ってくるかと思っていたのだが、なかなか戻ってくる様子を見せず、

 そして消灯まであと十分になり、戻ってこないときの対応を考え始めた時だった。

すました顔で切理子が戻ってきた。


「あ、五月原先輩」


 布団に座って寝間着姿で座っていた由紀を切理子は一瞥すると、彼女の視線の意味を理解した。


「心配してくれているの?」

「当然ですよ。消灯まで戻ってこなかったらどうしようと思いました」

「そうね……あなたがいるというのを気にしていなかったわ。すまなかったわ」

「あ、いえ……でもどうしたのですか? どこか用事ですか?」

「あなたに話す必要はないでしょ?」

「必要はありますよ。私と同じ空間で過ごしているのですから。今日みたいに消灯寸前まで戻ってこないのは心配しますよ」


 切理子は由紀の真剣なまなざしをそのまま受け止めていた。切理子はそして重たくうなずく。


「そうね。あなたの言うとおりね。もう私だけの部屋ではないものね。なら今日みたいなことはもうしないようにする。だから私がどこに行っていたかは聞かないでくれない?」

「分かりました。個人的なことであるのでしたら、無理には聞きません」

「ありがと。そうしておいてもらえると助かる」


 お互いに確かめたわけではないが就寝へと向かう空気が作られる中、

切理子は考えていた話を始めることにした。

 由紀は悪い子ではない。話によってはきちんと聞き分けてくれる素直さはある。だがあの人懐っこさはやはり自分が不得意とする人間であるのは間違いなかった。


 未だにこのような人間に対する最善の接し方を切理子は判断することができなかったが、決めたことに沿って進めると決断してきたばかりである。


「ねぇ戸依さん。本当にチームを作るつもりなの?」

「そのつもりです」

「そう。そのチームに私を参加させたいのもまだ変わっていない?」

「はい」

「そう……ねぇ、健康診断受けるのでしょう?」

「え? はい。春日先生も話してくれましたが、案内が来ています」

「そうなると結果が出るのが二、三日後ね。健康診断は一般的なものの他に個人のアイリス値も計測するの。アイリス値については知っている?」

「はい。アイリスを持っている人の血液の中に含まれているもので、それが高いと個人のアイリスの出力が強くなるものですよね?」


 どうしてこの話を始めたのか合点がいかないようであるが、由紀は切理子の疑問に答える。切理子は窓辺で外を見ながら話をつづけた。由紀が見ている方向からは、切理子の顔を見ることができない。


「そうね。アイリス値は個人差があり個人内においても日によって変化がある。そしてそれが一定値以上ないと捜索は認められないの。アイリスの使用を重ねるとアイリス値が一時的に下がることは知られているから、コンディションの判断に使われているわけ」

「そうだったのですか」

「基準はそんなに厳しくはない。アイリスを持つ者で平均値があるなら問題ないから安心しなさい」

「なるほど。それで私の健康診断の結果がどう関係するのですか?」

「そのアイリス値が捜索ができる基準値を超えていたら私と模擬戦をしましょう」

「模擬戦?」

「結果が分かり次第学校の施設の訓練場で場所をとっておくから。日時はあとで教える」

「えっと模擬戦というのがどういうのかは想像できますけれど、どうして突然そのようなことをするのですか?」

「その方が簡単でしょ? その模擬戦であなたが勝ったらあなたのチームに私が入ってあげる。私が勝ったらあなたのチームには入らない」


 由紀は切理子の言おうとしていることを瞬間的に察した。


「そうですね。先輩の言う通り、それが簡単ですね」

「ならそうしましょう。それと、あなただけ力を見せているのはフェアじゃないと思うから。私の力も見せてあげる」


 そう告げると、切理子は由紀を見た。いや、見せたという方が正しいのだろう。自分の双眸を。

 切理子の瞳には幾何学的な印が浮かび、淡い光を宿していた。

 印の模様を由紀が見た次の瞬間に、切理子の姿は音もなく消えていた。そして驚く暇も与えぬ間に部屋の照明が落とされる。

 切理子は由紀の視界から瞬く間に移動すると、部屋の入り口付近の照明のスイッチを落としたのだ。


「見せるだけだからね。どういうものかについては自分で推理してみて。それじゃあお休み」


 暗闇の中で切理子の声が届いていた。











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