アイリスにお願い

/´ω`У´ω`\つっくばサーン♪

第1話 入学


 知らない場所が待っていた。

学園の門を目にした時から戸依 由紀はどこに来たのかをようやく自覚した。

そして自分がどうあるべきかを思い出した。


 自らの選択に後悔があるわけでもなく怖気づいたものでもない。この学園を選んだことは間違っていない。


 休日もあって門の周りには人がまばらで生徒は彼女以外に見当たらなかった。近くには警備員が立っているが、彼女が待っている人ではない。


 事前に連絡された通りならここで迎えの者が来るはずである。あたりを見回すと門の向こうから人影が大きくなってくることに気づいた。


 悠然とした歩調で近づいてくる一人の女性はその雰囲気を身にまとうように落ち着いた服装と表情を浮かべている。その柔和な笑みが穏やかな春の陽気と自然な調和をなしていた。


「戸依 由紀さんでいいかしら?」

「はい。そうです。ここで待っていれば教師の方が迎えに来るということになっているのですが、あなたがそうでしょうか?」


 女性は肯定をする代わりに由紀へ笑みを見せる。


「はい。教師の春日と申します。先に出迎えようと思っていたのですがちょっと遅れてしまいましたか? 申し訳ありません」

「いえ。私も今来たばかりですから。むしろ絶好のタイミングでした」

「そうですか。それはよかったです。ではまいりましょうか?この学園にようこそ」


 なれた様子で春日は学校の中へ向かっていくと、由紀はその背中を追う。ついにこの学園に入学した。門の中へ足を踏み入れた時にその実感が彼女の中を伝っていった。


 その興奮に酔いしれているが、すぐにそれを覚ますと春日を追う。


「歩きながらで申し訳ないのですが、今日の予定について大まかさせてください。戸依さんにはまず女子寮へ案内したいと思います。そこに戸依さんの荷物が到着していますのでそれを確認しましょう。また支給品も送られているようになっているので不足がないかの確認も行います」

「分かりました」

「そこから先はこの学園の施設を案内します。事前に資料に目を通してもらったと思いますが、実際に目でも確認してみてください」

「はい。それは春日先生が案内してくださるのですか?」

「いいえ。ですが代わりの者がいますので、その彼女が案内する手はずになっています」

「そうですか。それなら安心です」

「では、女子寮に向かいましょうか」


 戸依が歩いてきた門から延びる大きな道には、いくつもの道が分岐している。その中の一つへと進んでいくとやがて自然がより深く周囲を覆い始めた。

 うっそうとした雰囲気に従って舗装された道も徐々に土の色が増え始めると、目を引く建物が待っている。


 あたりの木々や植物の雰囲気に混じる古風な様子が表れている。寮を囲む煉瓦の塀に埋め込まれたプレートには女子寮であるというのが読み取れた。


「ここが女子寮です。といっても女子寮の建物は全部で三つほどあってそれはこの中の一つです。築年数でいうなら一番古い建物であるので御覧の通りの見た目になっています。

 ですが設備はどれも同じものをそろえているので安心してください」

「はい。私好きです。こういう自然の中で調和を保つ雰囲気の建物。それに田舎暮らしだったのでこういう建物の方が過ごしやすいです」

「そういってもらえると安心しました。部屋へ案内しますね」


 入り口からロビーを通り、部屋へと続く廊下を歩く間、由紀は建物内の様子を見回していた。ロビーから見える範囲では娯楽室や洗濯室、小さめだが図書室や調理場などがあるように見える。


 確かに時代を感じさせる建築様式だが、生活には困らないような設備は用意されている。春日の言っていたことは間違っていないようだ。


 そのまま寮の中を進み春日はとある部屋の扉の前で立ち止まる。扉の隣のプレートには由紀の名前がはめ込まれていた。だがそれとは別に目を引くものが一つ存在していた。


「ここが戸依さんの部屋になります。それと寮の部屋は原則二人で利用することになります。つまり戸依さんの他にもう一人の人物がここに暮らしています」

「プレートの私の隣の名前の人がそうなのですね」

「はい。戸依さんからは先輩にあたる人なので、分からないことがあったらその人に聞いてみてください。それと……」

「それと?」


 春日の横顔にはやや逡巡するような顔が浮かんだ。言葉に困っているというよりは、話していいのかどうかというのを決めあぐねている。由紀からはそのような色を感じ取った。


 それを春日は教師という対面で塗り替えると、次には笑顔が戻っていた。


「戸依さんなら仲良くできると思います」

「そうですか。楽しみです」


 春日は扉をノックすると同時に中にいる人へと呼びかけた。


「五月原さん。入りますよ」


 中に人がいるのなら十分に聞こえている声量であったが、扉の向こうからは返事がない。留守にしているのかと由紀は考えていたが、春日が首を横に振って否定した。


「入りますね」


 返答はなかったが有無を言わずに春日が扉を開き、中に入る。由紀もそれに続いた。薄暗さが部屋の中に広がっている。冷たさを帯びた寂しさを持つ空気は、扉から入る光を拒絶していた。

 女子寮に足を踏み入れた時に感じていた和気あいあいとした活力は、この部屋には無縁だということを証明していた。


 春日が部屋の照明をつけると明るさをいくらか取り戻したがその根底にある空気は、いまだ部屋の底へと根付いているようだった。


 間取り自体は寮の部屋としては過不足ない様子で広さも二人で過ごすには十分だった。扉を軸に左右にそれぞれベッドと机が並び、荷物の収納場所が隅に用意されている。

 

 由紀が次に目を止めたのは正面にある出窓だった。そしてその出窓に腰掛け、寄り添うように座っている一人の女性を次に目を止めた。照明が暗闇をはがし窓にいる女性の姿が徐々に露になっていく。


 まるで部屋に充満している薄闇はその人から噴き出しているようだった。黒を惜しみなく使ったような髪は彼女の体の線にそって流れるように落ち、重苦しい女生徒の姿を描いている。


 細い手足は透明と見まごうような薄弱さでそれにふさわしくない切れ長の鋭い瞳が由紀を見つめていた。


 その姿はその場にいるはずなのに見つめていると闇に紛れるような薄さを帯びている。だがその瞳だけは確実に自分を見ているという視線を放っている。


 矛盾している要素が彼女から伝わってきて、由紀は彼女から目を話すことを忘れていた。


「五月原さん。いるのでしたら返事をしたらどうですか?」


 春日の声から避けるように、彼女はついっと目をそらす。


「もう、困った人ですね。でも紹介だけはしますよ。こちらが戸依 由紀さん。今日に学園に入学した一年生であなたのルームメイトになる人です。

 戸依さん。あちらの窓に座っている方が五月原 切理子さんです。三年生ですので戸依さんからは先輩にあたる方です」

「戸依 由紀といいます。よろしくお願いします」


 由紀の声に反応して切理子の瞳が動く。だが彼女の瞳は由紀の顔を一瞥するとすぐに元の位置に戻る。反射的な動きに似ており意思というものが全く感じられなかった。


「五月原さん。あなたには今日説明したでしょう? ルームメイトが来るので学園を案内するようにと言いましたよね? 覚えていますか?」

「覚えています」


 かすかな力で弦をはじいた時のような弱弱しい声色で切理子は返事をする。


「では、学園の先輩としてふさわしい態度で役目を果たしてください。戸依さん。あそこにあるのがあなたの荷物と、学園からの支給品です。まずはそれらがそろっているか確認しましょう」

「はい」


 春日と由紀は荷物のチェックをしている間、切理子は微動だにせずに窓の外を見つめていた。窓のすぐ向こうは木々が乱雑に立ち並び視界が防がれている。見えるものなどそれ以外に何も存在していなかった。


 そして気づいたのだが、寮の部屋で切理子が使用している場所は生活に必要なものしか置かれていない。生活感がほとんど皆無で彼女を知るようなものが何も置かれていなかった。


 ほどなくして二人は荷物のチェックを終える。


「よし、特に問題はありませんね。教材、制服、生徒手帳、必要なものはそろっています。特にこの生徒手帳はなくさないように気を付けてくださいね。落としたりとかすると反省文を書かされますよ」


 由紀は自分の手に収められた手帳に目を向ける。手帳と呼ばれたそれは掌に収まるぐらいの電子デバイスだった。


「昔はアナログな手帳であったので名残で手帳と呼ばれていますが、手帳以上の機能がありますから。学園内での生活をするにあったっては便利なものになっています。詳しい使い方は触って確かめるか、近くにいる人に聞いてみてください」

「分かりました」

「そうそう、先に明日について説明しますが、どこに向かうかについては生徒手帳へと連絡がすでに来ているはずです。確認してもらえますか?」


 由紀が生徒手帳に触れると画面に光がともり、四角い小さなアイコンがいくつか浮かび上がった。その中にメールのアイコンがあるのを見ると、春日の言う通りメールが届いているような通知が表れている。


「届いているようですね。それでは以上になります。戸依さんの学園生活が素晴らしいものになるように応援します。五月原さん。後は頼みましたよ」


 切理子の返事はなかったがゆったりとした動作で立ち上がった。春日はその後部屋から出ていくと、ついに由紀と切理子の二人だけになった。


「五月原先輩。これからよろしくお願いします」

「よろしく」


 期待に満ちた由紀の視線を五月原は流れるような身のこなしで躱し、二人は学園の中心部へと向かうことにした。


 

 高校生が利用する学棟、運動場、プール、食堂といった学園にはあって当然の施設から訓練場や資料館、入浴施設といったこの学園ならではのものまで満遍なく紹介される。


 五月原 切理子の学校案内は予想した通り事務的なものであり、学校案内も無味乾燥な進め方だった。

 だが由紀には興味深いものであった。どれも彼女にとって初めて見るものなのだから興味を惹かれるのは自然なことだった。


「来る前に資料に目を通していましたが、やはり実際に歩くとその広さが分かりますね。学園にはどのくらいの生徒がいるのですか?」

「それは高校生の人数を聞いている? それとも全体生徒数のこと?」

「両方です」

「高校生はおよそ1000人ほどが在籍している。この学園は大学も併設されていて、大学生になるとおよそ1500人ほどになるらしい。他にも中東部もあるけれどそこはあまり把握していない」

「そんなにたくさんの生徒がいるのですね」


 たくさんという言葉を強調して由紀は感嘆の声を上げる。まるで鐘がすぐ隣にいるみたいだ。切理子が由紀に抱いた印象はそういうものだった。


 どこに連れて行っても何かしらの反応を見せる。自分が簡素な対応をしてもそれを気にせず感情をはじけさせている。少し叩くだけでも大きな音を放つ。

 悪い人ではないのは理解している。だからこそ付き合いづらい。


 由紀は切理子の目線を察知すると、笑みをこぼした後に彼女らしく話し始める。


「私の暮らしていたところはここから約数日ぐらい移動が必要な地方のさびれた町で、人という人はほとんどいないところだからこんなに活気ある場所は新鮮なんです」

「そう……。同世代の人とも話したことがなさそうね」

「分かりますか?」


 半ば皮肉のつもりで向けた言葉であったが、由紀には通用しなかったらしい。


「それで戸依さん。全部ではないけれど直近で利用する可能性のある施設は全部紹介したわ。これで案内は終わろうと思うのだけれどよろしい?」

「あ、そうなのですね。うーん。どうしようかな?」


 頬に手を当てて考え込むと、すぐに子犬のような甘える色を帯びた目つきで切理子を見上げる。


「五月原先輩。私あと一つ見に行ってみたいところがあるのです。案内してもらえますか?」


 切理子は内心辟易していた。新入生の案内はルームメイトが行うことになっているのはこの学校の慣習である。それに是非を問うつもりは毛頭なく、規則ということで割り切って対応すればいいと納得していた。


 それに従い必須な施設については説明が終え自分の責任は果たしたと思っている。行きたいところがあるなら一人で向かえばいい。それが彼女の本心である。


 しかしこれからルームメイトになる相手に対して初日からぞんざいに扱うのは避けた方がいいとも考えていた。


「まだ時間があるので案内しますよ」


 結局こういう返答になってしまう。作った返答でも由紀は喜びで跳ね上がる。


「ありがとうございます。見てみたいのは『門』です」

「門? ここに来るときに通ってきたのじゃないの?」

「いいえ。その門ではなく異界に通じる『門』の話です」


 切理子は異界という言葉を聞いた時に、あたりの音が遠ざかっていく感覚を覚えた。その後に自分の脈動がとても大きくなるのを自覚する。

 寸前のところで顔に表情を出すことは抑えられた。暴れる感情をそのまま押しとどめていくと、これまでと変わらない声色を作る。


「そう、『門』を見てみたいのね。なら案内します。ついてきてください」


 門は切理子たちが生活している学園のちょうど中央部に位置している。言い方を変えると門を囲むように学園が設立されているということになる。

 そこに行くためには高校の学棟を抜けていく必要があるのだが、その道を進むにつれて人気は少なくなり張り詰めたような緊張感があたりを支配していた。


「なんだか人が少ないですね。『門』に向かう生徒たちはそんなに多くないのでしょうか?」

「今日は休日だから、大半の生徒は朝方から『門』の向こう側に向かっている。もう少し時間が進めば帰還する生徒たちでここもにぎやかになる」

「そうなのですね」

「戸依さんは『門』の捜索隊に参加したいの?」


 自然とこぼれた疑問は、切理子自身も驚くものだった。自分から由紀に話しかけることをするとは……。

 由紀も同じような理由で目を見開いていたが、すぐに寸前の彼女に戻る。


「はい。私がここに来たのはそのためですから」

「そう。なら覚えておいた方がいいことがある。日本各地にある『門』、それはこことは異なる世界へと通じておりこちらの世界では見られない生物やエネルギー、資源などが満ちている。

 『門』はある日前触れもなく現れる。『門』に対する記録はこの国の歴史と深く密接に絡み合っているが出現条件は今でも不明。

 その異界の全容と門の出現理由を探るために古くから今に至るまで捜索隊が結成され、私たちがそれに参加している」

「異界の向こう側の危険に立ち向かうには私たちでないとほぼ不可能ですからね」

「そうね」

 

 危険に立ち向かう……。


 自覚はあるのかという思いに半ば関心し、半ば呆れを覚えていた。高校から離れていき徐々に建物の様相も変わっていく。門に対する前線基地だということを誰もが理解していく。


 切理子は建物の中へと入っていく。学園とは違った雰囲気をもった施設でその変化が否応なしに感じられるのを見計らって、切理子は話し続ける。


「その危険に対してどのように対策を立てるかは、その拠点によって若干の違いはある。この学園では少人数による『門』の捜索は禁止している。つまり捜索をするためには一定数以上の生徒で構成されるチームに所属する必要があるの」

「ということは私が捜索に参加したいならチームに所属しなければいけないということですね」

「そういうこと。ある程度生徒の安全は考慮しているというわけ。

 それ以外にもいくつか方針が決められているわ。

 例えば……今ここにいる建物の中央に『門』が存在している。つまり捜索を行うにはその都度ここで受付を行い許可をもらう必要がある。そうやって誰が捜索を行っているのかというのを管理しているのも危険に対する対策の一つになるわね。

 そして帰還時間も厳しく決められている。時間通りに戻ってこない場合は捜索隊が新たに結成されることになっている。

 けれどそれほど安全を重視しつつも、『門』の向こうの世界は危険であるという印象は変わらない」

「覚えておきます」


 切理子の説明に応じるように二人の前には通過を管理する機械的なゲートが見えていた。


「この先に『門』があるけれど私たちではあのゲートを通る許可がない。でも『門』を目にすることはできるわ。ついてきなさい」


 傍にある階段を上がった先の通路の壁は一面ガラス張りになっていて、その前に立つとゲートの向こう側が見えるようになっていた。

 切理子が指をさし、その先の光景に由紀は思わず息をのんだ。この建物の中庭のような開けた空間の中央に由紀が見たかったものがある。


 門といわれているがそれは建築物のような精巧なものではなく、石により積み重ねられた原始的な門であった。


 だがそれが語ることはその門がはるか過去からこの場所に位置していたということを示している。それは石の朽ち果て具合からも見て取れたものだった。

 

 それでも門であるのは間違いない。入り口には薄闇がこの時間にもかかわらず口を開けている。その闇は門の共通の特徴であり、そこを通ることで異界へと足を踏み入れることが可能になる。


「これがこの場所にある門……」

「記録によると平安時代から存在している門のようね」


 窓に張り付いて食い入るように見つめる由紀の横顔からは、切理子の感知できない決意があふれているのを物語っていた。爛漫な彼女だが、この学校に入学を決めた理由は固く、けれど学園内の生徒たちであるなら月並みなものであるのだろう。

 

 だから彼女は深く聞くことをやめた。自分には関係のないことだから。


「あそこに行くにはまずチームに所属しないといけないのですよね?」


 門への視線から目を離さずに由紀はつぶやく。


「そうね」

「先輩はどこかのチームに所属しているのですか?」

「していないわ」


 反射的に答えたことだが、由紀がなぜそれを気にするのかは検討がつかず、理由を聞くか逡巡しているうちに由紀が満足した様子だった。


「もう充分です。私が行きたいところはこれで全部です。ありがとうございました」

「そう。なら寮に戻りましょう」


 建物を抜けて元の道を戻っていく。高校の学棟の中を通り過ぎる途中で人だかりができていた。数刻前にここを通った時にはなかった変化に自然と由紀の目はそこに向けられていた。


「何かやっていますね?」

「ここは学棟の中の中央広場なの。生徒たちが行き交うことが多くて、生徒たちが勝手に騒いだりパフォーマンスをしているのが慣例な場所。今もその中の一つを行っているのでしょうね」


 五月原はそう説明しながらそばを通り過ぎようとするが、その人だかりの中心にあるものの大きさに自然と目が留まった。それは巨大な岩で間違いなかった。


 ただし親しみのある岩ではない。いくつのも岩は連なり、人のような形をしている。それはうずくまったような姿勢で、それを覆うようにいくつのケーブルのようなものが何重にも絡みつき拘束していた。

 

 その岩の前で複数人の生徒たちが周りの人だかりに対して挑戦的な声を上げていた。


「生徒諸君! 今回の腕試しは簡単にいくぜ。俺たちのチームが行動不能にさせているこの岩獣を見事砕くことができれば、食堂の食券一か月分を確約するぞ! 誰か挑戦するやつはいるか?」

「なんですか? あれは?」


 目を輝かせながら見つめている隣で切理子は冷めた目つきで彼らを眺めていた。


「パフォーマンスって言ったでしょ? あぁやって娯楽じみた方法で生徒の実力を試しているのでしょうね。そのためにわざわざあんな岩獣まで持ってくるなんて……」

「岩獣?」

「『門』の向こうで見られる生物の一つ。動きは鈍いけれど硬い体でできているから生半可な衝撃では無力化させられないわ。今日はそれを使って力試しをしているのでしょうね」

「なるほど」

「私には何が楽しいのか理解できないわ」

「言うじゃねぇか。五月原。というかお前が休日にこんなところにいるなんてなぁ」


 声を上げていた一人の青年が二人へと近づいてくる。あの岩に負けないくらいがっしりとした体躯を持った生徒だった。二人の前に立つとその迫力がより際立ち、ばつが悪そうに五月原は舌打ちをする。


「お二人は知り合いですか?」


 何も知らない由紀の問いに、切理子が前髪をいじりながら答える。


「久留儀 勇っていうの。別に知り合いじゃないけれどこいつ自体顔が広いから名前を知られているだけ」

「どうも。五月原の言う通り顔の広さと体のでかさは自信がある久留儀だ」


 胸をたたき快活な姿勢はかなりの存在感を放っている。本人の言葉の通り大きい存在だった。ただ大きいだけではなくそう思ってしまうような頼もしさが体に宿っている。


「ところで君は初めて見る顔だな?」

「はい。今日でここに転入してきました。戸依 由紀といいます。よろしくお願いします」

「いいな。気持ちよく挨拶できる奴は好きだぞ。ところで戸依さんは異界に捜索にいくつもりなのか?」

「そのつもりです」

「そうか。ならさっき話していたのは聞いているか?」

「あの岩獣のことですか?」

「うむ。そうだ。捜索を希望ならチームを探さなければならないだろう? なら自分の力を示してスカウトを待つというのも方法の一つだ。それなら今俺の誘いに乗るのが一番近道に違いないぜ」

「そうなのですか?」


 いまいち久留儀の言おうとしていることを理解してない由紀の隣で、ため息とともに切理子が説明を始める。


「この久留儀があそこでやっていることは撮影されて、編集された動画がここの生徒たちだけが見れる動画サイトで公開されるの。

 多くの生徒がその動画サイトに目を通すから久留儀の言う通り自分を売り込むためには最適な手段ね」

「そういうものまであるのですね」

「それに俺の動画は結構人気だからな。目にする人は多いと思うぜ。戸依さんにとってもメリットがある話だ。その気があるなら挑戦してみないか?」

「挑戦ですか……」

「岩獣は見ての通り拘束しているし、他の手段で無力化もしている。こちらに危険はないから力任せにぶっ叩くだけだ」

「うーん」

「何ならこれを使ってもいいぜ」


 その言葉とともに勇は自分の右目を指さした。


 このとき勇はそれほど由紀が誘いに乗るとは思っていなかった。定型句となっている誘い文句を連ねていただけである。彼の経験上この学校に来たばかりの生徒は学園の雰囲気になじめずしり込みする。


 今回もそういう結果になると見据えていた。だが由紀の返答は予想から外れていた。


「いいですね。やってみます。私もちょっと体を動かしてみたくなりましたから」

「お、いいのか? なら装備は用意してあるので好きなものを使うといい。好みに合うものがあるといいが」

「そこまでこだわりはありませんので一般的なものが用意されているならいいですよ。五月原先輩すみません。ちょっとだけ待っていて下さい」

「いいよ」


 一日だけの付き合いではあるが、由紀ならこういう選択をとるだろうという理解と共に、装備を選ぶ由紀の背中を切理子は眺めていた。


「五月原も興味があるのか?」


 勇がいつの間にか隣に立っている。切理子は首を横に振った。


「ルームメイトの学園の案内の途中だから同行しているだけ」

「そうか。そういうことにしておくよ」

「それで、あの子はあの岩獣を砕けると思う?」


 切理子は独り言のように勇に尋ねると、彼は破顔しながら返答する。


「俺に聞くか?あのくらいのが相手なら数人がかりで立ち向かうのが一般的な戦い方だ。知っているだろう?」

「それを知っていてこういう企画をするあなたは意地が悪いわね」

「そうだな。でもあの自信ある振る舞いは虚勢でもないと俺の勘が告げている。五月原も確かめたいのだろう?」

「……」

「それより五月原。お前も休んでないでまた捜索を再開したらどうだ?」

「始めるみたいよ」

「……」


 勇の憐れむような視線を無視していると、由紀はすでに装備を選んで進行役の生徒に説明を受けている。由紀は両刃の片手剣を選んだようだ。


「それでは挑戦する前に軽い自己紹介をしてもらって、そのあとは好きなタイミングでお願いします」

「分かりました」

「それでは始めますね、はい!カメラに向かってどうぞ」

「はい。初めまして戸依 由紀といいます。今日にこの学園に入学してきました。皆さんとはちょっと遅れての入学ですけれど、すぐに馴染めるように頑張りたいと思います。学園で私を見たら気軽に話しかけてくださいね」

「ありがとうございます。それでは始めてください」

「はい」


 由紀は剣を持ったまま柔軟体操を行い、軽い足取りで岩獣から少しばかり距離をとる。これから行うことの困難さを誰よりも理解していない振舞いのようだ。


 由紀が剣を構える。由紀の表情は変わらず朗らかな含みを持った笑みのままだが、あたりの空気は一変した。その中心にいるのは由紀であるのに間違いない。切理子はその空気に覚えがあった。


 異界の捜索時に皆が発する本気さと集中力から作られるピリピリとした空気は忘れるはずもない。その空気が由紀から放たれている。


 切理子は同時に何かを感じていた。肌に突き刺さるような殺気。それを向けてくる方向。自分の視線が本能的に一つの方へ向けられていき、その理由に気づくのはやや遅れてからだった。


 周囲の様子がおかしい。いち早く異変に気付いた勇はうろたえている生徒に声を飛ばす。


「どうした? 何かおかしくないか? おーい、杉鳴さん!どうなっている?」


 勇が呼びかけた女生徒は明らかに困惑した様子で手をわななかせている。


「あ、あ……どうして……私の……効いていない……」

「くそっ!周りのやつら!離れろ!岩獣が立ち上がる!」


 勇の声と同時に岩獣が立ち上がった。自らの体に巻き付かれている拘束をものともせずに引きちぎると、咆哮を口から轟かせあたりに突風を駆け巡らせる。

 おとぎ話に出てくる巨人のような体躯に岩石ほどの岩を身にまとい、顔にあたる部分は瞳のように鈍い赤色を帯びていた。その色は感情のないはずなのに、怒を色濃くしていると思ってしまいそうな威圧感を放っていた。


「久留儀、どうするのよ。学内で岩獣を暴れさせるなんて前代未聞だわ」

「どうしたものかな。反省文で足りるかな? けどそれは後にして今は事態を収束させる方が先だ」

 

 軽い口調であったが、久留儀の行動は迅速だった。近くにいる彼のメンバーとアイコンタクトを交わすと彼らは岩獣を取り囲む。

 周囲の観衆も武装の準備はしていないが経験と対策は積んでいるため彼らの邪魔にならないように退避を回避していた。

 

 しかし、その中で由紀は変わらない姿勢を維持している。切理子は硬直しているのかと思い、手を差し伸べようとしたがそれが見誤っていることをすぐに知った。


 由紀は勇に聞こえるように告げた。


「そうだ。久留儀さん。先に謝っておきます」

「何を?」

「今回の企画の参加者は私が最初で最後になってしまいますね。では五月原先輩。見ててもらえますか?」


 由紀が振り向く。彼女の双眸には幾何学的な印が浮かび上がっていた。ほのかな光を宿したそれは、この学園の皆が持っているものであり真新しさはない。だがその形を切理子は見つめていた。


 二人の視線が交差すると、由紀はにぃっとした笑いを見せそれとともに駆け出し、岩獣との距離を詰める。そして重力に縛られていないかのように跳躍をすると、剣を大きく振りかざした。


 すでにそうであるかのようによどみない動きだった。そしてその剣筋はあるべきところに向かうかのように岩獣へと振り下ろされていく。

 力と力がぶつかるような轟音と衝撃が突風を呼び切理子は思わず目を閉じる。何かが崩れる様な音の後に、目を開くとその場には剣を振り下ろしたまま着地をしている由紀がいた。


 そして見事に岩が二つに割れ、その先の景色を見せていた。すでに岩獣は物言わないただの岩へと変化しており、嵐が通り過ぎた後のような静寂さがただ残っていた。


「ふぅ、どうですか? 食堂の食券は私のものですね」


 満足げに息をつくと由紀は静まり返った周りを見回して、自分が視線を集めているのを知ったうえでにこりと笑った。


「驚いた。いやぁ驚いたよ。申し訳ない。戸依さんを侮っていた。してやられたという思いもあるが、いいものを見せてくれた」


 舌を巻いている勇であったが、隣の切理子はただ由紀を見続けていた。


「異界の捜索希望なんだよな。これぐらいの力量なら戸依さんを迎え入れたいチームは無数にあるはずだ。誇っていいよ」

「そのことなのですけれど申し訳ありません。異界に捜索に向かうつもりなのですが私は既存のチームに所属するつもりではないのです」

「ん? それは……もしかして……」

「はい。新しいチームを結成します」


 花が開くような笑顔を放ちながら由紀は高らかに宣言した。しんと静まっていた空気であったが、称賛とも呆れとも思えるような空気が混ざり渦巻いていく。


 ただ興味なさげに視線を向けている切理子とは対照的に、勇は由紀の宣言にさらに驚きを重ねていた。


「それはすごいことを言うな。厳しいことを言うがチームを新設して捜索するのはかなり困難なことになるぞ。第一に人数を集めなければならないからな」

「そうですね。でも決めていたことですから。それに誰を誘うかはすでに一人決めています」


 由紀は切理子を一瞥すると彼女へと歩み寄る。彼女の行動が分からず、切理子は首をかしげるだけであった。由紀は剣を持っていない片方の手で、切理子の手を取る。


「五月原先輩。私の作るチームに入ってもらえますか?」

 

 由紀はそれが当然とでも言わんばかりに切理子を見上げていた。このとき、切理子は由紀に対して一つのことを理解した。

 由紀は自分の真逆の存在で、一番自分が不得意とする人間なのだと。


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