ハルに感謝

卯月小春

第1話 俺と陽菜

 俺と陽菜の出会いは10年以上も前のことになる。

 最初は話すことも少なく、ビクビクと遠くから声をかけられたりすることがほとんどだった。

 陽菜は怖がりで出会った頃はよく泣いていた。


 いじめにあう前は、いつもニコニコと笑う子だったんだと、お父さんとお母さんから聞いた。


 俺は何もできない。

 出会ったばかりの俺にできることはない。

 ただ、それでも近くにいたかった。


 ある日、陽菜は自分から近くに来て声をかけてくれた。


「ハル、わたしね悲しいときとか辛いとき、ハルが隣りにいてくれてすごく嬉しかったの。本当に、本当にありがとう」


 それが初めて見た陽菜の笑顔だった。


 いじめも時が解決する、というもののようで中学生になるころには陽菜はたくさん笑うようになっていた。きっと出会う前と同じくらい。


「ハル! 新しい制服、どうかな?」

「ハル〜……。宿題、難しいよ〜……」

「ハル、今桜がキレイなんだって!! 一緒に見に行こっ」


 明るくなった陽菜は、たくさん喋りかけてくるようになった。上手く返事ができているかは分からない。けど、陽菜の笑顔を見る限り、きっとそれでもいいのだろう。


 更に時が経ち、高校生にもなると今までと違い一緒にいる時間は急激に減った。少し寂しくはあるがしょうがないし、それでも時間を作っては話しかけてくれる。


 俺も陽菜もお互いが大好きで、少しでも一緒にいたいのだ。


「ハル、ずーっと一緒だよ!!」


 ああ、と。ちゃんと伝わっただろうか。


 そして今、2年前から俺は陽菜と二人で暮らしている。

 陽菜の就職がきっかけで実家を離れることになったのだ。


 最初は慣れない仕事で愚痴を言うこともあったが、最近は慣れてきたのか俺との時間が多く取れるようになった。


「おはよう、ハル。朝ごはん食べたら桜見に行かない? 近くですっごくキレイなとこあるんだって!」


 外は明るく、お散歩日和といった天気だ。

 いいね、と伝わるとすぐに外出の準備が始まった。


「わっ本当に桜満開だ!」


 空を埋め尽くすようなピンクの桜が少しの風で舞い踊る。


「ね、ハル。覚えてる? わたし達が出会ったころもすっごく桜がきれいに咲いてたって。

 ──もう、あれから14年かぁ」


 そうか、出会ってから14年にもなるのか。


「ハルは本当にずっと近くにいてくれたよね。ありがとう」


 当たり前だ、と返そうとすると足がもつれ転びかけた。


「大丈夫? そろそろ帰ってお昼寝しよっか」


 それがいい。最近はいつも眠いんだ。

 ゆっくりゆっくり、時間をかけて家に帰った。


「ただいまぁ~。ハル、わたしお母さんにちょっと電話してくるから、先にお昼寝しててくれる?」


 そうか。一緒じゃないのか。

 しょんぼりしたのが伝わったのか、陽菜くすくす笑ってすぐ行くからね、と言った。


 俺はお気に入りのクッションが置いてあるとこに行く。ここはよく陽が射すので、ぽかぽかお昼寝にはもってこいの場所だ。

 ──ああ、ほら。もう、眠くなってきた。


「──じゃあ近いうちに、うん。会いにきて」


 ──今日はいつもより深く深く、眠れそうだ。


「ハル、お待たせ……ハル?」


 ──俺はさ、すっごく幸せものなんだ。


「ハル、ハルッ!!」


 ──これだけ大好きな人がいて。愛されて。


「ハル……ありがとう。大好きだよ!! 大好きっ」


 ──陽菜が、久しぶりに泣いている。……起きなきゃ。



 よろよろと、なんとか立ち上がり、陽菜の顔をぺろっと舐める。


 ──あぁ、やっと笑ってくれた。俺は陽菜の笑顔が、一番好きなんだ。


「ありがとう……ありがとう……。ゆっくり、おやすみ。ずっと、忘れないからね」


 ──ああ、俺もだ。

 そして俺は陽菜の膝に座り、ゆっくり眠りについた。


 * * *


 そうして、ハルはわたしの膝の上で眠るように亡くなった。

 ハルは、わたしといられて幸せだっただろうか。


 最初の一年は正直仲良くできたとは言えない。両親がわたしを心配して少しでも元気になるように、と連れてきた柴犬のハルは小さいのにパワフルで元気で、遠くからでも怖かった。


 一緒に遊んでくれないわたしをハルはいつも不思議そうに首を傾げて見ていた。親が言い聞かせたのかわからないけれど、ハルはかしこく、わたしに近寄るときはいつも静かに寄り添うようにいてくれた。

 徐々にハルに話しかけるようになり、わたしの言葉に返事をしてくれるような気がして、さらに話しかけるようになり。

 気がついたら、ハル一色になっていた。学校でのことなんて気にならなくなるくらい。──本当にハルのおかげなのだ。


 犬は喋らないって言うけれど割と喋る。ワンだったり、キューンだったり。表情やしっぽの動きも豊かだ。

 ハルは特にわかりやすく甘えん坊だった。きっと一人称は僕で好き好き! っていつも言ってたんだろう。


 就職が決まったときは本当に悩んだ。

 そのときにはハルはもうシニアで、一緒に過ごせる残り時間は長くない。内定を蹴って実家から通える会社を探すか、ハルを実家に置いていくか、二人で一緒に暮らすか。シニアということはいつ介護が始まってもおかしくない。それでもわたしはハルと会えない日があるなんて考えられなくて、結局一緒に暮らすことにした。


 幸い認知症の症状などが出ることはなかったが、ハルは食事の量が減ると同時にどんどん筋肉が落ち、半年前はほとんど寝て過ごしていた。ちょっとでも長く生きてくれるように、色々調べてお散歩する際に補助ハーネスなど使うようにし、毎日ちょっとずつでも歩くようにした。

 今日はいつもより元気だと思った。朝ごはんも口にしてくれたし、お散歩って言葉にも尻尾が揺れた。


 母に元気になってきたから近いうちに会いにきて、と連絡を入れた矢先のことだった。


 ハルの呼吸がいつもと違った。

 なんで、どうして、と頭が混乱するうちに、涙まで止まらなくなった。嫌だ、行かないで、まだもっともっと一緒にいたいのに……!


 きっと最後の力を振り絞ったのだろう。ハルはぺろっと涙を拭うように顔を舐めた。


 これはハルが家に来たばっかりの頃でしょうか泣いてるわたしによくしてくれたことだ。きっと泣かないで、と言いたいのだ。


 ……そうだね。ダメだね、泣いてばっかりじゃ。最後は笑顔を覚えていてほしい。ハルはわたしが笑っていると一緒に笑ってくれる優しい子なんだから。


 涙でグシャグシャになった顔を無理やり笑顔にする。


 ハルはわたしの顔を見てにぱっと口元を上げ、笑顔を見せると膝の上でそのまま眠るように亡くなった。


 まだ暖かい。けど心臓は動いていない。声をかけても、耳も尻尾も動くことはない。


 ありがとう。ハルがいてくれたから、わたしは今日までたくさんの幸せをもらえた。たくさんの大好きをもらった。

 わたしはちゃんと向き合えてただろうか。学校や仕事を言い訳に、ハルを放置しなかっただろうか。ちゃんと愛情を伝えられただろうか。


 やれることはしてきたつもりだが、それでももっとなにか出来たのでは、もっと一緒にいられたのではと、後悔ばかりが押し寄せる。


 ビュウっと強い風が吹き、ハルがよく使っていたバンダナが顔にぶつかる。

 いつから窓が開いていたのだろうか。


 でもそれが、ハルからの返事な気がして。


 ねぇ、ハル。

 ハルは幸せでしたか?

 わたしはとても幸せです。


 わたしの所にきてくれて、たくさんの大好きをくれて、ありがとう。

 いつかずっと先、わたしがそっちに行くことがあったら

 またたくさん、お話しようね。


 fin.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハルに感謝 卯月小春 @Koharu_April

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ