所有の証

三鹿ショート

所有の証

 激痛に涙を流す女性を何度目にしたのか、憶えていない。

 ただ分かっていることは、耳を切り落とされた女性が、私の所有物だったということである。


***


 幼少の時分から、私は物を紛失することが多かった。

 数秒前まで手にしていたはずの物が消えることは珍しくなく、必ず周囲を探したが、発見することができたことは一度も無かった。

 全ての物に名前を書いているわけでも無かったため、紛失した物が私のところに戻ってくることもなかったのだった。

 大事である物も、そうではない物も、私の手から消えてしまうと、ひどく落ち込んだものだ。

 それは物だけではなく、人間も同様である。

 私が交際しているにも関わらず、別の異性が私の恋人を奪っていったことは、一度や二度では済まなかった。

 私が何度訴えようとも、恋人が戻ってくることはなく、私は搾取されるためだけに誕生したのかと、涙を流し続けた。

 私の意識に変化が訪れたのは、己の手を熱湯で火傷したときだった。

 激痛を覚えながら見慣れない肉の色を目にした私は、これこそが証なのだと気が付いたのだ。

 それ以来、私は恋人を得るたびに、その耳を切り落とすようにした。

 片耳が存在しない人間は珍しいゆえに、一目で私が交際している女性だと判断することができるからだ。

 同時に、恋人はその耳を目にするたびに私のことを思い出す上に、そのような耳の持ち主を別の異性が相手にすることは無いだろうと考えたのだ。

 だが、交際相手は、私の前から次々と姿を消していった。

 一体、何が問題なのだろうか。

 頭を悩ませるが、未だに分からなかった。


***


 新たに交際を開始した女性は、これまでに感じたことがない雰囲気の持ち主だった。

 他の人間たちが忙しく動き回る中、彼女には常に余裕が存在し、まるで何度も同じ人生を経験しているかのように達観していたのだ。

 あまり目にしない人間だからこそ、私は惹かれたのかもしれない。

 そのような希少なる存在ならば、なおのこと、彼女が私の所有物であることを証明しておく必要があるだろう。

 しかし、彼女の耳が消えることはなかった。

 正確に言えば、一度は消えるのだが、即座に再生するのである。

 切り落とした部分から血が流れ出、地面には頭部に付着していた耳が落ちたはずなのだが、瞬きをする間に、それは元に戻っているのだ。

 彼女は、尋常ではない存在らしい。

 当然ながら、私は恐怖に震えた。

 傷が一瞬で治る存在など、気味が悪くて仕方が無い。

 私は彼女から離れようとしたが、彼女はそれを許さなかった。

 私の行為が気に入ったことが理由らしいが、私には他者を好き好んで痛めつけるような趣味は無い。

 だが、彼女は私に刃物を持たせると、興奮した様子で、自分の身体を傷つけるようにと頼んできたのだ。

 彼女は、異様だった。

 しかし、自身の肉体に傷をつけるよう求めてくること以外は、実に素晴らしい女性だった。

 私が自動車に轢かれそうになった際は、その身体的特徴を活かし、身を挺して私を守ってくれた。

 恍惚とした表情を浮かべながら肉体が再生すると、何事も無かったかのように、二人の時間を続けようとするのだ。

 さらに、どれほど動いたとしても疲労を感じないらしく、私の生活が楽になるようにと、文字通り一日中働くことも珍しくない。

 申し訳なさを覚える私に求めることは、己の肉体を傷つけさせることのみで、それさえ無ければ、彼女はこちらが心配になるほどに素晴らしい人間だったのである。

 苦労することなく生きることができるのならば、それに甘えてしまうというのが、人間だろう。

 私は彼女を受け入れることにしたのだった。


***


 何度、彼女の肉体を傷つけたことだろう。

 目玉を抉り、歯を砕き、骨を折り、臓物を引っ張り出した回数は、憶えていない。

 だが、彼女の愛情を失っていないことから、どうやら満足しているのだろう。

 しかし、私には新たな問題が発生した。

 激痛を与えたとしても彼女が喜びの声しか出さないことに、私は物足りなさを覚えるようになってしまったのだ。

 こうなってしまっては、私は普通の人間に戻ることはできないだろう。

 それもこれも、全て彼女が原因である。

 だが、私が今の生活を捨てることができないこともまた、事実だった。

 私は、彼女が羨ましかった。

 彼女は肉体の損壊に喜びを見出し、それは誰が相手であったとしても、永遠に楽しむことができる。

 一方で、私は同じような行為を彼女以外にすることはできないが、彼女は私が満足するような反応を見せてくれることはない。

 私は、かつて涙を流し、激痛に苦しんでいた恋人たちが懐かしくなった。

 あの女性たちは、片耳を失いながらも、今も生活していることだろう。

 もう片方の耳を奪ったとき、どのような反応を見せてくれるのだろうか。

「何故、笑っているのですか。何か良いこともあったのですか」

 不意に彼女にそう問われ、私は己の口元が緩んでいることに気が付いた。

 そこで、私は彼女を睨み付けた。

 私がこのような感覚を抱くようになった元凶は、私の鋭い視線にも動ずることなく、ただ首を傾げるのみだった。


***


 我慢することができなくなった私は、かつての恋人たちを攫っては、流れ出る血液と痛みに歪む表情を堪能するようになった。

 彼女はその行動に不満を持っていたが、かつての恋人たちに、

「彼女を殺めることができれば、解放しよう」

 そう告げた結果、かつての恋人たちは彼女に手を出すことになり、痛みに襲われる彼女は満足そうな様子を見せた。

 一体、何時までこのような生活が続くのだろうか。

 九体目の死体を燃やしながら、そのようなことを考える。

 その火によって焼き上がった動物の肉を手渡してきた彼女にそれを問うと、

「終わりを考えるよりも、楽しみ続ける方が良い人生ではないでしょうか」

 その通りだった。

 私はそれ以上余計なことを考えることを止め、動物の肉に噛みついた。

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