そりゃ泣きますわよね。

多くのファンが立ち上がり、俺に拍手を送る。




俺はそんな歓声を存分に浴びながら、バットを太ももにおいて屈伸運動をして、2回軽く素振りをする。



ようやくマックス状態だった拍手と歓声が止み始めたところで改めてバッターボックスに入り、感触を確かめるように足場をならした。




1アウト1塁、サインはない。後に続く鶴石さんのために送りバントを考えたが、2アウト2塁から1ヒットでサヨナラにするのはちょっと難しいかと、考えを改めた。





打つ。






5年ぶりに。






スタンドから、みのりんとかえでともみじも見てる。





娘たちよ、これが君たちのパパだ。





ややインコース高めのストレートだったが、反応は悪くない。体をグリンと回しながらも、ギリギリまで開くのを我慢してバットをインサイドアウト。




すげー詰まった。すげーいてえ。しかし、その痛さが俺を目覚めさせるのだ。





「おっつけた!右方向だ!差し込まれたが、新井の打球だ!大歓声が後押しする!ファーストがジャンプ!越えましたー!!ライト線ギリギリ入っている!」




打ち返した打球が向こうの選手の体で一瞬消え、ラインの内側1メートル辺りで跳ねてファウルグラウンドへ逃げていく。





必殺の一撃。魂が震える感触。





俺はもう半泣きになり視界が涙で歪んでいき中1塁へと走り出した。




「ライトか!?いや、セカンドが回り込む!露摩野は2塁を蹴る!ボールはセカンドから3塁に送られますが、タッチには至りません!1、3塁!これぞ新井!これぞ4割打者!この流し打ちを全員が待っていました!!」





「素晴らしい!打球はね、しぶといものだったんですが、変わりませんねえ。ランナー1塁の時にはどうバッティングすれば良いかという、それをすぐに体現出来る。しかも初球でしたねえ」




「ええ!!初球でした。リプレイが出ますが、インコース寄りの真っ直ぐでしたでしょうか。147キロのボールを逆方向へしぶとく運んでいきました。………5年ぶりの打席、しかも最終回の息が詰まるような局面。振れますかね、この場面で」





「振るんですよねえ、新井という選手は。この打席を噛み締めるようにして、1球2球待つところだと誰もが思ったんですけども、5年ぶりの打席でも、初球を打ってヒットにする覚悟でやって来たわけですよねえ。


その準備する、覚悟する彼の力とバッティングセンスを見ることが出来ましたよねえ」





「その新井がスタンドのお客様の声援に応えるようにして、にこやかにダッグアウトに引き上げていきます。代走には俊足の緒川が起用されました。そしてです……………」






「ビクトリーズ、選手の交代をお知らせします。バッター、9番、岸田に代わりまして、鶴石。バッターは鶴石光友!背番号22!!」






「新井が5年ぶりならば、この男は1年ぶりとなります、1軍の打席ということになりました。プロ23年目。今はなき、静岡ヒーローズでの活躍、ビクトリーズでも8年のシーズン。現役最後の打席を迎えます。大原さん、ついにこの人にもこの時が来てしまいました」




「ええ。2年前に阿久津、去年は奥田、そして今年は鶴石。ビクトリーズの創世記を支えたベテラン3人衆、全ての引退試合を解説出来て私は嬉しいですねえ」




「ビクトリーズでは、8年間で900試合でマスクを被りました。卓逸したインサイドワークと安定感抜群の守備、そしてパンチ力のあるバッティング。通算打率2割5分2厘、200本塁打というのも達成しました」





「最近は守備型のキャッチャーが多い時代ですが、その中でも鶴石というのは、平成10年代の理想のキャッチャー像というのを体現し続けましたよねえ。キャッチャーらしい、鋭い読みから思い切りのいいスイング。もう20年前になりますが、静岡ヒーローズが日本一になった時から、彼は常に素晴らしいキャッチャーであり続けましたよ」




「ビクトリーズでも優勝出来なかったこと、叶うなら最後は新井と一緒にプレーしたいということを引退会見で話しました。その新井のヒット、5年ぶりの勇姿。そのお膳立てもありまして、なんとサヨナラのチャンスが現役最後の打席となります。同点、1アウト、ランナー1、3塁。横浜も、もちろん真剣勝負になるでしょうか」





「もちろん、この場面になるとそうですね。点差がある程度ついているとか、6回7回の代打というわけではありませんから。お互い最終戦ですし、ストレート3つということにはなりませんよねえ」




「ビクトリーズ、阿久津監督は引退を迎える弟分を最高の場面で送り出しました」




「最後まで勝負するプレーヤーであれと、そういう考えでしょうね」





「横浜守備陣が戻ります。さあ、鶴石。試合を決められるか。何を待つ、どんなバッティングをするか」









ベンチから鶴石さんの姿を目に焼き付ける。





現役最後の打席となると、もっと感慨深いものになって、しんみりとしてくるものだと思っていましたけども。




「いけ、いけー!」



「初球狙えよ、初球!!」



「鶴さん!どんどん振ってけよー!」





シーズン最後の試合に1打サヨナラですから、涙ぐむような空気ではないという感じでしょうか。







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