なかなかにきちぃですわね。
「にいちゃん!ナナも野球やる!」
「ナナちゃんもやりたいのかー。頑張れよー」
仲間外れにされると思ったのか、靴下が半分脱げる勢いで妹が娘Aを押し退ける。
1個上とはいえ、さすがはお姉ちゃん。かえでは、俺のベッドの上へ乗っかろうとするナナちゃんのおケツを押してあげていた。
「ナナちゃんは、キャッチャーやってね。かえでがピッチャーやるから!ちゃんととってね」
「わかったー!ナナ、キャッチャーやるー!にいちゃん、キャッチャーってむずかしい?」
「キャッチャーは大変だぞー。野球のポジションで1番難しいんだ。いろんなところに気を配らないといけないからね。
だから、お母さんとお父さんの言うことを聞いていい子にしてないと、いいキャッチャーにはなれないからね。ナナちゃんいい子に出来る?」
「ナナ、いい子にするー!」
「よーし、その意気だ。……ナナちゃん、鼻たれてる」
なんてわたくしはいいお兄ちゃんなのでしょう。
ん?
5歳になる双子の娘と、4歳になる実の妹。
かえでともみじから見たナナちゃんってつまり…………。
午前中はそんな風に賑やかになりながら、みんなが遊びに来てくれるから、午後になると、めっきり部屋は静かになる。
つまりは、辛いお時間の始まりでもある。
「それでは新井さん。手すりに手を伸ばしながら、車椅子から立ち上がってみましょうか」
「楽勝、楽勝!」
午後2時。
ベッドから無理やり車椅子に乗せ替えられ、専用のエレベーターでウイーンとだいぶ下の方のフロアへとやってきた。
そこにあったのはリハビリテーションルーム。
マットが敷いてあったり、緩いスロープがあったり、壁際には鏡と手すり。床には1メートル毎にラインが引かれたりしている。
子供達が帰った後の検査でも異常は見当たらず、試しに歩く訓練してみますかという流れになり、俺はここにやってきたのだ。
担当のお医者さんと看護士さん、みのりんに見守られながら、リハビリ訓練お兄さんみたいな存在がどこからともなく現れ、俺の両脇に控える形になっている。
足置きをずらした車椅子から、30センチ先の手すりに向かって手と足を伸ばす。
たったそれだけの動作なのだが、体が鉛とまではいかないか、まるで自分の体ではないみたいで、僅か30センチ先に手を伸ばす時間すらも、足が体重を支えきれなかった。
もうしがみつくような格好で横のお兄さんにもたれかかる形になってしまったのだ。
「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ。車椅子に戻りましょう」
反対側のお兄さんもフォローに入り、俺をゆっくりと元の位置に戻らせて座らせた。
後ろにいるみのりんの顔が見れなかったよ。
例えば、骨折したとかでギプスを1ヶ月2ヶ月はめっぱなしにしただけで、その箇所の筋肉や感覚は衰えるものですから、それが5年。しかも昏睡となると、ほとんど動かなくても仕方ない。
さらに、普段から鍛えに鍛えていたアスリートなわけですからと。
言うほど鍛えて上げていたわけではありませんが、その反動、落差というのは、担当医の予測を越えていたというのが正直なところ。
楽勝、楽勝と言いながら、手すりにたどり着けなくて横のお兄さんにしがみついてしまったのですから、3人の幼女よりもはるかに弱々しい姿をさらしてしまった。
そんな俺にみのりんは……。
「今までずっとあなたのすごいところばっかり見てきたからね。……今日でさらにあなたを好きになった」
そう言ってみのりんは落ち込む俺の背中をずっと擦っていた。
そうなってしまったわけですから、夜から自主トレ開始ですよ。下ネタとかじゃなくて。まあ、もちろんそちらのケアも考えていかなくてはいけませんから。
3日過ぎる頃から、みのりんも夜は子供達が待つおうちに帰りまして、俺は極めて細かくカットされた玉ねぎとニンジンが入っただけのスープとおかゆ。
そしてこんなに優しいやつがこの世にあるんか!?というくらいのリンゴジュースを飲み干すと、ベッドに横たわって掛け布団やらを全てどかしてフラットな状態を作り上げる。
ベッドに寝た状態から若干腹筋を使いながら体を起こし、おケツを支店にするようにして、少し上げた両足がベッドの側面に来るように体を90度向きを変えてやる。
そしてベッドの下に下ろした足でスリッパを履いて、ゆっくり立ち上がったらまたゆっくり座って、元の位置に足を直してまた横になる。
というのを消灯時間まで繰り返した。
お医者さんのお話では、疲れが溜まらない程度にスマホやタブレットを触ったり、ジグソーパズルをしたり、字を書いたりするのもいいと聞いたので。
双子ちゃんが遊びに来たら、一緒に遊びながらパズルをしたり、お絵かきをしたり、カードゲームをしたりして、少しでも体中の感覚を戻すための日常運動を心がけた。
もちろん、リハビリルームに出向いて、今度こそは自分の力で立ち上がって歩いた。
途中調子に乗って阿波躍りをしながら歩いていたらバランスを崩して転んでしまう不運はあったものの、まあまあの回復ぶりで、1階の売店まで行って、自分のテリトリー外である、別棟の幼女達にお菓子をこっそり買ってあげるくらいのことは出来るようになった。
「野球日本代表、銀メダル!!決勝でアメリカに敗れました!!新井に、新井時人に、金メダルを届けることは出来ませんでしたっ!!」
パリオリンピックの決勝で、2020東京大会、そしてWBCの決勝のなったアメリカにサヨナラ負けを食らうのを見ながら、俺はハンドグリップをにぎにぎしていた。
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