第2話 不可解

不可解

本当に僕の世界は最悪になった。

血だらけで包丁が腹部に刺さっている制服の少女は、アサだった。

「アサ、あ、アサ?……どうし、た」

触れた体が生ぬるい。アサから滲み出るように流れる血もまた生ぬるくて、どうやって止めるんだ?どうやってここからアサを起こそう。病院に、いけば。そうすれば。

「1、19だ、う、急がな、きゃ」

声に出した。まず声が出せたなら動けるはずだ。動いた。それから僕は包丁は抜けずアサに声をかけ続けた。血を止めたいのに抜けない、抜いちゃいけない気がする。

「ひ、ぐれ」

アサがそう言った気がした。ただの気かもしれないし、でも本当かもしれない。でも何もわからなかった。

それから警察と救急車が到着して第一発見者の僕を警察が囲んだ。救急車に連れていかれるアサに大声で「アサ!」と叫んだ。どこかで分かってた。


それがアサとの本当のさよならだということを。



+



「…」

「___だから恋人間にトラブルがあって刺してしまい、我に返って泣きながら通報した、んだろ?」

「…は」

頭が真っ白になって何も考えられなかった僕の脳みそがブワァと沸騰するように動き出した。

「は?」

「僕は………」

警官2人が息を呑んだ。

しんとする。空気が、重たい。

僕は一呼吸をする。

「僕はまだ告白をしてないです」

涙が頬を伝う。ありきたりな涙だ。真っ直ぐな、愛だった。

「やったのか?」

どうして疑われているのか理解できないのに何を言っても無駄な気もしてきた。

悔しくて、怖い。

「昨日、様子が変だったんです。明日世界は最悪になる、みたいなことを言っていて、僕は話してくれと言いました。そしたら明日学校に来て、って。………なんで僕は昨日アサを、アサに何があったのか、アサに、なんで」

落ち着いて深呼吸をしなさいと警官に宥められる。

「なんで僕は、アサを救えなかった、んだ。」

「僕がやったも、同然だ。もう」

さっきまで偉そうだったベテラン警官が僕を遮った。

「救う。それを基準にしたらアサさんの周りにいた人皆殺人者ということになる。それは違うだろう」

「僕が世界で一番アサを見てた。気づくべきだ」

誰かが部屋に入ってきた。ドラマでよく見る新情報が入ってきた、というような挙動。

「…そうか。……日暮くんすまない。もう疑ってはいない。こんなに辛い時に追い詰めるようなことをした。ほんとうに、すまないね。…ただ、そういう演技ができる化け物も世の中にいるんだ。今日はもう帰って大丈夫だ。」

一変した態度に違和感を覚えた。僕がそんな化け物かもしれなかったのにそんなに簡単に返すのか、と。いつか本物の犯人も逃してしまうのではないかと。

そんなに…

いやつまり、

そんなに確定的な情報が入ってきたということ。

「ナイフの指紋の結果が出たんですね、誰か判明したんですか?僕は触れなかった。まさか僕の指紋がない、だから帰す。そんな単純なことをしようとしてるんですか。」

静かで緊迫した取調室で小さな声を聞きとるのは安易な事だった。声はいつもより荒く、僕にしては話し方も必死で拙かった。

「……神崎アサさんのもののみだったそうだ。」

「…はい?でもそれは誰かが腕を掴めば誰だってできる。それだけで!!そ、それだ…け」

僕が張り上げた声と大人たちの静寂。世界が全部敵になったみたいだ。するとその警官は後ろで確認を始める。無線でも誰かと会話をしていた。

「伝えて大丈夫か?」

「…いつか知ることになると思います」

「あぁ」

僕は、心臓の音を聞いていた。自分のだ。殺人鬼像が僕とは違うという確たる証拠、かつ僕に話すのをはばかる新情報。

確かな、情報。

「はやく教え」

「___遺書だ」

僕を遮って、捨て台詞のように言った。

「………」

今度こそ僕は黙った。




「遺書、って…。あの、あれを自殺だって…いい…」

あ、

声が上手く出ない。

叫びたい、そんなわけが無いだろ!アサはあんなに苦しそうだったのに。あんな身体を貫くようなナイフの刺さり方も、血潮もおかしいだろ!って。

「いい…た、っ」

実際には「自殺だって言いたいのかよ」、とすら言いきれなかった。

「……自殺願望のある子を狙った殺人鬼、という可能性は?そうだ、その可能性があるじゃないですか」

僕は冷静だった。ぼそっと零すように言うが本当は声を張るほど気力が残っていないだけだった。

「“腹部を自分で強く刺し、私は息絶えます”という記述が」

「少し言い過ぎです」

そんな会話をする大人。死ぬ方法を書いていた、から自殺で確定なのか…?

「…あいつに自傷行為の跡とか、SOSを出してる予兆とかありましたか」

「動機は遺書に記載されていない。今調査中だ」

「現状、身体に傷はありませんでしたし家庭環境は良好、あなたも知っていると思いますが恨まれるような話も上がってきていない。つまり追い詰められていたという証拠が見つかった訳では無いんです」

そう。そうですか。

じゃあ、そうなのかもしれない。

分からない。

もう何も考えたくない。

ところで僕はこれからどうやって生きよう。

アサがいないのにどうやって生きるんだろう。

解放されて親に迎えられた。

映画みたいに世界が無音で、つまらなくて怖くて気づいたら車に乗っていたぐらいの感覚で。車の中で聞いた「失ってから気づくなんて遅い」みたいな星の数ほど歌われ尽くした曲の歌詞でイラついて、悲しくて泣いた。

ふと、思った。

ただ死にたいならもっと他にやり方があるはずだ。あんなの痛すぎる。

いや、というか、あの日僕は

「明日学校に来て」とアサに言われていた。最悪の結末について聞いたらはぐらかされてちゃんと話したいと言われたから。

ふと、吐いた。


“「でもね、正解」”

アサのSOSが、それだったかもしれない。

自殺もしくは殺される前に僕に見つけて欲しかったのかもしれない。

僕は、手の震えが止まらなくなった。

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アサ 幽世 @mayonaka_000

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