守るべき被害者

三鹿ショート

守るべき被害者

 彼女は、隣人の娘だった。

 彼女の両親は揃って働いており、それが原因で寂しさを覚えさせないためにと、私は彼女の面倒を見てほしいと頼まれていた。

 特段の報酬を得ていたわけではないが、子どもの相手が苦手ではなかったため、私は幼い彼女と多くの時間を共に過ごした。

 ゆえに、私にとって彼女は、妹のような存在だった。

 年齢も離れていることが影響し、私は彼女のことを恋愛対象として見ていなかったが、どうやら彼女はそうではなかったようだ。

 顔を赤らめながら身体を密着させ、矢鱈と自身が誰のものでもないと主張するようになり、普段は露出を控えるような格好をしているにも関わらず、私と外出をする際には、他者の目を誘うような衣服を身につけていれば、阿呆でも気が付くことだ。

 だが、私には既に恋人が存在しており、同時に、結婚も視野に入れている。

 それを彼女に告げなかったのは、その事実を知ることで、彼女の精神に大きな打撃を与えてしまうのではないかと恐れたからである。

 しかし、何時かは伝えなければならないことだ。

 知ることが早いほうが傷も浅いだろうと考え、私は誰よりも早く、恋人と結婚することを彼女に伝えた。

 彼女は目を見開き、しばらくの間、無言と化した。

 やがて、彼女は明らかに無理をして作った笑みを浮かべながら、

「幸福になってください」

 その双眸から、涙を流していた。


***


 恋人と結婚してから引き越して半年ほどが経過した頃、突然、彼女が姿を現した。

 久方ぶりの再会に嬉しくなったが、彼女の顔面に痣が出来ていることに気が付くと、思わず肩を掴んでしまった。

「その顔は、一体どうしたというのか」

 私が問うと、彼女は答えることなく、その場に崩れ落ちた。

 我々夫婦は彼女を家の中に入れ、温かい飲み物を渡し、彼女が落ち着くまで待ち続けた。

 やがて、彼女はゆっくりと語り始めた。

 いわく、彼女は交際相手から暴力を振るわれているらしい。

 私のことを忘れるために、友人の紹介で知り合った相手と交際を開始したものの、その人間は即座に本性を現した。

 彼女が自分以外の異性と喋るだけで嫉妬しては殴り、帰宅時間が遅いというだけで蹴った。

 当初は耐えていたが、似たような状況で殺害されてしまった女性の報道を目にすると、彼女は命の危険を感じてしまった。

 そのために家を飛び出したが、友人の家に転がり込めば、何時か恋人が姿を見せるのではないかと不安になり、離れた場所に住んでいる私のところへとやってきたというわけだ。

 事情を聞いた私は、然るべき機関に通報するべきではないかと提案したが、

「そのようなことをすれば、火に油を注ぐだけです」

 目に涙を浮かべながら首を横に振る彼女を見て、我々夫婦は顔を見合わせた。

 面倒なことに巻き込まれることは避けたいのだが、相手が彼女となると、見過ごすことはできない。

 私は妻に彼女との関係を説明し、しばらく匿っても構わないかと問うた。

 異論は無いらしく、悩む様子を見せることなく、妻は首肯を返した。


***


 世話になっている礼にと、彼女は家事の一切を引き受けてくれた。

 私が知っていた時代とは異なり、その手料理はなかなかに美味だった。

 怯えた様子で逃げ込んできたとは思えないほどに、彼女は笑顔を見せることが多くなった。

 幼少の時分を思い出すかのような日々を送っていたが、私はやはり、問題は解決すべきではないかと考えた。

 私は彼女の友人に接触し、恋人の住居を教えてもらうと、彼女との交際を止めるように説得することにした。

 多少は殴られたとしても説得を続けようと考えていたが、私が傷を作るようなことはなかった。

 何故なら、彼女の恋人は、話に聞いていた人物像とはかけ離れていたからだ。

 常に穏やかな表情を浮かべ、彼女との日々を嬉しそうに語るその姿は、とても暴力的な人間だと思うことができなかった。

 本性を隠しているのではないかと考えたが、行方が分からなくなった彼女を案ずる態度や、恋人のことを知っている人間たちからの情報から、彼女から聞いていた話が間違っているのだと思わざるを得なかった。

 そこで、私の頭に一つの可能性が浮かんだ。

 もしかすると、彼女は私と共に生活したいがために、虚言を吐いているのではないか。

 私のことを諦めることができなかったために、このような回りくどいことをしてまで、転がり込んできたのではないか。

 そう考えると、彼女の立ち直りの早さにも、納得がいく。

 もしも私の思考が間違っていなければ、何時しか彼女は、私の妻を追い出してしまうのかもしれない。

 彼女のことは大事だが、私にとって妻もまた、大事な存在である。

 関係が崩れることは避けたいが、妻のことを想えば、彼女は追い出した方が安全だろう。

 私は彼女を追い出すべく、自宅へと戻ることにした。

 だが、私が話を切り出すよりも前に、彼女は神妙な面持ちで、私に告げてきた。

 いわく、私の妻が、何者かの手によって、その生命を奪われたらしい。

 私は、即座に理解することができなかった。

 しかし、制服姿の人間たちが話を聞きにきたために、それが真実だと認めなければならなくなってしまった。

 愛する人間を失ったことがあまりにも衝撃的で、私は自宅に籠もるようになってしまった。

 部屋の隅で小さくなっている私に、彼女は寄り添っている。

「私が隣にいますから、安心してください」

 その笑みがどういう理由なのか、もはや考えることも放棄した。

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守るべき被害者 三鹿ショート @mijikashort

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