[8] 推論

 久しぶりに戸村と2人で飲む。大学からの友人、会うのはかれこれ1年ぶりか。

 落ち着いた雰囲気の居酒屋で落ち合った。座敷の個室を予約済み。

 お互いおっさんで1年ぐらいではそんなに変わってない。「最近どうだ」と聞かれたのでスマホに撮ったチップの写真を見せる。

 結局同僚にはいまだに話す機会がない。たまに会う程度のこいつにならどう思われてもいいから、気軽に話せた。


「飼い始めたんだよ。どうだ、かわいいだろ」

「へー、こんな感じなんだな」などとつぶやきつつ戸村は片手ですぱすぱめくっていく。もっとじっくり眺めて堪能して欲しいところだが、まあ誰とでも共有できる感情ではないだろうから黙っておいた。

 ざっと写真を見終わってスマホを返しながら戸村は、「俺らが小学校の頃にさ、迷宮ってニュースになったろ」と言ってきた。


 急な話題の転換に戸惑う。俺としてはもっと詳しくスライムの話をしたかったところだがのっておく。

「あったあった、そういやあの頃は毎日迷宮がテレビに映ってたな」

「まあ今でも迷宮は存在するんだけどな。ホットなニュースになってないだけで」

「言われてみればそうだな。別にこの世界から消え果たわけじゃないし」

「俺さ、今、迷宮の研究やってんだよ」

「え?」

 思わず声をもらしていた。


 戸村は確か大学に残って研究員になったのは覚えている。ただその対象は迷宮なんて奇抜なものじゃなくて、もっと地味な何かだったような気がする。なんだったか……。

「あれ、俺の記憶だと川がどうやってできるか、みたいなこと研究してたんじゃなかったっけ」

「そうそう、よく覚えてんな。そういうのテーマにしてたんだけど面倒見てもらってた先生がさ、迷宮にこっててそっちにいつのまにかひきずられてた」

「へー、そういうもんなんだな」

 その変遷は彼にとってよかったのか悪かったのか、表情から察するに別段いやいや道を変えたわけではないようだった。


「で、なんでいきなりそんな話ふってきたんだ」

「そう急ぐなよ。次は大学時代にさ、ゾンビが大量発生してかなりやばいことになったじゃん」

 話を戻そうとした俺に構わず、戸村はさらに別の話題を振ってくる。まだお互い1杯程度しか飲んでいないのに。昔からこいつはそういう傍若無人なところがあったな。

「今となっては懐かしいよ。初めのうちは対処法わかってなくて結構パニックになってたっけか」

「大学生だってのにろくに遊びに行けなかったりしたし。今はずいぶん落ち着いて一部地域にしかいないって話だけど、ゾンビ」


「とんと話を聞かねえもんな。お前、実物見たことある?」

 まあ飲みの席のいい加減な話だ。興味の赴く方向へ好き勝手に話題なんてずらしてけばいい。ふと思いついたことを俺は尋ねる。

「ない。弟が大昔に街で取り押さえられてるとこ見たとか話してた」

「お前の弟1回だけ会ったことあったよな、元気してる?」

「元気元気。そんなことはどうだっていいんだよ」

 いい加減にうろうろしてるように見えて、戸村は戸村なりに筋道を立てて話しているようだ。ただこっちとしては本筋がつかめてないからひとまずそこのところだけでもはっきりさせておきたい。

「じゃあいったい何の話がしたいんだ?」


「スライムについてだよ」

「その話なら俺も大いに興味がある」

 最初からそう言ってくれればこちらの聞きようも違ったというのに。身を乗り出した俺に対して、不意に戸村は声を潜めて言った。

「あのスライムってやつはおそらくもともと迷宮で出現したものだよ」

「え? まったくこれっぽっちも危険な感じはしないけどな。かわいいし」

「今となっちゃあ迷宮自体がほとんど無力化されてるだろ。新しいのが生まれてもすぐに攻略されちまうし」


 迷宮とスライムが関係するなんて考えたこともなかった。迷宮か。あんまり生活上のかかわりがないからぼんやりとしか思い出せない。

「昔話題になってたようなすごくでかいタイプはどうなんだ? 宮原だっけか」

「超大型迷宮はいまだに底が見えてないのもあるよ。浅い層ならわりと観光地化して簡単に入れるけどな」

「それでどういうわけでスライムが迷宮生まれってことになるんだ」

「ゾンビの話したろ。あれも迷宮から出てきたのものだってのが現在の主流の考えなんだよ」

 違う業界の人の話というのはわからなくてもおもしろいものだ。まあ話し手の技量次第なところもあるが。その点、戸村は問題ない。


「ゾンビのくだりもつながってくのか。でも確定ではないんだな」

「そこが難しいところなんだよ。迷宮に由来する変なものは基本的に迷宮線の影響を受けてるんだが――」

「迷宮線?」

「迷宮が出してる放射線みたいなものだよ。それのせいで変質が起きてるんだ」

「そいつを計測すればいいだろ」

「そう簡単にはいかないんだよ。道具はあるんだけど迷宮ができてずいぶんたつおかげで、巷にもちょこちょこ迷宮線だしてるものがあるってわけだ」


 聞いたこともなかった。別段俺が不勉強というわけではないと思う。界隈では常識でも外に出れば全然通じないということはある。俺だってそういう感覚を何か持ってるかもしれない、自分では気づかないだけで。

 思いついた疑問を投げかける。

「……結局これはなんの話なんだ? スライムは危険だって言いたいのか?」

「違う違う。俺の仮説を話しただけだ。あってたとしてもスライムが特別危険なことはないよ。ただ迷宮の受け入れ方も変化したことだし、迷宮の方でもこっちとうまくやってくために存在の仕方を変えていってんのかもなあって思ってね」

 言って戸村はジョッキに残ったビールをグイっと煽った。


 俺は手に持ったままだったスマホでチップの写真を眺める。あの迷宮が手段を変えて日常にこれだけ溶け込んでるのか、なんだかものすごく変な感じがした。

 まあこんな形で馴染んでくれるのなら大歓迎だけれど。

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