08 ルカ子ちゃんでよかった
ユユちゃんの最寄り駅に着くと、僕は一緒に降りた。
これからユユちゃんの家にお邪魔するとか、なにかを借り受けるとかではない。家に着くまでが遠足であるように、ユユちゃんを送り届けるまでが今日のお出かけだ。
「うーん、今日は楽しかったー!」
ユユちゃんは見せびらかすように、僕と撮ったプリントシールをまじまじと見る。照れて困って観念して棒立ちになっている僕とは対照的に、ユユちゃんはご満悦の笑顔を輝かせている。
「最後の最後で、とんでもない目にあった……」
「みずき先輩たちも、ルカ子ちゃんと撮れてご満悦だったね」
ユユちゃん含めて、先輩たちとひとりずつ写真を撮らされ、最後は集合写真でフィニッシュだ。
夕暮れにはユユちゃんを送り届けるつもりだったが、もう完全に日が没してしまった。
「そういえば、みずき先輩たちにあっさり説明したのは意外だったね」
「ルカ子になってる理由。説明を求められて困ってる僕を、絶対ニヤニヤしながら眺めると思ってた」
「わたしのためにルカ子ちゃんになってくれたんだもの。そのせいで勘違いされるのをニヤニヤして見てるほど、恩知らずじゃないよ、わたし」
ユユちゃんは眉尻を下げながらも、うっすらと口端を上げた。
「でも、今日はルカ子ちゃんで本当によかった。おかげでこんなに楽しめちゃった」
「そりゃ、ユユちゃんからしたら面白い格好だもんね」
「ううん。そういうことじゃなくてね」
ゆっくりとユユちゃんはかぶりを振った。
「女の子同士っていう名目があったから、こんな距離感で接することができたの。真中くん相手だったら、こうはいかなかったから」
「それは……うん、そうかもしれないね。ルカ子だったからこそ、ユユちゃんなんて呼べたんだ」
僕たちが離れてから、流れた時間はあまりにも長すぎた。ユユちゃんと呼ぶには、僕は大きくなりすぎた。昔のような幼馴染に戻ろうにも、どう距離を詰めていけばいいのかわからなかった。
それがあっさりと叶ってしまい、つい本音が漏れ出る。
「昔に戻ったみたいで、本当に楽しかった」
「わたしもだよ。それこそ高校に入ってから、今日が一番楽しかった」
手を合わせながら、ユユちゃんはとびきりの笑顔を見せてくれた。
高校に入ってから、今日が一番楽しかった。かつての幼馴染として過ごした時間が、それほど大事だったと示すようだ。
「ほんとはね、もっと早くこうしてルカくんと遊びたかったんだよ?」
「そうだったの?」
「だって、あれだけ一緒にいた幼馴染だもの。高校に入ってルカくんを見たときは、本当に嬉しかったんだから」
「だったらなんで、声かけてくれなかったのさ」
「わたしのこと、気づいてくれるかなーって。ドキドキして待ってたら、気づく様子がないからずっとやきもきしてたんだから」
「ユユちゃんのことは一目で気づいてたよ。僕と違って名字変わってないから、そっくりさんじゃないんだって」
「嘘ー、最初から気づいてたの!? ルカくんのほうこそ、なんで話かけてくれなかったのよ」
口を尖らせながら、抗議の眼差しを送ってくる。変にはぐらかせようものなら、どんな困った目にあわされるかわかったもんじゃない。
息をつくと、観念したように答えた。
「ユユちゃん、びっくりするくらい美人になってたからさ。手紙も出さなかった奴が、昔の思い出を引っ張り出して声をかけるには、あまりにも遠い存在に見えたんだ」
「へ、へー……そ、そうなんだ」
真正面から褒められたのが面映ゆいのか、ユユちゃんは視線を逸らした。
手元に目を落としたユユちゃんはもじもじしている。
「た、たしかに大きくなったけど、遠い存在なんて大げさすぎ。わたしは昔から、あまり変わってないよ」
「うん、そのとおりだったよ」
勝手に手の届かない存在として扱って、声ひとつかけないのはさすがに僕が悪かった。久しぶりって声をかけて、なんだ今更こいつは、みたいに返ってきたら距離を置けばよかったのだ。
そしてユユちゃんは、手紙も出さずにいた僕のことを、あれは仕方ないことだったと許してくれた。そんな子であったのだ。
「昔から変な悪戯とかして、困った僕を見てニヤニヤしている君のままだった」
「うん、そのときのわたしのままだよ」
まったく褒めてもいないのに、それを嬉しそうに肯定するユユちゃん。
そう、ユユちゃんはあのときのまま……と思ったのだが、やはりひっかかるものはあった。
「……いや、でも以前よりなんか、ニヤニヤがねっとりしてるような気もするんだけど。……なんかさ、困った僕を見て時々悦に入ってない?」
「そ、そんなことないよー」
ユユちゃんは人差し指同士をつんつんさせながら、明後日の方を見る。
「た、ただルカくんの困った顔、昔からなにも変わらないなー、って昔を思い出してるだけだから?」
「まあ、そういうことにしておくけど。ちなみに隣の席になってからやけに辛辣だったのって、僕が昔のことを素知らぬ顔して接してたから?」
「そ、そうそう! そうなの……! それでつい、意地悪しちゃくなっちゃったの!」
そこは『そんなことないよー』と嘘でも否定するところだろうに。なぜか勢いづいて肯定している。まだなにか、やましいことでも隠しているのだろうか。
まあいい。そうだろうとは思っていたが、ちゃんと答え合わせができてよかった。
「まさかハルたちの、ツンデレ意地悪女が当たってたなんてね」
「そこまでのことはした覚えはないから。ただ……他人行儀なルカくんは好きじゃなかっただけ」
「まあ、ちょっと困らされたくらいだったからいいけどさ」
ムカつくみたいな負の感情を覚えるほどの仕打ちではなかった。あったとしたら、手紙のことで悪感情を持たれているかもしれない。そんな不安だけだ。
「週明けからはもう、他人行儀は止めるからさ。これ以上僕を困らせようとするのは止めてくれ」
「それってルカ子ちゃんを止めてからも、ずっとユユちゃんって呼んでくれるってこと?」
ユユちゃんは期待を込めた眼差しを送ってくる。それほど幼馴染としての思い出を大切にしてきてくれたのだろう。
うん、と頷きそうになったが、すんでのところでストップした。
学園のアイドルにして天使にして女神にして高嶺の花にしてミス・パーフェクトヒロインを、いきなりユユちゃん呼びしようものなら、周りの男共はきっとうるさく騒ぎ立てるだろう。それだけじゃない。噂話好きの女子たちもこれでもかと、こちらを囃し立ててくる恐れもある。
僕は平穏な学園生活を送りたいのだ。
「……周りがうるさそうだから、しばらくは甘井さんかな」
「次はどんな手で楽しませてもらおうかなー」
「せめてお手柔らかにお願いします」
わざとらしいユユちゃんの言葉に、僕はあっさりと諦めた。
「ねえ、ルカ子ちゃん。また、こうやって一緒に遊ぼうね」
ユユちゃんは後ろに手を回し、前のめりになって僕の顔を覗き込む。
「ルカ子は今日でもう終わり。三度目はないよ、こんな姿は」
「ストーカーが怖いよー、えーんえーん」
わざとらしく顔を覆ってユユちゃんは泣き真似をした。
懐かしいものを見た。昔もこうやって、なにかを断ればユユちゃんは泣き真似をしたのだ。明らかに泣いていないのはわかっているけど、僕がうんというまで続けるのだ。結局根負けして、ユユちゃんの思い通りになってしまう。
けど今回は根負けするつもりはない。
「大丈夫だよ、ユユちゃん。ストーカーは僕たちがなんとかするから。これ以上怖い思いなんてさせないさ」
「ルカくん……」
顔を上げたユユちゃんは、こちらを見つめてる。そうしてすぐに、その口元はほころんだ。
「なんか昔と変わったね、ルカくん」
「そうかな? そんな自覚はないんだけど」
「ううん。変わった。あんなに可愛かったのに、こんなにも頼もしくなった」
「これでも男だからね。だからルカ子にはもう、なる必要なんてない」
「でも、また一生に遊ぼうね。今度はルカ子ちゃんじゃなくて、ちゃんとルカくんとして」
「うん、約束するよ」
そんなの願ったり叶ったりだ。またこうしてユユちゃんの隣を歩けるなんて、素晴らしい青春ではないか。
「後、忘れてないとは思うけど、ルカくんの初めての幼馴染はわたしだからね」
「大丈夫、一度も忘れたことなんてないよ」
「本当に? あのふたりって、なんかパワーが凄いから。わたしとの思い出なんて吹き飛んだんじゃないかって心配してたんだから」
「そんな心配はいらないから、あのふたりの前でわたしが初めての幼馴染だ、とだけは言わないでくれよ。絶対鬱陶しいことになる」
「なーに? 押すな押すなって?」
口元に平手を添えながら、ユユちゃんはにたぁとした。
ちょっと弱みを見せたらすぐこれだ。それでも、こうしてふたりで歩いているだけで、とても楽しい時間だった。
ユユちゃんと付き合いたい。そんな気持ちはたしかにあるが、それは可愛い女の子と付き合いたいと同義である。
幼馴染との思い出に、恋や愛は生まれたことはなかった。そしてここにいる甘井優々子という女の子に恋愛感情を抱いていないのは、高校に入ってから側にいた時間があまりにも短すぎたからだ。
幼馴染としての距離を取り戻したこの先、きっとユユちゃんのことを本気で好きになってしまう。そんな確信めいた予感があった。
ユユちゃんにとって、幼馴染として僕はどんな風に見えているのか。
たった一時間早く生まれただけで、ずっとお姉さんぶっていたユユちゃん。弟扱いできる幼馴染がいて喜んでいるだけか。それとも……ワンチャン、あるのだろうか。
「ねえ、ルカくん。今日は本当にありがとね」
「いいよ。僕もまた、こうしてユユちゃんと話せるようになって嬉しかったから」
「本当に?」
「本当に本当に」
「そっかー。よかった。でも、やっぱりお礼をしないとね」
お礼、と聞き返す代わりに、隣にいるユユちゃんに顔を向けた。
唇に柔らかな感触が押し付けられた。
え、と数センチ先にある目が見開かれた。
なにが起きているのか。
唇に触れているぬくもり、その感触がどういうものかを頭が理解する。どうやら向こうも同じみたい。
五秒くらい見つめ合った僕らは、示し合わせたようにバッと離れた。
背中を見せるユユちゃんを眺めながら、口元を覆うように片手を当てる。
ユユちゃんにキスされたのだ。
そう改めて実感すると、顔がカッと熱くなった。
「ち、違うの……」
なぜと問おうとする前に、ユユちゃんは震える声で答えた。
「ほ、ほっぺ……ほっぺにしようとしたのに……ルカくんが、いきなりこっち向くから」
羞恥に塗れた声音が弁解する。
そうか、ほっぺか。ほっぺにしようとしたのか。そうやってまた、真っ赤な顔で困らせようとしたんだな。
ユユちゃんの行動は理解できた。勘違いするようなことはなにもない。
わかってはいても、ユユちゃんの唇の柔らかさ、そしてぬくもりを思い出し、鼓動は早くなるばかりだ。
正直、僕としては役得以外なにものでもない。でも女の子のユユちゃんはそうはいかないだろう。
「だ、大丈夫……ノーカンだから」
このくらいなんともありませんよ、と澄ました顔をしているつもりなのだろう。涙を溜め込みながらユユちゃんは赤面を見せてきた。
「女の子同士のキスはノーカンだから、大丈夫だから」
「いや、僕は――」
「今ここにいるのはルカ子ちゃんなの! 女の子なの!」
まるで駄々っ子のようにユユちゃんは叫んだ。そうしなければ恥ずかしさで死んでしまう。それを信じ込んでいるかのようだ。
わかったか、というようにきつく唇を結んで、ユユちゃんは涙目で睨めつけてくる。意地を張っている幼子のようで、まるで迫力なんてなかった。
そうだね僕は女の子だね、とたしなめるように言おうものなら、それはそれで適当なこと言うなと責めてくるだろう。失敗して癇癪を起こしたユユちゃんは、そんな面倒くさい女の子であることをよく知っていた。
やり場のない思いを発散するまで、根気よく付き合っていくしかない。
そう覚悟を決めた瞬間、
「尊ーい!」
近隣の迷惑を考えぬ、野太い声が周囲に響いた。
来た道を振り返ると、そこには見知らぬ男がひとり。鼻息を荒くしながら、その場で手をわきわきさせていた。
全体的の輪郭は丸く、僕とそう背は変わらない。ただし腹に贅肉を溜め込んでおり、ボサっとした短髪が不潔な印象をもたらした。動物でたとえるなら豚というよりは熊。犬の玩具となってズタボロとなった、小汚いテディベアといった趣がある。
ふと、僕のスマホが鳴った。しかし相手を確かめる余裕すらなく放っていると、3コールで着信は途切れた。
その男がどこの誰なのかはわからぬが、これだけは確信できた。
こいつがユユちゃんのストーカーだ。
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