06 デザートは僕の顔
「わぁ!」
目の前に広がる光景に、ユユちゃんは目を輝かせた。
食欲を掻き立てる料理に、視覚からして楽しいデザート。これらすべて思うがままに取るのが許されながら、どれだけ食べても値段は変わらない。
ホテルのランチビュッフェに僕たちは来ていた。
「本当にいいの、こんなところでご馳走になっちゃって」
「うん。招待券使ってるだけだから、懐は傷んでないし」
「そうだとしても……」
ユユちゃんは辺りを見渡す。
走り回る子供に、それを大声でたしなめるような親。バカ騒ぎをする中高生の団体や、個室の宴会場と勘違いしている会社員たち。
そういう類は一切いない。子供まで身なりのいい家族に、華美すぎない上品なマダムの集い。綺麗や可愛いの体現者たちの女子会などなど。はしゃぐ声はあれど、騒音にならない程度にちゃんととどめている。周囲に配慮できる大人たちが客層の店であった。
「ちょっとわたしたち、場違いじゃないかな」
ユユちゃんは心配そうに声かけてくる。
学校の制服どころか、高校生以下は僕たちだけだ。たしかに僕たちは、明らかに客の中で浮いているかもしれない。
「大丈夫だよ。僕たちみたいのがダメなら、最初から入れてなんかくれないさ。予約の段階でちゃんと、この格好でも大丈夫か確認はしてるし」
母さんのコンセプトは、制服デート。予約してくれた母さんが、問題ないと言ったのだから問題ない。ただ女装が問題ないかまではわからない。
「こういうところは、挙動不審な動きをするから人目を引くんだ。堂々としてれば周りも気にしないよ」
「そ、そうなんだ」
ユユちゃんから尊敬の眼差しが送られた。
「ルカ子ちゃん、もしかしてこういうところ、子供だけで来るの慣れてる?」
「母さんがよくこの手の招待券とか貰ってくるんだ。貰ってもなにかと忙しいから、自分で使う暇もなくてさ。深雪やあのふたりを連れて、大人抜きで来る機会に恵まれてるんだ」
モデルやタレントさんなどを相手にしている母さんは、そういった人たちから指名されるくらいには技術を買われている。すっかり顔なじみの人たちから、なにかと戴き物を賜る機会が多い。
特に今年から、今まで抑えていた仕事の数を増やした。その数に比例して、この手の招待券を貰ってくる機会が増えたのだ。母さんは使う暇がないから、僕ら子供たちがありたがく使わせて貰っている。まさに天下の回り物である。
「へー、なんかいいね。そういうの」
「贅沢できるのが?」
「親抜きで子供たちだけでこういう場所に来るのって、なんか特別感あるよね」
「たしかにクラスの打ち上げでいく食べ放題とはわけが違うね。子供だけで来るには贅沢すぎる環境だ」
「その贅沢を精一杯楽しませてもらおっかな」
目をキラキラさせたユユちゃんに続いて、僕らは料理を前にした。
ユユちゃんは一品ごとに立ち止まり、気の向くままによそっていく。けど年頃の男のように無秩序に皿へ盛り付けるのではなく、おせちのように整然と並べられている。
一方、僕のトレイにはなにも乗せられていない。悩んでいるのではなく、最初から選んで取る気がないのだ。
ふいに立ち止まったユユちゃんは、悩まし気な顔を向けた。
「こういう一品ものって迷うなー。全部ってなるとお腹が……一口だけでいいんだけど」
ビーフシチューパイを前にして、取るかどうか迷っている。
こういうものを次から次へと取れば、あっという間にお腹が膨れる。色んなものをちょっとずつ食べたいユユちゃんとしては、そこが悩ましいのだろう。
母さんの言ったとおりの展開になった。
「いいよ、ユユちゃん。僕が取るから、味見しなよ」
「いいの?」
ユユちゃんの顔がパッと輝いた。
「今日はユユちゃんが気になるものを、沢山食べられるように協力するから。遠慮しないで選んでいいよ」
「ありがとう、ルカ子ちゃん!」
はしゃぐようにユユちゃんは笑った。トレイを持っていなかったら、腕に抱きついてきそうな喜びようだ。
今日の目的は、ユユちゃんのストレス発散だ。存在を目視できていないが、ストーカーに付け回されているかもしれない怖さ。たとえ友達といても、常にその嫌な気配はつきまとってくるようだ。
いつ伸びてくるかもわからない魔の手。ハルたちですらうんざりするほどだから、女の子ならなおさら怖いだろう。取り繕ってこそいるが、見ない心は疲弊しているに違いない。
友達と遊びに行くことでストレス発散しようにも、女同士ではやはり防衛面に不安がある。自分だけならともかく、友達が巻き込まれたら目も当てられない。その憂いだけで、素直に一日を楽しみきれないだろう。
だから僕に白羽の矢が立った。男と一緒なら安心感が違う。最初はハルのほうが適任かと思ったが、アキが言ったように、男とふたりで出かけようものならストーカーが逆上しかねない。なにをするかわからないのが一番怖い。ミス青碧の名をほしいままにした僕なら、その心配はないだろうと選ばれたのだ。
最初、ルカ子を求められたときは渋い顔をした。なにが悲しくて女装して、街にでなければならないのかと。でも、
「ストレス発散に付き合うという名目で、甘井とデートできるんだぞ」
「ルカ子になるわ」
アキに秒で説得されルカ子になることに決めた。
ユユちゃんとのデートなんて、絶対したいに決まっている。それは僕だけではない。青碧学園の男子たちの願いである。ユユちゃんとデートできるなら、誰もが女装のひとつくらい平気でやるだろう。
ミスコン以降、困らされることはあっても辛辣さはなくなった。以前より距離だって近い気がする。これを機会にもっと親しくなれるのであれば、喜んでルカ子になろう。正直、ユユちゃんとワンチャンないか狙ってさえいる。
なにより、ユユちゃんがストーカーに怯えているの見過ごせない。男としての前に、ひとりの幼馴染として彼女の役に立ちたかった。
母さんもなにかと協力的だ。ルカ子を施すのは完全に趣味だとしても、ここの優待券と共にアドバイスをしてくれた。
女の子はこういう場所では、色んなものをちょっとずつ食べたいもの。それが適わないものについては、僕が取って食べさせてあげるといい。食べるということで、男らしさを見せるのだ。
母さんのアドバイスが的確であったのは、ユユちゃんの喜びが証明している。
その楽しそうに品々を物色する横顔は、いつもの学園のアイドルにして天使にして女神にして高嶺の花にしてミス・パーフェクトヒロインものではない。幼い頃の笑顔を思い出した。
「いっぱい取っちゃったけど、本当に大丈夫ルカ子ちゃん?」
「余裕だね。朝も抜いてきたし、これでも足りないくらいさ」
「そういうところは男の子だね。頼もしい」
ニッ、とユユちゃんは白い歯をこぼした。
窓際に配置された正方形のテーブル。僕らは向かい合うのではなく、窓を前にして直角並び座った。
料理を綺麗に並べたユユちゃんは、僕に断ってからスマホで写真を撮った。
「
「うん。今日はこんなに美味しいもの食べてまーす、って」
「なんか意外。ユユちゃんがいいねを稼ぐ民だなんて」
「いのりはそういう風に楽しんでるけど、わたしは全然。友達にしか公開してないから」
あっけらかんとユユちゃんは言った。
たしかにその使い方なら、ユユちゃんらしいかもしれない。注目されてしまうのと、注目されたいは全然違う。親しい人にだけ思い出を共有できれば、それが一番の楽しい使い方なのだろう。
そこで、ふと思った。
「もしかしてさ、よく知らない人から申請とか来ない?」
「あ……うん」
あれだけ溌剌だったユユちゃんの声が沈んだ。
「同じ人から何度も申請されて、ブロックはしたんだけど……」
「アカウントを作り直して、また来たの?」
ユユちゃんは首肯した。
「星宮さんにはそのことは」
今度はかぶりを振った。これ以上心配させたくないと言っているようであった。
ユユちゃんはただ、視線を感じていたわけではなかった。顔の見えない接触が既にあったのだ。
やはりユユちゃんのストーカーは実在する。
でもこのことを、これ以上話のタネに上げるのは止めよう。今日はユユちゃんのストレス発散のためにきたのだ。こんな顔をしてもらうためではない。
「まずは食べようか」
「うん。折角の料理だもん。楽しく頂かなきゃね」
暗い気持ちを振り払うように、ユユちゃんは笑顔を咲かせた。
そこからの食事は、和気あいあいと楽しいものだった。
一皿料理や、ワンカットが大きいパイやピザ。それらユユちゃんが一口で満足したものを僕が食べる。たとえ種類が偏ろうが、ユユちゃんが楽しそうならそれでいい。ユユちゃんのスプーンやフォークに触れた料理を口にする。小学生じゃあるまいし、それに恥ずかしがったりしなければ、邪な劣情を抱くほどのものではない。
純粋にふたりのこの時間がとても楽しかった。
ユユちゃんは一周だけで食事に満足したようで、次はデザートだった。どれも食べ放題とは思えないほどで、一品一品が宝石のようだ。
一周目よりも目を輝かせているユユちゃんは、トレイに持ったケーキに一度視線を落とすと、こちらをチラリと見た。
「大丈夫、このくらいペロっといけるよ」
「ほんと? さすが男の子」
トレイを持っていなければガッツポーズでもしそうな顔だ。
こうして席に戻ってケーキを並べると、まさに圧巻だった。
写真を撮ったユユちゃんは、早速苺のタルトに手を付けた。
「んぅ~、美味しい」
ユユちゃんは幸せを接種したような表情をする。
こういう顔を側で見られるのは、まさに役得だ。ついこちらの頬まで緩みそうになる。
もう一口いくのか、ユユちゃんはフォークでケーキをカットする。
「はい」
すると突き刺したタルトが僕を向いた。
「へ」
「あーん」
自分の真似をしてと言うように、ユユちゃんは口を丸く開けた。
えっと、これは……。
「ほら、崩れて落ちちゃう前に早く。あーん」
口を開けると、タルトが口内に侵入した。閉じた口からフォークは引き抜かれる。
「美味しい?」
「う、うん……」
いきなりのことで驚きながらも首肯した。
美味しかったが、甘い以外の味は覚えていない。
「残りは食べてもらおうと思ったけど、やっぱり食べちゃお」
ユユちゃんはタルトの切れ端を、パクリと食べた。僕はただ、そんなユユちゃんのフォークの行く末を見守っていた。
「どうしたの、ルカ子ちゃん」
にやぁ、とユユちゃんはこちらを見た。なにを気にしているのかお見通し。それが楽しくて仕方ないというように。
「もしかして、あーんが恥ずかしかったのかな?」
「い、いや別に……そんなことないし」
僕は顔を背けた。
「ルカ子ちゃん」
すっと僕の耳元に、ユユちゃんは口を寄せた。こそこそと内緒話するみたいに手を添えている。
「間接キス、しちゃったね」
「なっ!」
あからさまな言葉を使われ、つい動揺してしまった。
熱を帯びた顔をついユユちゃんに向けると、にたぁとしながら口に手を添えていた。
「しょ、小学生じゃないんだから。別にそのくらい、大したことないし」
聞かれてもない言い訳がましい言葉を吐き出す。
「そうだよねー、もうわたしたち高校生だもん」
ユユちゃんはマスカットのケーキを切り分けると、
「このくらい、恥ずかしくもなんともないよね」
突き刺したケーキでまたあーんをしてきた。
直前にユユちゃんが口を付けたばかりのフォーク。それを自覚しただけで、直接口にしていいのか躊躇ってしまう。
ただし、これ以上時間をかけたら、ユユちゃんに煽られてしまう。
甘んじてあーんを受け入れ、美味しい以外の味がわからないケーキを食した。
ユユちゃんそんな僕を横目で見ながら同じケーキを食べると、
「あ、美味しい。これ、ルカ子ちゃんの味がするー」
明らかに僕を挑発する言葉を口にした。効果は抜群で、思わず吹き出しそうになった。
ニヤニヤするユユちゃんは、次のケーキに手をつけようとする。
このままユユちゃんのペースに飲み込まれてはいけない。僕はあのミスコンで言ったではないか。次もまた返り討ちだって。
僕は近くにあった杏仁豆腐に手を伸ばし、スプーンで一口食べた。そのスプーンで掬った杏仁豆腐を、ユユちゃんに向けた。
「ほら、ユユちゃん。あーん」
「あーん」
僕の思いとは裏腹に、あっさりとユユちゃんはそれを口にした。それだけじゃない。スプーンからすぐ口を離さず、そのまま味わい嚥下した。
恐る恐るユユちゃんの口からスプーンを抜く。スプーンと唇の間に、細い糸が引いた気がした。
「あー、美味しかった。ルカ子ちゃん、後はそれ、全部食べて貰える?」
次のデザートに手をつけようとしないで、ユユちゃんは僕から視線を外そうとしない。杏仁豆腐をこのスプーンで食べるのを見届ける気満々である。
ぐぬぬ、と顔を歪めそうになったが堪える。
平常心で杏仁豆腐を食べようとすると、スプーンの真ん中に小さな小さな気泡ができていることに気づいた。
「どうしたの、ルカ子ちゃん?」
首を傾げながらユユちゃんは、不思議そうな真似をする。
熱を帯びたこの顔は、それこそ真っ赤に染まっているだろう。迷い、戸惑い、そして躊躇い。そんな言葉を表情に描きながら、僕は美味しい以外の味がしない杏仁豆腐を口にした。
その後もユユちゃんのペースに振り回された僕は、まさにされるがまま。次も返り討ちにすると宣言したはずなのに、一方的な戦いであった。
結局そんな僕の有様が、ユユちゃんにとってのデザートになってしまった。
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