03 久しぶりのルカ子ちゃん

 時刻は十一時十五分。


 東京の三大副都心のひとつ、その駅構内で待ち合わせをしていた。


 コンパクトミラーを覗き込んで、お化粧が変じゃないか確認したり、髪がハネたりしていないか、到着してからずっと自分の顔とにらめっこしていたのだ。


「ねえ、変じゃないかな、わたし?」


「大丈夫大丈夫。今のユユは世界で一番可愛いよ。だからもう、これ以上あがくのは止めて毅然としてなさい」


「あがくって……やっぱりどこか変なところあるんでしょう?」


「ないない。ただの言葉のあやだから」


 いのりは口元に手を添えると、ニヤニヤとした目を向けてきた。


「ユユ史上、最高に気合いれたおめかししちゃって。そんなに楽しみなの、真中くんとのデート」


「うん。だって、初めてのデートだから」


 合わせた手のひらの先を口元に添えた。いのりから教えてもらったことを思い出すだけで、この口元は綻ばずにいられなかった。


 わたしはルカくんにとって、理想の女の子。付き合えるなら付き合いたいと、口に出すほどに思ってくれている。たとえそれが甘井優々子に恋しているのではなく、可愛い女の子と付き合いたいという意味合いであったとしても。心臓が跳ねるほどに嬉しかった。


 だから決めたのだ。


「ルカくんがこれまでのわたしを見て、理想の女の子だって言ってくれるなら、それを上回るくらいの自分を見せたいの。それこそ向こうから、つい好きだって言ってもらえるくらいに」


 ルカくんから恋してもらえるくらいの女の子になりたいって。どうせなら、心からの両思いで結ばれたかった。


「じゃあ真中くんが、今日もしユユに惚れちゃって、衝動的に告白してきたら」


「そのときはラブラブカップルの誕生だね」


「ちなみにユユのほうから、今日衝動的に告白するパターンは?」


「公の場で衆人環視に置かれて、ルカくんの顔が真っ赤になって困っちゃうようなチャンスがあったらしちゃうかも」


「うーん、そこは譲らないのね」


 いのりは呆れたように眉をひそめた。


「ありがとね、いのり。今日はわたしのために、色々と手を回してくれて。まさかこんな早く、ルカくんとデートできるチャンスが巡ってくるとは思わなかった」


「しょうがないでしょう。ユユったらこのまま放っておいたら、なんか泣きを見そうだったんだもの。ユユの幸せが近づくなら、ちょっと手を回すくらいなんともないわよ」


「やっぱり持つべきもの親友ね。いのりになにかあったら、わたしも頑張るから」


「そのときは期待してるわよ。……と、ほら。お相手が到着したわよ」


 こっちこっちー、といのりは声を上げながら改札方面に手を振った。


 真っ先に目に入ったのは、左津前くんだった。国民的アイドルグルームの事務所に所属していると告げられたら、そんなの嘘だろう? と思うのではなく、ああやっぱりね、と誰もが納得する外見である。


 彼が通り過ぎると、誰もが振り返っている。みんな芸能人を目撃したかのような眼差しだ。ただ、振り返った男性については、左津前くんの後ろを見ているような気もする。


 左津前くんはそうしてわたしたちの前で立ち止まった。


「ああ、早いなふたりとも」


「左津前くん。こういうときは、待たせたかな? じゃないの」


「五分前行動どころか、まだ十分以上前だ。待たせた覚えはない」


「うーん……どんなときも左津前くんはブレないわね」


 どこか悟った顔でいのりは息をついた。


 一方、わたしはドキドキしていた。ついにデートの時間がやってきたかと……思ったら、当の真中くんが見当たらない。


「あ、あの左津前くん。ルカ……真中くんは?」


「ルカなら俺の後ろにいる」


「後ろ?」


 わたしといのりは、左津前くんの背後を覗き込んだ。


「やぁ……こんにちは、ふたりとも」


 左津前くんの服を摘んでいるその人は、俯いたまま沈んだ声音の挨拶をした。


「えっ」


 想像していた姿がそこには見当たらずにびっくりしてしまった。


 左津前くんの背後には、誰もが彼とは呼べない姿があった。わたしと同じ制服に身を包んだ、誰もが彼女と指すだろう子がいたのである。


 可愛らしい顔をした男の子を待っていたはずなのに、左津前くんが連れてきたのは栗毛のハーフアップの女の子だった。


 両手で口を覆い、つい叫んでしまった。


「わぁっ、ルカ子ちゃんだー!」


 かつてミスコンでわたしを返り討ちにした、ミス青碧がそこにはいたのだ。


 先程までドキドキしていた胸が、途端に弾んだ。


「え、え、どうしてどうして。なんでルカ子ちゃんになってるの?」


 思わずその場で飛び跳ねる。


 心の奥から込み上がるのは戸惑いではなく喜び。楽しそうな玩具を与えられたように、わたしははしゃいでしまったのだ。


 今日のデートの体面は、わたしがストーカーで困っているから、そのボディーガードとしてルカくんが選ばれた。男の人と一緒なら、わたしも安心してストレス発散ができる休日を過ごせる。という手はずだった。


「甘井は今まで、男とふたりで遊びにでかけた経験はないんだろう? そんな甘井がいきなりルカとお出かけをしようものなら、男がいたのかってストーカーが逆上しかねんからな。一番怖いのは、それでいつなにをしてくるかわからないことだ」


「だから女友達とのお出かけ、って体面を取り繕ったのよ。これ、真中くんのお母さんの案ね」


 ふたりの説明を聞いて、そういうことかと納得した。


 それで女装趣味があるわけでもないルカくんが、こんな格好で街まで出てきたのか。


 思わぬサプライズで嬉しかったのもつかの間、すぐにわたしの心は沈んでしまった。


 ルカくんの顔は、暗く落ち込んでいるものだったからだ。この格好で来るのがきっと、本気で嫌だったのだろう。当然といえば当然かもしれない。


 わたしはルカくんの困った顔が好きだ。顔を赤らめ困ったその顔で、ご飯は三倍食べられる。ルカくんの困った顔からしか得られない栄養がこの世にはあるのだ。


 でも、こんな顔が好きなわけではない。その気持ちが暗く落ち込むような顔を望んでいるわけではないのだ。


 今日のデートは本当に楽しみだった。でも……嫌々させられた格好で、楽しめるもなにもない感情を持ったルカくんと、一緒におでかけしたいわけではなかった。一緒に笑って、楽しんで、ときには彼が困った赤らめた顔を見る。そんなデートを望んでいたのだ。


「あ、あのね真中くん、嫌なら無理しなくても……」


「ああ、大丈夫だ甘井。ルカが今こうなってるのは、この格好のせいじゃない」


 これ以上なんて声をかければいいか悩んでいると、左津前くんはなんでもない顔をで告げてくる。


「え」


「まあ、この格好で問題が起きたのは間違いないんだが。ちょっと道中でトラブってな。そのことでルカは沈んでるんだ」


「えっと……真中くんになにがあったんですか?」


「痴漢だ」


「ふぇっ!?」


 ついルカくんを見た。


「あいつは絶対に許さない……絶対、絶対にだ。社会的に絶対潰してやる……」


 ルカくんはうわ言のように、恨みがこもった声音でぶつぶつ言っている。


「ルカがいきなりすごい顔したから、何事かと思えばサラリーマンに尻を触られていたんだ。さすがに俺たちもビックリしてな、あのときは固まってしまった」


「それで、その痴漢は……どうなったんですか?」


「ルカが痴漢の手を掴んで叫んだと同時に、電車の扉が開いてな。ルカの手を振り払って逃げたところを、ハルが追いかけたもんだから痴漢もビビったようだ。階段から転がり落ちていったところを、ハルが取り押さえた」


「あ、右城くんがいないのって……」


「後始末を任せて、俺がルカを連れてきたというわけだ」


 改めてルカくんに目を向ける。


「あ、あの……真中くん。えっと、怖かったんですね」


「怖いとか、そういうんじゃなくてさ……ただただ悍ましかった。パンツに大量のゴキブリを流し込まれたかのような気分だ」


 ずっと俯いていたルカくんの顔が、左津前くんの背中を捉えた。


「痴漢に更正の機会なんて必要ない。必要なのは反省じゃなくて後悔だ。人に一生のトラウマを植え付けた奴は、一生ものの後悔を背負うべきだ。痴漢は女の敵……女の敵は全員始末しろ」


 その瞳に宿る憎悪は、そこに痴漢を見ているかのようだ。


 そうして今日初めてわたしを見たルカくんは、今までの発言がなかったかのように微笑んだ。陽の光を存分に浴びているお花畑で、戯れ舞う妖精のような微笑みだった。


「女の敵であるストーカーも、必ず始末するから安心してね、甘井さん」


 ただしその笑顔の裏に潜んでいるのは、人の罪を裁かんとする地獄の裁定者であった。


「うわっ……」


 とそんな顔を見たいのりが眉をひそめた。その顔はどこかショックを受けているようであった。


 ルカくんが怖いとか、そういうわけではなさそうだが……。


「どうしたの、いのり?」


「クラスの男の子が、自分より可愛い女の子に変身した親友の気持ちを答えなさい」


「あー……」


 わたしは気合を入れて今日のデートに臨んだが、今日のいのりのお洒落は学校に行くときと同じものだ。


 一方、ルカくんはわたしでは到底敵わない技術力を持って、メイクが施されている。前回のミスコンが学校に通うに相応しい顔であるなら、今回は幼さを抑えた大人っぽい顔である。栗毛のハーフアップのウィックは、まさに美容院帰りそのもの。よく見ると透明ネイルまで施されており、細部まで職人芸が垣間見えた。


「今日のコンセプトは、『憧れの男の子との初デートで、精一杯背伸びした女の子』だそうだ」


「み、見える……可愛いんじゃなくて、綺麗って思ってもらいたい女の子が……ルカ子ちゃんの今日までしてきた努力が見えるわ」


 左津前くんの説明に、どこかうっとりにしたようにいのりは感動している。


「あー、本当プロって凄いわね。ただ上手いんじゃなくて、描く発想力っていうか。まさに人の素顔をキャンバスに見立てた芸術家ね。私も自分に似合うメイクを、プロの人に描いてもらいたいわ」


「それだったら、静子さんに頼もうか? 星宮相手なら金を取らんでもやってくれるぞ」


「え、いいの!? プロの仕事をタダでしてもらっちゃって」


「あの人は、元々若い子の顔をいじるのが好きだからな。それに昨日、頼めば星宮の顔好きにいじらせてもらえないかな、とか言ってたばかりだ」


「本当! それだったらこっちから頼みたいくらい」


「わかった。静子さんに伝えておくから、日時の都合についてはまた後でな」


「うん、ありがとう左津前くん」


「なんでこいつ、人の母親とクラスメイトの女子を勝手に繋いでるんだ?」


 はしゃぐいのりと左津前くんを見て、ルカくんはボソッと言った。ルカくんの顔に宿っているのは諦めの二文字であった。


「そうだ、甘井。ルカのバッグには化粧ポーチが入ってる。化粧直しはおまえがやってくれとのことだ。ルカはされるの専門だから、化粧のことは全然わからん」


「うん、わかった」


 わたしからルカくんへ視線を映した左津前くんは、ポンとその肩を叩いた。


「それじゃ、ルカ。あとはいつも通りにな」


「うん。後は任せたよ」


 メガネをクイっとした左津前くんに、ルカくんは頼もしそうな目配せをした。おそらく痴漢の後始末のことだろう。


「それじゃ、行こうか甘井さん」


 ルカくんらしいいつもの笑顔が向けられた。でもそこにいるのは男の子ではなく、とびきり可愛い女の子。彼を男の子だと見抜けるものは、一体どれだけいるだろうか。少なくともわたしは、彼がルカくんであることを知らなければ見抜けないだろう。


 だから、わたしの胸に悪戯心が宿ってしまった。いや、悪戯という名の欲望を、これでもかと発散しようと思ったのだ。


 彼の右腕に抱きついた。腕を絡ませ逃げられないようにした。


 いのりの下手な口笛を聞きながら、その顔を見上げる。


「なっ、あ、甘井さん!?」


 やっぱりそこには、わたしの大好物が浮かんでいた。


「女の子同士、これくらい普通だよ」


 ねー、とわたしといのりは顔を見合わせた。


 かつて勘違いして、わたしを返り討ちにしたその顔が、今や真っ赤に困っていた。あのときの雪辱、すこしは雪げたような気がする。


「今日はいっぱい楽しもうね、ルカ子ちゃん」

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