02 一石三鳥の作戦
「そのユユさんって人に、最近困ったことはないの?」
「ユユの困ったことか……」
コーヒーをすすりながら考える。
「あ……ちょっと最近、視線を感じるのが気になってるわね」
右城くんはそのくらいという顔をする。
「甘井は学園のアイドルだからな。仕方ないんじゃないか?」
「天使の微笑みにクラってなった奴でもいるんだろ」
「カーストの下々の民からは慈愛の女神だって慕われているしな」
「高嶺の花に手が届かないのなら、せめて遠くから眺めるだけでも、って奴くらいいくらでもいるだろうさ」
「ミス・パーフェクトヒロインの主人公になりたい、って遠くから夢でも見てるんだろう」
「その優々子さん、アイドルなのか天使なのか女神なのか高嶺の花なのかミス・パーフェクトヒロインなのかハッキリして」
右城くんたちが畳み掛けるユユの二つ名に、深雪ちゃんは眉をひそめた。幼い天使の顔から知らない顔が見えたような気はするが……なに、常に天真爛漫な子なんているわけがない。子供だってよそ行きの顔くらいしていたってことだ。
「まあ、そのくらい愛されている子なの。ユユもそういった注目は慣れてるけど……なんか、後をつけられてるような、そんな視線らしい」
「ストーカーか。それは厄介だな」
「ストーカーは怖いからな。女ならなおさらだ」
考え過ぎじゃないかと言われると思ったが、同情……いや、ふたりは共感するように神妙な顔をした。
たしかにこのふたりは、学園の中でもずば抜けた美形男子。その双璧だ。ストーカーくらいがいてもおかしくないかもしれない。
「右城くんたちも、ストーカーされた経験あるの?」
「中三のときにな。相手はハンカチを拾ってあげただけの女子大生だった」
と右城くんはうんざりしたように言った。
「同じく中三のときだ。相手は展示会ですれ違っただけのみそじOLだった」
と左津前くんは忌々しそうな顔をした。
でもふたりは、それは過去の出来事。もう終わったことのように扱っている。
「それって、どうしたの?」
「俺がつきまとわれているところを、ルカとアキが逆ストーカーして証拠と個人情報を掴んで、親と一緒に相手の学校先に乗り込んだんだ。向こうの親を引っ張り出して、故郷に送還させた。親の監視下で、娯楽がない環境で畑でも耕しているんじゃないか」
「俺のときはハルたちに掴んでもらったものを持って、親と一緒に相手の勤め先に乗り込んだ。俺の住所についてはどうやら、その展示会で得た個人情報を抜いたらしい。大企業だったからな。下手に首にするんじゃなくて、ど田舎に飛ばして監視下に置くって約束してくれた。どうやら白い目で見られながら、肩身狭くやってるらしい」
「行動力が凄いわね……」
これは素直に感心した。中学生が、じゃあ相手がやっている証拠と個人情報を掴んでやるかって考えて、実際に上手くいっているのが凄い。
「ちなみに発案はルカだ。正面からぶつかって懲りるならそれでいい。でも引き下がったふりして逆上した相手が、なにするかわからんのが一番怖いって」
「相手より偉い奴を引っ張り出して、監視下に置かせたほうがいいってな」
「真中くんもまた、すごいわね。もう大人の考え方じゃない、それ」
やはりこのふたりと当たり前に一緒にいるのは、それなりのものを持っているというわけだ。
「当然だ、俺の親友だからな」
「ルカは自慢の親友だからな」
誇らしそうにふたりは胸を張る。
このふたりをここまで惹きつけてやまない魅力が、真中くんにはあるらしい。それはきっとユユも同じで、私にはわからない幼馴染だけに通じるなにかがあるのだろう。
「しかし、甘井がストーカーされているかもしれんのか……」
「本気で困った案件だな」
「気のせいかもしれないって強がってはいるけど、やっぱり内心怖がってるのはわかるのよね」
親友の悩みを思うと、ついため息が漏れ出た。
「これからどんどん日が沈むのは早くなっていくからな」
「ちょっと学校に残っただけで、帰りは夕暮れどきになる」
「学校がある日はマチマチらしいけど……休日が一番よく視線を感じるって言ってたな」
それを告げると、ふたりは真剣な面持ちで考えた。
「なるほど……向こうは同じ学生でも、高校生ではないかもしれんな」
「平日がマチマチということは、大学生かもしれん。俺のときもそうだったからな」
右城くんは神妙な顔で言った。
ちょっと話しただけなのに、まさか犯人像まで浮かび上がってくるとは。ストーカーを撃退経験があるからこそ、その話はただ不安を煽るのではなく、解決策を模索しようとする中身が伴っていた。
「まあ、当の本人の話を聞かないことには、これ以上どうにもならんな」
「安心してくれ星宮。同じ悩みを抱えた先達者として、この件は俺たちが力になろう」
「うん。ありがとう。本当に頼りにしてるから」
よかったよかった。なにか忘れているような気はするが、とにかくよかった。
「あの、盛り上がっているところ水をさすようだけど、ストーカーをどうこうするじゃなくて、ふたりの距離をどう縮めるかの話じゃなかったの?」
「あ、そうだった」
話を聞いてもらって万事解決。解散ムードを出してしまったが、本来の目的を忘れてしまっていた。
深雪ちゃんの顔が呆れている大人を見る目であった。
「ふたりをデートさせる方法ならあるわよ」
頼りにならない大人たちねと言うように、深雪ちゃんは後ろ髪を払った。
無邪気の天使からだいぶ雰囲気が変わったが、それでも話のほうに興味が勝った。
「深雪ちゃん、どんな方法があるの?」
「そのストーカーの話を使って、優々子さんのボディーガードって役割を与えるのよ。頼れる男の人が一緒なら、優々子さんも安心して休日を過ごせる……っていう体なわけ」
「そうだ、その手があったか」
「さすが深雪ちゃん、天才だ」
「ありかも、それ。深雪ちゃん凄いわ」
私たちは深雪ちゃんへ拍手を送った。
「更にいい案が私にあるわ」
そんな拍手喝采の場に、第三者の声が介入した。
リビングの入り口には、ゆるふわなボブパーマの女性が立っていた。女子大生よりもう少し上のまさに大人の美人。その顔には深雪ちゃんの面影があった。
年は離れているが、深雪ちゃんのお姉さんだろうか。
「あ、お母さんお帰りなさい」
「ただいまー、深雪」
そのやり取りの思わず目を剥いてしまった。
こんな大きな子を持つ母親になんて、とてもじゃないが見えなかったからだ。
「静子さん、ここにノエルのシュークリームがあります」
「ありがとう、ハル」
箱を持って馳せ参じた右城くんの頭を、お母さんはポンポン叩いてシュークリームを手にした。
妹、母親、そして左津前くん。皆が皆、恵まれた美形遺伝子を引いている。ある意味左津前くんがこうして生まれたのは、この母親を見れば当然だと思った。
「左津前くんのお母さん、凄い美人ね。お姉さんかと思っちゃった」
「なに言ってるんだ星宮。静子さんは俺の母親じゃないぞ」
「え!?」
怪訝な顔をする左津前くんに、私は素っ頓狂な声を上げた。
「ここって……左津前くんの家じゃないの? 深雪ちゃんのこと、自慢の妹だって」
「深雪ちゃんは実質妹なのは間違いないが、俺はこの家の住人じゃない」
「え、じゃあここって誰の家なの?」
「ルカの家だ」
「ここ、真中くんの家だったの!?」
思わず私は叫んでしまった。
右城くんは勝手知ったるキッチンのごとくコーヒーを淹れてくれたし、左津前くんも自分の家のようにくつろぎソファーを勧めてくれた。真中くん本人がいないのに、これは一体どういうことかと混乱した。
「なんで当たり前のように、ルカくんの家で作戦会議してるのよ……」
「俺たちふたりはこの家の鍵を持ってるからな」
「なんでまた……」
「静子さんの仕事は不規則だからな。ルカだけならともかく、小学生の女の子がいる家だ。俺たちのような男手がいる時間が多いほうが、防犯面でも安心できるだろ? だから基本的に俺たちふたりは、ここで飯を食っている」
左津前くんが最ものようで、それだけで納得しかねる説明をした。
「親御さんはなにも言わないの?」
「俺たちの両親は、単身赴任で家を空けてるからな。そんな家でひとり飯を作って食べるくらいなら、この家でみんな一緒に飯にしようってことになったんだ。ルカとハルの三人で当番を回せば、負担も少ないからな」
「さすがに深雪ひとりで、火を扱わせるのはまだ怖いからね。このふたりがいてくれて助かってるよ」
シュークリームをあっという間に食べ終えたお母さん。口元についたクリームを、指で拭ってペロってする姿はどこか艶めかしい。
真中くんのことを一番の幼馴染扱いするだけあって、その家族にもふたりは信頼されているようだ。
「なんというかふたりって、真中くんの親友っていうか家族みたいなのね」
「まあ、ルカとは将来家族になる予定だからな」
「紙切れ一枚出していないだけで、実質ルカは家族だな」
右城くんはお母さんに目を向けながら、左津前くんは深雪ちゃんに目を向けながら言った。
そんなふたりを見てニヤッとした母子は、向けられた目とは逆の相手に向かっていった。
「あら、ハルくん。ついにわたしのものになってくれるって決めたの?」
深雪ちゃんはあぐらをかく右城くんの上に座って言った。
「ついにこの静子さんの魅力に気づいてくれたのね、アキ。嬉しいわ」
お母さんは左津前くんの背後に回ると、もたれかかるように首に手を回した。
すると右城くんと左津前くんが、途端にお互いを忌々しげに睨み始めた。
「静子さんにそんな羨ましいことされて、妬まし許さんぞアキ!」
「それはこっちの台詞だハル! 深雪ちゃんを膝に乗せやがって、羨ま許さんぞ!」
母子が離れた途端、ふたりは立ち上がり互いの胸倉を掴み合った。
とにかく羨ましい妬ましいと、口汚くお互いを罵り合っている。
一方、この事態を引き起こした母子は、そんなふたりを見てケラケラと笑っている。まさに誤用の確信犯として、ふたりを焚き付けたのだ。
理想の妹。無邪気な天使なんて実はいなかったことを知って、私はショックを受けていた。
それはそれとして、あのユユを平気でツンデレだ好きな子に意地悪しちゃうんだろと追求したメンタルお化けを、こうも簡単に振り回すとは。人間関係というか相互関係と言うか、この家を取り巻く人間模様。ユユを返り討ちにした真中くんの力の所以を垣間見た気がする。
「そ、それで真中くんのお母さん。どんな案があるんですか?」
右城くんたちは罵り合って使い物にならないので、放って話を進めることにした。
お母さんはよくぞ聞いてくれたという得意げな顔で、指を三本立てた。
「ふたりをデートさせる。ストーカーを釣り上げる。そしてなにより、私が楽しめて大満足。そんな一石三鳥の作戦よ」
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