07 甘井さんは拗らせすぎてもう手遅れ

 去っていった瑠夏と入れ違えで、いのりがやってきた。


 その場でまた体育座りしていた優々子の隣にいのりは並んだ。


「なんでああなったか、真中くんから聞いた?」


「……うん」


「どう思った?」


「……自業自得です」


「わかってるならよろしい」


 最初は描いた絵が滅茶苦茶にされて憤ったいのりだが、春雄たちの勘違いもしょうがない。むしろ問題が優々子にあるのがわかっているからこそ、これ以上責める立場にはいられなかった。


 いのりは大きくため息をついた。


「普通に告白さえしていれば、性根を隠したまま、楽しい恋人との時間がこれから待っていたはずなのに。クリスマスでしょ、冬休みでしょ、年越しに初詣、バレンタインに――」


「それ以上言わないでぇ……」


「あーあ、真中くんの困った顔で気持ちよくなろうとしたばっかりにこの始末。今更後悔しても、もう遅いわよ」


「うぅ……」


 優々子は膝に顔を埋めた。


 逃した幸福はあまりにも大きくて、優々子は半泣きになっている。


「もういいから、改めてちゃんと告白すれば?」


「なんて説明して、好きだって信じてもらえればいいのよ」


 次はこうはいかないと宣言したばかりなのだ。このまま普通に告白したって、今回のことを持ち出し警戒される。


 改めて考えると、優々子は余計なことを言ったとまた後悔した。


「素直に全部言えばいいじゃない。あなたの困った顔を見るとゾクゾクするんです。その性癖を満たしたくて、あんなことを企みましたごめんなさい、って」


「そんなこと言えるわけないでしょ! わたし、ルカくんに嫌われたら生きていけないもん!」


 軽く言う友人に、優々子はまくし立てた。


 自分の性癖のことは絶対に言えない。これは優々子にとって絶対だった。


「なによりわたしにも立場があるんだから」


「どんな立場よ」


「一時間とはいえ、わたしのほうが早く生まれたの。ルカくんよりお姉さんとしての尊厳、そこだけは絶対に譲れないのよ」


 どこか誇らしげな優々子の表情。ただの誤差ではないかと、いのりは呆れるしかできない。


「だからね、次のやり方を考えたの」


「どんなやり方?」


「たとえばクリスマスにルカくんたちを誘って、みんなでお出かけするの。テレビの公開収録をやっていそうな場所を調べて、カメラの前で好きですって伝える。真っ赤になって困ったルカくんに、うんって言ってもらえば、今日の醜態は帳消し。むしろおつりがくるくらい」


 そのときのことを思ったのが、優々子はニタニタしながらゾクゾクっと身を震わした。


 いのりにとって前に見た顔だった。そう、今回の告白を決めたときの顔だ。


「あー、ダメねこれ。性癖拗らせすぎてもう手遅れだ」


 絶対に失敗すると確信しながら、いのりはもうすべてを諦めた。




     ◆




「ただいまー」


 勝利の美酒に酔いながら、僕は会場の裏まで戻ってきた。


「お、おう」


「どうだった、甘井は?」


 先程までの勢いはどうしたのか。どこか挙動不審な態度でふたりが駆け寄ってきた。


「次もまた返り討ちだって言ってやったよ」


 僕はそんなのお構いなしに得意げに言った。


「そうかー……」


「ああ、それは……あれだな」


 どこか残念そうな顔をするふたり。物足りなそうというか、なんというか、期待していた答えとは違うものを差し出されていたような顔だ。


 もしかしたらもっとすごい死体蹴りを期待していたのかもしれない。


 面白い話を聞かせてやれず、申し訳なかった。


「しかし、あれだな。よくもまあ、あんな話を考えてきたもんだ」


「なんのこと?」


 ハルが気を取り直したように言った。


「幼なじみ設定だ。よくもまあ、ペラペラペラペラそれっぽい話を作れるもんだ」


 アキは感心したように言った。


 ふたり揃って、尊敬の眼差しすら送ってきている。


 そんなふたりの様子にどこか違和感を覚えた。あれを全部作り話と受け取るとは思わなかったからだ。


「あー、あれ本当の話だから」


「「え?」」


 ふたりはギョッと目をむいた。


 この反応、どうやら僕の勘違いのようだ。てっきりふたりは知っているものだと思っていたのだが。長い付き合いだから、言っていないことを言ったと勘違いしていたのかもしれない。


「言ってなかったっけ? 甘井さんと僕、一応幼なじみだから」


「なんだとー!?」


「俺たち以外にも幼なじみがいたのか!?」


 ケバいふたりは一気に詰め寄ってきた。


「どういうことだ、幼なじみは俺たちだけじゃなかったのか!」


「ルカの初めての幼なじみは俺たちだけだと信じてたのに……!」


「うるさい、詰め寄るな暑苦しい!」


 ふたりの顔面を掴んで押しのけた。


 甘井さんと幼なじみである以上に、自分たちの前に幼なじみと呼べる存在がいたことにショックを受けている。恋する乙女じゃあるまいし、気持ち悪いことこの上ない。


 説明責任を果たさなければ、こいつらは延々にまとわり付いてくるだろう。


 しょうがない。今回は助けられたし、大人しく説明責任を果たそう。


「甘井さんとはさ、生まれたときからのお隣さんだったんだ。小一のときに生みの母親を亡くしてから、なにかと僕を預かってもらう機会が多くなって。姉弟みたいに育ったんだ」


 頭の中で『姉弟』と変換したのは、甘井さんが姉である立場にこだわって、それを刷り込まれたからだ。


「で、小四に上がる前に、父さんが再婚して引っ越したんだ。落ち着いたら手紙出すって約束したんだけど……まあ、ふたりも知っての通り、僕もあの頃は大変だったから」


「さすがに再婚三ヶ月目にして、親父さんを事故で亡くしたのはなー」


 春雄は神妙に頷いた。


「そう考えると、改めて静子さんは偉大だな。一度は自分の子供になったからって、ルカを女手ひとつで育て上げたとか」


「しかも美雪ちゃんなんて、当時幼稚園児だったもんな。自分の子だけでも大変だっていうのに、他人の子まで育てるとか」


「ほんとそれ。母さんには頭が上がらないよ」


 母さんは義理の母親であり、美雪はその実の娘。僕にとっては義妹である。年頃になっていく女の子を育てながら、他人が手をかけてきた男児を育てるとか、それはもう僕には考えられない苦労があったに違いない。


 僕にとってあの人は、なにものにも代えがたい大切な母親だ。


 今日のメイクも母さんがやってくれたものである。でも、わざわざ来てくれたとは言わない。作戦会議中、メイクをどうするか話していたら、『プロの仕事をご所望かい?』と頼んでもいないのに首を突っ込んできたのだ。


 母さんはヘアメイクで食べている人なので腕は一流。小道具等もすべて用意して、本気で僕を美少女に仕立て上げてくれたのだ。きっと会場で写真を撮りまくっていたに違いない。


「気持ちの整理がついたら、ようやく手紙のことを思い出したんだけど……時間もだいぶ経っちゃってたしさ。今更だからって止めたんだ。そんなユユちゃんと、まさか学園で再会するとは思わなかったよ」


「そ、その……ずっと想い続けてきたっていうのは、本当なのか?」


 おずおずとアキが尋ねてきた。


「うん? まあ、恋も愛も知らなければ、性欲なんてのも覚える前だからね。姉弟みたいな側面が強かったから、初恋かと言われたら、うーん」


 人として好きではあったけど、女の子として好きというわけではなかったかもしれない。小学生の男子なんて、そんなものだろう。


「でも、ユユちゃんとの思い出はいいものばかりだからね。再会したときは嬉しかったし、本当に綺麗になっていて驚いた」


「ち、ちなみに……もし、甘井と付き合えるなら、どうする?」


「正直、理想の女の子だね。付き合えるもんなら付き合いたいよ」


 恐る恐る聞いてくるハルの問いに即決した。


 僕だって男だ。あんな可愛い子と手を繋いで歩きたい。そんな理想くらい持っている。それがかつての幼なじみとかそれだけで二度美味しい。


「でもさ、昔の思い出を引っ張り出して、ユユちゃんなんて呼ぶには甘井さんは高嶺の花になりすぎた。ここまで格差が出来たら、手を伸ばす気にもなれないね。だから隣の席になるまで、声すらまともにかけられなかったよ」


 小学生まで僕たち仲良かったよね、なんて態度で声をかける勇気が僕にはなかった。そのくらい甘井さんは綺麗になりすぎた。正直、別世界の住人として接してきた。


「でも……僕の考え過ぎだったのかもしれない。今回のことは、僕が相手なら許される。そうやって昔の思い出を引っ張り出して、及んだ企みらしいから」


 だから今回の件は色々とすっきりした。


 甘井さんがやけに僕を困らせてくるが、よく考えたら昔から彼女はそうだった。いつも僕を困らせて、その顔を見てニヤニヤと笑っていたのだ。どれも後に引くほどのことではないから、喧嘩になることもなかったし。


 もしかしたら甘井さんの今までの困った行動は、折角再会したのに、声もかけずに距離を置いた僕への悪戯だったのかもしれない。いつになったら昔のように接してくれるんだという、アピールだったのかも。


 校舎裏でルカくんと呼んできたときのあの顔は、まさに昔の幼なじみのものだった。


「あ、いたいたルカ子ちゃん!」


 汗をかきながら司会役の男子が僕に駆け寄ってきた。


「ん、どうしたのさそんな慌てて」


「そりゃ慌てるよ。今回の男性部門のプリンセスが見当たらなくなったら。ルカ子ちゃんはまだか、ルカちゃんを早く出せって、観客が暴動を起こしそうだよ」


「ふっ、どうやら僕の可愛さがみんなを狂わせてしまったらしい。まったく可愛いって、罪だね」


 悠々と司会の後についていった僕は、大歓声のもとミス・青碧の称号を授かった。




 そんな瑠夏を見送ったふたりは、今回の件を振り返って、出てくる感想はひとつであった。


「本当、どうしてこうなった」


「まったくだ。どうしてこうなった」


 勘違いを持ち込んだせいで、ふたりが結ばれる機会が奪ってしまった。


 ルカに嫌われるのが嫌なふたりは、そっと真実を胸にしまったのだった。

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