第11話

 さて、土日が明けて、また学校。

 この日、優香が上尾さんに絵の描き方を教えてもらって、ずっと取り組んでいた一枚のイラストが完成した。

 僕は途中からそのイラストがどうなっていたか見なかったので、完成した絵を見て驚いた。


「ええ……」


 そのイラストは『不思議の国のアリス』を題材にしたものらしく、中心にアリス、その周囲にトランプの兵隊やチェシャ猫といったキャラクターが描かれていた。

 驚いたのはそのクオリティだ。

 僕はイラストについては素人だが、デッサン、構図、色彩、その他諸々何も間違っていない。いやそれどころかアリスを中心にした構図と極彩色の色彩で、デジタルイラストというより絵画の趣があり、とても素人が書いたようには見えなかった。


「これ……すごくない……?」


 僕が言うと、上尾さんが頭を抱えていた。同意らしい。


「私でもこんなの書けない。何なのこれ」


 どうやら優香には絵の才能があるらしい。ピアノもそうだが、勉強はできなくても芸術的センスが優れているのだろうか。


「いや、これほんとにすごいよ優香ちゃん。文化祭で飾ろうね?」

「それはちょっと、恥ずかしいです……」

「っていうか、文化祭の展示もうこれだけでいいじゃん。今年は何もしなくていいかな」

「流石に一枚では寂しいでしょ。あと二、三枚書ける?」


 僕と上尾さんが、にやにやしながら優香に迫る。

 ここで補足すると、我がデジタルイラスト研究会は一年に一度、文化祭の時だけ展示会をしている。そうでもしないと何をしている部なのかよくわからないためだ。しかし上尾さんが普段描いているのは漫画で、しかも表には飾れない(察してくれ)タイプなので、上尾さんが一夜漬けで展示イラストを書き、僕が印刷やら額縁を手配するという一年で一番手間のかかるイベントなのだ。

 優香がイラストを描いてくれるとすれば、あとは装丁だけなので、準備しておけば簡単だろう。上尾さんのイラストができないと装丁もできないからいつもギリギリのスケジュールなのだ。


「えっと……優香、お絵描きする時間はあまりないと思うので……」

「えっ、なんで? ここに来てお絵描きする時間は今まであったじゃん」

「そうですけど……」


 優香が目をそらす。少し、様子が変だ。


「……絵、描くの、あんまり楽しくなかった?」


 上尾さんがそう言って、僕は驚いた。

 こんなにきれいな絵を描いて、楽しくない、なんて事があるのか?

 もちろん、製作することは大変だし、苦しみもあるだろうけど。うまく完成すれば、その達成感は一度味わえば忘れられないものになるはずだ。


「いえ……そういうわけでは……」


 優香の視点がふらふらしている。上尾さんに教えてもらった手前、楽しくなかった、とは言えないだろう。優香の性格からして。

 ただ、まだ優香は何かを隠している。いつもはこんな、狼狽するような子じゃない。


「……期末テストの勉強、しないと」


 散々うろたえて絞り出したのは、そんな事だった。

 確かに、中間テストから期末テストまでの時間は短いし、赤点回避を最優先する優香が気にするのは、真っ当な事なんだけど。

 もう優香は一般的な生徒並の学力があり、よほど失敗しなければ赤点には至らない。

 まだ自信を持てないのか――いや、なんか違う気がする。


「そう。まあ、無理強いはしないけど」

「……すみません」


 などと考えている間に、上尾さんが会話を終わらせてしまった。


* * *


あの後、僕は優香のことについて、ずっと考えていた。

勉強に全集中する優香だが、それはやめてしまったピアノの穴を埋めるためで、本当にそうしたいのではないのでは、と思っていた。いや勉強するのはいい事なんだけど。

上尾さんに絵の描き方を教えてもらって、イラスト製作にハマれば、それはいいことだと思っていた。しかし優香は、あれだけきれいなイラストを完成させたのに、これからも製作を続けることにはあまり乗り気ではなかった。

だいたい、趣味というものは上手くできるからどんどん上達するのであって、その流れに乗ればよかったのに。

その理由は勉強したいから……いや、これは違う。絶対違う。勉強だけで優香に空いた穴が埋まるとは思えない。ずっと近くにいる僕にはわかる。勉強は、楽しむに越した事はないが、ほとんどの人間は義務的に取り組むものであり、勉強大好き!というURクラスの心意気は、優香にはないのだ。

そんなこんなで、週末。

僕は、ある実験をした。

僕の家にて、勉強会と昼食が終わり、もう優香が帰るという時のことだ。


「ねえ、優香ちゃん、ゲームしてみない?」

「えっ、優香が、ですか?」


 そもそもゲーム機を持っておらず、一度もしたことがない、というのはこれまでの会話でわかっている。

 上尾さんにイラストを教えてもらったので、今度は僕が一番好きなものを教える番だった。


「優香、ゲームしたことないです」

「僕が教えてあげるからさ」


 僕が選んだのは、『大戦争 スカッシュ・ブラザーズ』という有名なゲーム。色々なキャラを使ってふっとばし合う格闘ゲームだ。

 基本的な操作方法を教え、まずはソロプレイから。

 優香は「この子かわいいです」と言ってピンクの丸くて小さいキャラを使った。そいつ上級者向けなんだけどな。まあいいか、途中で変えれば。

 僕が隣で、アシストしながらストーリーを進める……


「ええ……?」


 はずだったのだが、基本的な操作方法だけ覚えた優香は、それ以降僕が何も助言せずとも、一人用のシナリオをクリアしてしまった。

 やさしい難易度だったとはいえ、飲み込みの速さが異常だった。


「優香ちゃん、僕と対戦してみよっか」

「えっ、先輩とですか? 勝てないです」

「やってみなきゃわからないよ」


 というわけで、対戦。

 僕は剣士のキャラを使い、優香のピンクで丸いやつと戦う。


「あれ?」


 あっと言う前に、三本先取された。


「勝てました~! 航さん、手加減してくれたんですよね?」

「あ、うん、そうだね、はは」


 おいおい。格ゲーはそこまでやらないにしても、妹とかなりやり込んだゲームだから、さっき始めた優香にボロ負けするのはおかしい。


「よし、じゃあ僕キャラ変えちゃおっかなー」


 僕はガチプレイ時の定番の宇宙狐キャラにして、また対戦を始めた。

 すると最初の一本は取れたものの、それで完全に見切られたのか、残り三本は手も足も出なかった。


「優香ちゃん、つよ……」

「けっこう楽しいですね、このゲーム」


『太鼓の超人』をやった時もそうだったが、優香にはおそろしい速さでゲーム性を理解し、即座に実行する力がある。これもうプロゲーマーとか目指せるんじゃないか。


「もうちょっとやってく?」

「あ、いえ、お勉強があるのでもう帰ります」


 これだけ上手くなったというのに、優香はこのゲームを特に気に入った訳ではないようで、このあとすぐに帰った。

 こうして、僕が一番好きなものを教える、という作戦も、失敗に終わった。

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