第10話

 悶々とした気持ちを抱えながらも、日々は過ぎていく。

 優香と手を繋いで帰るのは、最初こそ緊張で破裂しそうだったものの、徐々に慣れていった。付き合っているという噂が広まったのか、僕たちに向けられる視線も減り、金曜日になると、どちらが何も言わずとも、自然に手をつなげるほどになった。

 そうして週末へ。

 優香は、僕のために料理を続けてくれている。

 勉強を教える代わりに、料理を作ってもらう、という関係は告白でリセットされた。しかし優香は、彼女だから、彼氏に料理を作ってあげたい、という気持ちで料理を続けている。

 僕が勉強を教えるのも続けているから、この関係はあまり変わっていない。

 僕としては、料理なんか作らないで、好きなことすれば? という気持ちなのだけど。そもそも優香が好きなことってなんだろうか。ピアノはやめたらしいので除外するとして、優香が僕とやっているのは料理か勉強くらい。ガチの趣味じゃないにしても、ゲームか漫画か動画見るような、一般的な暇つぶしレベルのことをしてもいいと思うのだが、そういう姿も見たことがない。

 うーん、と悩む、優香手作りのお好み焼きを食べた後の、午後。

 僕がリビングのソファにいると、優香がちょん、と隣に座ってきた。


「あの……航さん……」


 とても小さな声で、上目遣いに何かを訴える優香。

 これはお願いをされるに違いない。優香がやりたい事を機敏に捉えたい僕としては、願ってもないチャンスだった。


「なに?」

「今、手をつないでもいいですか……?」

「えっ、今?」


 この日は、勉強会とご飯だけだったので、外出することはなく。

 手をつなぐこともなかった。


「今日は、どこにも行かないし、今つながないと他に時間がないので……」

「う、うん、別にいいけど。はい」


 僕が手を差し出すと、優香が手のひらどうしをつないで、それから体をすっ、と僕の腕に寄せてきた。

 身長差があるので、僕の二の腕あたりに優香の頭がくる。


「先輩の腕、かたいです」


 優香は僕の上腕二頭筋あたりに顔を近づけ、頬ずりをする。

 もう暑い時期なので、僕も優香も、服は半袖。手のひらだけでなく腕どうしが密着して、いつもより多く、体温が伝わってくる。

 いやいやいや何してるんだ。茹でダコになってしまうだろそんなことされたら。


「ま、まあ男子だし? 優香ちゃんのよりは硬いよ、それはね」

「優香、腕ぷにぷにです。さわってみますか?」


 優香は僕の前に手を出して、自分で自分の二の腕をつまんでみせた。

 小柄な優香の腕よりは、僕よりもずっと細い。本当にこんなに細くて生きられるのか、同じ人間とは思えない、などと考えるくらいに。


「い、いや、いいよ」

「触りたく……ないですか?」

「触ってみたいけどさ、ほら、二の腕の肉はおっぱいとさわり心地が一緒って言うじゃん? 変な気持ちになったらまずいしさ」

「そう、なんですか?」


 いけない、焦りすぎて昔SNSで見た本当かどうかもわからないアホな下ネタを口走ってしまった。おっぱいも二の腕も脂肪の塊だから一緒だろう、という事らしい。

 しかし優香は、それがいやらしい意味だと理解していないらしく、自分で二の腕を触ったあと、次に自分の胸を触った。ふに、と胸がお餅みたいに、柔らかく揺れる。


「確かに、ちょっと似てます」

「……」

「……あ」


 この時、僕は、優香の胸を凝視してしまっていた。

 優香の胸について、僕はなるべく直視しないようにしていた。優香は自分の胸について特に何も言わないので、もしかしたら大きいことがコンプレックスなのかもしれない。そう思うと、僕から何か言って、優香を傷つけてしまうことが怖かった。

 しかし今は、事故とはいえ優香の胸をガン見してしまい、それを優香にも知られた訳で……

 優しくしておきながら結局ただのスケベな男だったのか、と言われても仕方がない。


「……もしかして、腕じゃなくてこっちを触りたいのですか?」


 しかし、僕の心配とは裏腹に、優香は予想していなかったことを言った。


「あ、いや、そういう訳じゃなくて……」

「男子ってみんなこれ好きですよね。優香、小四くらいからずっと男子と話す時は胸ばかり見られてたので、もう慣れました」

「しょ、しょうよん……」

「航さんは遠慮しなくていいですよ? 見てくださいっ」

「え」


 服の上からとはいえ、優香の大きな胸をまじましと見ると、なんとも言えない気持ちが湧いてくる。大きくて、丸い優香の胸が描く、美しい曲線。それはスイカであり、メロンであり、サッカーボールであり、地球の丸さであり、もしかしたら、宇宙全体が完全な球体であるかもしれなかった。

 ……いかんいかん、優香の胸のインパクトがあまりに大きくて、思考が飛んでしまった。


「触っても……いいですよ?」

「うぇ……?」


 僕は、優香が言っていることをなかなか理解できなかった。

 陰キャラオタクで通してきた僕にとって、彼女ができること自体無理ゲーであり、ましてやその先にある、彼女のおっぱいを触る、という事など想定外の事態である。


「……いや待って待って! 僕たちまだ手をつないだことくらいしかないのに、そんなことしちゃまずいでしょ!」

「優香は……航さんになら、触られてもいいです」

「なっ……」


 僕に、なら?


「そう、なの……? なん、で……?」

「それは、その……好きな人には、優香のこと全部知ってほしいので……うう、なんか変な感じになっちゃいました、恥ずかしいです」

「う、うん、恥ずかしいから今はやめとこ! ね!」

「はい……」


 誘惑を、優香にわずかに戻ってきた理性で跳ね返し、なんとかこの話題を終えた。

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