第9話
『優香は航さんのこと、本当に好きになっちゃってるって、思ったんです……』
「ぬおおおおおあああああ」
優香と別れたあとも、僕の気持ちはなかなか収まらなかった。
本当に、好きになっちゃってる。
その一言は、ある意味「好きです」とかダイレクトに言われるよりも強烈だった。
とにかくその言葉が何回も脳内でリフレインして、一度再生が終わると、今度は体中がふわっと宙に浮くような、今まで経験したことのない感覚に襲われて。それはこれまでの人生のどんな感覚よりも刺激的で、僕の頭を麻痺させた」
「あああああああああああ」
あまり大声で叫んだら隣の優香に気づかれそうなので、ソファに顔をうずめて叫ぶのだが、それでも収まりそうになかった。
優香と付き合いはじめたあとの事は、なんとなく想定していたはずだった。しかしこんな感覚に襲われるとは。全くの想定外だ。
これが『好き』なのか。
優香のことは、もちろん出会った時からいい子だと思っていたし、他にこんな気持ちを抱ける女子もいないので、今の僕は、間違いなく優香のことが好きなのだと思う。
学校ではゲームばかりしてる陰キャラオタクで通していた僕が、誰かを好きになって、そのためにゲームすら手につかずひたすら家で悶絶するとは。自分自身でもまだ信じられない。
徐々に、冷静になってくると、優香が言った言葉の意味が、少しずつ、重くのしかかってくる。
優香は可愛い。そばにいたら、誰でも守りたくなる。
だから当然モテるし、男子から告白もされているだろう。露払いの村上さんがいなければ、さくっとイケメンの先輩あたり、好きなように選んで、恋に落ちていたかもしれない。どのような結末であれ、それは僕みたいな陰キャラオタクが関与するはずの問題ではなかった。
しかし、優香はすでに、『僕でなければならない理由』を見つけていたのだ。
これは、上尾さんに押されて、なんとなく勢いで告白してしまうか、という行動をとった僕とは正反対だった。おそらく僕に告白される前から、優香は僕のことを好きになっていたのだ。告白とかしなかったのは、僕のことを家庭教師みたいに思っていて、男女関係にはなれないと考えていたから。
僕はどうだろうか?
僕にとって、優香でなければならない理由、とはなんだろうか?
毎日ご飯を作ってくれるから?
可愛いから?
胸が大きいから?
どれも当たってはいるが、少し違う気がする。
だから、もし優香に『優香のどこが好きですか?』とか聞かれてしまったら、僕は即答できない。
そんなことも考えずに軽く告白してしまったわけで、結果的にそれは告白直後の優香をひどく混乱させてしまった。
もしできるなら、時間を巻き戻して告白する直前まで戻りたいものだが――それは無理だ。
僕は、彼氏として、優香とどう向き合えばいいのだろう。
うーん。
わからん。
などと悩んでいるうちに、またあの『本当に、好きになっちゃってる』という言葉がリフレインされ、僕はソファに顔をうずめ、叫ぶのだった。
* * *
自分だけでわからない問題にぶち当たった時は、誰かを頼るしかない。
という訳で、大地へ相談することにした。
誰に相談するかは少し迷った。ただ冷静に考えてみると、上尾さんは恋愛経験ゼロ、村上さんは最近彼氏ができたばかり。たまに話す豊田という男子は、これまで三人の女の子と付き合い、すでに別れている。という訳で、隠しながらも中学からの彼女と付き合い続けている大地が、僕にとっての大先輩というわけだ。
大地は忙しいので、昼休み、誰にも見られない校舎裏でしか落ち合えない。
僕がここ数日の、告白から手をつないだ時までのことを話すと、大地は笑いも怒りもせず、いつものクールな感じで聞いていた。
「お前からこんな話を聞くとはな」
「僕もびっくりだよ。でも大地ならわかってくれるんじゃないかと思って」
「わかるんだよなあ……」
大地は遠い目で、手に持った缶コーヒーを見つめていた。
「俺は、向こうから告白されたから」
「うん。まあモテるもんね大地は。でも断らなかったの?」
「何回も断ったさ。向こうが諦めなかった」
「うん。一回くらいじゃ諦めない子はいるでしょ。でもなんで熊野さんと? 押しが強かったから?」
「それもあったが――まず俺自身、美晴とは普通に話していても相性がいいと思ってて、付き合ったらうまくいくだろうなという気持ちはあった。が、当時の俺は勉強と部活のサッカーを最優先にして、女子は入れない主義だった。今でもそうだが、当時の俺はいまよりもっと硬かった。だがある日事件が起こった」
「ふむ」
「中二の終わりくらいだったか。一つ上の三年は、受験が終わって羽根を伸ばしている頃だ。俺のところに、三年でいちばん美人な女子の先輩が、毎日来るようになってな。私卒業するから最後の思い出のデートしようよ、夜はうち誰もいないから泊まっていいよ。こんな感じで」
「前世でどれだけ徳を積んだらそんなイベント起こるの?」
「知らん。もちろん俺は断ったんだが、あまりにしつこくて、最後は適当にあしらってたんだよ。ああはいはい、十年後でいいですか、とか。そうしたら美晴が、どうやら俺が折れたらしい、と勘違いして。ある時、美晴で二人で話してたら、急に泣き出したんだよ。『やだ、大地のこと取られたくない、行かないで』って」
「う、うわ……」
「正直、それまでも告白を断って、泣き出す女子を見たことはあったんだが」
「前世でどれだけ」
「それはもういい。そういう時は、申し訳ないけど俺もほとんど話したことなくていきなり告白してくる女子を相手に、いちいち気を使っていたら疲れて死んでしまうわ、という気持ちで。ある程度は仕方ないか割り切っていたんだ。だが美晴が泣いている姿を見るのは、自分が泣いているくらいに辛かった。俺は昔からあまり泣かなくて、サッカーで負けて死ぬほど悔しい時も、涙が出ることはなかった。そんな自分の視界が涙でうるんだのは、おそらく赤ちゃんの時以来のことだった。その時、俺自身美晴を好きだったのだと気づいた。それで先輩のことは断るから、その代わりちゃんと俺と付き合ってくれ、という事になった」
「さすが……モテる男には壮大なストーリーがあるわけだ」
「いやお前も大概だと思うぞ。あんな可愛い子が近くでふらふらして、それを助けるなんてな。近くにいたのが変質者のやばいおっさんだったかもしれない、と思うと寒気がする」
「確かに。優香ちゃん、体小さいし力もないからなあ。僕もぞっとした」
「そういう意味では、お前はすでに優香ちゃんのヒーローなんだ。その後、勉強を教えて、目標だった赤点の回避も果たして。これは誇っていいと思う」
「うーん。でもさ。たまたまヒーローになれたから優香ちゃんが好き。それもおかしな話だよね」
「考えすぎじゃないか? 俺も最初は壮絶だったが、今まで続いているのは美晴と相性が良かったからだ。男女である程度相性がよかったら付き合う。これくらいじゃだめなのか。そもそも、近所に住んでるとか、同じ学校に通うとか、自分で選ぶ事ではないしな。運命ってやつだろ」
「うーん」
「まあ、お前はそのうち自分で答えを見つけると思うよ」
大地の壮絶な初恋物語を聞いて圧倒されたこともあり、僕はこの日の相談では、『優香でなければならない理由』について、答えを見つけられなかった。
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